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2007年9月30日 (日)

千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して書状執筆・資料整理など。

           ○

わたくしは、わたくし自身が道義や武士道を人様に論じることが出来る人物だとは毛頭思っていない。しかし、自分自身の反省として次の事だけは論じておきたいと思う。

かつての日本国民は、事の結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っていた。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 わが国の武士道精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、武士道精神に基づくといっても過言ではない。

武士道精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。しかもそれは武士階級のみの道義精神ではない。日本人全体が持っている心・持つべき心である。

長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、万葉時代の防人たち、中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士などの志士の行動、白虎隊士の自決、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。

しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などという精神は、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 ところが「武士道」を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

戦後日本の国民は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

やはり我々は今日に於いて、日本の伝統的に武士道精神を甦らしめねばならないと痛感する。

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2007年9月29日 (土)

千駄木庵日乗九月二十八日

午前は、父のお世話。

午後は、母の介護更新申請の為に近くの支援センターに赴く。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務など。今日は月末でもあり、色々支払いなどがあり大変でした。

         ○

福田氏が総理になりましたが、国会の指名が遅れたため、宮中における任命式は翌日になりました。ところが未だ任命式を済ませていないのに、テレビなどは「福田総理」として報道していました。これはおかしいと思います。現行憲法においても「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」と定められています。正式に総理大臣に任命されていない人を「総理」と呼ぶのは誤りです。

佐藤栄作氏が自民党総裁に選出されただけで、任命式が終わっていないのに、総理官邸に来て、執務しようとしたら、当時の石岡實内閣官房副長官(事務)が「皇居における任命式が済んでいないのですから、官邸を使うことはできません」と諫言したということがあったそうです。尊皇精神篤い佐藤栄作氏は、そのことでかえって石岡實氏を大変信頼したということです。

石岡氏は、終戦時の警視庁特高第二課長として愛国団体の終戦阻止行動などに対処し、戦後は、警視庁公安部長・内閣調査室長などを歴任しました。愛宕山の「尊攘義軍」(終戦直後、終戦に反対して愛宕山にて集団自決した愛国者)の慰霊祭には必ず参列されてしました。古武士のような風格の方でした。

ひと時代前の政治家・官僚には佐藤・石岡両氏のような尊皇愛国の士がおられたのです。今は、そういう人々が本当に少なくなったように思います。政治家・官僚の道義の低下・腐敗は、日本の道義精神の根幹である天皇への仰慕の心・尊皇精神が希薄になったからであると思います。

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2007年9月28日 (金)

千駄木庵日乗九月二十七日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。小生が、「萬葉集」の性格について話し、数首の名歌を講義した。゜帰宅後は、諸雑務。

          ○

うつそみの人なる吾や明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄   弟(いろせ)とわが見む   

この歌は、今日私が講義した歌の一首で、大来皇女おおくのひめみこ大伯皇女とも表記。謀反を起こしたとして処刑された大津皇子の姉君)が弟君・大津皇子が葬られた二上山を仰がれて詠まれた御歌である。

通釈は、「この世の人である私は、明日からは二上山を弟として眺めることであらうか」といふほどの意。

ご自分の弟君が亡くなってしまった悲しみを切々と歌った御歌。萬葉集挽歌の代表的な御歌。文学的価値も高いし、歌の背景にある歴史的意味も深いし、信仰的宗教的意義も深い。実際に大和に行って二上山を眺めると、この御歌の素晴らしさが実感できる。 

二上山は、金剛山地北部にある山で、山頂が北の雄岳(海抜五一五㍍)南の雌岳(海抜四七四㍍)の二つに分かれている。なだらかで美しい山で、女性の乳房のように見える。大津皇子の御墓は雄岳の頂上にある。

大和の國の中で神聖なる山と仰がれ、しかも藤原京から常に眺めることのできる二上山の山頂に、大津皇子を葬られたのは、持統天皇の御意志によるか御了解を得なければできなかったはずである。

持統天皇は、実の甥にあたられる大津皇子を謀反の罪で処刑されたが、大津皇子に対して深い鎮魂慰靈のみ心を表されたと拝察する。

萬葉人は「あの世への入口・靈界の象徴」として二上山を仰いだ。三輪山のある大和盆地の東の方から昇ってきた太陽は、二上山のある西の方角に沈む。それ故に二上山はあの世への入口と考えられた。夕日に染められた二上山は今日でも実に美しい。古代日本人が「あの世への入口・靈界の象徴」として、二上山を仰いだのも頷かれる。

つまり、三輪山の日の出と二上山の落陽を仰いだ太古の人々は、聖なる二つの山の間を渡る太陽を神の去来と考え、二上山の背後に沈んだ太陽が、再び東方の三輪山から出現するように、二上山の彼方に送った死者の靈魂も現世に再来すると信じた。これを「よみがへりの思想」(夜見の國=あの世から帰って来るといふ思想)という。

古代における「あの世」とは、「虚無の世界」「暗黒の深淵」ではなく、「常世」ともいわれるように、永遠の生命の世界、生成とエネルギーの根源の國・豊饒の國であったと考えられる。それは<母胎回帰の思想>とも関連する。古代人は「生」と「死」は全く断絶した世界であるとは考えなかった。あの世においても人間の生命は生き続けていると信じた。大國主命は幽り世(かくりよ・あの世)の神であり、伊耶那美命は夜見の國(よみのくに・あの世)に行かれる。

乳房の形をした二上山は「母なる大地」の象徴であったのではないか。母なる大地に帰って再び生まれてくるのが「よみがへり」であり、二上山はそれを象徴していると考えられる。

「萬葉集」には、日本の古代精神が多くの人々によって余すところなく歌われている。日本人の本来の精神を知るためには、「萬葉集」に学ばなければならない。

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2007年9月27日 (木)

千駄木庵日乗九月二十六日

午後一時半より、芝にて行われた会合にてスピーチ。福田康夫・小沢一郎の双方とも、国を危うくする恐れありと論じました。

いったん帰宅して、諸雑務。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。萬葉集巻十四の東歌について講義。

帰宅後は、明日の「しきしまの会」における講義の準備。

          ○

民主党が、自公連立に揺さぶりをかけるために、国政調査権を利用して創価学会公明党の政教一致問題・税金問題などを糾明するかもしれません。また、参院で、池田大作氏への証人喚問をする動きを示すかもしれません。創価学会公明党は震えあがり、自公連立を解消し民主党とくっ付く可能性があります。何しろ公明党は池田大作・創価学会を守るためなら何でもありの政党ですから…。学会機関紙「聖教新聞」は民主党および民主党所属議員を口汚なく罵っていましたが参院選後そういう記事が載らなくなったようです。しかし、一般の創価学会員が納得するかどうかが問題です。小沢一郎は、以前池田氏の証人喚問に反対しましたから、今度そういう動きが取れるかどうかも見ものです。小沢ならやりかねません。小沢と池田の戦いになるわけです。いずれにしても、これから政治はますます混乱するでしょう。

和歌の勉強をしながら、こういう生臭いことを書くというのも

大変です。

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2007年9月26日 (水)

千駄木庵日乗九月二十五日

午前十一時、大先輩の事務所訪問。懇談。父と同年代の方で、色々ご指導を頂きました。

午後からは在宅して、明日の萬葉集講義の準備・資料の整理など。

           ○

麻生氏は入閣しなくて良かったと思います。福田氏とは全く考え方が違うのですから、その人の下で副総理・外務大臣などをやるべきではありません。むしろ真正保守の立場・戦後体制脱却の立場に立ち、党内野党として、福田政権と対峙することが國の為になります。

小沢一郎は、参院で総理指名を受けたことを「光栄です」だとか言って喜んでいましたが、革命政党・売国政党=社民・共産党の支持を受けたことを光栄と思うなどということ自体が全く間違っているのです。社民・共産は、北朝鮮・共産支那・旧ソ連という二十世紀から今世紀にいたるまで人類に多大な惨禍をもたらし、何億という人々を死に至らしめた共産主義独裁侵略国家と同根の政治集団です。のみならず、共産主義侵略国家の手先となりその支援を受けて祖国日本共産化に狂奔してきた集団です。未だにこのような集団がこの国に存在していること自体がおかしなことなのです。そういう政党に支持を受けたことを光栄と思う小沢一郎に政権を取らせてはなりません。真正保守・戦後体制打倒=日本再生を目指す政治勢力が大同団結するべきであります。

