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2007年6月30日 (土)

千駄木庵日乗六月二十九日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後十二時より、赤坂の日本財団ビルにて、『日本的価値の発見と発信』と題する「東京財団政策懇談会」開催。登壇者の発言は次の通り。

〈阿曽村智子さん〉「地球的規模で価値観が変わり、これまで絶対的だったものが相対的になっている。一九〇〇年に国際社会に日本のアイデンティティを知ってもらうために、新渡戸稲造は『武士道』を英文で書いた。日本人は死を意識するところに生き、生命の輝くところに生き甲斐を見出した。明治時代は西洋文明を相対化しつつ受容したが、その後欧米の価値観を絶対化するようになりそれを今も引きずっている。『アジア的人権』という言葉があるのは、人権が近代西洋的価値観だという前提があるからだ。日本が特殊だという見方自体、西欧近代の尺度に合わせている。日本の広報活動・文化交流政策に問題がある。IT社会の情報戦略で日本は遅れている。日中の歴史問題でも、中国側に有利な情報が限りなく流れ、日本の主張は出てこない。日本のソフトパワーは『文化』。中南米では日系人が大変尊重される。『神道』は日本の基層文化であり、自然観・世界観である。祖先信仰であり、国土に対する畏敬の念である。京都はひどい状況。近代的なものが昔ながらのものを壊している。文化を大事にすることによって経済も良くなる。」

〈河東哲夫〉「日本政府の文化交流政策はお粗末。日本と中国とは感性も価値観も異なる。経済は日本の方がはるかに健全。民主化は中国に任せればいい。中国が安定して日本のものを買ってくれればいい。北東アジアで安全保障を集団的に話し合うメカニズムは必要。」〈伊奈久喜氏〉「東アジア共同体は疑問。ひとかたまりにして進めて行くのは無理だし反対。自然のままに任せて行くしかない。」

帰宅後は、諸雑務及び資料整理。

        ○

今日の勉強会では、睡魔に襲われて困りました。昨日の睡眠が足りなかったからでしようか。私は、大体一日六時間は寝ることにしていますが、昨日は深夜まで仕事をしていて五時間少ししか寝ないまま、朝から忙しくしていましたので、眠くなったのだと思います。それでも何とか、大事なところはメモがとれたかと思います。

日本国内で、歴史問題で日本は基本的に間違ったことはしていないといくら正論をぶっても、また日本文化の優秀性をいくら認識し自覚しても、それを海外に伝えなければ、これからの国際社会で日本に対する正しい評価を得ることはできません。政府・外務省などはもっともっとも努力すべきであります。また民間においても出来得る限りのことはすべきだと思います。

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2007年6月29日 (金)

千駄木庵日乗六月二十八日

午前は訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後二時より、荻窪の教育創造研究所(菅家一比古代表)にて『しきしまの會』開催。小生が、「やまと歌」について講義。質疑応答。この会は、今月から毎月第四木曜日に開催されることとなった和歌の勉強會です。名歌の鑑賞及び歌会を行います。

帰宅後は、諸雑務及び資料の整理。

           ○

宮澤喜一元総理が亡くなりました。護憲安保体制・戦後体制を作り守り永続させようとしてきた政治家です。護憲安保体制とは、現行占領憲法を墨守し、国防・軍事はアメリカにおんぶに抱っこで経済繁栄を維持するという体制です。はっきり言えば日本はアメリカの占領下・属国であればいいという体制であります。「吉田ドクトリン」とも言われるようですが、吉田茂氏は自主憲法制定を望んでいました。

宮澤氏の姿勢は、戦後体制打倒・自主憲法制定を期した岸信介氏とは正反対の立場と言ってもいいと思います。中曽根康弘・田中角栄はその中間と言ったところでしようか。

宮澤氏の子分・後継者が河野洋平であり加藤紘一です。この二人は、仲は悪いのですが、媚中政治家の典型であり、教科書問題や慰安婦問題などの歴史問題でも禍根を残す政治判断を行った人物であります。宮澤内閣における教科書問題・慰安婦問題での誤った決断が今日大変な禍根を残しているのです。

ご冥福は祈りますが、宮澤氏は大蔵大臣・経済企画庁長官・自民党政調会長くらいでとどまっいた方が良かったと思います。ニュースに映っていた羽田孜氏も体の具合が相当悪いように見受けました。この羽田氏や海部俊樹氏は小沢一郎に「軽くてパー」とか言われて

使い捨てられた人物です。

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2007年6月28日 (木)

千駄木庵日乗六月二十七日

午前は父のお世話。

午後は、今夜の『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究會』開催。『萬葉集』巻十三・作者未詳歌を講義。

帰宅後は、明日の『和歌文学講座』の講義の準備。

           ○

安倍晋三総理は米下院外交委員会が従軍慰安婦問題で日本政府に公式謝罪を求めた決議案を可決したことについて「米議会の決議だからコメントするつもりはない」と述べるにとどめた。あまりいきり立つことなく、この程度の対応をしたことは賢明だったのかもしれない。しかし、それは何の反論もしないで良いということではない。まして虚構やデマを放置したままで良いということでもない。

平成5年の河野洋平官房長官談話を継承する立場を重ねて強調したのは全く間違っている。『河野談話』は慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などと日本の軍や警察による強制連行を事実として認めた内容だ。しかし、石原信雄官房副長官(当時)の証言によると、「関係各省庁が国の内外で徹底調査したが、政府や軍が女性の強制連行を指示したような文書や証拠は一切なかった」という。強制性を認めたのは、韓国政府の強い要請で河野官房長官、宮沢喜一首相(当時)が政治判断した結果だったという。

いま政府のなすべきことは、徹底的に事実を検証し、「強制連行」などという虚構・デマを粉砕し、『河野談話』を政府として公式に撤回することである。『河野談話』の白紙撤回を求める運動は実に時宜を得た運動である。

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2007年6月27日 (水)

千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後は、二十七日の『和歌文学講座』の講義の準備など。

午後六時半より、九段会館にて、『米田建三総決起集会』開催。伊吹文明・中曽根弘文・小島敏男・中野清・秋元司の各氏らが挨拶した後、米田建三氏が熱弁を振るった。

帰宅後、諸雑務。

             ○

今回の参院選は、維新政党新風は言うまでもなく、自民党からも多くの真正保守の人々が比例区から立候補しています。一体、誰を応援し投票すればいいのか、迷います。実際の選挙運動では、長年の同志・魚谷哲央氏が党首をつとめる維新政党を応援したいと思います。米田氏も、古くからの友人同志ですので、何とか頑張って当選してもらいたいと思っています。

何回も書きますが、今の民主党を中心とした社共を含む「野党連立」だけは阻止しなければなりません。年金問題の根本原因は、民主党の支持母体である自治労の怠慢にあるのです。民主党のやるべきことは、野党として政府を監視し批判することは必要ですが、まず自治労に反省と改革を迫ることです。

日本の教育を荒廃させた元凶は日教組です。これも民主党の支持母体です。レスビアンの女性まで公認するのが民主党です。

さらに、これは何回も書きましたが、歴史問題で反日国家の手先となっているのか民主党です。こんな政党に政権を取らせてはなりません。

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2007年6月26日 (火)

