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2007年5月31日 (木)

千駄木庵日乗五月三十日

午前は訪問看護師の方と共に父のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後からは「萬葉集」講義の原稿執筆。完成。

                   ○

日本はますますうるおいのない殺伐とした国になっています。国会の昭和三十年代の暴力政党日本社会党が国会の審議を暴力で荒らした時代に似てきました。日本には二大政党による政権の争奪というのは国情に合っていないと思います。アメリカは民主党と共和党とによる政権争奪の戦いが続いてきた歴史を持ちます。アメリカ人というのは、カラッとしていてしていて明るい民族です。アメリカ大陸の気候風土も明るくカラッとしています。だから二大政党で争っても陰湿な対立や憎しみ合いはあまり無いと思います。

日本民族は、情緒的であり義理人情を大切にしますが、反面ねっとりとして執念深い一面もあります。だから、二大政党の対決は国会内においても、小選挙区内においてもお互いに憎悪が深くなります。しかも、わが国の自民党と民主党とは、理念・政策の違いが全くはっきりしません。ただ小選挙区においてどちらが議席を取るかという争いをやっているだけです。

私は、二大政党の小選挙区制における戦いというのは日本には向いていないと思います。色々な考え方の政党がもっとあっていいと思います。今度の参院選の東京地方区もそういう意味で色々な考え方の人が立候補して、それだけ我々国民の選択肢が広まります。衆院の選挙区も三議席か四議席を多くの候補者がを争うという形がいいと思います。まったくの素人考えですが、いかがでしようか。

自民党にも民主党にも右派も左派もいるのですし、創価学会や共産党も選挙区で戦えばいいのです。そもそも国家基本問題で全く違う理念・政策の持ち主が同じ政党・同じ内閣を形成するというのは全くおかしなことです。年金問題の採決や総理に前国務大臣の葬式への参列もさせないという今日の国会の状況を見て、以上のように思いました。ああいう国会の姿を子供たちに見せいおいて、子供たちに道義を説くことはできません。校内暴力の見本を国会議員が子供たちに見せているのです。

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2007年5月30日 (水)

千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、父と共に病院に赴く。医師の治療を受けると共に、今後のことについて相談。介護士の方と共なり。お世話になった病院ですが、父の病気に関する専門医の数が少なく、病院側も私も専門医の多い別の病院で治療を受けるということで合意しました。

午後は、別の病院に赴き、父のことを相談。

帰宅後は、原稿執筆。

               ○

日本人が、他国民と比べて自殺・自決者が多いかどうか、その統計を見たことはありません。また、外国思想・文学について深く勉強したわけでもありませんので迂闊なことは書けませんが、我が国の文藝史・思想史そして実際の歴史を考えますと、我が国は他国と比較して自決・自殺が多いのではないかと思います。また、大津皇子以来、自殺はともかく自決は讃嘆されこそすれ否定されることはありません。日本人は、古来、恥を知る民族であり、名を惜しむ民族であります。日本では古事記・萬葉集の昔から「滅びの美・散華の美」が歌われ語られています。それは絶望したから自分で死を選ぶというのとは異なります。恥をさらしたくない、主君や世話になった人や家族に迷惑をかけたくない、自分の名を辱しめたくない、という思いで自ら死を選ぶのだと思います。日本人が桜の花を好むのもそういう精神の表れです。パッと咲いてバッと散る美しさに憧れるのです。西洋から来た薔薇のようになかなか散らずに何時までも醜い姿をさらすということは嫌うのであります。私は、そういう精神=散華の美というものは肯定します。

日本人の悪い癖は、ある特定の一人の人物を、みんなで寄ってたかって悪の権化として裁き、あることないこと暴き立てて糾弾し、責め苛むことです。マスコミは、マイクやカメラを突き付けてそういう人を追い回します。市中引き回しの刑の現代版です。しかもテレビは繰り返しその映像を垂れ流し的に興味本位に放送します。そういうテレビ映像を見て育った子供たちが学校で特定の子供を寄ってたかって苛めるのです。国会における民主党による松岡氏追及は、まさに学校における苛めと同じだったのではないでしょうか。鈴木宗男氏をさんざん糾弾した社民党の女性議員(土井たか子の子分。名前は失念)がその後、自分が糾弾される立場になったのは、自業自得だと思いました。民主党議員も、マスコミも、あの人相で強持てと言われた松岡氏が自殺するとは夢にも思わなかったのでしょう。だから尚更、松岡氏への憎しみをかきたて攻撃したのでしょう。政治家苛め・官僚苛めも度が過ぎると、誰も政治家・官僚になりたがらなくなると思います。しかし、そうは言っても政治家になれば巨万の富が稼げる、官僚になれば一生涯親方日の丸で楽な生活ができるというのも困ります。

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2007年5月29日 (火)

千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、ケアマネージャー・訪問看護師の方々と共に父の今後のことについて話し合い。

午後は、ある法律家の事務所訪問。懇談。

この後、日本橋高島屋にて開催中の『1920年代巴里の画家たち展』鑑賞。ユトリロ、シャガール、レオナルド藤田、ローランサンらの作品やヘミングウェイの初版本を見る。

帰宅後は、原稿執筆。『萬葉集』の講義です。

            ○

松岡利勝農水相が自殺しました。なんとも痛ましいというか悲しい出来事です。中高年の自殺が増えているということですが、現職閣僚までが自殺するということは、今の日本がいかに疲弊しているかを象徴しています。松岡氏は二週間くらい前に行われた『月刊日本』のパーティーで挨拶していましたが、元気そうに見えました。同席していた亀井静香氏のことを誉めていました。光熱水費や事務所費の不透明な支出への野党やマスコミの追及を苦にしただけで自殺までするかどうか私にはわかりません。何かもっと重大なことがあるのかと思います。人が自分で命を絶つということは本当に大変なことです。心よりご冥福を祈ります。

今日の日本は危機に瀕しております。今は、憲法・国防・外交・教育という国家基本問題で真の改革と申しますか、日本の正しいあり方を・すすむべき道を確立しなければならない時期なのであります。そこで最も大切なのは政治の安定であります。しかるに、内閣の屋台骨を揺るがすようなことが起こったことは全く以て残念至極であります。

われわれは、こういう時期だからこそ、祖国をおかしな方向を引っ張って行こうとする者どもに対する監視と警告を強めねばなりません。

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2007年5月28日 (月)

千駄木庵日乗五月二十七日

午前は訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後一時より、深川の富岡八幡宮にて、『二宮報徳会総会』開催。小林幸子会長の挨拶などが行われた。続いて湯澤貞前靖国神社宮司が記念講演を行い、「昭和天皇が松平永芳元宮司を批難されたたことになっているのは、松平宮司にお仕えしたものとして捨て置けない。松平宮司は最後の宮内大臣だった松平慶民氏の子息であり、明治維新の時に活躍した福井藩主松平春嶽公の孫である。尊皇精神のきわめて篤い方であった。筑波藤麿宮司時代に、私が議事録を見た限りでも二度にわたり昭和殉難者合祀が靖国神社で機関決定された。しかし当時は国家護持問題が解決したら合祀しようということになった。宮司は独裁者ではない。機関決定に基づいて事を運ぶ。松田宮司時代の昭和殉難者合祀も、二度にわたる機関決定を実行しただけ。昭和天皇は、公平無私を心がけられ、ご自分の好きなテレビ番組や力士の名も明かされなかった。個人の好悪に関わられない。『松平云々』と言われたというのは信じられない。昭和五十年の天皇陛下のご親拝の前日、国会において、当時の宮内庁の冨田朝彦次長は野党議員から『ご親拝すべきではない』と追及された。その年の八月十五日三木首相は『私的参拝だ』と言った。こうしたことが原因でご親拝がその後行われなくなった。昭和殉難者合祀が原因ではない。いわゆる『戦犯』の合祀は、国会において、戦犯として処刑された方々を『法務死』として戦死者と同じ扱いにすると決定されたからである。そして明治維新殉難者と同様に昭和殉難者と呼ぶようになった。法律に従って合祀したのであって靖国神社が勝手に合祀したのではない。」と語った。もっと多くの重要なことが語られたのですが、ブログには書ききれません。あらためて『政治文化情報』でご報告いたします。

