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2007年7月31日 (火)

千駄木庵日乗七月三十日

午前四時頃、父の容態が落ち着かなくなり、しばらく看病。

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、池之端の東天紅にて、「角野英毅文京区議会議員二十周年の会」開催。角野氏は、私の中学校の後輩。今年区議会議員在職二十年を迎えた。

帰宅後は、書状執筆。

             ○

安倍総理の続投宣言に対して偏向マスコミが批判している。私は、続投で良いと思う。第一、他の誰が総理になるのか。安倍氏に自分の信念通りの政治をやってもらいたい。そして民主党と徹底的に対決してもらいたい。真の意味で日本を美しい国・強い国にするために奮闘してもらいたい。それが安倍氏に課せられた使命であり責任である。

私は、民主党が反日姿勢を今以上に強め、国の将来を危うくする危険があると思う。それに対して徹底的に戦わねばならない。

安倍氏の今日の記者会見の顔つきは、第一次安保の強行採決の時の岸信介元総理の顔つきと似ていた。悲壮感が漂っていた。安倍氏には、岸氏の如く「千萬人と雖も吾往かむ」の信念で今後突き進んでもらいたい。真正保守の立場を強固に保持してもらいたい。今までのような「あいまい戦略」では駄目だ。

第一次安保の時、安保特別委員長として岸総理を助けた小沢佐重喜氏の息子・小沢一郎が安倍氏に敵対して外から安倍氏を窮地に陥れ、同じく第一次安保の時、防衛庁長官として岸氏を助けた赤城宗徳氏の孫の農水相が内部から安倍氏の足を引っ張った。なんとも皮肉な話である。

ともかく「安倍氏よ強くあれ」と祈るばかりである。憲法・外交・教育・対侵略国家対策などでまともな姿勢を貫ける政治家は、安倍氏以外にいないと思う。これは私の過度の期待・思い込みであろうか。しかし、小沢・菅・鳩山・岡田などというまともな国家観・歴史観のない奴等よりはずっとましてあることは確かである。国政・国会が混乱した時こそ、誰が国賊であるかないかが明らかになる。そういう状況こそ、破邪顕正の時なのである。靖国の英霊を冒瀆し、侵略国家の手先となり、祖国の歴史を貶めるような政治家は徹底的に膺懲しなければならない。

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2007年7月30日 (月)

千駄木庵日乗七月二十八日

朝、宿舎を出発。友とМOA美術館参観。豊臣秀吉の命令で造られたという「黄金の茶室」の復元、重要美術品の錫杖頭、銅造鍍金、阿弥陀如来立像、聖観音菩薩立像、そして歌川広重の東海道五拾三次之内(保永堂版)、豊臣秀吉の北政所にあてた書状、特別展「アール・ヌーヴォー、アール・デコの世界」などを見る。この美術館の創設者である世界救世教教祖・岡田茂吉氏に関する展示も見る。岡田氏が戦争直後の混乱期、売り食い生活を強いられた旧華族などが売りに出した美術品を買い集めたのが、この美術館の濫觴であると聞いている。日本の美術品の海外流出を防いだとされる。

東海道線にて帰宅。選挙速報を見る。

             ○

今晩書いたある愛読者の方への小生の書状を掲載します。

「拝復

暑中お見舞い申し上げます。ご健勝にてお過ごしのご様子何よりと存じ上げます。久しぶりにお手紙をいただきまことにうれしく存じ上げました。

小誌を丹念にお読みいただきましてありがとうございます。読者の方から、こういうご激励のお手紙をいただきますことが、小生にとって大きな喜びでございます。小誌を発行していて良かったとしみじみ思います。

中曽根氏の姿勢についての先生のご指摘全く同感です。青年将校と言われた時代には、『憲法改正の歌』に示されたような真正保守・民族主義者の姿勢を示していたのに、その後、改憲への積極的取り組みを行わず、その上、防衛庁長官時代には、改憲を訴えて自決した三島由紀夫氏に対して、全面否定の談話を出しました。靖国神社のご祭神から昭和殉難者の御霊を分祀せんとする画策を行ったのも中曽根氏です。

最近また、若き時代に先祖帰りするような発言をしていますが、これもまた何時変るか分からないという疑念を抱かせます。信頼性に欠けるところが中曽根氏の最大の欠点であります。御参考までに、中曽根氏が昭和三十一年に作った『憲法改正の歌』の全文を御紹介申し上げます。

一、  鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す 平和民主の名の下に 占領憲法強制し 祖国の解体計りたり 時は終戦六ヶ月

二、占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば 天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は 国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり

三、十年の時は永くして 自由は今や還りたり 我が憲法を打ち立てて 国の礎築くべき 歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり

四、国を愛す真心を 自らたてて守るべき 自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき 原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや

五、この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり 祖国の運命拓く者 興国の意気挙げなばや                        

                           」

今後はこの歌の精神通りの中曽根氏であり続けてほしいと思います。

宮澤喜一氏は、戦後の似非平和主義思想・護憲安保体制を作り出し、その路線の上で政治を行ってきた張本人であります。彼には、政治家として宰相として何一つ功績はありません。

『君辱めを受ければ臣死す』といふ言葉があります。しかるに、宮澤喜一・加藤紘一の両人は、総理および官房長官として今上陛下の『御訪中』を促進し、実現し、今上陛下に共産支那に対する先の大戦について『謝罪』を、先生仰せの通り強請し奉りました。すなわち、敵性国家において、天皇陛下に辱めを受けさせ奉ったのであります。その罪万死に値すると思います。

さて、自民党が今回の参院選で大敗を喫しました。反日政治家が多く所属し、日教組・自治労などの支援を受ける民主党が勝利したことは、祖国日本にとって重大なる事態であります。戦後体制打倒・皇国日本の再生のためにまことに不幸な事態であると存じます。偏向マスコミによる安倍自民党攻撃の結果であると思いますが、それと共に、安倍晋三総理の靖国神社や歴史問題という肝心要のことについての『あいまい路線』も、このような結果を生んだ原因の一つであると思います。

今後より一層小生なりに皇国日本の再生のために奮闘努力しなければならないと決意いたしております。 」

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後、東京駅にて、友と待ち合わせ。東海道線にて熱海へ。

午後五時より、二松学舎大学第三十七回卒業生同期會「三七會」開催。四十数名の参加者がありました。全員が自己紹介と近況報告。その後、俊社の屋上から、熱海の花火を見物。

皆、今年か去年に還暦を迎えました。二松学舎大学の卒業生は国語の教師になる人が多いのですか、公立学校に勤めていた人々のほとんどは定年を迎えていました。団塊の世代の人々の多くが一斉に定年を迎え、その多くは年金生活者のなることを実感しました。そうした人々の不安が、今度の参院選結果に直結したと思います。

なお、昨日の「日乗」に書き洩らしましたので念のために申し添えますが、参院選の不在者投票は昨日済ませました

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2007年7月28日 (土)