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2007年9月25日 (火)

千駄木庵日乗九月二十四日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、父の具合が急に悪くなり、共に病院に赴きました。医師の治療を受け、持ち直しましたので、入院ということにならず、帰宅致し、ホッとしました。しかし、今後とも十分に気をつけなければなりません。

帰宅後は、在宅して原稿執筆、水曜日の萬葉集講義の準備。

          ○

安倍総理が大変憔悴している姿に驚きました。お気の毒です。色々なことが相当にこたえたのでしょう。戦後レジーム脱却に反対する反日マスコミと権力亡者・小沢一郎に苛め倒されたのです。ご回復を祈ります。安倍総理の辞任で最も残念なのは、「戦後レジームからの脱却」が頓挫してしまうことです。麻生氏が後継総理なら、続行したでしょうが、福田氏では駄目です。しばらくは自民党護憲派・戦後体制維持派が政治を牛耳るのでしょう。困ったことです。

敗戦後、戦勝国によって押し付けられたわが国の伝統を破壊し国柄を合わない色々な体制・法律のみならず、精神文化などを祓い清めねば、今後の日本はますます混迷します。

戦争直後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めました。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げです。戦前の宮内省は大宝律令以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在であった。ところが戦後の宮内庁は、総理府の外局にすぎなくなった。戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格の人物が就任した。したがって、宮内省が権力者によって利用されるなどということはなかった。今日の宮内庁長官は他の官庁のトップを退職した元官僚が就任する。政治権力者と対等にものを言える立場ではない。それが皇室の政治利用が行われる原因である。戦後レジームからの脱却(民族運動の言葉で言えば、戦後体制打倒)は、國體に関わる重大事であり、喫緊の課題である。

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2007年9月24日 (月)

千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、菩提寺に赴き、四宮家のお墓を掃苔。感謝の誠を捧げご加護を祈る。住職夫人に御挨拶。本堂に参拝。

お彼岸には以前は両親が必ずお墓参りに来たのです。そしてそれをとても楽しみにしていたのです。しかし、今や体力的に無理となり、私が来るようになりました。実に悲しい思いがします。両親に早く元気を取り戻していただいてまた一緒にお墓参りがしたいという思いがします。両親には元気で一日でも長く生きていてほしいと願っています。

午後五時より、高田馬場の一水會本部にて、「一水會物故同志・會友慰霊祭」執行。十二人の方々の御霊が祭られましたが、私より年長の人は御一方のみです。皆、若くしてこの世を去られたわけです。終了後直会。

帰宅後は、資料の整理。

            ○

今日は、お彼岸の中日であり、先祖のお墓参りを行い、且つ慰霊行事に参列を致しましたので、政治向きのことは書かないことにします。敬神崇祖は、日本伝統信仰の中核であり基本であります。この心を大切にしていかなければならないと思います。先祖のお墓参りは、本当に理屈なしに心がやすらぎます。

拙歌を書かせて頂きます。

墓石を水で清めて手を合はすこのひと時の心やすけし

御先祖に手を合わす時 涼風の吹き来て さやけき み墓辺の秋

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2007年9月23日 (日)

千駄木庵日乗九月二十二日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して原稿執筆。日本の真正保守思想と変革について書いています。

           ○

福田康夫元官房長官が支部長を務める自民党群馬県第四選挙区支部が平成八年と十五年に、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の同県高崎市のパチンコ店経営会社から、計二十万円の寄付を受けていたことが二十一日、同支部の政治資金収支報告書などで明らかになった。政治資金規正法では、外国人や外国人が過半数の株式を保有している企業などからの献金を原則禁止している。平成十五年の寄付は、福田氏が小泉政権の官房長官時代で、小泉総理(当時)訪鮮で北朝鮮が日本人拉致を認めた後だった。福田が北鮮に対して「融和的」姿勢に立ち、拉致被害者及びその家族に対して言語道断な発言を行い、さらに、せっかく帰国した被害者を再び北へ送還しようとした理由がこれで分かった。福田を総理・総裁にしてはならない。

一方、小沢一郎は、日本の対外活動について、なにかと国連を持ち出す。国連が関与し、認知する活動ならば、賛成すると言う。小澤の国連中心主義は誤りである。そもそも国連とは、第二次世界大戦の結果をそのまま出来るだけ長期に維持しようという組織である。第二次大戦後の体制を恒久化しようとする組織である。すなわち戦勝国支配体制の維持組織なのである。また、国連は日本を守ってくれないし、国連は戦争を防止できない。国連はきわめて無力、独善、偏向の機関であり、日本の国家安全保障をそんな機関の手にゆだねることなど、危険このうえない。小沢の国連中心主義は危険である。

ともかく、このままでいくと、国家を危うくする人物が与党党首と野党党首をつとめることとなる。実に以て由々しき事態である。私は、切歯扼腕するばかりであるが、それでも麻生氏の奮闘を祈る。

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2007年9月22日 (土)

千駄木庵日乗九月二十一日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、靖国神社境内にある靖国会館にて、「靖国神社遊就館特別展・英霊たちの言霊──書画に甦る若者決死の声展」(靖国神社拝殿前に掲示されている「英靈の言乃葉」の中から特攻隊員や法務死関連者の遺書などを『書』と『絵画』に託した鈴木利男氏の作品の展示会)の展示初日の「靖国神社御祭神奉慰の想いを分かち合う集い・茶話會」開催。

南丘喜八郎氏が司会。井尻千男拓殖大学日本文化研究所長、南部利昭靖国神社宮司、山本義正氏(山本五十六元帥御長男)、西村眞悟衆院議員、若園正夫氏そして小生などが挨拶を行った。鈴木利男氏が謝辞を述べ「私の作品ではなく、主人公は英霊である。いのちをしぼりきった英霊の言葉を形に表現した。描いていると英霊の響きがジーンと伝わって来た。八十三歳にして初めての体験。」と語った。

小生は、「この諸作品には、英霊の魂がこもっている。和歌は、魂の訴えであり、物語は、魂が語ったものである。鈴木氏の絵画と書はまさに英霊の御霊が籠っている。英霊が鈴木氏を通して描いたものである。しかも、母を思い、家族を思い、平和を願う「和(なご)みの心」が表現されている。大和魂には、和魂と荒魂とがある。四海同胞・万世の為に太平を開くという絶対平和の精神が描かれているところに感銘した」と語らせて頂いた。

この後、遊就館を参観。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

井尻氏は、今日の挨拶で、「無宗教の戦没者追悼施設建設、皇室典範の改悪という國體に関わる由々しいことが起こる危険がある。歴史的暴挙にどう対処するか。麻生氏に勝ってもらわねばならない」と言われた。同感である。

今日行われた麻生氏と福田氏との討論で、麻生氏は、「男系男子による皇統継承が國の根幹である。誇れる国を愛し、歴史に対する信頼を大切にしたい」という意味のことを述べた。また、拉致問題について、福田氏の姿勢を追及した。福田氏はしどろもどろの答弁をしていた。

福田氏の国家観・歴史観・拉致問題への姿勢・外交姿勢はやはり駄目である。この人を総理にしてはならないと実感する。麻生氏の勝利を祈る。

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2007年9月21日 (金)

千駄木庵日乗九月二十日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が、元明天皇御製などを講義。

その後、同志の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

           ○

ある国会議員の方からわざわざお電話をいただきまして、「私は麻生氏を支持することを決断しました。靖国神社参拝をしないと公言し正しい保守の立場を鮮明にしない人を支持するわけにはいきません。私の属するグループの幹部の人にも了解を得ました」と述べられました。勝ち馬に乗ろうとして、福田支持の立場をとる議員が多いといわれる中にあって、勇気ある決断をした同志議員に敬意を表します。こういう議員が続々と増えることを祈ります。

最近、戦後体制打倒・日本再生の動きが現実化してきつつあったにもかかわらず、平沼赳夫氏が郵政問題で自民党を離れた上に病に倒れ、西村眞悟氏が有罪の判決を受け、さらに安倍晋三氏が病に倒れ総理辞職の事態になるなど、真正保守の愛国政治家に続いて変事が起こりました。まことに残念としか言いようがありません。