千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、父のお世話など。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『マスコミ総合研究所研究會』開催。河崎真澄産経新聞社前台北支局長が「李前総統の見た日本と日本人」と題して講演し、「同じ日にホテルオークラに安倍総理と李登輝前総統がいた。ニアミスがあったのか、エールの交換があったのか。李氏は『靖国神社でいただいた落雁を帰国したら父の位牌に捧げる』と言った。李登輝氏の靖国神社参拝の事実は、日本人の心の中の靖国神社の存在感と、周辺諸国の靖国神社への考え方をどう変えたのか。人間としての家族への情愛を身を以て示したので、マスコミも周辺諸国も何も言えなかった。李氏は『現在の台湾は後藤新平が築いた基礎の上にある』と言った。また、『武士道は実践躬行することで完成する』『一滴の血も流さずに独裁体制から民主体制に変革することができたのは誇りである』と言った。さらに『日本人は公を大切にし、中国人は私を大切にする』と言った。これは、『夫人を重要なポストに就けた陳水扁氏への批判か』と台湾のマスコミは報じた。山形の山寺では、山が瑞々しく美しいと感激した。山が瑞々しく美しいことが国力にとってどれだけ重要かを李氏は知っている。中尊寺は『李登輝氏を特別待遇したり、歓迎するようなことをしたら、今後一切、中国の寺院との交流をさせない』という中国の圧力に屈して李登輝氏を一般参拝客として扱った。高齢者なら車で本堂近くまでいけるのに、通常の駐車場までしか車での進入を許さず、八四歳の高齢者を延々と続く坂道をわざわざ歩かせた。一般の高齢の参拝者が受けることのできる便宜さえ、中尊寺は拒んだ。李氏はこれに対して、『何の問題もない。一般の人と一緒で良かった。』と言った。人間が大きく温かい。私は日本の自衛隊と台湾の軍とはかなり高いレベルで非公式のチャンネルがあると想像している。しかし有事の時それが機能するかどうかは不透明。」と語った。

小田村四郎氏は、「南部宮司によると、李登輝前総統は正式にお祓いを受け、二礼二拍手一拝の神道方式で参拝したという」と述べた。

帰宅後は、水曜日の『萬葉古代史研究會』における講義の準備など。

               ○

私が台湾を訪問した時、台湾の国民党や政府施設には孫文の「天下為公」という言葉がよく掲げられていた。北京の中南海の入り口には「人民の為に服務せよ」という標語があった。こういう標語を掲げなければならないということは、支那の権力者は天下を私物化し国民のためではなく自分のために権力を利用するからである。孫文夫人宋慶齢・蒋介石夫人宋美齢・毛沢東夫人江青など、支那の権力者の妻はみな政府の要職につき権勢を振るった。日本では考えられないことである。

中尊寺の対応は日本の恥である。今東光和尚がまだ存命で住職だったらこのようなことはしなかっただろう。唐招提寺も、江沢民が来日し唐招提寺に行った時、失脚した胡耀邦が来日した時に植えた樹木を取り外した。

今の日本に李登輝氏に匹敵するような大政治家はいるだろうか。李氏は、戦後半世紀、国民党独裁政権下において支那人と闘い、さらに総統として共産支那と戦い続けた政治家である。それだけ肝が据わっているということであろう。

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2007年6月25日 (月)

千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、父のお世話。

午後二時半より、代々木八幡区民会館にて、講演会「ノー!コリア 韓国への反論がここから始まる」開催。登壇者の主な発言は次の通り。

〈西村幸祐氏〉「日清戦争の意義は『華夷秩序』の破壊。李氏朝鮮は支那の属国だった。日本は聖徳太子の時代から『華夷秩序』から脱却。この二・三年の状況は日清戦争前の状況になっている。東アジア共同体構築の動きは『華夷秩序』構築であり非常に危険。昭和五十七年の『宮澤官房長官談話』は中韓の反発に迎合した。米下院の『慰安婦決議』に対する意見広告は、アメリカに対して正面切って反論したもので、非常に効果的だった。反日プロパガンダに対抗するには、メディアの嘘の報道を排していくことが大切。偏った情報と報道が支配している。まず日本のメディアを疑うこと。そしてリアクションを起こして行くことに尽きる」。

〈米田隆司氏〉「差別と偏見は、朝鮮人への長年の恐れ・怨嗟・不信の表れ。在日の多くは日本人と同じように政治に無関心。一つの特権を許すとその特権を利用した横暴をも許してしまう。在日特権の回避のために、それなりの手続きをとって我々の内側の人間になっていただくことが必要。『この国になじめなければ母国に帰ってくれ』と言いたい。日本の政治を仕切るのは日本人である」。

〈村田春樹氏〉「日清戦争の日本の勝利によって韓国は独立し大韓帝国となった。十三年後、『日本と合併してくれ』と言って来たから合併した。法的に日本臣民となり、国境がなくなったから、韓国で差別されていた多くの人々が日本に渡って来た。日本は朝鮮半島の水田・米生産量を二倍にした。小学校・発電所などを建設した。日韓併合は愚行だった。莫大な金を使って反日国家を作った。そのお金を軍事費に使ったらアジアは変わった。民団は帰化する人が増えて、人数が減っている。民族のアイデンティティを維持するために『反日』しかない。しかし、帰化した人も民団の団員として認めるようになった。民団の綱領を守る人が日本国籍を有して国政に関与するようになる。彼等は日本の憲法を守るのか、韓国の憲法を守るのか。日本が改憲し国軍を持ち毅然とすれば、朝鮮人は日本につく」。

〈秦郁彦氏〉「慰安婦問題ははじめから政治問題で、事実や論理とは離れた次元で動いている。『ニューヨークタイムス』は反日的。東京支局は朝日本社の中にある。官憲による組織的強制連行はなかった。一人もなかったと断定して良い。新聞広告で慰安婦はいくらでも集まった。アメリカは自分の国が世界の文明国で最後まで奴隷制を持っていた国だから『性奴隷』という言葉を使う。実態は日本の遊郭と同じであろう。沖縄戦で手榴弾を持たせたのは攻撃のためであって自決用ではない。そもそも手榴弾は攻撃のためのもの。怪しい話には疑問を持ち、調査することが大事」。

帰宅後は、二十八日に、教育創造研究所で行われる「和歌文学研究会」での講演準備。

             ○

戦後半世紀以上も経過しているのに、支那と南北朝鮮が過去の歴史問題で事実無根のデマで日本を責め立てて来るのは、日本を押さえつけて、彼等の属国にしようとしているからである。支那は「大中華」であり朝鮮は「小中華」であるとし、東夷(東の野蛮人)である日本をいじめ、迫害し、支配下に置くのは当然と考えているのだ。わが国は絶対にこのようにことを許してはならない。しかるに、日本国内に、支那・朝鮮の手先となって彼等の言いなりになる輩がいる。内外の反日勢力に対して徹底的に戦いを挑まねばならない。反日メディアと菅直人・岡田克也など民主党の反日政治家を許してはならない。

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2007年6月24日 (日)

千駄木庵日乗六月二十三日

朝、父のお世話。

午前十時より、大田区の平和の森会館にて行われた『故高橋昌幸氏本葬儀』に参列。

帰宅後は、書状執筆、来週水曜日に行われる『萬葉古代史研究會』における講義の準備など。

           ○

赤尾敏先生は私の尊敬する人物のお一人でした。亡くなられた故衛藤豊久先輩も赤尾先生を尊敬していました。衛藤先輩から伺った印象に残るお話を書いておきたいと思います。昔は、国政選挙では立候補者が次々と演壇に立って政見を訴える立会演説会が行われました。参議院の東京地方区の選挙の時、演説会場の立候補者控室で、当時の日共議長・野坂参三が赤尾先生に話しかけて来て、「赤尾君。君は僕が戦争中、中国にいて日本に鉄砲を向けていたと言うが、僕はそんなことをしていないよ。それより、公明党の黒柳明は僕のことを老いぼれと言うんだよ」と言いました。赤尾先生は「そんなことを言うのか。けしからん」と答えて、それから赤尾先生はずっと演説で黒柳批判をするようになったそうです。