千駄木庵日乗七月二十七日

午前は父のお世話。

午後は、父の治療のことで、病院と薬局に赴く。

帰宅後、諸雑務。

色々な用事が重なり、「維新政党新風」の街宣活動のお手伝いができなくて申し訳なく思っています。

            ○

 人類は様々の宗教を信じている。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしている。しかし反面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいえる。それは今日に至るまで続いている。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあいが行われている。

イスラム原理主義とキリスト教・ユダヤ教を基盤とするアメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く中にあって、わが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、今日も続いている唯一の国である。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史學者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳した。

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならない。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救う道は、日本傳統信仰への回歸にある。

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2007年7月27日 (金)

千駄木庵日乗七月二十六日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、荻窪の教育創造研究所にて、「しきしまの会」開催。小生が相聞歌について講義。

午後五時より、九段会館にて、「名越二荒之助先生を偲ぶ会」開催。草開省三・小田村四郎・安長江・田久保忠衛・山谷えり子の各氏らが追悼の辞を述べた。ご遺族を代表して名越健郎氏が挨拶した。そして板垣正氏の音頭で献杯を行った。

帰宅後は、諸雑務。

             ○

名越二荒之助先生の「大東亜戦争を見直そう」「世界に生きる日本の心」「日韓二千年の真実」は、自虐史観・東京裁判史観の克服・訂正のために大きな貢献をした三大名著と申し上げていいと思います。名越先生のご論文・ご著書は、机上で書かれていわゆる「高論卓説」ではなく、名越先生が血の出るような努力、凄まじい行動力とバイタリィティで、世界中を取材されて出来上がったものであります。それだけ説得力があり、面白く、勉強になります。単なる理論ではありません。事実に基づいた歴史の真実を発掘され、それを大きく世界に発信されたと思います。

わたくしは、海外に二回、国内では一回、名越先生の旅のお供をさせて頂きました。名越先生のお人柄がまた素晴らしく、包容力があり温かみのある方でした。いわゆるインテリの冷たさと申しますか、弱さというものは全くありませんでした。陰の方ではなく陽の方でした。「もののふ」という言葉ぴったり当てはまる方でした。田久保忠衛先生が追悼の辞で言われましたが、名越先生二十代前半のシベリア抑留中の極限状況におけるご苦労が、先生のお人柄を大きく強くしたのではないかと拝察いたします。

本日、四百名近くの出席者があったのも、名越先生のご功績とお人柄ゆえと思います。名越先生の逝去は、「国家的損失」と言っても過言ではないと思います。衷心よりご冥福をお祈りさせて頂きます。

           ○

畏友渡部篤衆院議員の本日のブログ上のコメントを紹介します。

マスコミの世論誘導とはいわないが、異常な政策論なき選挙戦は日本の国を危機に陥れているのです。この責任は一部マスコミと民主党にあると思う。今回当選する政治家は憲法・外交という日本の針路を決定する選良なのであります。

 それなのに、国家論も国防の考えも明確にしないで大衆を扇動する選挙は、勝つために手段を選ばないものです。こんなことで良いのでしようか。今回立候補する候補者は「憲法改正」「護憲」と自分の主張をしてください。そうしないと自民党の保守も、社民党・共産党の左派も存在価値を失うのです。あるのは視聴率を競うマスコミの餌食に政治はなってしまうことです。

 そんなときに、サンケイ新聞の社説と読売新聞の社説は国民に扇動でなく冷静な政策論議を提案している。政党と政治家は日本の国家像を示すべきと訴えている。日本の民主主義はは具体的な政策論をしていかないと、政党・政治家のスキャンダルと、行政の事務的対応を最高の選挙テーマにしようとすることになるのだ。まったくナンセンスなことになるのである。

 自民党は最大の危機に直面しているが、そんなに慌てる必要はない。混乱と・不安をあおり・・・人々を扇動する政治は、国民にわかったときは大きな反発になるのだ。でもその期間の混乱は国民の大きな苦しみとなるだろう。

 今度の選挙でもし自民党が負ければ大変なことになる。「安部総理」の主張する外交として「北朝鮮への拉致問題」「中国の軍備拡大への対応」「自由世界の一員としてのイラク派遣」という、外交も、日本の国益のため政治も否定されることになるのです。・・・・喜ぶのは、北朝鮮と中国である。」

私と概ね同意見です。

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2007年7月26日 (木)

千駄木庵日乗七月二十五日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、明日の「しきしまの会」における講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館において「萬葉古代史研究會」開催。萬葉集第十三巻の作者未詳歌を講義。

帰宅後も講義の準備。

          ○

和歌の勉強会や父のお世話などがあり、「維新政党新風」の街宣活動応援ができません。残念です。

良く言えば世論の動向、悪く言えばマスコミの作り上げたムードは、民主党の勝利らしいです。もしもそうなっても、その責任は、国民自身にあるのです。今この時期に国家百年の大計を明確に示すことなく、ただ政権奪取のみを目的とした小沢流の破壊による国政の混乱が起これば、日本は大変な事態になると思います。政治の混乱・経済の疲弊による国力の低下は、侵略国家の思う壺です。

「亡国の危機迫る」という思いでいます。しかし危機・混乱こそ、維新の好機とすべきであります。

西村真悟氏の七月二十四日付の「時事通信」を紹介します。私とほぼ同意見です。

「本日手にとったある朝刊の一面の見出しに、この参議院選挙に関して、「誰を利する『国家』なき迷走」とあった。やっと、一面でこの点を指摘するメディアが現れたかとの感がする。

 最も国益を意識すべき政治家が、国益を意識せずに選挙に雪崩れ込んでいる図式だ。何年も、これが繰り返されてきた。その極め付きがこの夏の参議院選挙か。これは既に、幼稚なゲームであって、国民に対する裏切りではないか。

 

 勝海舟の談話に「俺は、政党とは一つの『私』だと思うよ」というのがあった。まさに、「公」を裏切った「私」の権化が国政選挙の「担い手」として、「公的助成金」という税金を給付されているとは。

 憲法をはじめとする「国家基本問題」を掲げて国政選挙が行われれば、この各「担い手」が内部分裂し、頭数の数合わせができなくなるので、こういう「私」の選挙しかできないのだ。

一体、この「徒党」輩は「誰を利する」のか分かっているのか。

 真の「政治改革」とは、このレベルでしか選挙を行えない政治世界の構造を改変することだ。

 さて、こういう選挙を行っている日本が、如何なる原則を保持するメンバーであるのかと配慮する必要も感じないのが北京での六か国協議の他のメンバー国であろう。まして、東アジアの将来に関して、この日本の政治状況を自国に有利に「利用」しようと狙う国はあっても、日本の意向に「配慮」して自国の方針を定めようとする国はなくて当たり前である。

「日本の意向」を示して国政選挙をしていないのだから。」

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2007年7月25日 (水)

千駄木庵日乗六月二十四日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、明日の「萬葉古代史研究會」における講義の準備。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後、明後日の「しきしまの会」における講義の準備。

            ○

和歌の勉強をしている時が一番心が落ち着きます。また心清められる思いがします。和歌の勉強をし、歌を詠むことが、人生の喜びであります。しかし、祖国日本の危機を何とかしなければならないのです。明治維新の歴史を見ても、うたごころ・萬葉集への回帰が、日本的変革=維新の原点でありました。私も、その道を歩みたいと思います。