この後開かれた懇親会で、小生は次のようなスピーチを行った。「靖国問題・教育問題・国防問題など今日の日本をおかしくしている問題の根底に占領憲法がある。今日改憲の機運が盛り上がっているが、現行占領憲法の三原理たる『国民主権』という國體破壊思想、『恒久平和主義』という似非平和主義、『基本的人権の尊重』という欲望民主主義・利己主義が、日本国民の道義心を低下せしめ国家の根幹をおかしくしている。現行憲法の三原理を肯定したままで一部の条項を変えるだけでは駄目である。占領憲法の無効を宣言して真の自主憲法を制定すべきである」と訴えました。

帰宅後は、資料の整理。

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2007年5月27日 (日)

千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、父のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、原稿執筆・完成・送付。その後は、資料の整理。

                 ○

大久保利通斬殺事件(紀尾井坂事件)について書かせていただきました。日本近代史を語るとき、その原点ともいうべき人物は、やはり、西郷隆盛と大久保利通でありましょう。西郷隆盛は、日本の伝統を守り、道義国家を建設することが明治維新の目的であると考えていました。大久保利通など西欧を視察してきた人々は、西洋に伍して日本の独立を維持していくためには、西欧化が必要であると考えたのです。

この二つの思想精神の違いは、その後の日本近代史の矛盾そのものでありました。しかし「西郷隆盛は西欧先進国を見なかった守旧派である」と断じるのは間違いであります。彼は大久保羅の留守中に明治新政府の中枢にあって、多くの先進的な改革を主導しました。また、「大久保利通は、西欧かぶれの覇道主義者・権力主義者だ」と断じてしまうのも間違いだと思います。大久保は何としても日本を近代化しなければ国家の独立と発展は期し難いと考えたのであります。

どちらも、日本の国のためにまさに命懸けで努力したのであります。西郷隆盛は城山で自刃し、大久保利通は志士によって斬されました。二人とも悲劇的最期を遂げたのであります。以後の日本の歴史は、日本伝統の固守と近代化との矛盾を抱えつつ進んで来たのであります。しかし、この「矛盾」を「調和」に転換させる力を日本は持っていると思います。そのた「力」こそ、日本の強靭にして柔軟な「やまと心」であります。

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2007年5月26日 (土)

千駄木庵日乗五月二十五日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

午後は、諸雑務。

午後五時より、乃木会館にて、「楠公精神に学ぶ会」開催。中村武彦氏へ黙祷を捧げる。そして、小生が現代日本楠公精神について話させていただきました。つづいて、犬塚哲寺爾氏が講話を行った。小生は、「楠公精神とは、絶対尊皇精神であり、天皇の大御心に絶対に従い奉ることが日本人の道である。大御心は詔勅と大御歌に示される。承詔必謹とはまさにそういう精神である」ということを訴えました。

この後「楠公祭」が執行されたのですが、欠礼しました。

午後六時より、恵比寿のウノサワ東急ビルにて、二松学舎同期生である深沢賢治氏が主宰する中斎塾主催の「森村信子聖心女子学院第六代校長が六十二年前の今日を語る」に出席。森村氏が昭和二十年五月二十四日、二十五日両日にわたる東京山の手大空襲の体験を話した。

戦争の悲惨さを語るのは結構なのですが、この方は、大東亜戦争を日本の一方的侵略と断じ、しかも「南京大虐殺」なるものを事実とし、しかも日本には軍備は要らないというようなことを語ったのには驚きました。こんな講演ならば、いくら大学時代からの親友の主催する会ではあっても、「楠公祭」を欠礼してまで参加するのではなかったと反省しております。親友主催の催しでもあり、昭和四年生まれのご老婦人ですので反論しませんでしたが、こういう手合の「反戦平和主義」が戦後日本をおかしくしてきたのです。私の母も東京大空襲のとき東京下町で同じような体験をしましたが、決して大東亜戦争は侵略だったとか、日本には軍備はいらないなどとは申しません。そういう意味でも私の両親を尊敬しております。

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2007年5月25日 (金)

千駄木庵日乗五月二十四日

未明、父が苦しみ出し、朝まで看病。訪問看護師の方に来ていただく。

午後は、母の命により菩提寺に赴き、ご先祖の墓を清め、卒塔婆を立て、参拝。

帰宅後は、原稿執筆。

                      ○

父が苦しむ姿を見るのは、大変つらいものです。看護師さんの手当てにより、持ち直しました。両親とも九十歳近くになりますので、何とか日々平穏にそして元気に暮らしていただきたいと念じてはおりますが、時々不調を訴えることがあります。今日は何とか病院に行かなくてもおさまりましたので、良かったと思っております。母が、先祖の墓を非常に大切にしますので、その心を無にすることなく、遠出があまりできなくなった母に代わり、墓参りをするのも息子のつとめでございます。

墓参はとても心が休まります。墓石を水で洗い、お線香と花をお供えし、礼拝を致しますと、ご先祖様が喜んでくれていることを実感します。敬神崇祖はわが国の伝統信仰の基本であります。この基本を忘れることなく、生きていきたいと思っております。

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2007年5月24日 (木)

千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、訪問看護師の方と共に、父のお世話。

午後一時半より、ある会合に出席してスピーチ。

午後四時、荻窪の教育創造研究所訪問。来月より開始される和歌の学習会について相談。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究會』開催。萬葉集巻十三の作者未詳歌を講義。

                  ○

午後行われた会合におけるスピーチでは次のようなことを話しました。

「最近、陰惨・残虐・猟奇的な事件が続発している。実の母を殺してその生首を持ち歩いた高校生、夫を殺して生首を持ち歩いた妻、重傷を負った警察官が五時間以上も放置されしかもそテレビで全国に放送された事件。相当な地位も教養もあるはずの人による痴漢事件の続発。日本がこのような国になってしまった原因は一体どこにあるのか。風紀の紊乱とか道義の頽廃などという言葉では済まされない深刻な事態である。戦後日本は「人命尊重」「人権擁護」「平和」ということはを絶対的価値、最高の目標としてきた。それは現行占領憲法の基本原理となっている。しかし、戦後六十年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出した。人権擁護とか人命尊重とか平和などということがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかったのである。むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければいいという精神を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめたのである。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢したことが今日の日本を作り出したと言える。現行占領憲法に象徴される戦後精神というものを徹底的に払い清めなければならない。」

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2007年5月23日 (水)

千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

お昼は、知人と懇談・打ち合わせ。

午後は、明日の夜、駒込地域文化創造館で行う萬葉集講義の準備。

午後六時より、虎ノ門パストラルにて『渡部篤君と語る会』開催。津島雄二・額賀福志四郎・片山虎之助・久間章生・船田元の各氏および大谷哲夫駒沢大総長・大堀勉岩手医科大学理事長などが祝辞を述べた。そして、渡部篤氏が挨拶し、笹川堯氏の音頭で乾杯を行った。