幸い、平沼・西村両氏は、変事を撥ね退け元気で活動しています。昨日議員会館でお見かけした平沼氏は顔色も良くお元気そうでした。安倍氏は、反日マスコミと小沢一郎に苛め倒されたと言っていいと思います。安倍氏が一日も早く元気を回復して、戦線に復帰することを祈るのみです。

私は、微力であることは充分に承知をしておりますが、正しい政治家を出来得る限り応援し、國の為にならない政治家を批判し糾弾することにつとめたいと思います。

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2007年9月20日 (木)

千駄木庵日乗九月十九日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、衆議院議員第一議員会館にて、「新しい憲法を作る研究會」開催。堀渉・清原淳平両氏が挨拶した後、竹花光範駒澤大学教授が「二院制の問題点」と題して講演、「世界の国々では、一院制の国が八割に達し、二院制の國は二割。二院制の欠陥が顕在化している。英国議会は、二院制。貴族制度がこの前提になっている。一方は貴族の利益を代表し、一方は庶民の利益を代表する。アメリカは、一七七六年、十三の英植民地が独立し十三の国家連合を作った。そしてその結びつきをより強化するためフィラデルフィアで会議を開き、十三の国が合体し合衆国となった。一七八七年に単一主権国家となり憲法を制定した。大きな州と小さな州との利害対立があり、一院制を許さなかった。上院は各州の人口に関係なく各州二名づつ州の利益代表が選ばれる。下院は人口に比例して議席数が決まる。アラスカ州は一名だが、カルフォルニア州は四六名。世界には貴族制度を前提とした二院制と、国家構造を前提とした二院制がある。わが国の帝国憲法に於いては英国型の二院制。わが国はアメリカ型二院制をとる余地はない。戦後、帝国憲法を改正することとなり、マッカーサーによって無理矢理二院制にさせられた。参議院が衆議院の決定を覆すのでは国会は成り立たず、国政が暗礁に乗り上げ、国民が困る。深刻な状況にある。憲法改正を行って一院制にすべし。」と語った。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後は、明日の萬葉集講義の準備など。

          ○

二院制についての竹花先生の講義は勉強になりました。今日の選択は、貴族制度を復活するか、貴族制度が無くなったのだから一院制にするか、あるいは、参議院の規模と権限を縮小して学識経験者などを選んだ諮問会議というようなものにするかしかありません。しかしこれも憲法改正しなければ実現しないのですから、これは遠い話です。その意味でも改憲を目指した安倍総理の退陣は困ったことです。そして、福田康夫という文字通りの旧政治家が総理総裁になるというのはさらに困ったことです。しかし困った困ったとばかり言っていられません。福田政権になったら、これを厳しく批判しなければなりません。

今日はある大学教授の方から、次のようなメールをいただきました。

「福田氏は相変わらず女性が自立する男女共同参画を目指すと言っております、この人は家庭崩壊を目論む左翼であります、この様な人物が自民党の総裁選挙に出ること自体が自民党の左翼化を明確に示しております。最早自民党は国民政党とは言えないでしょう。分裂をした方が国民の為になると思います。北朝鮮、中国と仲良しで家庭崩壊を目指す福田さんを総裁にしましょうとホメ殺しをしましょう。」

福田氏のような人を総裁にしようという自民党はもう駄目かもしれません。自民党・民主党が分裂し政界再編が行われるのを期して待つべしです。

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2007年9月19日 (水)

千駄木庵日乗九月十八日

午前は、父と共に病院へ。医師の方と今後の治療について相談。

午後からは在宅して、原稿執筆及び木曜日の「萬葉會」の講義準備など。

         ○

総裁選は麻生氏が劣勢のようです。私は、自民党内の権力闘争がどうなろうとどうでも良いのですが、靖国神社参拝を否定し、対支那軟弱姿勢をとる福田康夫氏が総理・総裁に就任することに、大きな危惧を覚えます。自民党議員の多くが勝ち馬に乗ろうとして、福田支持になっていることに腹が立ちます。自民党の多くの議員はすでに真の保守政治家ではなくなっているということです。否、今の政治家は与野党を問わず政治理念や国家の将来なんかどうでもいいのです。ただ、己の権力と地位の維持に汲々としているのです。今さら、七十一歳の老人を総理にして、小沢民主党と本当に対決できると思っているのでしようか。否、民主党対策なんかどうでもいいし、年齢なんかどうでもいいのです。反靖国・親共産支那の福田氏でこの国難を乗り切ることが出来ないと思っているのです。その意味で、私は、福田よりは麻生氏の方がいいと思います。麻生・安倍・平沼といった真正保守の立場に近い政治家の力が弱まっていることは困ったことです。愈々言論活動を活発化しなければならないと思っております。福田内閣が成立したら、真正保守・民族派陣営の福田内閣打倒運動が起るでしょう。小沢一郎がきっと喜ぶことでしょう。これもまた困ったことです。

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2007年9月18日 (火)

千駄木庵日乗九月十七日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、台東区根岸にある子規庵見学。正岡子規が、明治二七年から三五年九月十九日に亡くなるまで住居としたところです。昭和二十年四月の戦災で全焼しましたが、二十六年に当時のままに姿に再建されたということです。狭い家ですが、歌会・句会が行われたであろう座敷、子規が病臥していた部屋などがありました。

子規庵のすぐ目の前が書道博物館です。洋画家・書家であった中村不折が、昭和十一年、自邸内に創設した書道専門図書館。「企画展・ニッポンの書」見学。中村不折の書作品・「龍眠帖」「臨顔真卿斐将軍詩」、夏目漱石・正岡子規・森鴎外・日下部鳴鶴・伊藤左千夫などの書状、副島種臣・谷干城の軸などを見る。また、支那古代の石碑・墓標・副葬品・青銅器・亀甲獣骨文なども展示されていた。

私は、自宅からそう離れたところではないに、子規庵と書道博物館の見学は今回が初めてでした。根岸の町もあまり来たことはありませんでした。山を一つ越さねばならず、交通手段も不便なためです。今日は思いきって来てみました。静かないい街です。ただしラブホテルが多くありました。

御隠殿跡というところがありました。御隠殿は東叡山寛永寺門主輪王寺宮法親王の別邸です。寛永寺門主は、後水尾天皇の皇子・守澄法親王が門主として入山されて以来、天皇より輪王寺宮の称を賜り、以後歴代の寛永寺門主は日光山輪王寺の門主を兼ね、天台座主として全国の天台宗寺院を統括されました。一方芝の増上寺とともに将軍家の菩提所とされました。徳川幕府の宗教的権威をつくるために、皇室の権威を利用したと言っていいと思います。また反幕府勢力が京都におわします天皇を立てて幕府打倒の動きを見せた時、輪王寺宮法親王を天皇として奉ることも考えていたという説もあります。事実、戊辰戦争ではそういう動きもありました。御隠殿は三千坪の優雅な庭園だったそうですが、彰義隊の戦いで焼失し跡形もありませんでした。

鉄道線路をまたぐ陸橋を渡りまして、谷中墓地に通じる御隠殿坂ぼり、谷中墓地を巡り、帰宅しました。

輪王寺宮法親王と戊辰戦争のことについては色々と書きたいことがありますが、別の機会に譲ります。ともかく、徳川幕府は自己の権威を高めるために、皇室を大いに利用しました。にもかかわらず、天皇・皇室を事実上、京都御所に幽閉し奉ったのです。なんとも許し難いことです。近々どこかの博物館で「大徳川展」とやらが開かれるようです。とういう展示になるのは興味深いものがあります。今日は大変暑い日でしたが、色々勉強になった一日でした。

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2007年9月17日 (月)

千駄木庵日乗九月十六日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆など。

            ○

日本の伝統信仰である神社神道は実におおらかにして明るい信仰です。明石に柿本神社という神社がございます。別名を人丸神社と申します。仁和三年(八八七年)、覚証という僧侶が、柿本人麻呂の霊がこの地に留まっているのを感得したとして、柿本人麻呂を祀る祠を建てたのが淵源で、元和六年(一六二〇)当時、明石城主であった小笠原忠政が神社を創建したとのことです。ご祭神は、申すまでもなく歌聖・柿本人麻呂です。

柿本人麻呂は、赴任地の石見から大和に帰る途中、明石海峡を通過する時、「天離(ざか)る 夷の長通(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 倭島(やまとしま)見ゆ」という名歌を詠みました。明石が人麻呂ゆかりの地であることは確かです。