神武建国の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではありませんでした。日本の道統への回帰でした。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのです。「維新とは復古即革新である」とはそういう意味であると思います。

 ゆえに、明治維新において日本人の精神即ち『やまとごころ』の表白である歌が生まれたのです。明治維新を命懸けで戦った人々は多くのすぐれた歌をのこした。そもそも江戸時代に幕府の思想的基盤であった仏教や儒教という外来思想には歌心は希薄でした。明治維新は日本民族の魂の甦りです。そこにやまと歌が生まれるのは必然であります。現代における維新もやまとうたの甦りと一体であらねばなりません。

メンテナンスということで、掲載が遅れました。

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2007年7月24日 (火)

千駄木庵日乗七月二十三日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時より、新橋駅前にて「維新政党新風」の街頭演説会開催。鈴木信行候補と小生が演説。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団フォーラム・日本を救うのは稲作漁撈か武士道か」開催。登壇者の発言は次の通り。

笠谷和比古国際日本文化センター教授「困難に対してただ一人立ち向かっていくところに武士道にひかれる原因がある。君主の命令も誤っていれば諫言する。現代は恥と卑怯という感覚がなくなっている。地べたに座って物を食べ、電車の中で化粧をする。『甲陽軍艦』が武士道という言葉の定着に大きな役割を果たした。武士道は武士だけの道徳ではない。武士は他の階級にとって憧れの的。庶民は武士階級の最末端に入る。吉宗時代以降、能力主義の出世が可能となった。武士道は勇武一辺倒ではなく、治者としての倫理性・道義論に進化した。武士の忠は批判精神・自律性を含んだ忠。唯々諾々と従う奴隷根性ではない。主君が間違っていれば諫言する。室鳩巣の『名君家訓』に主君の道、家臣の道が説かれている。家臣の諫言に耳を傾ける度量が主君に必要。もののあはれが武士道に入っていることが大事。内なる信念にとことん忠実な人が武士。諫言は組織内で不正が起こる前にそれを防ぐこと。アホな殿は押し込める。それは謀反・下剋上と言われたが、十八世紀には正当な行為となった。欧米は法と権利の文化。日本は恥の文化。欧米はアダムのイヴが楽園で楽しく暮らしたのが理想。知恵の木の実を食べた罰として労働をしなければならなくなった。日本人は労働が喜び。様々のグローバルスタンダードが並び存するような文化状況が良い。自然と一体化するところに日本人は安住した。」

安田喜憲国際日本文化センター教授「武士道的リーダーは剛直の士を使いこなす器量を不可欠とする。日本の武士は平和な時も一生懸命働く。西洋の騎士は平和な時は遊んで暮らす。日本天皇は皇居でお田植えをされ、皇后はお蚕を育てる。ヨーロッパの君主は労働をしない。食事の作法を子供に徹底的に教えることが大事。天武天皇は肉食禁止令を出した。それまでは家畜を飼い、牛乳を飲んだ。革命的なこと。その結果、美しい森林が残り。周辺の海も死ななかった。森を破壊したら海もやせる。武士道の原点はアニミズム。自然と深くかかわり合いながら生きる。」

帰宅後は、原稿執筆。

             ○

日本の武士・もののふのの原点は、須佐之男命であり、日本武尊である。もののふの心は、古代日本に発生した。天皇の「みしるし」である三種の神器の一つは剣である。自然と共に生きる日本の古代神話における英雄たる須佐之男命も日本武尊も単に武勇の人ではなかった。歌を詠まれ、豊饒をもたらす方であった。稲作漁撈と武士道とは対立するものではないということである。

今日は、天武天皇の肉食禁止令の重要性について教えられたことが有難かった。両氏に感謝する。武士道と日本の伝統信仰についてもっと詳しく勉強したいと思う。武士道は禅や儒教の影響を受けたが、その根幹には日本伝統信仰があったのである。

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2007年7月23日 (月)

千駄木庵日乗七月二十二日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、靖国神社境内の靖国会館にて、「二宮報徳会」開催。小林幸子会長が挨拶。東中野修道亜細亜大学教授が「一九三七南京占領の真実」と題して講演、「売春婦を『性の奴隷』ということ自体間違っている。白を黒と言う決議が米議会を通過するのは異常。これには中国の意思が働いている。ポルトガル語でシナという。シナは差別語ではない。日本は言語統制されてシナという言葉を使ってはいけないと言われている。『夷を以って夷を制す』が支那の伝統。支那は、日米を分断してアメリカに日本を抑えさせ、東アジアの覇権確立を図っている。上海の自国民を守るために各国は軍を置いていた。その軍が支那に攻撃され、南京戦になった。張治中が仕掛けた攻撃。歴史は記録がなければ嘘。『南京大虐殺』は学歴詐称と同じ。休戦協定を作った国際委員会の記録には、南京陥落前の人口が二十万人だったが陥落後も変化がなかったし、陥落一ヶ月後には二十五万人に増えているとある。日本軍は軍服を脱ぎ捨て民間人に変装した中国兵を処刑したが、これは捕虜虐殺ではないから、国際委員会・外交機関・国民党政府・特派員も不法と非難しなかった。英米の領事も日本軍の殺人を糾弾する声明は出さなかった。国民党政府も毎日のように記者会見を行ったが日本軍の殺人を糾弾する声明は出さなかった。日本軍は、使役した三千名の苦力を南京陥落後上海に帰した。その苦力たちは『虐殺があった』とは言わなかった。そもそも日本軍が『虐殺』を行っていたのなら、三千人の苦力を上海へ帰さない。北京政府は日本を抑えるための道具として『南京・慰安婦』を利用している。支那大陸・韓国・台湾ではこれから反日教育を受けた世代が国を引っ張る。これが大きな問題。『従軍慰安婦強制連行』『南京大虐殺』は事実ではないということは次の世代に伝えていきたい」と語った。

帰宅後は、資料整理。

            ○

歴史問題は、事実を正しく検証し、支那の言っている虚構・大嘘を正すことが第一である。そしてそれを国際社会に発信しなければならない。幸いに、最近、支那という国、支那人という民族がいかに衛生観念が希薄であり、嘘つきであるかが、衛生問題・食品問題などで国際問題となり、批判されている。今こそ、日本が共産支那の国際謀略を打ち砕く絶好の機会である。歴史問題は、肉饅に段ボールが入っていたとか。偽ブランド品の横行とはわけが違う。祖国日本の名誉と誇りに関わる重大問題である。

日本は、共産支那や北朝鮮と比較して情報戦・国際戦略・外交が全く下手である。これを何とかしなければならない。真っ正直なのは美徳かもしれないが、相手の謀略や虚構に基づく宣伝に負けるようなことでは、国家の存立を危うくする。

 さらに問題なのは、日本国内に共産支那の手先・謀略の先兵のような勢力が活発に動いていることである。これも何とかしなければならない。

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2007年7月22日 (日)

