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2007年7月12日 (木)

千駄木庵日乗七月十一日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。村上正邦元参院議員が講演し、「父親から、『外に楽しみを求めるな』と言われた。また学校の先生から『打算的』という評が与えられた時、『男として一番恥ずかしい』と言って父親から殴られた。このことが拘置所の中で蘇った。政治家として一番恥ずべき事は汚職。まして代表質問の言葉を金に換えたことは一番恥ずべき事。しかし私は、恥ずべき事は一つもしていない。『俺の名誉のためではなく、支持していただいた方、信頼していただいた方の為に、徹底的に戦おう』と誓った。日本人の魂に目覚めさせていただいた原点は谷口雅春先生。『天皇国日本の実相顕現がお前の使命だ』とのお言葉をいただいた。拘置所で谷口先生が夢に立たれ,『天皇国日本実相顕現はどうした。』と言われた。私は跳ね起きて布団の上に座り、天皇陛下に腹を搔っ捌いてお詫びしなければいけないと思った。自殺を考えた。木下道雄元侍従から『昭和天皇が摂政であられた頃、シーメンス事件が起き、政府高官が逮捕された。当時、政府高官逮捕には陛下のご裁可が必要であった。陛下は裁可されるとき夜空を仰がれ、涙ぐまれながら、「木下、こういうよこしまなことをする者が出るのは、私の徳が足りないからだろうか」と言われた』ということを聞いていた。昭和天皇御在位五十年奉祝の提灯行列を色々反対があったが企画し実行した。御在位六十年奉祝の提灯行列も行い、今上天皇御在位十年の奉祝行事も行った。大成功だった。この時は、二重橋に両陛下がお出ましになる時、雨が上がり、月が見えた。奇跡だと思い、日本は神秘なる国だと思った。両陛下からも大変御喜びを頂き、御所に招かれた。皇后陛下がお望みであった国立子供図書館を上野公園内に建設することも推進した。そういう私が逮捕されたことを、両陛下はいかが思われたかと思うと、死んでお詫びをしようと何回も思った。しかし死んではいかん、生き抜いて潔白を証明しようと決意した。司法の堕落は国家の堕落。炭坑夫から参議院のドンといわれるまでになった。これからも政治家としての私まいきざまを示したい。今の政治家は、皇室のことを知らな過ぎる。官房長官経験者を中心に政治家を集めて皇室問題懇談会を作って勉強した。中曽根先生のことを立派だと思ったのは、衆参ダブル選挙の時、総理として全国遊説をしている時、常に大嘗祭に関する書物を読んでいたこと。」と語った。もっと多くのことが語られたのですが、書ききれません。「政治文化情報」に書きたいと思います。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

私は、高校と大学時代、生長の家で活動していましたので、村上氏とは、三十年以上前からの知り合いです。玉置和郎氏の秘書をしておられました。その頃からなかなか元気のいい方でした。そして、政治家として大活躍されていたのですが、あらぬ嫌疑をかけられ囹圄の身になられました。最高裁で有罪が確定すれば、収監されなければなりません。本当にお気の毒です。しかし、今日は大層お元気そうでした。国策捜査ということが言われます。私には断定的なことは言えませんが、村上氏の逮捕・起訴もそういうことなのでしょうか。法と証拠に基づいて捜査し逮捕し起訴するということなのでしょうが、権力機構が何かの目的のために特定の人を犯罪者にすることは不可能ではないと思います。鹿児島県警の冤罪事件などを見るとそういう疑念を持つのは当然です。村上正邦氏には、もっともっと政治家として、国のために活躍していただきたい方であることは確かであります。しかし村上氏が邪魔でしょうがないと思った権力者がいたのかもしれません。その人が誰であったを指摘する人もいました。

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