その道一筋何十年という人は立場や思想が異なっても、お互いに相通じるところがあったのかもしれません。それにしても、昔は、政治の世界のみならずどの世界の人でも、今日の人々と比べると、魅力があるというか、風格のある人が多かったように思います。

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2007年6月23日 (土)

千駄木庵日乗六月二十二日

朝、父のお世話。

栃木県足利市にある栗田美術館に赴く。栗田美術館は、元衆議院議員の故栗田英雄氏が蒐集した伊萬里、鍋島のコレクションを土台として昭和43年10月1日に開館された美術館。館長代理をされている熊沢正幸氏のご招待とご案内により見学させて頂いた。

広大な敷地に、本館・世界陶磁館・歴史観・阿蘭陀館などの建物が点在し、数多くの磁器が展示されている。色絵馬置物・婦人座像・桜花酒宴之図蓋付大壷・染付鹿之子地紋鶉粟図大皿・青磁などを見る。

江戸時代の作品が多かったのですが、色彩もデザインも現代の作品がと思える古さを感じさせないものでした。伊萬里は日本で最初に作られた磁器で、オランダ東印度会社によって西欧に輸出され、日本はもとよりヨーロッパ、アジアの人達に最も愛され親しまれたものだそうです。

個人の力で建設されたこれだけの規模と内容の美術館を見たのは初めてでした。梅雨の濡れる山の木々も大変美しく、心安らぎました。政治運動・言論活動をしていますと、ついつい他人さまの批判や世の中に対する悲憤慷慨の思いで日を送ることが多くなります。しかし、こうして時々美術館や博物館を見学することによって心がいくらかでも安らぐことを念願しております。熊沢氏のご厚意に衷心より感謝申し上げる。

帰宅後は、書状執筆など。

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2007年6月22日 (金)

千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、父のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、萬葉集作者未詳歌を講義。

帰宅後は原稿執筆。

           ○

数多い週刊誌の中で、私が毎週必ず購入するのは『週刊新潮』です。取り上げるテーマも、適切なものが多いし、内容もなかなか優れていると思います。今週号も、朝総連架空取引問題や社民党の又壱幹事長の不祥事など興味深い記事がありました。創価学会追及を行っているのも、今や『週刊新潮』のみと言ってよい状況です。

わが国は「言論の自由」は保障されていると言われますが、果たしてそうでしょうか。私などですら、自分が取り上げたいことを自由に書けるかというとそうでもない場合があります。私が出している『政治文化情報』には何でも好きなことを書いていますが、そうでない媒体には、警察批判や創価学会批判を書こうとすると、「遠慮してもらいたい」と言われる場合があります。

私はその雑誌が本当にまともな雑誌かどうかを判断する基準を「創価学会批判をきちんとしているか、創価学会の提灯記事を書いていないかどうか」にしています。

テレビの報道姿勢特にワイドショー番組は腹が立つことが多いのは事実です。テレビなどは「右翼とヤクザは一体だ」とか「反社会的勢力だ」という批判をしますが、それでは、テレビは芸能界とヤクザの関係を本当に厳しく追及しているでしようか。全然していません。また、大手芸能プロに対する批判は全くやりません。にもかかわらず、弱い相手に対しては、マイクやカメラで追い回しています。これを「弱い者いじめ」と言います。こういうことがどれだけ青少年に悪影響を及ぼしているか、計り知れないと思います。

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2007年6月21日 (木)

千駄木庵日乗六月二十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、資料整理、明日の萬葉集講義の準備。

           ○

昨日と今日、貴重なメールを頂いた。

ある国会議員からのメールには、朝鮮総連東京本部の建物敷地の所有権移転登記が発覚事件について、「所有権移転登記を受けた者が、元公安調査庁長官であり検察の最高幹部の一人であった…公安調査庁の要調査対象団体は、朝鮮総連である。この公安調査庁の元長官が、名義移転を仮装してまでも朝鮮総連本部を保全することが社会正義であるかのように記者会見で説明している。公安調査庁の要調査団体であるかつてのオウム真理教の本部は信者の拠り所であるから、それを保全することが社会正義であると、元公安調査庁長官が思い込んでいるのと同じではないか。このような事態において、公安調査庁の情報が朝鮮総連に筒抜けだったということを誰が否定できるのか。公安調査庁は、政界からは勿論、あらゆる情報を集めている。各政治家の思想傾向、地元や各所の集会で話していた内容、私的交友関係など。この情報を公安調査庁から受けた朝鮮総連が、あの責任副議長の指揮の下で効率的な政界工作を行っていたとすれば、我が国政界で長年拉致問題が封印されていたカラクリも説明がつく。社会保険庁の解体どころではない。我が国の情報収集機関の存在意義の崩壊である。公安調査庁は無用なのではなく、もはや国益に反する機関になり果てているのではないか。我が国の存立を危うくしかねない事態ではないか。この度の登場人物が垣間見せてくれた闇は、ここまでの危機につながるのではないだろうか。」と書かれていた。

あまりにも重大な指摘であるので、ここに引用させて頂いた。この指摘が百パーセント当たっているとすれば、国家国民のためと思って真面目に情報収集活動をしている職員にとって、これほどの悲劇はない。また、国民の協力も得られなくなるであろう。そういえば日経新聞の記者だった人が北朝鮮で拘束された時、北の当局者が日本の公安情報を把握していた、ということを書いていた。

またある神道学者からのメールには次のようなことが書かれていた。「皇統について本音を申せば、『論議の他である』。神代の昔、日本国の肇国のはじめから皇祖の御神勅により決ってをることで、天地と共に永続が約束されてゐる。但し、初代神武天皇も皇兄がお三方、お亡くなりになってをられる様に、その継承は形を変へて並々ならぬ苦難の連続である。全国民が必死になって永続を祈り、努力して来た歴史が日本であると言っても過言ではないであらう。結論を申せば、占領軍が勝手に制定した、現行の憲法・皇室典範・東京裁判は、国際ルールに従ひ、すべて『無効』であることを政府が宣言すべきである。しかして、皇位継承は、今上陛下ご臨席の許に皇室関係者が集ひ協議して、決裁されるべきものであって、わけのわからぬ門外漢や非有識者などの『さかしら』を介入させるべきではない。 日本国に成文法としての憲法・皇室典範は不要である。英国やアラビヤ諸国の例を出すまでもないが、同様に、いや、それ以上に神代以来の立派な不文法が厳然としてある。御神勅をはじめ、御歴代の詔勅と歴史・伝統がその実態である。明治憲法にしても、日本国自体としては不要であった。然し、列国との不平等条約の解消の為には、法治国家としての体裁を整備しなくてはならない必要上から已む無く制定されたものである。一例を挙げれば、旧憲法第三条には本来の日本語でない、ワイマ-ル憲法直訳の無理な表現があることからも判明する。」

ほぼ同感です。小誌「政治文化情報」今月号に、小生も同様のことを書かせて頂きました。

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2007年6月20日 (水)