千駄木庵日乗七月二十一日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

その後、「政治文化情報」八月号発送作業。発送完了。購読者の皆様には、月曜日にお届けできると思います。

続いて、資料整理など。

何回も書くが、小沢民主党が、参院選で与党を過半数割れに追い込んだ後、共産・社民とも組んだ「野党連合」を構築することが最も危険なのである。

小沢氏は、「政治生命をかけて、国を建て直す最後のチャンスだ」と言うのなら、まず憲法をどうするかを語るべきだろう。

共産、社民とともに護憲を旗印にでも掲げるつもりなのか。 安倍晋三総理は明確に『戦後レジームからの脱却』を主張し、改憲を目指している。

日本国を疲弊させ荒廃させ頽廃させたのは、占領憲法をはじめとする戦後体制なのである。これを打倒せずして、国を立て直すことはできない。

小沢氏にはそういう意志も思想もない。ただ、自民党から権力奪取することだけが目的なのだ。だから、社民・共産とも手を組むと言うのだ。 上御一人日本天皇を祭り主と仰ぐ護る麗しくも尊い日本國體の真の姿を回復することが現状の日本の穢れを祓い革新することになるのである。

それが復古即革新である。 安倍氏の姿勢を「復古主義」「国家主義」と批判し揶揄する小沢一郎に政権を握らせてはならない。

かつて真正保守陣営・民族派の中にも、小沢一郎に幻想を抱いていた人が少なからずいたが、小沢一郎こそ、国を誤る似非保守政治家である。彼が政界を去ることが真の政治改革である。

(どうも小沢のこととなるときつい文章になってしまいます。しかし、自然にそうなるのですから仕方がありません。どうかご了承ください)

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2007年7月21日 (土)

千駄木庵日乗七月二十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

夕刻、ある法律家の事務所訪問。

帰宅後も、発送準備など。

          ○

小誌の発送準備などがあり、「維新政党新風」の街宣活動のお手伝いが出来ないでいます。今回の選挙は、「新風」以外からも知人・同志が多く立候補していますので、一体誰に投票したらいいのか悩みます。しかし、「新風」の応援をして、人様にお願いをしている以上、やはり「新風」に投票しなくてはならないと思っています。

私が最も恐れるのは、外交・安保・教育・歴史問題・靖国神社問題など国家の根幹に関わることで、反日的姿勢をとる人が多く所属する民主党が過半数を占めることです。国会における菅直人・岡田克也など民主党議員の安倍氏に対する歴史問題・靖国問題についての質問を見ても、彼らはまさに反日主義者であり、祖国の歴史を貶めている者たちであります。このような連中が政権を握ることは、祖国を危うくします。このことだけは、皆様に訴えたいと思います。

安倍自民党が参院選に勝って、安倍氏の政権基盤を強固なものにして、安倍氏の思想信念を正しく実現できる政権を確立することが大事だと思います。少なくとも小沢・菅・岡田・福島瑞穂などという連中が中枢を担う政権の誕生よりはその方がずっとましであります。

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2007年7月20日 (金)

千駄木庵日乗七月十九日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。高市黒人の歌などを講義。

夕刻、知人と懇談。

帰宅後、「政治文化情報」発送準備。

           ○

「富田メモ」「卜部日記」というものが公表され、昭和天皇が昭和殉難者の靖国神社合祀に「不快感を示された」ということが喧伝されている。この二つの資料に書かれたことがたとえ真実であり、先帝陛下のお言葉であったとしても、先帝陛下が最晩年のご病身であられた時に病床において私的に漏らされたお言葉、しかもメモをした人の意志が混入しているかも知れず、その上、公にするつもりのなかった私的メモや日記に書かれた「お言葉」を文字通り「錦の御旗」にして、靖国神社のご祭神合祀について批判を行うことは、先帝陛下のご聖徳を汚す行為であり、まさに、皇室の政治利用である。

昭和殉難者についての先帝陛下の御心は終戦直後において次のように示されている。

戦争責任者を連合國に引き渡すのは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」(木戸幸一日記・昭和二十年八月二十九日)

「戦犯といえども米國より見れば犯罪人ならんも我國にとりては功労者なり」(同・昭和二十年十二月七日)〉

「戦争の責任は全て私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする」(マッカーサーとの會見・昭和二十年九月二十七日)

この大御心を拝する時、先帝陛下が、昭和殉難者が靖国神社に祀られることに「不快感を示された」などということはあり得ないと信ずる。

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2007年7月19日 (木)

千駄木庵日乗七月十八日

午前は父のお世話。

午後はある会合にてスピーチ。

帰宅後は、明日の「萬葉會」における講義の準備など。

           ○

安倍氏のことを「国家主義」「復古主義」などと非難した小沢一郎が党首をやっている民主党に勝たせてはならない。小沢こそ、田中金権腐敗政治の申し子であり権力亡者である。小沢は古い金権政治の継承者すなわち悪い意味の「復古主義者」であり、権力奪取のためなら思想も理念も関係ない何でもありの権力主義者である。こんな男に、この国を任せてはならない。民主・社民・共産連立政権よりは、自公連立政権の方がましである。

宮本顕治が死去した。テレビで「戦前治安維持法で逮捕され、獄中に十二年間いた」と報道していたが、誤りである。治安維持法違反だけでなく、同志をリンチ氏殺したという殺人、不法監禁、死体遺棄などの罪で逮捕されたのである。志位委員長はテレビで、「反戦平和運動を行ったために獄に入った」などと言っていたが嘘八百である。歴史をねつ造し嘘と虚構で塗り固めるのが共産主義集団であり、共産主義国家である。共産支那・北朝鮮そして日共に歴史を語る資格はない。まして、光輝あるわが国の歴史を誹謗する資格はない。その日共とも手を組もうというのが小沢民主党である。

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2007年7月18日 (水)

千駄木庵日乗七月十七日

午前は父お世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

午後六時より、大田区の雪谷総合式場にて執行された故田原康邦氏の通夜に参列。

帰宅後は、明日の集会におけるスピーチの準備など。

         ○

田原康邦氏は、高校時代からの友人同志です。生長の家高校生連盟で活動していたころ、二年後輩だったと思います。穏健篤実な性格で、本当に善い人でした。その田原氏が還暦前に亡くなるとはまことに痛恨の極みです。同年輩や年下の人が亡くなるのは本当にさみしいことです。

彼の家で同志たちが集まって月一回毎週第一水曜日に勉強会を行っていたのが、今の一水會の濫觴です。その頃は、報道関係の仕事をしている人が多かったので「マスコミ研究会」と称していました。

田原氏はその後、新聞記者を辞めて、生長の家の出版部である日本教文社につとめ、編集関係の要職を歴任しました。

多くの同志たちが、今の生長の家の指導者が谷口雅春先生の精神をないがしろにしているとして批判をしている中にあって、彼は今の指導者を弁護していました。苦しい立場だったと思います。しかし今日の通夜には、彼の人柄ゆえに実に多くの参列者がありましたが、その指導者は参列していませんでした。花輪も出ていませんでした。あるいは明日の葬儀には参列するのかとも思いますので迂闊なことを書けませんが、冷たいなあと思います。

通夜では鈴木邦男さんと会い、一緒に帰りました。鈴木邦男さんも後輩思いの善い人です。

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2007年7月17日 (火)