ご神徳は、「学問・和歌・安産・火災除・夫婦和合」の神とされています。なにゆえ人麻呂が安産の神なのかというと、ヒトマロとは「人産まれろ」という意味に通じるからだそうです。またなにゆえ「火災除け」すなわち防火の神であられるかというと、ヒトマロは「火止まる」に通じるからだそうです。またなにゆえ人麻呂が夫婦和合の神とされるのは、妻を思ふ歌を多く詠んだからだそうです。

こじつけ・語呂合わせにすぎないと思ってはダメです。きっと防火や安産とは直接的には関係のなかった人麻呂はあの世で驚いていると思いますが、日本人はかくの如く、おおらかで明るい信仰心を持っているのです。そして天地万物万象を神として拝むのです。またすぐれた人を神として拝むのです。

信仰とは人を明るくさせるものでなければなりません。人を暗くし、闘争心をかきたてるような信仰は誤りだと思います。日本民族は本来明るくおおらかな民族なのです。宗教が闘争戦争の原因になるなどということは全くあってはならないことであります。

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2007年9月16日 (日)

千駄木庵日乗九月十五日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送作業。発送完了。購読者の皆様には、十八日の火曜日にお届けできると思います。

その後資料整理など。

           ○

最近、渡邉五郎三郎先生著『細井平洲・将の人間学』(致知出版社)、堀真清氏著『西田税と日本ファシズム運動』(岩波書店)、岡田斗司夫氏著『いつまでもデブと思うなよ』(新潮社)という三冊の本を御寄贈頂いた。

『細井平洲・将の人間学』は、著者の渡邉五郎三郎先生から頂きました。細井平洲という人物ははじめて聞く名前ですが、米沢藩主・上杉鷹山の師であったとのことです。この書物は、平洲の著「嚶鳴館遺草」を現代語に分かりやすく現代語に訳したものです「人の長たる人」の心得が書かれています。渡邉先生には著書を出される度に御寄贈いただいております。渡邉先生は安岡正篤先生の学問と思想の継承者と申し上げてよい方でして、色々ご指導頂いております。

『西田税と日本ファシズム運動』は、岩波書店編集部の方より御寄贈頂きました。佐藤優氏のパーティーで名刺交換させて頂いた方です。昭和維新運動史と言って良い書物で、なかなか興味深い内容です。昭和初期の苦難の歴史が詳しく書かれているようです。

『いつまでもデブと思うなよ』は、テイケイの高花豊社長より、頂きました。小生の肥満を御心配いただいてのことです。有難い限りです。私は、学生時代まではそんなに太ってはいなかったのですが、就職してから一日三回の食事を規則正しく取るようになってから少し太り出し、その後、知人に勧められて、水飲み健康法というのをやったら、さらに太りました。毎朝、水をたくさん飲んで胃腸を洗浄するので、食欲が増したせいです。その上運動嫌いでした。この本を読むだけで痩せるというわけではないようなので、困っていますが、何とか努力していくらかでも痩せたいと思います。

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2007年9月15日 (土)

千駄木庵日乗九月十四日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

午後六時より、青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会幹事會」開催。当面する諸課題について討議。

帰宅後も、発送準備。

            ○

西村眞悟氏はメールで安倍総理の辞任表明について次のような意見を述べられた。

『何故、安倍晋三は精神と肉体の限界を超えてしまったのか。それは、総理大臣として、自分の祖父の生きた時代を「誤り」と発言し、靖国神社への参拝を回避したからである。

この私の思いを冷笑するのが、近代合理主義であることはよく分かっている。しかし、ご自分の父親そして祖父を、人前で「間違ったことをしたやつだ」と公言して、読者諸兄姉は日々愉快ですか。さらに、その間違ったことをした者の子として孫として「生きる力」が湧いてきますか。理屈ではなく、まさに自分がそうすればどうなるかと思って頂きたい。安倍総理は、まさにそれをしたのだった。

 昨年秋、予算委員会における民主党の菅直人氏の「大東亜戦争開戦の詔書に大臣として署名している貴方の祖父の岸信介大臣の行為は正しいのか誤っているのか」との質問に対して、「誤っている」と孫の安倍総理は答えたのだった。私は愕然とした。祖父の存在とは当然ながら、自分が今ここに存在する命の連鎖のかけがえのない一つである。

 私は、とっさに、彼のために次のように言うべきだったと思い悔やんだ。「正しかったか間違っていたか、それは、歴史の評価に委ねられている。ただ、孫の私としては、あの祖父があの時に開戦の詔書に署名するという枢要な立場にいて歴史に名を刻んだことを誇りに思っている」

さらに、開戦が「誤り」だと発言した安倍総理は、靖国神社への参拝を回避したのだった。このことが、この度の辞任に至る淵源である。つまり、安倍総理は先祖と英霊のご加護を回避したということになる。

およそ人間は、物質的なこと合理的なことだけで説明できる存在ではない。チャーチルもドゴールもケネディーも、苦難に耐える使命感を母国の歴史と神秘の世界から得ていた。彼らは決して母国の歴史を誤っていたと公言はしない。むしろ、そこに自分を生かす霊を感じていたと思う。左翼や共産主義者や唯物論者でないのならば、洋の東西を問はず、之が人間としての政治家の素直でまっとうな姿であると思う。

しかし、我が国だけが、この精神の素直さを奪われている。そしてこの状況こそ、安倍総理がいう「戦後レジーム」そのものなのだ。従って彼は、この「戦後レジーム」に従って、祖父の行為を誤っていたと発言し、「戦後レジーム」に従って、靖国神社参拝を回避した。

つまり、「戦後レジーム」からの脱却を掲げた安倍総理は、「戦後レジーム」にしたがって精神の強さを失い、肉体を痛めたのである。 何たる皮肉か。』

全く同感である。やはり西村眞悟という人は、たいした人物である。これほどの深い歴史観・信仰精神を持つ政治家は現代日本では稀であろう。哲学を持っている政治家である。「先祖と英霊のご加護を回避」してしまっては、いかなる宗教・いかなる霊能者に頼っても駄目である。

福田氏は、今夜のテレビ番組で「靖国神社に参拝しない」と明言した。この人も、英霊のご加護を自ら拒否した。護国の英霊のご加護を受けられない人に日本国の総理になってもらっては困る。

ところで、今週の「週刊文春」に、「安倍氏がある宗教に凝っていて、安倍氏の重要な政治判断や人事もその宗教が大きな影響を与えていた」というような記事が載っていた。すべてが真実かどうかは分からないが、私も相当のキャリアを持ち知性も教養も人並み以上と思われる政治家が、霊能者・易者に色々相談をしている姿を実際にこの目で見たことがある。

人間は弱いものである。病苦・経済苦・精神的苦痛などに苛まれる。政治家は一般人以上にそういう苦悩が深いであろう。だから宗教や霊能者などに頼るのも分かる。私自身、信仰心は強いし、色々神仏に祈願することがある。

宗教は人を強くする。それは自爆テロを見て明らかである。そして凄惨な宗教戦争が続いているである。だから、宗教は怖いのである。「触らぬ神に祟りなし」とも言われるのだ。

しかし、神仏を敬い、先祖を尊ぶという信仰精神は絶対に大切である。敬神崇祖は、日本伝統精神の根幹であり、日本人の倫理観念の根底にあるものである。しかるに、「安倍総理は先祖と靖国神社のご祭神すなわち護国の英霊のご加護を回避した」のである。まことに残念であった。

まことに僭越な言い方であるが、安倍氏はまだ若いのだから、どうか立ち直ってもらいたい。このまま政治生命が絶たれてしまうのはまことに惜しい。立ち直ることが、今は亡き祖父君と父上の御霊に報いる道である。

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2007年9月14日 (金)

千駄木庵日乗九月十三日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

夕刻、衆議院議員会館に同志議員訪問。懇談。会館内も周辺も落ち着かない雰囲気だった。

帰宅後は「政治文化情報」発送準備。

           ○

自民党総裁には、私は麻生氏になってもらいたいと思う。麻生氏の歴史観・国家観・外交姿勢などは、評価すべきところが多いと思われるからである。もちろん今の自民党政治家の中ではということだが…。福田氏は人柄は良さそうだし、言ってみれば癒し系の人物で、こういう事態の後には福田氏のような人が良いのかもしれない。しかし、この人の「対中姿勢」や歴史観や靖国神社に関する姿勢には問題がある。特に戦没者の無宗教の追悼施設建設推進の中心人物であったことが最大の問題である。また、国民的人気でも麻生氏がトップのようである。