千駄木庵日乗六月十八九日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

夕方、知人と懇談。

帰宅後資料整理。

            ○

米下院外交委員会は18日、いわゆる「従軍慰安婦強制連行問題」でわが国政府に対して「明確に歴史的責任を認め、首相が公式に謝罪するよう求める決議案」を26日に採決する日程を固め、同委員会での可決は確実な情勢だという。

わが国の国会議員有志や言論人などが、今月14日付の「ワシントン・ポスト」紙に「」強制性を示す文書はない」とする全面広告を出したことが、逆に採決を促す要因になったという。その広告には「1945年に占領軍当局は、米兵による強姦を予防するため慰安所の設置を日本政府に要請した」とあり、これが反発を招いたという。

まったく困った事態である。「慰安婦強制連行」などというのは、内外の反日勢力による全くのでっち上げであり事実無根である。事実無根のことを何故わが国政府が謝罪しなければならないのか。アメリカ議会においてこのような決議案が採択されたら。わが国もまた、アメリカ政府に対して、「原爆投下・東京大空襲などの無差別夜間絨毯爆撃という戦争犯罪・大虐殺謝罪要求」の国会決議を断行すべきである。これは事実無根ではない。まったくの事実である。

一体、アメリカという国はこれまで何をやってきたのか。それを考えれば日本政府に対してこのような謝罪要求決議など行う資格はない。北米大陸の先住民を殺戮し迫害し、アフリカから多くの民衆をまさに強制連行して奴隷としてこき使い、建設した国がアメリカ合衆国である。

そして、ハワイおよびフィリッピンを侵略支配し、日本に対して戦争を挑発して敗戦に追い込み、太平洋における覇権を確立したのである。フィリッピンにおいてはダグラス・マッカーサーの父親のアーサー・マッカーサーは、抵抗するフィリッピン人を何と二十万人も殺したのである。

このような血塗られた歴史を持つ国が、歴史問題しかも事実無根のことで日本に謝罪を求める資格は毛筋の横幅ほどもありはない。

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2007年6月19日 (火)

千駄木庵日乗六月十八日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、母と共に父のことで医療専門家の方と相談。

その後在宅して、資料整理・書状執筆など。

           ○

 公明党副幹事長の福本潤一参院議員が、15日、引退を余儀なくされたとして「公明党は全体主義的だ」と批判するとともに、離党届を提出したことを明らかにした。その上で公明党について「所属議員の意向を聞かずに政策が決まる。ヒューマニズムを標榜していても全体主義的で、アンチヒューマニズムな政党だ。これ以上一緒にやりたくない」と批判した。
しかし、公明党創価学会が池田大作を絶対者とする全体主義集団であることはとっくの昔から分り切ったことである。今さらそのようなことを言って公明党を批判するのはおかしい。福本氏が創価学会員であるのかどうか知らないが、全体主義集団に属し、その推薦と公認を得て政治家になった事実をまずもって自己批判すべきである。

 公明党の北側一雄幹事長は緊急の会見を行い、「裏切り行為、利敵行為そのもので、断じて許されない」と福本氏を厳しく批判し、「全体主義的」との批判については「どこの政党もすべて自分の意見が通るわけではない。わが党は民主主義政党だ」と反論した。

内部の造反者に対して「裏切り行為・利敵行為」と断じて批判するのは、全体主義集団特有の体質である。いわゆる「裏切り者」・客観的に言えば、内部批判者に対して、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけているのが公明党・創価学会であり、そのような組織が民主主義政党であるはずがない。

 福本氏は今年に入り、民主党の小沢一郎代表や鳩山由紀夫幹事長と数回面談し、民主党からの出馬を希望したが、受け入れられなかったという。これが事実なら、民主党もだらしがない。民主党が本当に自民・公明連立政権を打倒したいのなら、福本氏を受け入れるべきである。ところが創価学会・公明党と全面的敵対関係になりたくないから、「窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず」という諺を実行できはないのである。

福本氏の思想信条からいけば、社民か共産党に行くのが筋であろう。ただし、共産党も全体主義集団である。。

公明党創価学会が、福本氏に対してどのような迫害を加えるか、今後の動向を注視したい。

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2007年6月18日 (月)

千駄木庵日乗六月十七日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、書状作成など。

午後六時より、大田区の臨海斎場にて、日本青年社前会長・故衛藤豊久氏の「日本青年社社葬」が執行された。山口申葬儀委員長の挨拶・犬塚哲爾氏などによる弔辞が行われた後、祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。

帰宅後は、書状作成など。

            ○

衛藤豊久氏は、民族運動のリーダーとして、尖閣列島魚釣島灯台建設など多大な功績をのこされた方です。運動における先見の明と統率力は特筆大書されるべきものがありました。

小生個人にとりましても、本当に良き先輩でした。昭和四十年代後半からのお付き合いで、色々お世話にもなりました。

一番の思い出は、衛藤氏の御供で台湾を訪問したことです。それは私にとって初めての海外旅行でした。昭和四十七年頃だったと思います。中華民国政府や国民党の機関をあまり訪問せず、衛藤さんの知人・友人の台湾の民間の人々と多く接触交流することができました。そして、「自由中国」という表看板とは異なる国民党政権の独裁政治の実態をよく知ることができました。

驚いたのは衛藤氏の友人の台湾人が大陸系の人々のことを「奴等」「チャンコロ」と言ったことです。それだけ反感を強く抱いていたということです。また酒場で呑んでいたら、隣の席にいた中年の台湾人が話しかけて来て「あなた方は日本の人ですか。私は元日本陸軍上等兵ですよ。日本語はお国に返しましたが大和魂はまだ持っています。台湾に女を買いに来る日本人より私の方が大和魂がありますよ」と言われたのには本当に感激しました。この台湾訪問によって、台湾独立こそが正義であると実感しました。

衛藤氏にはその後も色々お世話に相成りました。衛藤豊久先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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2007年6月17日 (日)

千駄木庵日乗六月十六日

朝は父のお世話。

以後、在宅して「政治文化情報」の発送準備、発送。購読者の皆様には、月曜日にはお届けできると思います。

          ○

最近、渡邉五郎三郎先生より御著書『佐藤一斎一日一言』、福永眞由美様より御著書『クジラ雲と夏帽子』をお贈りいただきました。

渡邉五郎三郎先生は、現代における数少ない真の意味の漢学者であられ、人格識見共にまことに立派な方です。人格と識見とが合致している方はなかなか少ないと思います。末次一郎氏の恩師で、戦後ともに国民運動を行われました。小生も色々ご指導を頂き、いつも、御著書をお贈りいただいております。佐藤一斎は徳川後期の漢学者で、その学問は、佐久間象山・横井小楠・西郷隆盛など多くの人々に影響を与えました。私の母校の二松學舎の学祖・三島中州先生も昌平黌で一斎に学びました。『佐藤一斎一日一言』は、一斎の珠玉のような語録が一年三百六十五日に配列された書物です。座右の書として拝読し、自らの反省の糧と致したいと思います。

福永眞由美様は、大東塾の創設者で昭和維新運動の指導者であられた影山正治先生のご息女であります。『クジラ雲と夏帽子』は、福永様の詩と絵とが収められたご本です。命の尊さ、愛の尊さを美しく描いた絵と詩はまことに素晴らしく、感動いたしました。眞由美様のご令息の福永武氏は、今日、祖父君の志を継承され真正保守運動・維新運動に精励しています。影山先生の歌心と維新者の精神が、お嬢様・お孫さまへと継承されている姿はまことにありがたいことと思います。

渡邉先生・福永様のご厚情に感謝いたします。この二冊の本により、わが心がいくらかでも清められることを念願いたしますと共に、人としての大事なことを学ばせて頂きたいと思います。