千駄木庵日乗七月十六日

朝、父の具合が悪くなりまして、一緒に病院に赴き治療を受けました。医師の治療の結果、幸い小康を取り戻し、ともに帰宅致しました。

午後四時より、新橋駅駅頭にて維新政党新風街頭演説。鈴木信行候補と小生などが演説。

夜は、同志数人と懇談討議。

           ○

私がかねがね不思議に持っておりますことは、日本に帰って来た拉致被害者の方々の拉致された時の状況、被害者の方々が体験された北朝鮮における生活が、全くと言っていいほど公けにされないことです。あれほど「知る権利」だ「知らせる義務だ」と言っているマスコミもあまりこのことには触れません。全く不思議です。北との交渉の障害になるとして政府が抑えている可能性が高いと思います。どうも朝鮮総連本部の建物に関する事件を見ても、日本政府の北朝鮮に対する姿勢はすっきりしないものがあるように思えます。これは私の邪推でしょうか。

そういえば北朝鮮から韓国に亡命した黄長燁氏も北の内情について多くを語りません。北朝鮮の報復を恐れているということでしょうか。韓国の現政権がサヨク政権だからでしょうか。

日本は、北朝鮮や支那に対しては毅然とした姿勢をとることが大切だと思います。そうしないと、相手がつけがるばかりであります。

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2007年7月16日 (月)

千駄木庵日乗七月十五日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後三時より、上野駅頭にて、維新政党新風の街頭演説。東京地方区に立候補した鈴木信行氏と小生が演説。

帰宅後も諸雑務。

            ○

今日の街宣では、社会保険庁の問題について語りました。要するに、コンピュータの導入に反対し、仕事のきちんと行わなかった職員が悪いのだということを訴えました。内閣総理大臣になって一年にもならない安倍氏の責任ではありません。小沢民主党はこの問題を安倍政権批判の絶好の材料にしていますが、民主党の大きな支持組織である公務員の加盟している労働組合=自治労や日教組こそ、現代日本をおかしくしてきた元凶です。

また格差社会ということが喧伝されていますが、官庁こそ格差社会の典型です。分り易いので警察を例にしますが、公務員の上級職試験(今は別の言い方のようですが)にうかった人は、任官したらすぐに警部補になれるそうです。警部補という階級は一般の警察官にとっては定年までに全員がなれる階級ではありません。なれるかなれないか分からないという地位です。上級職の公務員はあれよあれよという間に偉くなっていきます。そのうえ、天下り先も用意され、しかも何カ所か渡り歩き、定年後の生活も保障されています。良い悪いは別にしてこういう制度を格差社会と言わずして何と言うのでしようか。

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2007年7月15日 (日)

千駄木庵日乗七月十四日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後から、資料整理など。

             ○

朝から雨でしたので、終日在宅して、明治以後の神道史について勉強しました。葦津珍彦先生の「国家神道とは何だったのか」、新田均氏の「『現人神』『国家神道』という幻想」を読んでいます。大変に勉強になります。

「明治以後の日本において、国家神道が国教となり、他の宗教を圧迫し支配し、それが戦争を招いた」というのが左翼の定説になっています。しかし、両氏の本を読みますと、そうした議論は全く事実を歪曲したものであると指摘されています。

そもそも国家神道という言葉は戦後の占領政策の中で登場したのです。また古代以来の神社神道即ち日本伝統信仰は、近代化の波の中で隠蔽され歪曲されたというのが歴史的事実です。そして神社が形骸化され神々への信仰が薄れました。

また、戦前の宗教史、特に昭和十年代に起こった大本教などに対する宗教弾圧は、おおらかな日本の伝統信仰精神から見ると異質の事件であったと思います。先日も「千駄木庵日乗」に書きましたが、どうしてあのようなことが起こったのかが、私の知りたいことなのです。私は、神社神道が国教になったからあのような事件が起こったのではなく、むしろ、神社神道が形骸化されたから起こったと思うのです。

この国教という言葉の定義も難しいのです。権力機構としての国家が特定の教団と一体化することを意味するのなら、国教というものはあってはなりません。しかし、信仰共同体国家日本が神社神道の信仰を基盤としているという意味なら、神社神道が国教であるというのは古代以来の日本の伝統であります。

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2007年7月14日 (土)

千駄木庵日乗七月十三日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、家族と共にお迎え火をたきました。信仰深い両親を持って幸せにそしてありがたく思います。その後、原稿執筆。

午後六時より、青山の大東会館にて「時局戦略懇話会幹事會」開催。当面する諸問題について討議。終了後懇親会。

帰宅後、「政治文化情報」原稿執筆。完成・送付。

            ○

政府は「河野談話」は速やかに撤回すべきである。当時の石原信雄官房副長官が後に明らかにしたように、「従軍慰安婦の強制連行」などという事実は、いかなる資料からも発見されなかった。対韓国への誤れる外交姿勢のために「あったことにしよう」という政治判断が下された。そもそも「従軍慰安婦」という言葉自体、戦時中にはなかったのであり、さ、近年作り出された用語である。わが皇軍が「強制連行」に関与したなどということは全くの捏造であり嘘八百である。安倍総理は何故「河野談話を踏襲する」などと言ったのか。これはアイマイ戦術などと言ってすまされる問題ではない。一国の総理として、靖国神社や歴史問題について断固とした姿勢を貫いてこそ、国民の支持が高まるのである。このまま参院選に大負けして安倍内閣崩壊などという事態になることを恐れる。

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2007年7月13日 (金)

千駄木庵日乗七月十二日

朝から父のお世話。

正午、新橋駅前にて維新政党新風に第一声。魚谷哲央・瀬戸弘幸・鈴木信行の三候補者が獅子吼。小生が結語を述べた。

その後帰宅し、「政治文化情報」の原稿執筆。夕方知人と懇談。

夜も、原稿執筆。

           ○

今日私が選挙演説で訴えたのは次のことです。

 街宣車に堂々と国旗である日章旗を掲揚している政党は維新政党新風のみ。

 自民党から共産党まで改革を叫ぶが、真に日本の伝統に根差した改革すなわち維新を訴えているのは維新政党新風のみ。

 戦後六十年間日本を混迷に陥れて来た現行占領憲法の破棄を訴えているのは維新政党新風のみ。

 祖国を侵略国家からの核攻撃から守るための核抑止力の保持すなわち日本の核武装を堂々と訴えているのは維新政党新風のみ。

以上です。

小雨の中でしたが、大勢の支援者が集まり、且つ、通行中の人々も多く立ち止まってわれわれの訴えを聞いてくれました。

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2007年7月12日 (木)