渡部篤氏とは、会津若松市議時代に、大日本生産党の杉山清一書記長に紹介されて以来の付き合いです。自民党の衆院議員ですが、郷土会津を愛し、祖国愛も強い人です。二世・三世代議士の多い時代に、這い上がってきた努力家であり情熱のある人であります。小選挙区では、渡部恒三氏に惜敗しましたが、比例で復活当選しました。今後の大成を祈っています。

帰宅後も、明日の講義の準備。

                ○

萬葉集を読んでいますと、本当に心が休まります。古代日本人の心情と申しますか、生活の中から生まれた美感覚・情念・信仰心というものがひしひしと伝わってきます。そしてそれは、現代に生きる我々が回復すべき日本人の真精神であります。しかも和歌ですから、理論理屈ではありません。まさに心に沁みわたる情念であります。敬神の心・尊皇心・愛国心も、萬葉集に歌われている理屈ではない自然の心がその根本であります。記紀萬葉の精神こそが現代日本の精神的危機を打開すると信じております。

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2007年5月22日 (火)

千駄木庵日乗五月二十一日

午前、病院に赴き父の処方箋を受け取る。続いて薬局へ行く。

午後は、ある集会に出席。

帰宅後、原稿執筆なと。

                 ○

病院というものは、患者などの来客を待たせるのを何とも思っていなように見受けられる。また、通院ということが患者やその家族にとっていかに時間的にも精神的にも大きな負担であるかを分かっていないように思う。家族にしてみれは、入院したり通院している家族は、病院に人質に取られているようなものである。詳しくは書けないが、今日はそうしたことを痛感した。待合室で長時間待たせるのは当たり前、病院側の手違いで患者や家族に無駄足を踏ませても謝罪もしない、ということを今日は実体験した。

医師も看護師も事務職員もその多くはまともなのだろうが、一部におかしな人がいたり、時たまおかしな対応をされると、病院全体がおかしいのではないかと勘繰りたくなる。

西郷隆盛は「人を相手とせず、天を相手とせよ」と言われた。「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉もある。イエス・キリストは「われらに罪を犯す者をわれらが許す如くわれらの罪をも許したまえ、と祈れ」と言われた。しかし、凡人の私にはなかなか実行できないことである。

                 ○

殉職した林一歩警部のお通夜が行われました。愛知県警本部長が、報道陣のインタビューに答えていましたが、自分の指揮に関する反省の弁は全くありませんでした。こういう無責任官僚に仕える公務員は本当に気の毒です。とにかく今の日本は色々な面で劣化しつつあると思います。もちろん私もあまり他人の批判ばかりしている資格はありませんが…。

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2007年5月21日 (月)

千駄木庵日乗五月二十日

午前は、訪問看護師の方と共に父のお世話。

その後在宅して、書状作成、名簿整理。

                    ○

加藤紘一氏は、憲法を参院選の争点にしたら負けるなどと発言し、小沢一郎氏も憲法を参院選の争点にしないと言った。そして党首討論でも憲法問題を取り上げなかった。

加藤氏と小沢氏は、東北選出であり、同世代であり、二世代議士である。共通点は多いのだが、小沢氏が自民党にいたときから、この二人はライバル関係というか対立関係にあった。しかし、こと憲法に関しては同じ立場に立っている。

私はハッキリ言ってこの二人の政治家は大嫌いである。これまで日本の国をおかしくしてきた政治家であると思っている。保守政治の中枢にいながら、保守政治を堕落させたのがこの二人である。

加藤氏は媚中政治家の典型であり、小沢氏は田中型政治の継承者でありながら改革を叫んで日本の政治を混乱させた偽善者である。こういう人々には早く政界から去ってもらいたい。ついでの田中真紀子にもいなくなってもらいたい。

清新にして真正保守の立場に立つ政治家が日本をリードして行ってもらいたい。それが安倍晋三氏であるかどうかは、いま確定的なことは言えないが、少なくとも、加藤・小沢両氏や菅直人氏よりはずっとましな政治家である。

そもそも「現行占領憲法を変えたくない、今の憲法のままでいい」などという政治家は、今の日本には必要ないのである。

ただし、憲法はただ変えればいいというものではない。安倍氏が大いに指導力を発揮して、「自民党改憲試案」を否定し、日本の歴史と伝統に基づく真正憲法制定に向かって邁進し出したとき、安倍氏の真価が判明するのである。

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2007年5月20日 (日)

千駄木庵日乗五月十九日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。千野境子産経新聞論説委員長が「国連改革・何が問題か」と題して講演し、「ニューヨーク支局は、国連とウォールストリートの取材の二つが役割。国連に関しては、大したことはできないという過小評価と、国際平和は国連が作るという過大評価とがあった。アメリカが積極的に関わるか否かが問題の帰趨を決めてしまう。アメリカが国連に距離を置くようになった。日本は昨年、国連加盟五十周年で、常任理事国入りを目指したが、中国が露骨に阻止の動きをとった。アメリカも事実上反対した。国連こそ戦後レジームそのものであり、それを超えるのは容易ではない。国連改革とは安保理改革。中国の反日デモは日本の常任理事国入り阻止のために作られたデモ。アセアン諸国は中国が怖いから率先して手を挙げることはしない。大勢に従う。十年前の『押されたら常任理事国になる』などという日本の態度が常任理事国になる機会を逸した。そしてその後の十年間で中国の存在感が考えられないくらい高まった。安倍政権の北朝鮮への厳しい姿勢は国民世論の背景がある。国民の声が外交を動かした。中国の軍国主義化と反日デモは日本にとって良いレッスンになった。中国の本質を日本人が知ることができた。インドが中国を凌駕することへの期待感がある。アメリカがインドと原子力協定を結んだ背景には、インドが中国とパワーバランスを持ち得る国であるから。インド人は能力はあるが、結束力が弱い。日本の外務省のアジア局はイコール中国局であった。インドのことはほったらかしだった。日本の中国偏重があって日印関係が進まなかった。官僚・外交官は政府の方針に従って動く」と語った。

奥野誠亮氏が、「安保理事国入りについてアメリカとの話し合いが何故出来なかったのか。アジアの諸国が反対に回ったのは何故か。日本政府は何故台湾についての考え方を鮮明に表明しないのか。日本外交は当たり障りのない敵を作らない外交になっている。責任を持って自分の立場を明らかにすべし。力のある日本であるべし。」と述べた。

羅坤燦台湾駐日副代表は「台湾の自由民主社会をいかに守り抜くか非常に深刻な問題。中国の存在感が強まってきたので、台湾にとって厳しい状況になっている。中国は政治的・軍事的にどういう行動を起こすかわからない」と語った。

帰宅後、「政治文化情報」発送完了。購読者の皆様には月曜日にお届けできると思います。

夜は、書状執筆など。

                 ○

共産支那と如何に対峙するかが、今後の日本の外交の最大の課題であります。日本の援助によって経済発展したにもかかわらず、日本を敵視している支那という国を私は許すことはできません。この国をいかに封じ込めるかが今後の日本の平和と独立を維持するための要諦であります。共産支那の代弁者となり、祖国を窮地に追い込んでいる媚中政治家を厳しく監視しなければなりません。「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉があるとおり、日本に強い外交を回復させるには、軍事力の背景を持たなければなりません。そのためにも自主憲法制定が急務です。