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2007年6月16日 (土)

千駄木庵日乗六月十五日

朝は、父のお世話。

午後十二時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団政策懇談会』開催。神保謙氏(東京財団研究員・慶応大学総合政策学部専任講師)が「東アジアの安全保障・台頭する中国をどう位置づけるか」と題して講演し、「日米安保・日米同盟を基軸にして他の国との関係がそれを補完するという路線が変化しつつある。地域紛争に根差すのではなく、他の地域のことに関しても同盟関係を機能させるグローバルな役割を果たす。グローバルな領域と日本の安全保障とをリンケージさせる。空間横断型・多層型の安全保障構造が浮上している。中国のアメリカ本土向けミサイルが戦略バランスを変える。中国による独自の政治経済ブロックの形成への懸念がある。PKOにおける中国の存在感が強大になっている。国際安全保障協力で日本は中国に劣っている。アーミテージでさえ、『日米対中国の構図でアジア安保を見るのは望ましくない。インド・オーストラリアなどの国々を囲い込み、その先にある中国との協力範囲を広げて行く』と書いている。同盟関係ではなく対立がある限り、ヘッジはロジックとして持っていなければならない。東シナ海の海軍空軍のバランスはどんな状況でも保っていなければならない。数年経てば中国のミサイルはアメリカに届く。日本は、日中間でヘッジが機能しなければ日本はなめられる」などと語った。もっと多くのことが語られたのですが、アジア太平洋安全保障会議の事務局員として走り回っていたと言われる少壮学者だけあって、英語が堪能らしく、横文字を多く使われたので、英語が全く不得意な私は困りました。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

            ○

軍事・政治・経済面での支那の台頭は、日本にとって脅威であります。しかもそれに「過去の歴史問題」というのが絡むのですから、厄介です。お互いに感情的対立が激しくなりると、どういうことになるのか心配です。「日中国交樹立」以来、日本は散々支那の経済発展に協力させられたのに、今や、支那は日本に対して敵対的姿勢をとっています。そのことが許せないのです。「感情的になるな」というのが無理な話のように私には思えるのです。大体日本のお陰で経済発展したのに、自分たちが力をつけたら居丈高になって日本を脅して来る態度は絶対許し難いと思います。

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2007年6月15日 (金)

千駄木庵日乗六月十四日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、診療所と薬局に赴く。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

           ○

朝鮮総連の中央本部土地と建物の所有権が、弁護士の緒方重威元公安調査庁長官が代表取締役を務める投資顧問会社に移転登記され、元日本弁護士連合会会長の土屋公献弁護士が朝鮮総連側の代理人になっていたというのはどう考えても納得がいかない。朝鮮総連が我が国の法曹界にも相当深く食い込んでいるということか。公安調査庁は破壊活動防止法に基づき、朝鮮総連を監視し情報を収集する役所である。そのトップを務めていた人物が監視対象の団体の本部の建物を購入するなどということがあって良いはずがない。こんな譬えを書くと警察には悪いが、警察庁長官をつとめた人物が退職後天下って社長をしている会社が、売りに出た広域暴力団の本部の建物を購入したのと同じである。緒方元長官は、朝鮮総連の本部の建物がなくなると北朝鮮系の人々が棄民になるなどと言ったが、全くばかばかしい屁理屈である。朝総連の本部は大使館と同じだとも言っていた。公安調査庁長官だった人がこんな甘い認識だから、北朝鮮のスパイ活動・破壊活動を十分取り締まることができず、拉致問題が防げなかったのである。もう少し推移を見守らねばならないが、この事件は根が相当深いのではないだろうか。わが国の安全と治安の根幹にかかわる重大事である。

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2007年6月14日 (木)

千駄木庵日乗六月十三日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時半より、ある会合にてスピーチ。

帰宅後、「政治文化情報」発送準備など。

           ○

古代史家の中に、天孫民族とか、騎馬民族ということを主張し、あたかも、天皇・皇室の御祖先が外来の異民族であり、征服王朝であるかように説く人がいる。日本列島に異民族が渡来したことは事実であるが、基幹民族としての日本民族は悠久の太古より、日本列島に生活していたことは、日本語という言語が世界の特異な言語でることによって証明される。天皇・皇室は太古から日本に生きてきた日本民族の稲作生活から生まれた信仰の祭祀主であられる。皇室の御先祖が狩猟民族たる騎馬民族であるはずはない。天皇の祭祀の根幹なる新嘗祭・大嘗祭が稲穂の祭であることによってそれは明白である。また、高天原は海外ではなく、あくまでも天上である。天上への憧れは多くの民族に共通する。天津神が外国から来た神であり、国津神が土着の神であるということはあり得ない。海の彼方から来た異民族をおおらかに受け入れた歴史はあるとしても、皇室が外国からの征服者の子孫であるということは全くあり得ない。

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2007年6月13日 (水)

千駄木庵日乗六月十二日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

お昼は、知人と懇談。

午後以降は、名簿の整理など。

            ○

桶谷秀昭氏の著書『昭和精神史』に大変重要なことが書かれています。昭和二十年九月十一日、米憲兵隊が東條英機元総理逮捕のために東條邸に来た時、東條元総理は自決を図ったのではなく、МPの無礼な態度に憤った東條氏を、抵抗したと見た憲兵隊員が誤射したという説があるというのです。銃声が聞こえたからМPがドアを蹴破って入ったのか、МPが入ってから銃声がしたのか、その瞬間のはっきりした記録はないし、東條氏が握っていた銃がアメリカ製コルトだったというのも変だというのです。アメリカ軍の東條氏への反感は相当のものであったことを考えれば、この説はあながち否定できないと思います。

東條氏の『英米諸国人に告ぐ』という遺書には、「諸君の勝利は力の勝利にして、正理公道の勝利にあらず…如何に戦争は手段を択ばずと言ふとも、原子爆弾を使用して、無辜の老若男女を幾萬若くは十幾万を一気に麘殺するを敢てするが如きに至りては、余りにも暴虐非道と謂はざるを得ず」と書かれ、『日本国民諸君』という遺書には、「大東亜戦争は彼より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民自衛の為、已むを得ず起ちたるのみ」と書かれています。

歴史の真実を明らかにし、大東亜戦争がわが国の侵略であったという一方的に断罪を断固として否定し徹底的に祓い清めねばなりません。

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2007年6月12日 (火)

千駄木庵日乗漉月十一日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水會フォーラム』開催。木村三浩代表が挨拶。

鈴木邦男氏が「一水會三十年の歩みと使命」と題して講演し、「新右翼という名称は猪野健治氏が命名した。その言葉に呪縛された。学生運動出身者が多いので、運動の方法論で左翼の影響を受けた。左翼と戦いつつ彼等の組織論を学んだ。丸山真男の『企業に寄生し恐喝をしている連中が天皇を担いで偉そうなことを言っている』という批判があり、『我々はそうはなりたくない』という思いがあった。右翼に来る人は素直な人が多い。高校生の時、山口二矢氏の事件が起こった。山口二矢氏は私と同い年だった。母が信仰していた『生長の家』の機関誌で谷口雅春氏が山口二矢氏を評価しているのに驚いた。愛と赦しを説く宗教がなぜ評価するのかとパニックになった。神兵隊事件の白井為雄氏と会い、温和で理論家で蔵書が多いのに驚いた。サルトルの話などを聞き、帰りに、『本を買いなさい』とお金くれた。それまでの右翼のイメージが完全に崩れた。丸山の本を読んて抱いていた右翼のイメージとは違っていた。『腹々時計と狼』という本を書いたが、右翼から評価されなかった。猪野氏と野村秋介氏の二人が評価してくれた。今の改憲論は三島氏の改憲論とは異なる。色々な改憲論が出ているが、チャチ。今の憲法の前文の方が格調が高い。アメリカ製の憲法を改正したら、アメリカの言いなりになって外国に軍を出すことになり、国民の自由と権利は制限される。自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法の方が良い。我々の方から、自主憲法を作り出したい。」と語った。