千駄木庵日乗七月十一日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。村上正邦元参院議員が講演し、「父親から、『外に楽しみを求めるな』と言われた。また学校の先生から『打算的』という評が与えられた時、『男として一番恥ずかしい』と言って父親から殴られた。このことが拘置所の中で蘇った。政治家として一番恥ずべき事は汚職。まして代表質問の言葉を金に換えたことは一番恥ずべき事。しかし私は、恥ずべき事は一つもしていない。『俺の名誉のためではなく、支持していただいた方、信頼していただいた方の為に、徹底的に戦おう』と誓った。日本人の魂に目覚めさせていただいた原点は谷口雅春先生。『天皇国日本の実相顕現がお前の使命だ』とのお言葉をいただいた。拘置所で谷口先生が夢に立たれ,『天皇国日本実相顕現はどうした。』と言われた。私は跳ね起きて布団の上に座り、天皇陛下に腹を搔っ捌いてお詫びしなければいけないと思った。自殺を考えた。木下道雄元侍従から『昭和天皇が摂政であられた頃、シーメンス事件が起き、政府高官が逮捕された。当時、政府高官逮捕には陛下のご裁可が必要であった。陛下は裁可されるとき夜空を仰がれ、涙ぐまれながら、「木下、こういうよこしまなことをする者が出るのは、私の徳が足りないからだろうか」と言われた』ということを聞いていた。昭和天皇御在位五十年奉祝の提灯行列を色々反対があったが企画し実行した。御在位六十年奉祝の提灯行列も行い、今上天皇御在位十年の奉祝行事も行った。大成功だった。この時は、二重橋に両陛下がお出ましになる時、雨が上がり、月が見えた。奇跡だと思い、日本は神秘なる国だと思った。両陛下からも大変御喜びを頂き、御所に招かれた。皇后陛下がお望みであった国立子供図書館を上野公園内に建設することも推進した。そういう私が逮捕されたことを、両陛下はいかが思われたかと思うと、死んでお詫びをしようと何回も思った。しかし死んではいかん、生き抜いて潔白を証明しようと決意した。司法の堕落は国家の堕落。炭坑夫から参議院のドンといわれるまでになった。これからも政治家としての私まいきざまを示したい。今の政治家は、皇室のことを知らな過ぎる。官房長官経験者を中心に政治家を集めて皇室問題懇談会を作って勉強した。中曽根先生のことを立派だと思ったのは、衆参ダブル選挙の時、総理として全国遊説をしている時、常に大嘗祭に関する書物を読んでいたこと。」と語った。もっと多くのことが語られたのですが、書ききれません。「政治文化情報」に書きたいと思います。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

私は、高校と大学時代、生長の家で活動していましたので、村上氏とは、三十年以上前からの知り合いです。玉置和郎氏の秘書をしておられました。その頃からなかなか元気のいい方でした。そして、政治家として大活躍されていたのですが、あらぬ嫌疑をかけられ囹圄の身になられました。最高裁で有罪が確定すれば、収監されなければなりません。本当にお気の毒です。しかし、今日は大層お元気そうでした。国策捜査ということが言われます。私には断定的なことは言えませんが、村上氏の逮捕・起訴もそういうことなのでしょうか。法と証拠に基づいて捜査し逮捕し起訴するということなのでしょうが、権力機構が何かの目的のために特定の人を犯罪者にすることは不可能ではないと思います。鹿児島県警の冤罪事件などを見るとそういう疑念を持つのは当然です。村上正邦氏には、もっともっと政治家として、国のために活躍していただきたい方であることは確かであります。しかし村上氏が邪魔でしょうがないと思った権力者がいたのかもしれません。その人が誰であったを指摘する人もいました。

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2007年7月11日 (水)

千駄木庵日乗七月十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、原稿執筆。

         ○

我が国は古来、東方の君子国といわれ、我が国民は、道義心篤く、勤勉であり、建国以来統一国家を保ち、隆々と発展して来た。しかるに、今日の我が国は、国民の道義心が頽廃し、祖国への愛も、親への尊敬心も、国民同士の信頼感も喪失しつつある。そして自国の歴史と伝統を軽視あるいは蔑視している。

大東亜戦争はわが国による一方的侵略であったという誤れる自虐誌観が横溢している。従軍慰安婦・七三一部隊・南京事件など、捏造された歴史問題にこだわり、自虐的な歴史観を抱いている国民が多い。これを煽っているのが偏向マスコミであり、亡国政党である。政府与党も、謝罪外交を繰り返している。外国に対して謝り続けている国に対して、その国の国民が誇りを持つはずがないではないか。

わが国の軍隊が戦争中に行ったことが「侵略」であり「残虐行為」ならば、アメリカによる東京大空襲・広島長崎への原爆投下、ソ連による満洲・樺太・千島・シベリアにおけるわが国国民の大量殺戮は「残虐行為」ではないのか。大東亜戦争で最も惨い「残虐行為」を行ったのは、米ソである。そしてまた今日の共産支那や北朝鮮は侵略行為・残虐行為をしていないのか。

「戦後」という言葉が六十年も続いている国は日本以外にない。戦前の日本は悪いことしかしてこなかったという「歴史認識」を根本的に改めるべきである。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

戦後のわが国を弱体化せんとして押しつけられた亡国憲法、偏向教育と低俗にして偏向したマスコミこそが、今日の凄まじいまでの亡国的状況の元凶である。

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2007年7月10日 (火)

千駄木庵日乗七月九日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

夜は、『政治文化情報』来月号の原稿執筆。

           ○

小沢一郎氏は、安倍総理を「復古主義」とか言って非難した。しかし、混迷する今日こそ、「復古の精神」が必要なのである。古代日本の清明心・信仰心への回帰が、現代日本の救済となる。

古代から現代に至る日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、古代の人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むことによって可能となる。

伝統と創造が渾然一体となっているのが和歌である。日本人は伝統の継承から創造を学んだ。和歌はその典型である。伊勢の神宮御遷宮と相似である。さらにそれは現代と古代とを直結するものである。そして上御一人と下万民を直結するものである。即ち日本民族を縦軸と横軸、時間と空間において一つにする文藝が和歌なのである。

天皇の国家統治の基本に「和歌」「御製」がある。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給うのは実に和歌が重要な役割を果たした。天皇国家統治を「やまとことば」で「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の国家統治は和歌とは切り離し難く一体である。天皇の国家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって国民と国土を支配するのではない。日本天皇は、まつりと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって国民と国土を統治されるのである。

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2007年7月 9日 (月)

千駄木庵日乗七月八日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務・

午後四時より、有楽町のマリオン前にて維新政党新風が街頭宣伝活動。鈴木信行・瀬戸弘幸両氏そして小生が演説。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

マリオン前というところは、以前は日劇と朝日新聞本社のあったところです。また近くの数寄屋橋公園は、故赤尾敏先生が毎日街頭演説を行われたところです。日劇もなくなり、朝日新聞は移転し、赤尾先生は亡くなられました。昭和の御代を懐かしく思い出しながら演説をしました。

私は、保守と言われ、政権与党に属する政治家や官僚に、北朝鮮・共産支那の手先・エージェントのような言動を繰り返す者共がいることを訴えました。

朝日新聞記者をやり近衛内閣の嘱託として政権中枢に潜り込んでいた尾崎秀実という人物が、旧ソ連のスパイ=ゾルゲと共に、日本の支那大陸への深入りと日米戦争を煽り、日本を亡国へと導き、ソ連を利する活動を行ったのです。偽装転向の「国家主義者」「愛国主義者」が、数多くの国家機関や言論機関に潜り込んでいたのです。西園寺公一も近衛内閣の嘱託でしたが、彼は戦後、日共に入党し、さらには、共産支那の手先となりました。近衛内閣の風見章内閣書記官長(今日の官房長官)は、戦後左派社会党の衆議院議員となりました。