奥野誠亮先生は私の最も尊敬する政治家であります。一昨年の終戦記念日、炎天下たった御一人で、靖国神社に参拝に来ておられました。しかも参道に並んでおられました。奥野先生は、当然衆院議長になられるべき方でした。しかし、正論を吐露されるがゆえに、就任されることはなかったと私は理解しております。内務官僚として後藤田正晴の一期先輩ですが、後藤田のような媚中政治家とは全く正反対の立派な方であられます。大正二年のお生まれですから、今年九十五歳になられますが、今日も矍鑠としておられました。一層のご長寿をお祈りします。

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2007年5月19日 (土)

千駄木庵日乗五月十八日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後、新橋にて法律家の同志と現行憲法無効論について懇談・討議。

帰宅後は、「政治文化情報」発送作業。

              ○

愛知県長久手町で起こった発砲立てこもり事件がやっと解決しました。犠牲になった二十三歳の巡査部長は本当に気の毒です。二十三歳で巡査部長という報道を見て、かなり優秀な人だと思いましたが、警察特殊部隊・SATの隊員でした。若き夫人とまだ一歳にもならないお子さんを残して殉職されました。心よりご冥福を祈ります。

また、最初に駆けつけた警察官は犯人に撃たれ、五時間も現場で倒れたまま放置されました。なんとかならなかったのでしょうか。佐々行淳行氏がテレビで相当怒っていました。佐々氏は「部下を五時間もほっておいた指揮官は責任を取るのを恐れたのだ。早い時期に強硬策をとり犯人を逮捕していれば林一歩氏は犠牲にならずに済んだ。今回は危機管理の失敗だ」と言っていました。佐々氏の怒りはもっともです。

こういう事件を見て何時も思うのは、犠牲になるのは常に第一線の警察官だということです。京橋の警察博物館を見学した時、殉職警察官の写真が多数展示されていましたのを見ました。その殆どは、巡査・巡査部長でした。警部以上の階級の人は確か浅間山荘の時の犠牲者ただ一人だったと思います。

それだけに、指揮を執る人の責任は重いし、その判断は極めて重要なのだと思います。色々な戦史においても、指揮官及び参謀という高級軍人の判断ミスによって多くの兵士が犠牲になった例は多いのです。警察も同じだと思います。

五十四歳の警察官が重傷を負ったまま長時間放置され、二十三歳の警察官が射殺されるという悲劇は何ともやり切れません。今回の事件及び鹿児島県警の冤罪事件を見ると、今の警察とくにその上層部はどうかしているのではないかという思いを強くします。

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2007年5月18日 (金)

千駄木庵日乗五月十七日

午前は、訪問看護師とともに父のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて『萬葉會』開催。小生が柿本人麻呂の歌を講義。

帰宅後は、『政治文化情報』六月号の発送準備など。

                  ○

何んとも凄まじい事件が続発しています。それだけ現代日本社会がおかしくなっているということです。あらゆる力を駆使して日本国を再生せしめなければなりません。

立て続けに起こる凶悪にして陰惨な事件に共通するのは、薬物ではないかということです。それは覚醒剤などの非合法の薬物ももちろんですが、心療内科において受診者に投与する薬物の副作用の問題も重要です。その副作用というのは、幻覚・妄想・興奮・錯乱というのですから恐ろしい事です。

渡部篤衆院議員のブログで指摘していましたが、精神疾患治療剤(抗不安剤・睡眠導入罪・抗うつ剤などの)の売上額はものすごい額に上るということです。治療のためと思って医者から処方された薬剤を飲んだら幻覚症状が起きたということはよく耳にします。

拳銃が手に入りやすくなっていると言われますが、普通一般の人はなかなか手に入れることは困難です。拳銃は薬局では売ってくれません。拳銃の取り締まりも大事ですが、それと共にやはり薬物の乱用が問題と思います。

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2007年5月17日 (木)

千駄木庵日乗五月十六日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後三時より、衆議院第二議員会館にて、『日本再生の会緊急役員会』開催。小田村四郎会長・西村真悟衆院議員を中心に討議。

終了後、同志議員訪問。懇談。

帰宅後は、明日の万葉集講義の準備など。

              ○

昨日は宗教のことを書きましたが、私も世界三大宗教といわれる仏教・キリスト教・イスラム教について少しだけですが勉強しました。法華経も聖書もコーランも一応通読しました。この三つの宗教およびユダヤ教は、今日の世界においても絶大なる影響力を持っています。宗教とは人類に平和と安穏をもたらすのがその本来の使命であり役割なのでしょうが、実際にはこの四つの宗教が世界史におけるこれまでの紛争・戦争の原因になっていることも事実です。

中東の紛争はもちろん、北アイルランド紛争など今日唯今起っている戦争や紛争の原因は宗教対立・宗派対立です。ナチス・ヒトラーによるユダヤ人虐殺は、ヒトラーの異常性のみがその原因のように言われていますが、聖書には、イエス・キリストの言葉としてユダヤ人は悪魔の子であると言われています。

我が国現代の宗教が原因となった紛争は、中東や欧米ほど激しくはありませんが、オウム真理教のテロが起りました。また、政権与党の公明党の母体である創価学会と日蓮正宗の対立紛争も起こっています。池田大作は、自分に逆らった者は地獄に堕ちると罵っています。日蓮自身、他宗派の僧侶の首を由比ヶ浜で斬れと言っています。

宗教対立の恐ろしさは、相手を悪魔であるとか異端者であるとか言って激しい憎悪の対象として憎み迫害するところにあります。世の中が不安定になればなるほど、そうした宗教対立が激しくなります。

宗教というものが人類に安穏をもたらし、文化の創造に大きな貢献をしてきたことは事実です。世界の美術・芸術・思想史は宗教抜きにしては考えられません。しかし冒頭に述べたように、人類の戦争・闘争・殺戮の原因もまた宗教であったことも事実であります。

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2007年5月16日 (水)

千駄木庵日乗五月十五日

午前は訪問看護師さんとともに父のお世話。

午後三時より、ある会合に出席。終了後懇談。

帰宅後、名簿整理など。

                 ○

名簿は、十年くらい前から使用しているワープロに記憶させ、タックシールの印刷などもそのパソコンで行っているのですが、そろそろ寿命が近付きつつあると思い、パソコンの方に名簿を記憶させています。なかなか大変な作業です。

会津若松という歴史と伝統の町で大変な事件が起りました。「考えられないような事件。異常としか言い様があない」という言葉で片付けてしまうにはあまりにも衝撃的な事件です。しかもこのような異常な事件が最近珍しいことではなくなっていることが大問題だと思います。

日本はどうかしてしまったのかと思いたくなります。やはりその根本原因は、敗戦後の日本が誇りと自信を喪失し、古来からの伝統精神・倫理感覚・道義心を隠蔽し忘却し無視し続けてきた結果であると思います。戦後六十年のツケが回ってきたのが今の日本の現状なのだと思います。

世には、ご立派なことを言う学者・文化人・評論家・宗教家・学者は掃いて捨てるほどいます。特に宗教家や宗教教団は、「自分の教えが世を救う、自分の教団に入らなければ救われない」と言い続けています。しかし、そういう宗教家や教団がいくら多くても、日本は全然良くなっていません。それどころか、今日の事件を見てもわかるように、日本国はますますおかしな国になっています。ご立派なことを言って信者から金を巻き上げている宗教家・宗教教団は大いに反省すべきです。

色々なところから勲章をもらって喜んでいる「イケダセンセイ」をはじめ日本に沢山いる「生き神・生き仏」たちは、イラク・アフガン・北朝鮮などに飛んで行って、平和と民衆の幸福のために行動を起こすべきではないでしょうか。いやその前にこのような陰惨極まりない事件が続発する日本の民衆を本当に救済すべきではないでしようか。それができないのなら、偉そうなことを言うのをやめて宗教家を廃業すべきです。