帰宅後は名簿の整理など。

            ○

一水會は、鈴木邦男氏を中心として、毎月第一水曜日に開かれていた勉強会が発展して出来た組織です。私も創設当初より参加しました。鈴木さんは、生長の家の運動をしていた高校生時代からの先輩です。色々指導していただき刺激も受けました。四十年以上にわたる付き合いです。今日の講演もそうですが、なかなか刺激的なことを言うので、批判されることが多いのですが、よくよく彼の考え方を考察すると、そんなに間違ったことは言っていません。確かに、「読売改憲試案」「自民党改憲試案」はチャチです。アメリカから押し付けられた「三原理」を踏襲しているのでは真の自主憲法とは言えません。鈴木さんの改憲試案を楽しみにしています。

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2007年6月11日 (月)

千駄木庵日乗六月十日

午前は父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

以後在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

          ○

今日は強い雨が降ったり止んだりして、午後になると明るい青空が見えました。わが国は、湿度が高く、緑が多く、水も清らかです。台風が来て多くの被害をもたらしますが、地上の穢れを祓い清める働きをします。そして台風一過の晴天に恵まれます。

このようなわが國の風土が、日本人の柔軟にして強靭な精神力そして清潔さを好む性格を生んだと思います。日本人は自然を敵とすることなく、自然とよく調和して生きてきました。台風や地震などの自然の猛威に対してすらそれによく耐え忍んで生きてきました。

大東亜戦争の敗北という建国以来の大きな苦難を経験しましたが、短期間で力強く復興を遂げました。これも日本人が風土の中から培ってきた力によるものと思います。日本人は自然と対立し自然と闘い自然を憎むということはあまりないと思います。それと同様に、アメリカのどんな仕打ちをされても、戦争が終わってしまえば、「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」、「隷属の下」を「制限の下」などと言い換えて、憎んだり敵対したりしませんでした。それが日本人の長所でもあり、短所でもあると思います。

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2007年6月10日 (日)

千駄木庵日乗六月九日

朝、父のお世話。

午後十二時より、青山墓地の無名烈士墓前にて、『無名烈士墓前法要』執行。遺書奉読・読経・焼香・奉納演武・呼掛け人代表杉山清一氏挨拶・施主頭山興助氏挨拶などが行われた。この後、近くで直会が開かれ、多数の同志が侃侃諤諤・甲論乙駁の大議論を行った。

無名烈士とは、大正十三年に制定された米国のいわゆる「排日移民法」に抗議して、同年五月三十一日赤坂米国大使館裏において、割腹自決された方である。戒名を「雄心院義膽日忠居士」と申し上げる。

帰宅後は、原稿執筆。

             ○

わが日本民族は、いわゆる有色民族である。有色の反対語は無色である。しかし白色人種はいても無色人種というのはいない。どうも有色人種・白色人種という用語自体に問題がある。白人には、アジア・アフリカ・中南米などにすむ人々すなわちいわゆる有色人種を差別する意識がある。否、差別どころか、迫害し、圧迫し、搾取してきた歴史がある。そもそもアメリカ合衆国という国家自体、先住民族を迫害し殲滅し放逐し、さらにアフリカ人を強制連行して奴隷としてこき使って出来上がった国である。そしてわが国に原爆を落とし、夜間無差別絨毯爆撃を行って老人・女性・子供を含む無辜のわが国民を大量虐殺した国である。爆撃を実行した米軍パイロットはテレビで、「日本人は人間ではないと思って爆撃した」と語っていた。

白色人種の世界支配・侵略・搾取・蛮行に反撃しそれを食い止めアジア・アフリカ諸国に独立を勝ち取らせた戦いが大東亜戦争だったのである。

日本民族は誇りを回復し、かつて白色人種の世界支配からアジア・アフリカを救ったように、今日においてはアジアにおける最大の覇権国家・軍国主義国家たる共産支那のアジア侵略支配策謀を粉砕するために努力しなければならない。

今日の法要に参列し、そして成田空港における李登輝前総統へのペットボトル投擲事件を見て強くそれを思った。

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2007年6月 9日 (土)

千駄木庵日乗六月八日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して原稿執筆など。

            ○

今月の『月刊現代』はなかなか重大な記事が掲載されています。立花隆氏の護憲論は、戦後社会を「繁栄している」の一点でとらえて積極的に評価し、それを否定するような改憲に反対を表明しています。しかし、国家というものは繁栄していればいいというものではありません。今日の荒廃した国家のありさまを見れはそれは明白です。また、戦前の國體論をたった一人の学者の説だけを引用して天皇は絶対権力者であったなどと論じています。これは大きな誤りであります。天皇が絶対権力者であらせられたら、戦前の日本はもっと良い国になっていたでしよう。

また、別の鼎談記事で、「戦争状態の終結は昭和二十年八月十五日ではなく昭和二七年四月二八日だという主張」に対し、保坂正康氏が、「そういう歴史観だと、天皇のマッカーサーとの会見は、戦時中にも関わらず敵に妥協したとしか見えなくなる」などととんでもないことを言っています。軍事占領をされていること、軍事裁判が行われていることを、「戦争状態が終結していない」とするのであって、実際の戦闘はすでに終わっており、戦勝国の支配下に置かれた状況下において、天皇陛下が、敵の最高司令官と会見され、「一切の責任は自分にある。これ以上国民を苦しめないでもらいたい」と言われたことが何故、敵に妥協したことになるのか。保坂氏の考え方は全く間違っています。

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2007年6月 8日 (金)

千駄木庵日乗六月七日

午前は、父の介護。訪問看護師の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後五時より、虎ノ門のホテルオークラにて、『李登輝前総統・講演会と歓迎レセプション』開催。

李登輝氏が「二〇〇七年とその後の世界情勢」と題して講演し、「『奥の細道』探訪の機会を得て感謝する。靖国神社に赴き六十二年ぶりに靖国神社に鎮まる兄の御霊の冥福を祈ることができたことを心から感謝する。東アジアは大きく変貌している。日本の生命力・創造力を発揮してもらいたい。中国の中央集権強化が続き、台湾情勢は楽観できない。ブッシュ政権が弱体化し、米国に挑戦的な国が侵略的行動をとる。ロシアと中国がその代表。ロシアはユーラシアにおける威厳を取り戻そうとしている。ロシアはイスラム世界にアメリカとのトラブルの種を撒き,アメリカを阻害しようとしている。中国は深刻な金融問題を抱えている。沿岸と内陸の経済格差も深刻。農民にも土地を持たせようという共産主義ではあり得ない政策をやった。進歩と退歩を繰り返すのが中国の歴史。石平氏は『中国には儒教はなくなったが、日本には残っている』と書いている。私は二十二歳まで日本人だった。そしてその後六十年間中国人の中で中国人のやり方を見てきた。私が靖国神社に参拝したのは個人・家族の問題であり政治問題ではない。私は人としてやるべきことをやることができた。靖国神社が兄を祀ってくれたことに感謝する。」と語った。