こうした歴史を我々日本人は忘れてはなりません。今の日本にも、かつての尾崎などのように、敵性国家の手先となって日本を亡国に導く者がいることを正しく認識すべきであります。

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2007年7月 8日 (日)

千駄木庵日乗七月七日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、資料整理・書状執筆など。

            ○

日本近代史で、私が大きな謎と思っていることは二つあります。一つは、「西南戦争は何故起こったのか」ということ、そしてもう一つは、「大本教大弾圧は何故起こったのか」ということであります。この二つは、日本近代史の光と影を考えるときに避けて通れぬ大問題だと思います。

最近、元毎日新聞記者でノンフィクション作家である早瀬桂一氏が書いた『大本襲撃』という本を読みました。昭和十年に、「治安維持法違反・不敬罪」の容疑で行われた大本教弾圧について書かれている本です。今まで、大本弾圧については色々な人が論じてきましたが、この本は色々新しい資料や証言をもとにして書かれてあります。ただし、大本教団や、出口家の人々の協力を得ていますので、大本教サイドに立った内容になっています。

大本教が「治安維持法違反・不敬罪」に問われたのは、「出口王仁三郎が天皇となり、日本を統治するという思想を抱きそれを実現すべく行動を起こそうとした」とされたからであります。それが真実であったかどうか、いまだにはっきりとわかりません。今の大本教団は否定しているようですが、教団から追放されたり脱退した人には、はっきりと肯定する人もいます。しかし、昭和維新運動の指導者・内田良平先生は、出口王仁三郎氏の盟友であり、ともに協力して維新運動を行いました。一方、生長の家の谷口雅春先生は大本教出身ですが、はっきりと「大本教は國體転覆を目的としていた」という意味のことを言っておられました。

戦前の維新運動と大教団と手を結んだことを恐れた権力側が無実の罪をでっちあげて弾圧したのだと言う人もいます。

このように、大本教弾圧はまさに謎なのです。この問題は、わが国近代の神道史・宗教史・警察史そして維新運動史の大問題であり、謎なのであります。

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2007年7月 7日 (土)

千駄木庵日乗七月六日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある法律家の事務所訪問。

午後六時より、新宿駅東口にて、維新政党新風の街宣活動の応援。

帰宅後は、資料の整理など。

           ○

維新政党新風は、平成7年12月18日に結党された政党で、①君民一体の国体の理念を、議会制政体によって顕現し、道義国家の実現を期す。 ②国史の道統に則り、維新の精神をもって、自由で豊かな社会の実現を期す。③祖国の自主独立の立場を堅持しつつ、国際社会における相互互恵と友好平和に貢献することを期す、を基本綱領としています。

代表の魚谷哲央氏は、長年の同志で、人柄は謹厳実直を絵に描いたような人物です。今回も参院議員選挙を戦います。比例区・地方区共に長年の同志が立候補します。出来得る限り、街頭演説を手伝いたいと思っています。

今日は久しぶりに新宿駅東口で演説をしました。西口では最近までよく演説をしていましたが、学生時代は東口で演説をしていました。左翼勢力との対決もありました。今日もやはり若者が多く、その頃とあまり変わっていないような雰囲気でした。

日本伝統精神に基づく革新すなわち維新を目指す政治勢力が国会に一議席も持っていないというのは、やはりおかしいと思います。維新政党の躍進を期待したいと思います。

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2007年7月 6日 (金)

千駄木庵日乗七月五日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

昼、ある先輩と懇談討議。『週刊文春』にも報ぜられましたが、何故、許宗萬朝鮮総連副議長に司直の手が及ばないのかということが話題となりました。

午後は、六本木のサントリー美術館にて開催中の『水と生きる』展参観。「自然と呼応して生きてきた日本人の暮らしと、水との係わりという視点」からとらえた展示とのことで、「東海道五十三次の内 日本橋朝の景」(歌川広重)、「隅田川名所図巻」「薩摩切子」「色絵龍田川文皿」など数多くの作品を見る。山紫水明と言われるように、わが国の水は清く美しい。水も神として崇められる。高龗神(たかおかみ)天之水分神(あめのみくまり)・国之水分神(くにのみくまり)という名の水神が全国各地の山奥に祀られている。那智の滝は滝そのものが御神体である。水を歌った歌も多い。在原業平は「ちはやふる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは」と詠んだ。薩摩切子というのをはじめて鑑賞したが、実に美しいものであった。

美しい自然、清らかの水に恵まれた日本に生まれてきたことを限りなく有り難く思う。現代日本の精神の荒廃は深刻である。自然を神として拝み、自然を大切にする心すなわちわが国伝統信仰の回復がいま最も必要である。真の意味の復古の精神がいま必要である。それなくして、日本の再生はあり得ない。

帰宅後は、書状執筆など。

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2007年7月 5日 (木)

千駄木庵日乗七月四日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム』開催。登壇者の発言は次の通り。

〈青木昌彦スタンフォード大学名誉教授〉「市場がどう機能し、どういう成果を生むかは、社会に働いている規範や、権利・義務の関係を形式化し実行化する国家制度、技術・文化などとの相互作用の中で決まる。それらの関係はそれぞれの国の歴史に依存している。そういう制度に働きかけるための政策も、それらの歴史的に形作られた関係との適合性を持たなければ有効性を持ち得ない。社会的規範・約束事がどうやって形成されていくのかが問題。社会学・人文科学の究極的な目的は、制度をどう考えるかにある。色々な様式に包まれて市場は存在する。制度を変えるには、法律を書き換えるだけでは駄目。人々の共通意識が変わることと大きな関連がある。人間のやり取りの均衡状態の中で内省的に出来上がり、それから浮かび上がってくるものが『制度』と『法律』。」

〈鈴木健サルガッソー代表取締役〉「実験データは公開されていてこそ真偽が判定できる。学術の世界におけるネットの影響は、オープン化と時間の短縮。研究者同士の日記の公開が日常的になりつつある。」

〈加藤創太国際大学グローコム教授〉「アカデミズムと霞が関の交流は盛ん。各種審議会がそれ。しかしシナリオが決まっている。官房総務課が御用学者を育てるために審議会で重用する。官僚は理論の整合性よりも、政治・経済・社会的利害調整の結果としての現実性のある政策をとる。『学者は、非現実的・一面的・単純・理解不能・遅い』という見方がある。官庁は自分たちの都合の良い学者・理論を利用する。自民党は霞が関というシンクタンクを持っている。霞が関がデータを独占。データを貰った学者はその官庁を批判できない。」