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2007年5月15日 (火)

千駄木庵日乗五月十四日

午前は訪問看護師の方とともに父のお世話。

お昼は、知人と懇談。

午後は、父の処方箋をもらいに診療所へ。そして調剤薬局に赴く。

その後、諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。水島愛一朗氏が講演し、「小泉構造改革は日本の市場を欧米に開放するのみでルールづくりが等閑にされた。法整備が甘い。アメリカ並みの厳しい監視体制を作り追徴金を多くすべし。ハゲタカファンドとは破綻寸前の企業に投資して再生して高く売り抜く。企業自体がどうなるかは彼らにとって関係なし。日本の企業の大株主は金は出すが経営には口を出さない風潮だった。日本企業はハゲタカファンドに狙われたら自らの知恵を絞るのではなく、外資のコンサルティングを間に入れて話してほしいという逃げの消極的な防衛策をとる。外資ファンドやハゲタカファンドにとって日本企業は与し易い。日本の経営者の意識を変えねばならない。ハゲタカファンド・外資ファンドの標的は九十年代は不動産。二千年代はベンチャー企業への先行投資。今は日本の放送メディアを狙っている。外資ファンドはTBSを狙っている。TBSは一千五百億円の金を用意しないと楽天の呪縛から逃れられない。それを知っているのが外資ファンド。TBSとテレ朝の経営統合が巷で噂されている。朝日新聞でお家騒動が始まった。村山家側も会社側も外資のファイナンシャルアドバイザーに頼る。ハゲタカに付け込まれる温床を自ら作り出している。朝日が日本の巨大メディア再編のカギを握る。メディアは多くの不動産を持っているのに活用していない。儲かっていない新聞社が儲かっている放送局を支配するのは経済原則に反する」などと語った。

帰宅後は名簿の整理など。

                  ○

メディアというのは先進的企業と思われがちですが、実態はそうでもないようです。テレビ番組の内容も、最近益々ひどくなっているようです。特に民放はドノチャンネルも同じようなくだらないショー番組ばかりで私は全く見る気がしません。まともな教育を受けていないガキどもが見るので視聴率が上がるのでしよう。そしてスポンサーがつけばそれでいいのでしよう。

そういう意味でも政界再編も必要ですがメディアの再編も必要なのではないでしようか。なにしろチャンネルが多すぎます。増えたチャンネルは再放送かお買い物番組ばかりです。テレビは報道番組などで正義の見方面をして世の不正や悪人といわれる人を裁き追及しているのですから、自らに対してもっともっと厳しくすべきであります。

日本を良い国にするのにはテレビの放送を一年間一切止めればいいというようなことが言われないようにすべきであります。

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2007年5月14日 (月)

千駄木庵日乗五月十三日

午前は訪問看護師の方と父のお世話。

午後一時より、上野にて開催されたある祝賀会に出席。帰途同志の方と不忍池畔にて懇談。

帰宅後は名簿の整理など。

                ○

不忍池は子供のころから親しんで来た池です。新緑に囲まれた不忍池とその向こう側の上野山の今日の景色は大変素晴らしいものでした。この池は、平安時代以前はこの地まで入り込んでいた東京湾の入り江が、海岸線の後退により池となったそうです。天海という徳川家康の側近であった僧侶が、上野山を東の比叡山とし、比叡山延暦寺を模して東叡山寛永寺という名の大きな寺をを造営しました。そして歴代貫主には京都から皇子をお迎えしました。さらに上野山の下にある不忍池をなんと琵琶湖の見立てて中の島に弁天堂を築きました。

そして、徳川家康没後、徳川家康を東照大権現などと称して神格化し、日光に東照宮という大きな祠を立てました。これも皇祖天照大神が伊勢に祀られていることを真似したものです。天皇・皇室の神聖なる権威を借りつつ、天皇に対抗する権威を徳川幕府に持たせようとしたのであります。ところが戊辰戦争の時彰義隊が立て籠もったことにより、東叡山寛永寺の壮大な堂塔伽藍は灰燼に帰しました。

しかし、不忍池と上野山の五重塔の姿は今も残り、我々庶民の安らぎの地となっております。戦後、永田雅一という人物が不忍池をつぶして野球場にしようとしましたが、反対に遭って頓挫しました。

上野山と不忍池そして谷中墓地・東大構内といったところは都心でありながら、緑も多くたくさんの史跡もあり素晴らしいところであります。私はその近くの千駄木に生まれ育ち現在も生活していることをうれしく思っております。

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2007年5月13日 (日)

千駄木庵日乗五月十二日

午前は訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後、原稿執筆、完成、印刷所へ送付。

その後は名簿の整理。

                 ○

昨日の深夜、新国劇の名作『瞼の母』をNHKが放送していました。島田正吾が主人公の番場の忠太郎を演じ、その母親役を久松喜代子、番頭役を秋月正夫、敵役を石山健二郎が演じていました。昭和三十年ころの録画でした。本当に名作と思います。こういう劇があまり演じられなくなったことはを悲しみます。出演者の多くはすでに幽明境を異にしています。

私は中学時代から新国劇の大ファンで、お小遣いをためては明治座・演舞場・コマ劇場の公演を見に行きました。島田正吾の楽屋を訪ねて色紙をいただいたこともあります。また銀座裏で偶然島田正吾に出会ったときには握手をしてもらいながら、私が「瞼の母」の台詞をしゃべりましたら、島田氏は笑っておられました。

今新国劇のような義理人情を主題とした本格的な演劇は全く公演されません。実にさみしい限りです。辰巳柳太郎の『国定忠治』も大好きで、名場面の台詞を暗記しています。

NHKにも新国劇の録画ビデオは『瞼の母』『国定忠治』そして島田の独り舞台の『白野弁十郎』しか残っていないとのことです。『無法松の一生』『王将』『霧の音』『月形半平太』といった名作はもう見ることはできません。本当に残念です。島田正吾の色紙は私にとっては宝物です。私は、田谷力三・渡辺はま子・淡谷のり子といった方々からも色紙などをいただいております。これらも私の宝物です。

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2007年5月12日 (土)

千駄木庵日乗五月十一日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。その後、在宅して原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志と当面する諸課題について討論。

帰宅後、原稿執筆。

               ○

今日の参議院の憲法改正にかかわる国民投票法の審議で、民主党の簗瀬という議員が指をさしながら口汚く安倍総理に食ってかかっていました。ああいう姿を見ると本当に情けなくなります。とても子供には見せられません。委員会が終われば、やあやあと握手なんかをするのかもしれませんが、全共闘出身の菅直人にしても、この前岩手県知事になった何とかいう元外務官僚にしてもヒステリックに質問を繰り返していました。

この小沢チルドレンの達増とかいう男は、田中真紀子が外務大臣の時も、異常なまでの憎しみを込めた質問をしていました。外務官僚の代弁をしたのか、小沢の意向だったのか知りませんが、田中真紀子以上に異常でした。ところが、田中真紀子はその後外相をを罷免され、自民党も脱党し、民主党特に小沢と一緒の行動をとるようになりました。まさに昨日の敵は今日の友ということです。いくらテレビに映る場面で大声で喧嘩していても、本当はナアナアの仲ということなのでしょうか。色々なパーティーで、自民党と共産党の議員など与野党議員が仲良く打ち解けて話している場面を見かけます。