昨日も書いたが、安倍氏の退陣によって、自主憲法制定・教育改革・自主国防体制の確立・歴史問題の解決・拉致問題の解決=戦後体制打倒・日本再生という崇高な目標達成が頓挫してしまった。これは本当に悲しむべきことである。古賀誠や加藤紘一や山崎拓が支持する福田氏より麻生氏に期待したい。

麻生氏の祖父の吉田茂氏は、戦時中憲兵に逮捕され獄中体験をした。そして戦後はマッカーサーと渡り合って戦後復興をリードした。安倍氏の祖父岸信介氏は、戦犯容疑で占領軍に捕まり、やはり獄中体験をした。またテロにも遭った。ともかくこの二人は命懸けであった。今政治家のように「チルドレン」と言われたり、お互いを「一ちゃん」だの「純ちゃん」などと呼び合う幼稚園児のような人ではなかった。私は生意気な言い方だが、戦後日本の政治家では吉田・岸両氏を高く評価する。その次が、佐藤・中曽根両氏だろう。やはり私の小さい頃の政治家は今の政治家と比較すると大したものだったと思う。

今日お会いした同志議員とは、「保守とは何か」という理念を正しく把握しなければならないということを話し合った。保守とは、「旧来の陋習」を墨守することではない。わが国の麗しい伝統に回帰することによって現状を変革するということである。それを復古即革新すなわち維新という。「社稷」という言葉がある。土地の神(社)と五穀の神(稷)という意味である。これを大切にすることが保守政治の基本であるということを話し合った。

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2007年9月13日 (木)

千駄木庵日乗九月十二日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は知人と懇談。

午後からは、安倍総理辞任のテレビ報道を見つつ「政治文化情報」の発送準備など。

         ○

病院に緊急入院して、職務に耐えられないと発表して辞任すれば、無責任の謗りを免れたのに、代表質問の直前にわざわざ記者会見を開いて辞任を表明するというのは全く愚かなことです。やはり良き参謀がいないのでしょう。

それにしても、今日のテレビ報道では何時もなら何かと登場して安倍氏にいろいろ意見を言う森喜朗氏が出てこないのは不思議です。海外にでも行っているのでしょうか。安倍氏の周りには、森氏や中川秀直氏や福田康夫氏や小泉前総理など政治経験豊富な先輩が多くいるのに、親身になって助けてあげられなかったのでしょうか。

以前、野中広務氏は「小沢一郎は悪魔だ」とか言いましたが、「あるいはそうかなあ」と思いたくなります。何故なら、小沢氏と関わりを持った人が寿命を縮めたことがこれまで何回かあったからです。田中角栄は小沢たちの裏切り行為によって脳梗塞で倒れ、金丸信も同じように小沢の裏切りによって病に倒れ、小渕恵三元総理もまた小沢の連立解消騒動が引き金となり斃れました。今回、安倍総理は、小沢民主党との参院選の戦いに敗れたことにより心身ともに疲れ果て、且つ小沢の事実上の会見拒否が直接の引き金となって、辞任に追い込まれました。辞任後入院するとも言われています。

安倍氏の辞任は本当に残念です。安倍氏が総理になった時、これで自主憲法制定・教育改革・自主国防体制の確立・歴史問題の解決・拉致問題の解決などが前進し、戦後体制打倒・日本再生が実現すると期待したのです。しかるに、本来安倍氏自身の責任ではないことで、色々な問題が噴出し、参院選に敗北し、ついにこのような事態になりました。

何としても、民主党・社民党・共産党の連合政権は阻止しなければなりません。小沢が自民党にとっての悪魔ならまだしも、国家民族にとっての悪魔であるというのは考え過ぎでしようか。

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2007年9月12日 (水)

千駄木庵日乗九月十一日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より、ある事柄について、あるところで、数人の方々と討議。

夕刻、医療施設へ。

            ○

日本は、今、ナショナリズム、対外とりわけ日本に対する敵愾心に燃え立つ三つの国に取り囲まれている。そうした中にあって、祖国の安全と平和をいかにして維持するかが、現下日本の最大の課題である。これは政治家の事務所費問題などとは比較にならない大問題である。日本が正しい対応をしないと、日本が周辺諸国による攻撃の標的となることは不可避である。否すでに攻撃に対象になりつつあるのである。

テロ特別措置法の延長に反対する小沢民主党は完全に間違っている。否間違っているどころか利敵行為であり、祖国の安全と平和を脅かす反国家的行為である。

特措法の延長に対して、小沢一郎はシーファー大使に「アフガン戦争は米国が国際社会のコンセンサスを待たず始めた戦争だ」と言ったが、安保理決議の経緯、当時の各国の姿勢から見て、明らかに事実認識が誤っている。また、G8の各国はいずれも安保理決議1386が国際社会に対して対テロの努力を呼びかけたのに呼応して、種々の形で軍隊艦船を派遣している。

 さらに小沢はこの特措法が、国連安保理決議の根拠のない活動であるという指摘をしている。しかしこの特措法は国連安保理決議の趣旨に基づき、これに参加するためのものであり、国連安保理決議があれば何でも正義だという考え方は間違っているそもそも米英支ソという戦勝国の談合組織にすぎない国連なるものを正統視すること自体が間違っている。小沢の国連崇拝思想は敗戦後遺症である。

 日本が引き揚げれば国際社会における日本の信用が喪失する。さらには、アメリカの対日姿勢が悪化し、日米同盟関係の根幹が揺らぐことになる。有体に言えば、反日国家の日本に対する侵略・軍事攻撃に対して、アメリカは何もしてくれなくなる危険性が起こる。

インド洋での海上自衛隊の活動は決して対米追随ではない。海上自衛隊が支援しているのは米国以外にフランス、ドイツ、パキスタンなどを含んでいる。これら各国の海軍艦艇による海上阻止活動は麻薬・テロリスト・武器などの押収に多大の成果を挙げている。アフガンとパキスタンの国境地域で訓練を受けたイスラム・テログループは、パキスタン国内を経由してインド洋に出て麻薬を持ち出し、購入した武器弾薬をアフガンに持ち込んだり、欧州・アジアに出てテロ活動に従事している。このインド洋でのイスラム・テロ活動を臨検・拿捕するために各国艦艇による阻止活動が行われてきた。日本は最も平和的な形でそれに協力しているのである。それの何処が悪いのか。小沢の頭はどうかしている。

わが国が核武装し自主防衛体制が確立していて、支那・朝鮮の日本攻撃に対して十分にこれを防衛する能力があれば、アメリカなどのいわゆる国際社会とやらに協力する必要はないであろう。しかし、現実にはそうではないのである。わが國は残念ながらアメリカの協力なくしては安全を維持することが出来ないのである。である以上アメリカに協力するのは致し方のないことである。

そんなことは分かっているはずなのに、特措法延長に反対する小沢は悪質なのである。国家の存立にかかわる対外関係問題で、政権奪取という党利党略のために、祖国を危険の淵に追いやるような形で政府を攻撃する小沢民主党は国家国民の敵である。断じて膺懲しなければならない。

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2007年9月11日 (火)

千駄木庵日乗九月十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は知人と懇談、原稿執筆、資料整理。

                

 今日の日本は高度工業文明が発達し物質生活が向上しているにもかかわらず、人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。今日の日本の政治や経済の腐敗・教育の荒廃の根本原因は、日本国民が物質的繁栄のみを追い求め、民族の道統を忘却し、精神的価値を顧みなくなったところにあるといえる。

こうした混迷状況を打開し変革するためには、長い歴史を有する日本民族が育み継承してきた伝統精神への回帰とそれを基盤とした愛国心(日本民族としての帰属意識)の昂揚が必要である。

愛国心とは個人が運命共同体として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識である。現代日本は個として生きることのみが重視され、共同体の一員即ち日本国民として生きることは全く軽視されている。これを是正することが今日の急務である。そして愛国心の昂揚とは時間的過去への回顧ではなく現時点から将来への変革に焦点がある。

大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなように、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。

 伴信友は、日本伝統文藝たる和歌とは「其をりふしのうれしき、かなしき、たのしき、恋しきなんど、其をりふしのまごころのままにうたふべければ…」と言っている。

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言えば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。