この後、塩川正十郎氏の音頭で乾杯を行った。

帰宅後は原稿執筆。

              ○

近くで拝見して李登輝氏が風格ある人であることをますます実感した。現代日本の政治家にはこういう人はいないのではないか。また、いわゆる「親日政治家」の域を脱している人である。あるいは失礼な言い方かもしれないが、本当に日本が好きで、ある意味で日本人以上に日本人である。李登輝氏は支那人ではないことは確かである。日本の政治家は李登輝氏を見習ってもらいたい。今の日本の政治家で、「奥の細道」を探訪しようなどという人がいるだろうか。わが国に内政干渉を繰り返し、官製の反日暴動を起こさせ、靖国神社に罵詈雑言を浴びせかける共産支那よりも、台湾を大切にすべきなのは自明のことである。李登輝氏の来日とりわけ靖国神社参拝は非常に有意義であった。

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2007年6月 7日 (木)

千駄木庵日乗六月六日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

その後、原稿執筆。

午後六時半より、牛込の日本出版クラブ会館にて、『佐藤優さん大宅賞受賞祝賀記念パーティー』開催。新潮社の伊藤幸人広報宣伝部長が司会。鈴木宗男・宮崎学両氏をはじめ、岩波書店・文藝春秋・講談社・小学館など右は『月刊日本』の南丘喜八郎氏から左は『週刊金曜日』の編集長まで、多くの出版関係人々が祝辞を述べた。そして、佐藤優氏が挨拶を行った。

佐藤優氏とは、ある勉強会で初めてお目にかかり、極めて有意義なお話を伺った。佐藤氏は、大川周明・井上日召・高畠素之・権藤成卿など近代における日本主義・大アジア主義の思想家・理論家のことを実によく研究しておられる。佐藤氏は、「国益」と「保守」ということを強調しておられた。言葉の真の意味における「国益」は守らねばならないし、「保守」の姿勢は固守しなければならない。

一年以上も獄中におられたが、そこで外交官から思想家へと大きな変貌を遂げた人である。鈴木宗男氏も、佐藤優氏も、大変な苦労をしたが、見事に復活を遂げ、今政界と論壇において大活躍している。その生命力・バイタリティーに敬意を表する。私も言論活動をしている者として、見習いたいと思う。

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2007年6月 6日 (水)

千駄木庵日乗六月五日

午前九時半、父の治療のため、ある病院に赴く。訪問看護師の方と共なり。

午後は、ある相談窓口に赴く。

帰宅後は、原稿執筆。

           ○

富山県警の冤罪事件・枚方市官製談合事件における大阪府警警察官逮捕・愛知県長久手町の発砲・籠城事件における警察官殉職及び重傷警察官長時間放置・鹿児島県警の冤罪事件など、最近の警察不祥事は極めて深刻である。これまでに無かったことが次々と起こっている。否、これまでもあったのだが、露見しなかっただけなのかと勘繰りたくなるような状況だ。特に、冤罪事件において独裁国家や戦前の警察で行われていた肉体的精神的拷問・虚偽の自白強要が行われ、無辜の民を罪に陥れた事件は許すべからざることである。

法と証拠に基づいて犯罪を摘発しても、国民大衆がそのことを信用しなくなったら、日本国の治安は崩壊する。警察の劣化による警察への信頼の喪失は、国家社会の安定と治安維持を根底から揺るがすこととなる。その国の警察がまともに機能しているかどうかによって、その国が安定した国であり自由民主体制が確立している国であるかどうかが判然とする。小生の数少ない海外旅行体験によってもそれは実感できた。

川路利良初代警視総監は、「夫レ警察ハ国家平常ノ治療ナリ」という名言を残している。国家を内側から支える重要な使命を帯びる権力機関が警察なのである。警察の劣化は国家の劣化に直結する。

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2007年6月 5日 (火)

千駄木庵日乗六月四日

午前は訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時半より、平河町にて、「国体政治研究会」幹事会開催。今後の活動について討議。

                ○

日本という国は何という国でしょう。国家的危機であるというのに、年金問題で大騒ぎしています。確かに大問題ですが、こんなことは積年の余弊であって、安倍内閣のみを責め立てるのは全くおかしなことなのです。与野党ともに否、全国民的に知恵を出し合って根本的解決を図るべきことなのであります。

民主党は、これらの問題で、政権与党を責め立て何とか参院選で与野党を逆転させ、政治を混乱させて、総選挙に持ち込み、政権を奪取せんとしているのであります。

その結果どうなるのか。社民・共産両党を含めた連合政権ができるのです。そうなったら、日本はどうなるのでしようか。支那と北朝鮮による我が国への軍事的政治的圧迫をはねのけることはできなくなります。そういう事態になることを恐れます。ゆえに、自民党政権が打倒されたら、民主党内の良識派と自民党の良識派による連立以外に選択肢は考えられません。しかしそれはなかなか難しいと思います。

日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを本当に真剣に考えるべきであります。このままでは日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなります。

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2007年6月 4日 (月)

千駄木庵日乗六月三日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後一時より、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにて、『末次一郎さんの念いを語り、今を語り合う会』開催。

中曽根康弘・海部俊樹・宇佐美忠信・稲嶺惠一・川島廣守・衛藤瀋吉・上村文三・袴田茂樹など数多くの人々が末次氏の思い出と功績を語った。また全員が献花を行った。中曽根・海部両氏は末次氏を「国士」と讃えた。

帰宅後、「政治文化情報」の原稿執筆。憲法論について書いています。現行占領憲法は無効であるという理論は、青年時代、谷口雅春先生によって教えられました。最近、南出喜久治氏が、緻密な法理を駆使して無効論を論じています。このことについて小生のを思うところを書いています。

              ○

末次氏の七回忌に当たりこの催しが行われたのですが、各方面より、数多くの方々が参集し、末次氏の影響力の大きさと人柄が偲ばれました。

私は、昭和四十年代、まだ学生だったと思うのですが、後輩に日本健青会の活動をしていた人がいて、その人に誘いで末次氏が実質的に主催した「西銘順二沖縄自民党総裁歓迎会」という行事に参加し、末次先生にお目にかかりました。私の経験上、国士といわれる人、とりわけ自分のことを国士と思っている人には、傲慢な人が多いのですが、末次氏はまだ二十代前半の私にも大変丁寧というか礼儀正しい接し方をしてくれたことが今でも印象に残っています。こういう人柄が末次氏の影響力を強めた原因の一つであると思います。

それほど度々お目にかかっていたというわけではありませんが、晩年に、末次氏の主催する勉強会に参加させて頂いていました。

今日の会合には、年金法案を採決した時、民主党の暴力議員に羽交い絞めにされた衆議院の委員会の委員長が来ていました。民主党の議員も来ていましたが、別に乱闘にはなりませんでした。月夜の晩ではありませんでしたが、真昼間でしたし、民主党議員も暴力議員ではなかったからでしよう。

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2007年6月 3日 (日)

千駄木庵日乗六月二日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後一時より、九段の靖国神社に同志多数と共に昇殿参拝。