台湾や韓国のの議会の乱闘は本当に殴り合っているようですが、日本の議会の乱闘はポーズだけで打ち合わせ済みのショーにようなものです。

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2007年5月11日 (金)

千駄木庵日乗五月十日

未明、父が苦しがったので、看病。訪問看護師の方に来ていただく。

午前も父のお世話。

午後から在宅して原稿執筆。

              ○

現行占領憲法は、わが国の主権が奪われていた時期に強制的に押し付けられた憲法である。南出喜久治氏が最近の著書『日本国憲法無効宣言』で主張されているとおり、そしてそして谷口雅春先生がかつて主張されていた通り、「現行憲法無効論」は正しい。

『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したことになっている。しかし、『帝国憲法』には「摂政を置く間は変更することをず」と規定されている。であるから、摂政が置かれていたどころか、国全体が占領下にあり、天皇の統治大権が奪われ、国家主権も戦勝国の隷属下にあった時の『帝国憲法』改正は無効である、という理論は全く正しいと考える。

ともかく制定過程は言うに及ばず内容そのものもアメリカ製の亡国憲法は一刻も早く無くすべきである。『現行占領憲法』を有効としている限り、日本は真の独立国とは言えないのである。日本人自身によって、日本の伝統に基づいた正しい憲法を制定すべきである。

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2007年5月10日 (木)

千駄木庵日乗五月九日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。今日は父に久しぶりに床屋に行ってもらいました。

午後からは、在宅して原稿執筆。

また、運動面の色々な事で同志の方と連絡を取り合いました。

                   ○

つい十日ほど前までは、セーターを着なくては寒い陽気でしたが、一気に夏が来たような陽気です。

持統天皇御製に

春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山

というお歌がございます。まさに今日この頃の季節をお詠みになっていると拝します。大和の国の美しい自然の風景を詠まれた歌です。爽やかさと清潔感があふれています。

我が国の詩歌は、「春が来た」「小さい秋見つけた」「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」など季節の変わり目を歌ったものが多いのです。日本の国は四季の変化があり、その季節ごとに美しい自然を楽しむことができます。まことににありがたい事です。

ただ、今年の五月はなぜか下町の空を見渡しましても、鯉幟が上がりませんでした。さみしいことです。次第にこうした伝統行事がすたれていくのでしようか。マンションが増えたせいもあるのて゛しょうが、昔のように正月の松飾をしたり、お迎え火をたいたり、国旗を掲揚したり、鯉幟をあげたりする家が激減しています。

私もマンションに住んでいるのですから、あまり偉そうなことは言えませんが、東京の空は高層ビルの林立によってどんどん狭くなってきています。富岡八幡もや靖国神社も本殿の向こうに高層ビルが建ってしまいました。何とかならないものかと思います。

最近次のような歌を詠みました。

高層のビル現はれて古き町を見下ろしにけり日暮しの里

大空が次第に狭くなりゆけば心も寒くなりまさるなり

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2007年5月 9日 (水)

千駄木庵日乗五月八日

朝は、訪問看護師の方とともに父のお世話。

お昼は、ある先輩と懇談打ち合わせ。

午後も、ある先輩の事務所訪問。懇談打ち合わせ。

帰宅後は原稿執筆など。

                   ○

小沢一郎氏は、憲法問題を参院戦の争点にするのに反対しました。しかし、憲法問題こそ、国家の基本問題であり、国政選挙の最大の争点でなければなりません。民主党内に改憲反対の旧社会党系の議員がいるため、意見がまとまらずバラバラなので、こういうことを言うのでしよう。

政権交代を目指すのなら、憲法・安保・外交・教育といった国家基本問題で、正々堂々政権与党と論議を戦わせるべきであります。自民党に空きがないから民主党から立って議員になったという人も多いようです。つまり今の二大政党とは、政治理念・政策の相違によるのではないのです。内憂外患交々迫るといった国難の時期にこんなことでは駄目です。

自民党の改憲試案は、改悪と言っていいシロモノですが、民主党は国政選挙を目前にして改憲試案すら提示できないのです。これでは国政を論ずる資格はないのではないでしようか。もっとしっかりしてほいと思います。それにつけても、前原氏の代表辞任により、民主党内の世代交代が遅れたことを残念に思います。

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2007年5月 8日 (火)

千駄木庵日乗五月六日

午前は訪問看護師とともに父のお世話。

午後は原稿執筆。

午後六時半より、グランドアーク半蔵門にて、「創刊十周年『月刊日本』を叱咤激励する会」開催。小田村四郎・伊吹文明・岡崎久彦・中村勝範・亀井静香・松岡利勝・川内康範・鈴木宗男・菅沼光弘・井尻千男の各氏などが祝辞を述べた。発行人の南丘喜八郎氏が挨拶を行った。下村博文氏の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。現職閣僚から民族運動活動家に至るまで各方面から多数の人々が参集し盛会であった。

帰路、同志数人の懇談。

                ○

『月刊日本』のパーティーで亀井静香氏は「富田メモが本物であるかどうか分からない。富田氏の警備局長時代、私は直接お仕えしたが、あのようなメモを残すような富田さんではない。昭和天皇が戦勝国の意志で処刑された臣下を他のご祭神と区別することはあり得ない」という意味のことを述べた。

私も富田氏にお会いしたことがあるが実に謹厳実直を絵に描いたような方であった。たとえ富田氏が本当に書いたとしても、陛下のお言葉を本当に正確に記したかどうかは分からない。富田氏がごく私的に書いたメモをなにゆえマスコミに発表しなければならないのか。何か大きな策謀があると思われる。

何回か書いたが、病床に伏せっておられた最晩年の先帝陛下が、ごく私的に漏らされたお言葉、しかも、陛下ご自身ではなく第三者のメモを「錦の御旗」にして、合祀問題や歴史問題を論じること自体、不見識であり、先帝陛下への不忠であると私は思う。私の考え方は間違っているでしようか。

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2007年5月 7日 (月)

千駄木庵日乗五月六日

朝、訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後一時より、明治記念館にて、教育創造研究所(菅家一比古氏主宰)主催の『母神の祭典』開催。表博耀氏による『母神の降臨』『母神の昇天』という舞台芸術が演じられた。

登壇者の話は次の通り。

出雲井晶さん「日本神話は我が国文化の源。大宇宙の真理を直観で感じ取った。マッカーサーの洗脳によって本来の日本の心が失われた。そしてあってはならない事件が起っている。昭和天皇は平和を願われた。天皇の仰せの通りにしていれば戦争にはならなかった。ご自身はどうなってもいいからと終戦を決断された。二〇〇〇年に『ローマ法王は世界人類は兄弟である』と言ったが、三〇〇〇年前に神武天皇はそう仰せになっている。天皇陛下には全く私心がなかった。お仕えした政治家・軍人に『我』があった。天皇をお心を封印したため敗戦に導いてしまった。今の日本も瀬戸際に立たされている。日本の本来の心・神話の精神に帰れば日本は必ず甦る。」

佐藤初女さん「どんなに偉い人でもお母さんから生まれたるのだから女性教育が大事。母乳ほど良いものはない。母乳を飲ませるのお母さんの命の移し替え。地球は『母なる大地』と言われる。食べ物が西洋化している。日本の食べ物こそ日本人に合っている。瑞穂の国なのにお米を軽視した時代が続いた。ボランティアという言葉より奉仕という言葉が好き。混迷の時代にこそ奉仕の道を歩みたい。」