大化改新における『萬葉集』、平安時代の国風文化復興期における『古今和歌集』、後鳥羽上皇の承久の変における『新古今和歌集』、明治維新における志士たちの述志の歌、日清戦争・日露戦争を戦った明治中期の和歌の勃興、そして大東亜戦争従軍兵士の歌がそれである。  

現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。

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2007年9月10日 (月)

千駄木庵日乗九月九日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して資料の整理など。

           ○

NHKの「ETV特集」という番組で、最近の冤罪事件が取り上げられた。警察権力の恐ろしさ・悪質さを実感し怒りがこみあげて来た。犯罪者を無理に作り出しているとしか思えない。そして、冤罪であったことが確定しても、警察は被害者に謝罪もしない、責任者の処罰もしない。これは許し難い。この番組にも最高検の総務部長は登場したが、警察関係者はまったく登場しなかった。許すべからざることである。裁判所も検察も悪いが、根本的には今の警察の体質に欠陥があるのだ。戦前の大本教や共産党弾圧と同じような過酷なというよりも違法にして残虐なる取り調べが、今日唯今無辜の国民に対して行われているのだ。

平和に暮らしている一般国民に対してすらこのようなことが行われるのだから、「反社会的存在」と認定されたヤクザに対してはもっとひどいことが行われているとして良い。ただ表面化しないだけだ。何しろヤクザは「反社会的存在」なのだから…。冤罪事件の被害者は「明日は我が身と思ってほしい」と言っていたが、全くその通りである。右翼民族運動も「反社会的存在」とされつつある。民族運動者にとってはまさに明日は我が身である。国家国民に多大の不安と害を与える権力機構と政治家こそ最も悪質なる「反社会的存在」なのである。

こういう番組を見ると、警察には一切協力すべきではないと思いたくなる。国民の大多数がそういう認識になったら、わが國の治安は崩壊する。問題の根本は、警察に対するチェック機能が正しく働いていないところにある。今回の番組のようにマスコミがかろうじてその役目を果たすこともある。しかし、立法・行政機構には警察へのチェック機構は無きに等しい。鹿児島県警などの冤罪事件・拷問などの違法なる取り調べに対して各県の公安委員会や県議会は警察に対して何のチェック機能をはたしていない。それはそうだ。警察には県知事や県会議員さえ逮捕する権限があるのだから、怖くて手が出せないのだろう。

ともかく、各自治体公安委員会及び国家公安委員会は、もっと姿勢を正して、しっかりとしたチェック機能を果たすべきだ。そのためには、公安委員を公選制にして、公安委員会は警察から独立した組織にすべきである。警察から事実上任命された公安委員が警察を厳しくチェックできるはずがないではないか。

警察改革は国家緊急の課題である。郵便局よりずっと大事な問題である。郵便局には、人を逮捕して勾留し、拷問し、刑務所にぶち込む力はない。私も、都議会警察消防委員会を傍聴しようとしたら、警視庁の警察官に傍聴しないように威圧を加えられたことがある。明らかに公務員職権乱用罪に当たる違法行為である。

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2007年9月 9日 (日)

千駄木庵日乗九月八日

未明に原稿完成。送付。

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある講演会に出席の予定でしたが、小生の不注意により、家を出発する時刻が、その講演会の開始時刻でした。會場まで約四十分程度かかりますので、出席をあきらめました。

もう出かける支度をしてしまいましたので、日本橋室町の三井記念美術館に行きまして、開催中の「美術の遊びとこころ『旅』 国宝『一遍聖絵』から参詣図・名所絵、西行・芭蕉の旅まで」を参観しました。

時宗開祖一遍上人の生涯を描いた絵巻・国宝「一遍聖絵」、藤原定家が後鳥羽上皇の熊野詣に随行した際の記録・国宝「熊野御幸記」、中世の富士参詣を描く重要文化財「富士曼荼羅図」、伊勢神宮への参詣を描いた「伊勢参詣曼荼羅」、歌僧西行の行状を描いた狩野晴川院養信筆「西行物語絵巻」、俳人松尾芭蕉筆の「旅路の画巻」、江戸から長崎までの街道と航路を描いた金屏風「大日本五道中図」、羊皮紙に描かれた重要文化財「日本航海図」などが展示されていました。三井家当主などが使用した携帯用の茶道具も展示されていた。江戸初期に創業した三井家から見れば三菱創業者の岩崎家は新興財閥ということになるのかもしれません。

「熊野御幸記」とは藤原道長の玄孫にして中世を代表する歌人藤原定家が、後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した建仁元年(1201)三十九歳の時の日記ですが、実物の見たのは初めてです。

白河上皇をはじめとして、後白河上皇・後鳥羽上皇などが熊野三山への御幸を行われられました。後白河上皇は三十五年間で三十四回、後鳥羽上皇は二十四年間のうちに二十八回熊野御幸を行われました。何故このように数多く熊野に御幸されたのかは、いろいろ説があるようです。熊野三山は浄土の地であるとみなされ聖地として崇められておりましたので、国家の安泰を願われる上皇が、大変な苦労をされてまで、彼の地に赴かれ、祭祀を行い、祈りを捧げられたのであると思います。

「熊野御幸記」には、上皇が祈りを捧げられるご様子や、熊野御幸の途上、神仏への奉納として和歌の会が催されたこと、熊野三山の神聖さに定家が感激したことが記されていました。

御歴代の聖天子は、常に日本の神々や仏に対して祈りを捧げ、祭りを行わせられていたのであります。

帰宅後は、諸雑務。

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2007年9月 8日 (土)

千駄木庵日乗九月七日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して「政治文化情報」及び「月刊日本」の原稿執筆。

            ○

お国自慢のようなことを書くことをお許し下さい。

わが家近くの文京区と台東区の間には今は暗渠になっているが、逢初川という小さな川流れている。古代、その川のそばに人が住み、水田が作られた。故に小生が生まれ育ち現在も住んでいる千駄木やその近くの動坂そして弥生町に貝塚が発見された。ゆえに古代日本稲作文化は弥生文化ともいわれている。明治一六年文京区弥生の貝塚で発見された古代稲作農耕文化時代の土器を弥生式土器と呼んだことによる。そしてその時代を弥生時代と言うようになった。

私の住む千駄木周辺つまり弥生町・千駄木・動坂は、日本民族の中核精神となっている稲作文化と深い関わりのあるところなのである。千駄木の貝塚が弥生より早く発見されていたら、古代日本農耕文化は千駄木文化と呼ばれた可能性もあったのである。

日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。天地自然に神の声を聞くのである。殊更に宗教教義を作り出してこれを遵守しなければ神の怒りにふれるなどという観念は日本伝統信仰には無い。日本の伝統信仰には、西洋的意味での神学もイデオロギーも無い。これが日本伝統信仰の素晴らしさである。

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2007年9月 7日 (金)

千駄木庵日乗九月六日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会幹事會」開催。当面する諸問題について討議。

帰宅後は原稿執筆。

              ○

台風が関東を直撃しています。夜の会合の帰りは風雨がひどく、傘をさしていましても、駅まで数分歩く間にずぶ濡れになりました。久しぶりの経験です。

わが国は台風がよく来ます。何故か、支那大陸や朝鮮半島にはあまり台風は上陸せず、わが國に上陸して北東方角へ去って行きます。今日の台風も遥か東南の海上にあったのに西に方向を変え、さらに北東に方向を変えて、関東地方にやって来ました。

私は、日本人が清潔さを好む民族なのは、台風というものが日本によく来ることがその原因の一つではないかと考えています。強い風と雨が地上の穢れを吹き払い洗い清めてくれる台風は、自然に日本人の清潔さ・いさぎよさを好む精神を養成したのではないかと思うのです。台風一過のあの清々しい空や地上の景色を眺めていますと、まさに「神州清潔の民」という漢詩の一節を思い出します。明日もそういう日になることでしょう。日本人に生まれてきて良かったと思います。

勿論、台風によって多くの自然災害が起こります。しかしそのことも、日本人の強靭さ忍耐強さを養うこととなっているのではないでしょうか。

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2007年9月 6日 (木)

