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2007年9月28日 (金)

千駄木庵日乗九月二十七日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。小生が、「萬葉集」の性格について話し、数首の名歌を講義した。゜帰宅後は、諸雑務。

          ○

うつそみの人なる吾や明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄   弟(いろせ)とわが見む   

この歌は、今日私が講義した歌の一首で、大来皇女おおくのひめみこ大伯皇女とも表記。謀反を起こしたとして処刑された大津皇子の姉君)が弟君・大津皇子が葬られた二上山を仰がれて詠まれた御歌である。

通釈は、「この世の人である私は、明日からは二上山を弟として眺めることであらうか」といふほどの意。

ご自分の弟君が亡くなってしまった悲しみを切々と歌った御歌。萬葉集挽歌の代表的な御歌。文学的価値も高いし、歌の背景にある歴史的意味も深いし、信仰的宗教的意義も深い。実際に大和に行って二上山を眺めると、この御歌の素晴らしさが実感できる。 

二上山は、金剛山地北部にある山で、山頂が北の雄岳(海抜五一五㍍)南の雌岳(海抜四七四㍍)の二つに分かれている。なだらかで美しい山で、女性の乳房のように見える。大津皇子の御墓は雄岳の頂上にある。

大和の國の中で神聖なる山と仰がれ、しかも藤原京から常に眺めることのできる二上山の山頂に、大津皇子を葬られたのは、持統天皇の御意志によるか御了解を得なければできなかったはずである。

持統天皇は、実の甥にあたられる大津皇子を謀反の罪で処刑されたが、大津皇子に対して深い鎮魂慰靈のみ心を表されたと拝察する。

萬葉人は「あの世への入口・靈界の象徴」として二上山を仰いだ。三輪山のある大和盆地の東の方から昇ってきた太陽は、二上山のある西の方角に沈む。それ故に二上山はあの世への入口と考えられた。夕日に染められた二上山は今日でも実に美しい。古代日本人が「あの世への入口・靈界の象徴」として、二上山を仰いだのも頷かれる。

つまり、三輪山の日の出と二上山の落陽を仰いだ太古の人々は、聖なる二つの山の間を渡る太陽を神の去来と考え、二上山の背後に沈んだ太陽が、再び東方の三輪山から出現するように、二上山の彼方に送った死者の靈魂も現世に再来すると信じた。これを「よみがへりの思想」(夜見の國=あの世から帰って来るといふ思想)という。

古代における「あの世」とは、「虚無の世界」「暗黒の深淵」ではなく、「常世」ともいわれるように、永遠の生命の世界、生成とエネルギーの根源の國・豊饒の國であったと考えられる。それは<母胎回帰の思想>とも関連する。古代人は「生」と「死」は全く断絶した世界であるとは考えなかった。あの世においても人間の生命は生き続けていると信じた。大國主命は幽り世(かくりよ・あの世)の神であり、伊耶那美命は夜見の國(よみのくに・あの世)に行かれる。

乳房の形をした二上山は「母なる大地」の象徴であったのではないか。母なる大地に帰って再び生まれてくるのが「よみがへり」であり、二上山はそれを象徴していると考えられる。

「萬葉集」には、日本の古代精神が多くの人々によって余すところなく歌われている。日本人の本来の精神を知るためには、「萬葉集」に学ばなければならない。

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