帰宅後は原稿執筆。

        ○

日本近代史のことを書くために色々な資料や情報を収集しなければなりません。参考になった書籍の著者や資料・情報を提供してくださった方が、その調査・研究の対象の関係者である場合があります。特に子孫や弟子筋に当たる方の場合、お世話になった方への信義上、否定的なことや批判を書くことはどうしてもできなくなります。明治以降の歴史問題の場合、その歴史にかかわった人の子孫や弟子の方が数多くおられます。わたしが今欲しいのは、川路利良に関する資料・情報でありますが、これは警察庁・警視庁に行って提供を受けなければなりません。そうすると、川路利良を厳しく批判することはできなくなります。第一、「どういう目的で書くのですか」などと聞かれ、川路批判論文を書いた私には、警察はなかなか情報を提供しないでしよう。

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2007年7月 4日 (水)

千駄木庵日乗七月三日

朝は、父のお世話。

午前十一時、先輩の事務所訪問。懇談。

午後は、同志の事務所訪問。懇談。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆。

          ○

安倍晋三氏と小沢一郎氏とは与野党の党首同士として敵対関係にある。安倍氏の祖父岸信介氏が安保改定を推し進めた時、衆議院の安保特別委員長としてこれに協力したのが、小沢氏の父小沢佐重喜氏である。この時、小沢佐重喜氏は左翼革命勢力の攻撃にさらされ、湯島にあった自宅にもデモ隊が押し掛けるような事態になった。小沢一郎氏は、父の苦労を見ていたので、岸氏に対して特別の思いがあると思われる。だから、小沢氏はその著書で「戦時中の指導者が戦後政治の中枢に戻ったことは納得がいかない。無責任である」という意味のことを書いた。しかし、戦後日本の復興は戦前の世代の人々の努力によるのである。また、小沢氏の主張を突き詰めれば、昭和天皇退位論にもつながるし大東亜戦争否定論にもつながる。

さらに小沢氏は、今日のテレビで「安倍内閣は国家主義的体質を持つ」という意味のことを言っていた。

小沢氏は、父親が自民党の代議士だったから自民党の政治家になっただけで、その本性は本当の意味の保守政治家ではないようである。それは加藤紘一氏と通じるところがある。真正保守を「国家主義」と断じて非難するのは、社民・共産となんら変わらない。小沢一郎を首班とする政権の誕生は亡国への道である。

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2007年7月 3日 (火)

千駄木庵日乗七月二日

午前は、父のお世話。

午後は、両親の老人保健のことなどの相談のために文京区役所に赴く。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務など。

          ○

最近、台湾独立運動家にして在日台湾人の方からお手紙をいただき、「いかなる『口実』があろうがテロを認める訳にいきません」とのご意見の開陳があった。

テロという言葉は正しくは「テロル」と言い、ドイツ語である。「暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって政治的に対立するものを威嚇すること」というのが辞書による定義である。

したがって、我が国における「天誅」「天に代りて不義を討つ行為」と「テロ」が全く同じであるとは言えない。

一般論として暴力は肯定されるべきできないことは当然であるが、政治変革がいわゆる「暴力的手段」によって行われてきた歴史があることは事実である。

李登輝氏が主導した台湾民主化は、一滴の血も流さずに行われたことは確かである。しかし、国民党政権の権力者であった蒋経国・謝東閔両氏に対する台湾独立運動家によるテロが、国民党独裁政権を脅かし、李登輝氏などの台湾人が台湾政治の中枢に参画する大きな原因であろう。故に、蒋経国氏に対するテロを行った黄文雄氏(日本で活躍されている黄文雄氏とは別人)は、民主化後、総統府国策顧問となったのである。

政治変革を断行するためには、テロを全く否定することは残念ながらできないと私は思う。ただしそれは、自分の意見と異なる人に対して滅多矢鱈に「暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって威嚇すること」を肯定するのではない。

小生にお手紙をいただいた台独運動家の方は、我が国においてかなり過激なことを言われている方なので、少しく違和感を覚えた。

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2007年7月 2日 (月)

千駄木庵日乗七月一日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して資料整理・書状執筆など。

          ○

中曽根康弘氏が、宮澤喜一氏の追悼番組で、政治家特に総理大臣は「運」に左右される、という意味のことを言っていました。総理経験者としての実感なのでしょう。小泉前総理は、実に運が良かったと思います。ピンチに見舞われてもそれをうまく切り抜け跳ね返してきました。ところが、安倍総理は、どうも運が悪いように思われます。閣僚の失言の連続・自殺、そして年金問題など、相次いで「不運」と言ってよいことが起こっています。安倍氏は何とかめげずに頑張っていますが、大変だと思います。

野党の民主党は調子に乗って安倍総理・政府批判を行っていますが、彼等に政権をまかすわけにはいきません。参院選挙で、与野党が逆転し、政治が混乱して、総選挙となり、民主・社民・共産の連立政権ができる危険があります。権力亡者の小沢一郎は、沖縄の選挙で反米・反基地の社民・共産とも手を握りました。彼は国家の将来とか、国民の安全と幸福とかよりも、自民党憎しの思いに凝り固まり、自民党からの権力奪だけが目的なのです。こんな政治家が総理になることは食い止めねばなりません。

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2007年7月 1日 (日)

千駄木庵日乗七月一日

午前は父のお世話。

午後は書状執筆など。

午後六時より、神田学士会館にて『憲法講話会』開催。平成国際大学の渡辺謙一氏が、「表現の哲理より見たる宮務法と国務法について」と題して発表。その後、全員で討論。

「国家とは自主的普遍我であり自ずからなる一心同体である。普遍我は集合我ではない。これは長い歴史の経過の中で育まれる。」「人為国家と自然に出来た国家とは異なる。」「アメリカはネーションが作られる前にステイトが作られた。アメリカには國體があるのか」「アメリカの市民宗教が、日本で言えば国家神道。アメリカ市民宗教の教典は合衆国憲法。」「ネーションは民族の独自性に立脚し、普遍性はない。」「アメリカ合衆国国民はいても、ルーツが異なるからアメリカ人として一つにくくれない。」「イギリスでは個人としての女王とクラウン(王冠)戴き王座にいる女王とを区別している。お城に女王が入ると、それまで掲揚されていたユニオンジャックは女王旗に変わる。」「政教分離とは、チャーチと権力の分離であって、レリジョンとネーションの分離ではない。アメリカ大統領就任式には牧師が来るし聖書に手を置いて宣誓する。」「現行日本国憲法は権力国家観に基づいている。嘘が書かれてあり、建国の精神が書かれていない。故に裁判官・検事・官僚・公務員が利益と権力を優先させるのは当然。」などということが論じられた。

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政教分離などという現行占領憲法の規定は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体君主国家日本の國體に全く合致しない。このような規定のある憲法を戴いているから、我が国の道議が頽廃し、凶悪にして陰惨なる犯罪が日常茶飯事となっているのである。

日本伝統信仰・祭祀宗教たる日本神道が日本民族の道義の根幹である。ところが現行占領憲法が、天皇の祭祀・神社神道を一般の宗教法人と一緒くたにしている。これが根本的誤りなのである。日本国といふ信仰共同体の根幹が神社であり祭祀である。そのことは、一宗教法人・教団宗教が政治権力を掌握し行使することはは全く次元が異なるのである。

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帰宅後、諸雑務。パソコンの具合が悪くなる。

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