千駄木庵日乗九月五日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「マスコミ総合研究所研究會」開催。屋山太郎氏が講演し、「参院の野党多数は九年間続く。これからの政局は未知の分野。安倍支持が急落した原因は、戦後レジームに安住している人が意外に多かったこと。戦後レジームとは「平和憲法」と「進歩主義」。朝日新聞がその代表格。安倍はマスコミに叩かれた。教基法改正・防衛省昇格・国民投票法は外国から見れば当たり前のこと。キャリア官僚が公務員改革をしようとしている安倍の足を引っ張った。閣僚の様々な問題は官僚のタレこみ。十七の強行採決は前代未聞。しかしこれをやらなければ教基法改正・防衛省昇格・国民投票法はできなかった。戦術的には争点の選び方に失敗した。今度の参院選は、壮大なるペテンの選挙。安倍にとって社保庁問題は、居抜きで買ったアパートの住民が泥棒だったということ。長妻が暴いたというが、自治労の政治攻勢が成功したということ。小沢の政治資金問題の方が額がずっと多い。小沢のやったことは、泥棒が逃げる時に他人のことを「泥棒だ」と言って逃げるのと同じ。安倍は喧嘩をしたことがない。選挙での焦点のしぼり方を知らない。戦後レジームの脱却が、泥棒とネコババの話にすり替えられてしまった。安倍内閣はそう簡単には倒れない。公務員制度改革と地方分権を強引にやろうとしている。今は官僚内閣制。官僚政治ではなく政治家政治をやろうというのが安倍の考え。官僚が立法府の中まで手を突っ込んで法律を作らせる。日本の官僚は絶対無謬主義と先例絶対主義。正月が過ぎて熱が冷めれば改革の芽が出てくる。安倍外交は価値観外交。新しい外交の基軸として意味がある。東アジア共同体は間違い。その可能性はゼロ。ECはキリスト教がベース。日本は一国一文明で名誉を尊び恥を知る文化。中華圏とは異なる。漢籍を勉強した人は駄目。お寺の鐘を素手で叩くようなもの。音が出ない。福沢諭吉の脱亜論は賢明。日中関係を基軸としてものを見ないようにすべし。対中認識を改めるべし。小沢に哲学はない。喧嘩の哲学はある。コンプレックスがある。特措法について国民は正しく理解していない。」と語った。

午後六時より、永田町の村上正邦氏の事務所にて、「一滴の会」開催。佐藤優氏が講演し、「領土問題は、原理原則がぶれてはいけない。四島に対する主権が認められれば、返還の時期・方法は柔軟に対応するというのが日本政府の方針。官僚は政治家の前で良く泣くし、土下座をする。右翼民族派の陣営をきちんと固めることが大事。右翼は恐がれなければならない。樺太から沿海州までが日本のものだという姿勢をとれば日本はロシアから尊敬される。固有の領土とは国際条約によって獲得した領土のこと。南樺太・全千島は日本固有の領土。」と語った。

村上正邦氏は、「終戦時の対ソ関係における瀬島龍三氏の役割を検証すべきだ。」と語った。

帰宅後は、原稿執筆。

今日はだいぶ夜も遅くなりましたし、明日の朝、父のお世話などもあり、そろそろ就寝しなければなりませんので、小生の意見を書くことはできません。申し訳ございません。ただ、壊し屋・小沢一郎に「破壊活動防止法」は適用できないかと思っております。また何故、瀬島龍三氏はあれほど政界・財界に於いて力を持つようになったのか、ソ連抑留者に憎まれているのか、不思議に思っております。

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2007年9月 5日 (水)

千駄木庵日乗九月四日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、原稿執筆。明治維新のことについて書いています。内憂外患交々来たるという状況は今と同じですが、幕末明治初期には、外国の手先になって国をおかしくしようとする政治家・学者はいませんでした。また皆命懸けで戦いました。国難の時期に、国家の基本政策・基本戦略を明らかにせず、権力奪取ばかりを画策する政治家もいませんでした。だから、あのような大変革が行われたのだと思います。

そして討幕を目指した側も、幕府側も、双方とも、尊皇・國體護持の精神は強く持っていました。

今の日本にはこの最も大切な尊皇精神・國體護持の精神が希薄になっているのです。それが最大の危機なのであります。

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2007年9月 4日 (火)

千駄木庵日乗九月三日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、資料整理。原稿執筆。「政治文化情報」次号の原稿です。

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小沢一郎という男の駄目さ加減がますます明らかになって来た。八月九日、小沢は、シーファー駐日米大使を呼びつけ、しかもマスコミ環視の中で会談し、テロ対策特別措置法反対の意思を表明した。昔、自民党の総裁選挙の時、小沢が政治家として大先輩の宮澤喜一を呼びつけて査問したことを思い出した。何と傲慢にして権柄尽くな男であろう。一国の特命全権大使との会談で自分が上座に座り、しかもマスコミに環視させるなどというのはまことに非礼である。小沢が下座に座るべきだと言うのではない。対等の位置にすべきだったと思う。またマスコミは入れないのが礼儀であろう。小沢一郎は何時から反米主義者になったのであろうか。

国民の生活問題で政府を追及するのは良い。しかし、国家の安全に直結する問題で、党利党略を優先させ、政府攻撃を行い、理不尽な姿勢をとることは許し難い。現行占領憲法の似非平和主義を盾に取り、かつ、戦勝国の談合機関であるにすぎない国連に正当性を置き神聖視する小澤の姿勢は全く間違っている。小沢一郎が政界から去ることが政治改革であり日本再生につながることを改めて思い知らされている今日この頃である。

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2007年9月 3日 (月)

千駄木庵日乗九月二日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、靖国神社境内の靖国会館にて、「二宮報徳会定例公園会」開催。阿羅健一氏が「日本人は南京で何を行ったか」と題して講演し、「十五年前南京大屠殺記念館に行った時、展示されている写真を長い時間身じろぎもしないで見ている若い女性がいた。後ろ姿を見ていて満身に込められた日本への復讐心が感じられた。中国人は南京大虐殺を信じ、日本への敵愾心を持っている。日本人の半分くらいは大虐殺があったと思っている。南京攻略戦に参加した多くの人に聞き取りを行ったが、誰からも虐殺・強姦の話は出なかった。東京裁判の判決文に南京で十万から二十万人が殺されたと書かれた根拠は、当時の南京の互助組織が行った埋葬者数の記録だった。しかし南京攻略戦前に、政府も互助組織も病院も重慶に移転していた。互助組織は埋葬していなかった。南京大虐殺は作りごと。東京裁判の根拠は嘘。アイリスチャンの『レイプオブナンキン』などに引用された田所さんという人の証言も、田所さんが私に『作り話だった』と言った。マスコミも大虐殺を捏造している。」と語った。

また、出席していたある新聞記者は「私は二年間上海特派員をしていたので、何回も南京に行ったが、中国の一般市民は政府発表に懐疑的。それよりも日本と親しくして金儲けをした方がいいと思っている。南京のタクシー運転手の七割は南京大屠殺記念館が何処にあるのか知らない」と語った。

帰宅後は、資料及びカード整理。原稿執筆の準備です。

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歴史問題を、日本を自分たちの言いなりにさせようとする外交戦略の材料にしているのが、支那であり朝鮮です。しかも問題なのは、わが國の偏向マスコミや反日勢力がそういう戦略のお先棒を担いでいることです。否、御先棒を担ぐというよりも、扇動しているのです。戦前戦中の日本の「侵略行為」「残虐行為」とやらを野良犬のように嗅ぎ廻り、祖国を貶めているのです。さらに、河野洋平・加藤紘一といった政治家は、嘘と捏造の上に立った歴史観で、外国に謝罪をしたり、政府声明や談話なるものを出し、祖国を窮地に追い込んでいるのです。昨日・一昨日の本欄で書きましたが、支那・朝鮮による軍事的侵略の危機が迫っているのです。わが国は、歴史問題での恫喝と軍事的脅威に屈し、支那・朝鮮の支配下に置かれる危険が高いと言わなければなりません。今こそ、我々は祖国の独立と平和を守るために戦わねばなりません。ただ、今日、救いを感じたのは、靖国神社に十代二十代の若者が多く参拝に来ていることでした。そして彼らはキチンと神道礼式に則って参拝していました。

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2007年9月 2日 (日)