菅家一比古氏「一六二〇年に新天地を求めてアメリカ大陸に渡った人々は第一級の武装勢力だった。アメリカインディアンから故郷を取り上げた。アフリカの黒人を動物を捕える如くアメリカに連行した。アフリカの人から故郷を奪った。アメリカは過剰防衛の国。二十世紀はアメリカの世紀。近代工業文明を謳歌し、人類から故郷を奪った。日本が二度と刃向わないようにするため、日本精神を形作ったものを根こそぎ破壊しようとした。しかし徒に反米を説くわけではない。伝統文化を無理やり切ると社会不安が起る。日本神話の母神としっかりとつながって行かねばならない。縄文時代からの母神信仰が潜在意識の底に鎮められたが、鎌倉時代に甦った。それが阿弥陀信仰・観音信仰。ヨーロッパにおいてグノーシス信仰が潜在意識の底に鎮められていたがマリヤ信仰によって甦ったのと同じ。女神は何万年の昔から日本民族を慈しみ続けてきた。日本は世界の母なる故郷。禊ぎ祓いの国。地球の蔓延している怒りと憎しみの想念を癒すのは日本の心。癒しと浄化の中心国家が日本。」

この後、懇親会が開催。松浦芳子杉並区議会議員と同じテーブルでした。松浦さんは、生長の家で活動していた高校生時代からの同志です。今回の選挙で再選を果たしました。左翼の強い杉並区で教育正常化のために大活躍しています。

菅家氏は、小生も中央大学精神科学研究会においていろいろご指導をいただきました故中西旭先生の弟子であられ、現代において日本伝統精神・神道精神の甦りのために全国的に活躍されている方です。

帰宅後は、諸雑務。

                  ○

そろそろ『政治文化情報』の原稿執筆にとりかからねばならないのですが、天皇・皇室と「武の精神」について書かせていただこうと思っています。日本伝統精神の「和」の精神・歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのですが、天皇・皇室には「武」の精神が無かったように誤解される論議があることを残念に思っているからです。三種の神器に「剣」があることは、天皇が武の道統の継承者であらせられることは歴然たる事実であります。女性天皇も例外ではありません。天照大神も武装されましたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率いて出陣されました。このことを正しく理解し認識しなければならない思います。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の似非平和主義とは無縁であります。

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2007年5月 6日 (日)

千駄木庵日乗五月五日

午前は訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後からは、資料及び名簿の整理。

                 ○

資料整理をしながら、撮りだめしていたビデオを見ました。アメリカ映画でアカデミー賞受賞作品「明日に向かって撃て」というのを途中まで見ました。いわゆる西部劇ですが、ガンマンの早撃ちの場面から始まって列車強盗という展開です。アメリカという国は、銃で自らを守らなければ生きていけないという歴史と現実を持つ国であります。最近の銃乱射事件で銃規制が云々されましたが、いつの間にか立ち消えになったようです。

それら比べて、我が国は豊臣秀吉の刀狩り以来、武士階級以外が刀を持つことは原則としてできなかったようです。アメリカは民主主義国家で先進国であるという考え方があるようですが、私には納得できません。アメリカ合衆国は、そもそも先住民を銃の力で追い払い、アフリカから奴隷をそれこそ強制連行して来てこき使い発展してきた国であります。

そういう国がわが国に対して、戦争裁判を行う資格などありはしなかったのです。まして、「従軍慰安婦強制連行はけしからん」などと言う資格は全くありません。

戦後日本の平和はアメリカから押し付けられた憲法の「似非平和主義」によって守られてきたのではありません。アメリカの軍事力の庇護のもとにあったから、旧ソ連・共産支那・北朝鮮・韓国による武力侵攻されず平和と安全を保つことができたのであります。支那もロシアも北朝鮮も核武装し強大な軍事力を持っているのに、何ゆえ我が国のみが核武装をしてはいけないのでしようか。それは荒れたアメリカ西部の荒野で銃を持たずに生きていけというようなものであります。これは暴論でしようか。

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2007年5月 5日 (土)

千駄木庵日乗五月四日

午後一時より、春日部市において開かれたある会合にてスピーチ。格闘家の初代タイガーマスクこと佐山サトル氏とご一緒でした。私は、大和魂の回復について話させていただきました。

帰宅後は、資料整理など。

                  ○

佐山氏は、国際情勢や軍事問題について語られました。佐山氏はアメリカやイギリスで長く活動されていましたので、小生の知らないことを多く語られ、大変勉強になりました。

戦いの精神を忘却した国と国民は、他国から侮りを受けます。今の日本がまさにそうです。好戦的な国民になるべきだと言うのではありません。しかし、我が国を無法に攻撃し侵略し支配しようとする外敵に対してはこれと果敢に戦う姿勢は絶対に必要であります。その意味で現行占領憲法の似非平和主義は破棄すべきであります。

小生は子供のころ相撲とプロレスが大好きでした。相撲はいわゆるアンコ型が好きで、鏡里・三根山・松登のファンでした。鏡里が初代若乃花に上手出し投げでやられるのを見て悔し泣きした思い出があります。プロレスは、何といっても力道山でした。力道山と木村政彦の壮烈な試合をニュース映画で見た記憶があります。力道山がシャープ兄弟、ルー・テーズなどという外人レスラーを空手チョップやハンマー投げでやっつけるのを見て拍手喝采したものです。その力道山は長崎県大村市出身とされていましたが、実は朝鮮半島出身だったのです。しかし、力道山は日本人として戦後を生きたのであり、彼が我々の世代の日本人に大きな自信と勇気を与えてくれた功績は不滅だと思います。

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2007年5月 4日 (金)

千駄木庵日乗五月三日

朝、訪問看護師の方と父のお世話。

午前十一時、高田馬場の一水会本部訪問。木村三浩代表と懇談・打ち合わせ。

午後一時より、平河町の都市センターホテルにて、『新しい憲法をつくる国民大会』開催。登壇者の主な発言は次の通り。

中曽根康弘元総理「憲法典とは、日本人の精神・生活・国家の統治形態を未来性を加えて法律にしたもの。西洋の憲法学をそのまま受け容れているが、日本にも聖徳太子の『十七条憲法』があった。九十年代に日本は駄目になった。政治は漂流し不況となり教育は荒廃し犯罪が増えた。小泉内閣は九十年代からの日本の漂流を止めた。しかし郵政は部分的にもの。憲法・安保・教育が統治の本質。安倍内閣になって政治の本来のものを回復した。美しい国の憲法は美しい前文を持たねばならない。過去・現在・将来の国民が憲法の言う国民である。歴史の底を日本民族のエネルギーが流れている。保守せんがために改革をする。大化改新・明治維新・戦後復興はこのエネルギーの発現。権威は天皇にあり、権力は征夷大将軍・内閣総理大臣にあるという二元性でで安定してきた。天皇は最高の祭祀者。明治憲法・昭和憲法は歴史的使命を果たした。民主主義はアメリカから与えられたものではない。『五箇条の御誓文』に原点がある。昭和憲法には、解釈を捻じ曲げて現状に合わせている点と、前文が翻訳であるところに大欠陥がある。九条は一項を直すと周辺国がうるさい。二項に防衛軍を持つと書く。国民投票法が成立すると憲法は国民のものになる。」

中山太郎衆院議員「五年間の苦労の末、憲法改正は必要という報告を本会議ですることができた。これが参院でも成立すると、日本に本当の民主主義の時代が来る。政党が再編される。外務大臣の時、憲法と現実の間で本当に苦労した。世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非識になっている。国民投票法の制定によって自分たちの未来が決まる。」