午後一時半より、靖国会館にて、『山形裁判報告集会』開催。直隆志氏が挨拶。登壇者の主な発言は次の通り、

〈南出喜久治弁護士〉「判決では『祖国防衛権』を認めた。ここに意義がある。判決理由の中で『国賊』『天誅』という言葉を直截的に使った。堀米正廣氏は『加藤紘一氏は絶対に許さない、謝るつもりはないが、母堂と近隣の人たちには迷惑をかけた』と述べた。『加藤紘一は支那から金を貰っているスパイだ』という主張を貫いた。検察側は控訴するかどうか分からないが、再審が行われたら、加藤紘一氏の証人申請はどうしても必要。加藤氏は『テロルの真犯人』という著書で、『堀米氏に一度会って話を聞いてみたい』と書いた。加藤氏は証言台に立って堀米氏と対決する義務がある。祖国防衛権が認められた。占領憲法を超えたところに祖国防衛権がある。占領憲法と東京裁判を打破しない限り戦後体制を認めることになる。祖国防衛権は『占領憲法』よりも上位にある権利。『大日本帝国憲法』は生きている。『現行占領憲法』は『帝国憲法』第七十五条に違反している。天皇の大権が行使できない占領下にあった時に、皇室典範と憲法を改正したのは憲法違反。『占領憲法』は『ポツダム宣言』と『サンフランシスコ講和条約』の間の中間条約。祖国防衛権は占領体制を打破し原状回復するために認められる。弁護士会は反日勢力。山形県弁護士会の声明は、私選弁護はするなという圧力。歴史的汚点。警察と弁護士会の二人三脚。」

〈横山孝平氏〉「加藤氏の母堂と近隣の人に謝罪したが、加藤には謝罪しなかったのは立派な姿勢。南出氏は祖国防衛権を根拠にして弁護をしたが、それが判決文に書かれたのは大きな意義がある。五・一五事件、神兵隊事件の判決に並ぶ判決。」

〈宮崎学氏〉「メディアはステレオタイプの論評しかしていない。今回の判決はこれまでの状況から見て、オヤッと思った。支援活動の成果でもあろう。支援活動が活発なるが故に判決の中身を変えるのが良いのか悪いのか。法ではなく世論の動向によって判決が出る社会は嫌だというのが実感。裁判員制度が導入されようとしているが、右翼=暴力団という空気を作り出しているメディアの状況から考えて、裁判員制度の下で堀米氏の裁判が行われていたら、どういう判決になったか。世論誘導型の判決になる。堀米氏への支援活動は有効であった。しかし、有効の先にあるものを見て行かねばならない。裁判員制度・共謀罪・盗聴法は一体のものとして見て行くべし。官僚の社会が行っている一つの流れと皆さんの運動はぶつかって行く。自民党の改憲試案は右派のポリシーになり得るのか。九条の改正があるから良いという単純なものではない。右翼の主張と矜持と自民党改憲試案とは相容れないであろう。」

この後、大島竜珉皇民党党首・藤元正義忠孝塾愛国連盟会長が挨拶を行い終了した。

帰宅後は、原稿執筆。

            ○

法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。

現行占領憲法は制定当初から正当性がなかったのである。それは、現行憲法が帝国憲法を改正したものだなどという自体が欺瞞だからである。天皇大権が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」という帝国憲法の条項に明確に違反しているのである。

我が国における真に正統なる「法」は、不文法は「天皇を君主と仰ぐ國體」そのものである。成文法はその不文法を成文化した「天壌無窮の神勅」であり、大日本帝国憲法である。このわが国不可侵の「大法」に反する事象を祓い清める行為は、まさに「祖国防衛権」の行使であるし、法治国家の国民として真に法を守る姿勢である。加藤紘一氏は、本当に堀米氏と話したいのなら、拘置所に面会に行くべきである。また進んで証言台に立つべきであった。

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2007年6月 2日 (土)

千駄木庵日乗六月一日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後は、診療所・薬局に赴く。

帰宅後は、原稿執筆の準備。南出喜久治氏の著書に触発され現行憲法無効論について書くつもりです。

            ○

自民党の中川秀直幹事長は、二月十九日に行はれた仙台市における講演で、「閣僚・官僚は総理に對し絶對的な忠誠、自己犠牲の精神が求められてゐる」と語った。しかし、閣僚・官僚は総理大臣の臣下ではない。総理大臣も國務大臣も官僚も等しく天皇の臣下である。だから「大臣」(天皇の重要な臣下といふ意)と言うのである。総理大臣をはじめとする各大臣そして官僚の絶對的忠誠心は、天皇陛下に對してのみ捧げられるべきである。天皇の臣下である内閣総理大臣に對して「絶對的忠誠心」を捧げるべきではない。

故松岡利勝農水相が残した国民及び後援会あての「遺書」の末尾に、 安倍総理 日本国万歳 」と記されていた。松岡氏は、自死する際、安倍晋三内閣総理大臣に絶対的忠誠心を捧げたのである。私は、その心をまことにあわれと思い、また、ある意味で尊いとも思う。その意味では、中川幹事長の希望にこたえたと言うべきかもしれない。しかし、それだけに、安倍総理・中川幹事長をはじめとして政府与党首脳は、この言葉を重く受け止めなければいけないと思う。

ところが、今日は冷房設定温度を上げて軽装で働く「クールビズ」の初日とかで、安倍内閣の全閣僚が、沖縄県産の「かりゆしウエア」のシャツ姿で勢ぞろいしてニコニコ笑っている姿がテレビに映し出されていたが、少し不謹慎ではないかと思った。何時までもめそめそしていろと言うわけではないが、松岡氏が亡くなってからまだ一週間もたっていないのだから、こういうことは自粛すべきではなかったろうか。とくに松岡氏が亡くなった直後、涙を流していた某女性閣僚がニコニコ笑っていたのには違和感を抱いた。「安倍総理 日本国万歳」とまで書いて自殺した松岡氏があわれでならなかった。

しかしながら、閣僚・官僚はもちろん、全日本国民が絶対的忠誠心を捧げる対象は、上御一人日本天皇である。

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2007年6月 1日 (金)

千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後から、在宅して書状執筆・諸雑務。

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つくづくお気の毒に思うのは、故松平永芳元靖国神社宮司であります。「冨田メモ」報道の後、松平氏は、先帝昭和天皇のご意志に反し、かつ、父君であられ最後の宮内大臣をつとめられた松平慶民氏の心をも無視して、昭和殉難者の合祀を強行した人物であるという批判にさらされております。富田元長官の全く公表されるとは思っていなかった私的なメモによって、松平氏は君に忠親に孝の道義に反する人物であるかのごとき非難にさらされているのです。松平永芳氏は、すでに鬼籍に入られ、反論できないのであります。松平元宮司は、個人的判断・恣意によって合祀を行ったのではありません。松平氏の宮司就任以前から決まっていた合祀を実行されただけであります。

昭和天皇が「私の心だ」と本当に仰せになったとしても、ご病状が進み、限られた情報の中で、戦前と違って相談相手も少ない状況で漏らされたお言葉であります。あくまでも富田氏の私的なメモに記されているお言葉です。真偽のほどは確定できません。これを文字通り「錦の御旗」にして、昭和殉難者の合祀を否定し、松平氏を非難し、さらには昭和殉難者を分祀せよなどと主張するのは全く間違っております。そういう行為こそ、先帝陛下のご聖徳を汚す行為であります。

保科善四郎氏の手記によりますと、先帝陛下は、終戦の御前会議で「朕の臣を戦争責任者として引き渡すことは之を忍びざるも、大局上明治天皇の三国干渉のご決断に倣ひ、忍び難きを忍び、(終戦を)決意したのである」と仰せになったと承ります。この仁慈の大御心を拝すれば、昭和殉難者を靖国の英霊として慰霊し顕彰するのは当然のことであると考えます。

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