千駄木庵日乗九月一日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。渡辺利夫拓殖大学学長が、「海のアジア、陸のアジア」と題して講演し、「今後の日本は海洋国家と連携すべきか、大陸国家と連携すべきか、歴史的先例から見てみたい。福沢諭吉は『時事新報』(明治18年3月16日)において『我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。』『今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。』と論じた。東アジア共同体へミットするのは危うい。日中・日韓・日鮮関係は友好とは程遠く、憎悪のぶつけ合い。日清・日露開戦前とよく似ている。当時のオピニオンリーダーの危機意識から学ぶべき点が多い。福沢の気分は良く分かる。『悪友』とは清国と朝鮮のこと。福沢は清国と朝鮮の手の施しようのないリアリズムの欠如に呆れた。『支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。』はその通りであり、清国・朝鮮は亡国の道を歩んだ。そしてその背後に南下せんとするロシアがあった。当時の日本は、ロシア・中国・朝鮮に張り出す等圧線からいかにして身を守るかが問題であった。福沢は隣国と謝絶しアイデンティティを東洋ではなく、西洋に求めるべしとした。清国・朝鮮は日本にとって極めて厄介であった。清国・ロシアと戦争をして勝ったことによって今日の日本がある。この当時と今の日本の状況はよく似ている。核弾頭をつけた北のミサイルの標的は消去法によって日本以外にあり得ない。今は朝鮮半島をめぐる日本と清国との覇権戦争よりももっと厳しい状況。それなのに日本の政治家とオピニオンリーダーの安穏な姿勢はどうしたことか。韓国は韓国に対して砲門をずらりと並べミサイル連続発射をした北に対して融和的態度をとっている。そして韓国は反日・反米。韓国に親日的であった歴史はない。反日が制度化の時代に入った。法律を作って親日派の子孫の財産没収を行っている。事後法によって日本を裁こうとしている。この国の法感覚は一驚に値する。竹島を不当不法に占拠している韓国が日本の不法を言い立てている。専制主義プラス排外主義が朝鮮の伝統。朝鮮は中国・ロシア・日本という大国に挟まれた国。廊下国家。血族が強く結び付かないと自分達を守れない。そういうDNAが冷戦崩壊と共に一斉に吹き出ている。韓国と交流すれば反日は薄らぐという考え方に私は与しない。中国は歴史問題で日本を責め立てた。中国の歴史認識は中国にいっぱいある偽造品と同じ。偽りが多い。福沢は朝鮮が好きだった。そして近代化を望んだ。金玉均などの開化党を支持した。しかし朝鮮は国の危機を顧慮することなく内部紛争・党派抗争をして近代化が出来なかった。福沢はそういう朝鮮に嫌気がさした。そして出来たのが『脱亜論』。日本は日英同盟を破棄して大陸に入りみじめな敗戦となった。戦後は、日米同盟を結んで六十年、パーフェクトの平和を享受した。その半分は偶然、半分は日米同盟の結果。大陸(ランドパワー)と連携した時、日本は不幸になる。東アジア共同体に私は反対。中国は東アジア共同体によって日米離間を図り、中国のアジアにおける覇権確立を図っている。日本は、アメリカ、台湾、アセアン、インド、オーストラリア、ニュージーランドという海洋国家と連携を図り大陸を牽制すべし。大西洋は英米同盟で平和を保ち、太平洋は日米同盟で平和を保つ。中国がアジアにおける覇権国家にならないように制御するのが日本の大きなテーマ。制海の問題。」と語った。

奥野誠亮元法相が「創氏改名は強制ではなく韓国人の希望する政策だった。安重根は韓国では英雄だが、日本では明治の元勲を殺した殺人犯。お互いの考え方を理解して行かねば争いになる。日本国民に何が正しい歴史であるかを認識させるのが大事。」と語った。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が司会。宮務法・国務法の分別について、また『教育勅語』と『教育基本法』について討論。

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「脱亜入欧」論が正しかったか否か、極めて難しい問題であります。わが国が欧米文化文明を受容し近代化を実現した事は正しいことでした。また、大陸に深入りせず、海洋国家として歩むべきだったという考え方も正しいと思います。しかし、「我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。」という考え方はどうしても肯定することはできません。西洋人がアジア・アフリカを侵略した如く日本も侵略すべしと言っているような思えるからです。この問題については、「政治文化情報」今月号に於いて少し論じました。

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2007年9月 1日 (土)

千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、父の付き添いで病院に赴く。病院の方々に良くやっていただけるので有り難く思っております

午後は諸雑務。

午後六時半より、九段南のUIゼンセン会館にて、「戦略研究所講演会」開催。荒木和博代表が司会。高永喆(コウヨンチョル)コリア国際研究所主席研究員が「韓日に対する北の脅威対応戦略」と題して講演し、「北のスパイ工作機関は対外情報調査部、対外連絡部、作戦部、統一戦線部の四つ。この四つは労働党傘下にあり、他の各省庁と同レベル同スケール。対外情報調査部がメイン。イスラエルのモサドを模倣。これはKAL機爆破、韓国映画俳優拉致を実行。対外連絡部は日本の韓国に地下組織構築。韓国内で四千人のスパイが活動している。作戦部は工作員の護送・復帰及び侵入ルート開拓。統一戦線部は南北対話や日韓交渉そして朝鮮総連への工作活動の実行。八三年のビルマアウンサン廟爆破テロを実行。人民軍特殊部隊は十二万二千人いる。日本の自衛隊と同数。この部隊の護衛司令部の将校が二〇〇年二月金正日暗殺未遂事件を起こした。北は、統一(南への軍事侵攻)のために日米の後方兵站線及び増援軍戦力遮断を目的として、米軍がいる日本列島を攻撃目標としている。生物化学兵器を搭載したミサイルを十分以内で東京山手線内に撃ち込むことが出来る。北の工作機関はアメリカのCIAと同レベルと見るべし。核開発レベルも高い。朝鮮半島は海洋勢力と大陸勢力との戦いに晒されてきたので、反骨気質・抵抗精神が強い。とくに北は大陸勢力と戦ってきたのでそういう民族性が激しい。北が崩壊しない理由は、①洗脳された国民の宗教集団・相互監視体制・儒教習慣で王朝に服従する体質。②大陸勢力と海洋勢力との均衡・緩衝地帯という地政学的環境。③南北経済格差。アメリカにとって北朝鮮は藪蛇であり窮鼠猫を噛む存在。アメリカは、金正日体制が崩壊し新政権が市場経済を導入して経済が韓国と並ぶ状態になった時に統一するのを望んでいる。金正日は盧武鉉政権と同じ親北政権を今後も続かせるために南北首脳会談を開こうとしている。水害で延期は口実。水害によってもっと経済支援を得ようとしている。金正日は南北鉄道を利用して南を訪問する可能性が高い。それによって韓国民の世論が北寄りになり左派が大統領選に勝つ戦略。ソウルは北の野砲の射程に入っている。一度に五十万発撃ち込まれソウルは火の海になる。東京はノドンで火の海。南と日本は北の人質状態。故にアメリカは軍事行動に踏み切れない。これまでアメリカはプエブロ号事件・板門店米兵殺害事件・核実験など北がやりたい放題でも、軍事行動が出来なかった。盧武鉉政権は本格的な北朝鮮スパイ摘発を行わない。」などと語った。

今日語られたことは日本のマスコミはあまり報道しません。一体どうしてでしょうか。このような実態を日本国民全体が正しく認識すれば、今のようにノホホンとしてはいられないはずです。政府もこうしたことを正しく国民に周知徹底させるべきです。

今日配られた高永喆氏のレジメには、日本の対応策として、「核製造の臨界状態維持もしくは核ボタンの日米共同管理、CIA水準の本格情報機関設立、の二つが望ましい選択肢」と書かれていました。その通りと思います。

何しろ日本は戦後牙を抜かれただけでなく、朝鮮半島・支那大陸に対する異常な贖罪意識を植え付けられ、国家存立の基本である国防・軍事・外交に正しい対応が出来なくなっているのです。私は日本の平和・独立・国民の生命・繁栄を守り維持するために、核武装は必要であると思います。しかし日本の核武装は、国内の似非平和勢力反日勢力そして支那・朝鮮の猛反対に遭うでしょう。それでもやり遂げねばなりません。日本は唯一の被爆国だから核兵器を持つべきではない」という意見が多いのですが、当時日本が原爆を持っていれば抑止力が働いてアメリカは日本に原爆を落とせなかったのです。

帰宅後は、書状執筆。

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