岡田直樹参院議員「自主憲法制定という言葉を聞くと血が騒ぐ。GHQによって憲法が制定されたのは痛恨の歴史。日本人が自らの手で憲法を立派につくりあげていきたい。」

渡辺周衆院議員「六十年間の立法院の不作為にピリオドが打てるのか。権利には義務が伴う。自由には責任が伴う。戦争の惨禍を知っている人たちが健在のうちに憲法を改正したい。政権交代可能な野党とは、憲法と安保と外交は変わらないと主張すること。参院民主党には社会党出身者が多い。しかし、次の選挙で大分辞める。」

竹花光範駒沢大学教授「私どもの改正案には主権という言葉は出てこない。日本には主権という言葉はなじまない。」

帰宅後は、明日の会合におけるスピーチの準備。資料整理など。

               ○

五月晴れのよい天気でした。中曽根氏は大変お元気そうで、長時間にわたって講演されました。今日の講演内容は大体首肯できるものでした。中曽根氏の靖国神社問題などにおける姿勢に対して真正保守は・民族派には大きな批判があります。ただ、最近における憲法に関する主張は今の政治家の中ではまともなものだと思います。

中曽根氏が書いた自民党改憲試案の前文案が、桝添氏らの反対によってばっさり削られてしまい、全く無味乾燥な文章になってしまいました。小誌「政治文化情報」で詳しく論じましたが、自民党の改憲試案は憲法改悪と言ってもいいくらいです。まったく困ったことです。国民主権などという欧米の革命思想を君民一体のわが国にそのまま当てはめるのは、国体隠蔽・国体破壊の要因となります。

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2007年5月 3日 (木)

千駄木庵日乗五月二日

午前は、訪問看護師の方とともに父のお世話。

午後は、文京区役所に赴き、母の老人医療のことについて相談。その後、シビックホールで開催されていた『ときわ会書展』参観。

帰宅後は、資料整理と原稿執筆。

                 ○

私も大学時代二松学舎で書道専攻コースをとりました。金子清超・石橋犀水・鈴木竹影三先生に学びました。最近は、年賀状と暑中見舞いを書く時しか筆をとりませんが、時々書道展は見に行きます。字は読めればいいというものではなく、やはりより美しい字が書ければいいと思っています。また、墨をすり、書を書くという行為は、精神修養にもなるのではないかと思います。和歌や漢詩やお経や古人の名言などを書くわけですから、そういうことの勉強にもなります。

以前も書きましたが、戦後の政治家で書がうまかった人は私が見た限りでは岸信介氏であったと思います。生意気なことを言いますが、書家と比較しても遜色はなかったと思います。吉田茂氏も立派だったと思います。

吉田茂氏は、漢詩を作ることができました。今の政治家で漢詩を作る人は何人いるでしょうか。殆どいないと思います。吉田氏がサンフランシスコ講和条約締結のために訪米した時には、「唯奉勅使萬里外 五洲視聴聚一身 和議盟成桑港夕 飛龍直還扶桑晨」という漢詩を作りました。天皇のご命令を奉じてアメリカに赴いたという自覚を持っていたのです。吉田氏はまことに以て尊皇愛国の政治家であったと思います。私は戦後の宰相の中では、吉田・岸両氏を尊敬しております。

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2007年5月 2日 (水)

千駄木庵日乗五月一日

午前は、訪問看護師さんとともに父のお世話。

午後は、父の薬を買うために、診療所や薬局などに行く。

帰宅後は、ずっと資料の整理。

                 ○

資料の整理をしながら撮りだめしておいたビデオを見るのを常としている。今日は、鹿児島県警が起こした冤罪事件=志布志事件の検証番組を見て、本当に怒りがこみ上げて来た。多くの罪の無い人々に対して、精神的・肉体的拷問を加え、自殺未遂にまで追い込むなどの過酷な取り調べを行って事件をでっち上げた警察の責任は実に大きい。戦前の大本教事件など治安維持法違反事件の取り調べのようなことが今日唯今行われているということである。

鹿児島の特殊事情なのだろうか。警察の横暴に対して庶民が抵抗できない風土が鹿児島には残っているのだろうか。明治以後の警察は鹿児島出身者によって支えられていたと言っていい。川路利良以来、明治大正期の警視総監のほとんどは鹿児島出身である。それだけに鹿児島において警察の威力が大きいのかもしれない。しかし、鹿児島の生んだ偉人・西郷隆盛先生を死地に追いやったのは川路利良である。

鹿児島県警だけではなく、警察はいざとなったら平気で違法行為をすることがある。特に組織防衛のためなら何をするか分からないと言っていい。以前、小生が都議会警察消防委員会を傍聴しようとしたら、警視庁の警部が威圧を加えて来たことがある。これは立派に特別公務員職権乱用罪に当たる行為であった。

今回の冤罪事件の捜査の指揮をとった当時の稲葉一次県警本部長と黒健治という署長と磯部一信という警部の処分はあまりにも軽すぎる。冤罪により地獄の苦しみを味わった方々と同じ苦しみを味わうべきである。

無罪判決が出て二カ月以上が経過したが、その後、警察がこの様な冤罪事件の再発防止について具体的にどのような対策を講じたのか、一切伝わってこない。あまりにも無反省である。

事件がでっちあげられた直後、鹿児島弁護士会は無実を訴える被告たちの弁護を拒否した。加藤紘一邸焼打ち事件でも、山形県弁護士会は、被告に対する非難声明を出し、弁護を事実上拒否した。弁護士会のこうした姿勢も糾弾されるべきである。マスコミによって叩かれ社会的指弾を受けた容疑者・被告人の人権は守られなくていいと思っているのだろうか。

ともかく、現行憲法三原理の一つは「人権尊重」であるが、真の意味で我が国民の人権が正しく尊重されているとはとても言えない。維新運動は、決して人権を軽視してはいない。玄洋社の社則には「人民の権利を固守すべし」とある。

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2007年5月 1日 (火)

千駄木庵日乗四月三十日

午前は訪問看護師の方と共に父上のお世話。以後在宅して、書状執筆及び資料整理。

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いま桶谷秀昭氏の著書「昭和精神史」を読んでいます。橘孝三郎・中野重治・保田與重郎・永井荷風・二・二六事件の青年将校・北一輝等の抱いていた精神について論じられています。なかなか文体が難しいのですが、一所懸命読んでいます。安藤輝三大尉が決起に参加するまでの精神の軌跡は本当に胸につまされます。このような純粋な精神で国を変革し民の苦難を打開しようとしたにもかかわらず、初期の目的を達成し得ずに死地に赴いた青年将校たちに対する著者・桶谷氏の思い入れは実に深いものがあります。また支那事変が拡大していく過程も詳しく書かれています。まだ半分しか読んでいませんが、勉強になります。

この本で、元号の出典について書かれていますが、「明治」は「易経」の「説卦伝」から採られ、「大正」は「易経」の「周易上経」から採られたとのことです。「昭和」は、「書経」の「堯典第一」の「百姓昭明、協和万邦」から採られたということです。

私は大分以前から不思議に思っていたのですが、なにゆえ我が国の元号の出典が支那の古典なのでしょうか。「記紀」「萬葉」などの日本の古典を出典にしても良いのではないかと思います。たしかに支那の儒教はわが国の思想の中に溶け込んでいます。元号という制度も支那から伝来したものでしょう。こうして書いている漢字も支那から来たものです。しかし、天皇の国家統治の基本精神を表わし、且つ、時代精神を象徴する元号は日本の古典から採られるのが自然だと思いますが如何でしょうか。

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