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2007年3月12日 (月)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は、訪問看護師来宅。共に父の世話。

終日在宅して、資料整理。

              〇

鹿児島県の選挙違反事件は検察が控訴を断念し無罪が確定した。被告とされた方々に地獄の苦しみを味あわせた警察官は、一体どう責任をとるのか。罪を償うのか。捜査の指揮をとった当時の警察署長や警部はマスコミの取材に対して逃げ回るだけで、何の釈明も謝罪もしない。不埒千万ある。しかも、この期に及んでも鹿児島県警は「捜査に違法性はなかった」などと言っている。そして当時の県警本部長や捜査幹部は公務員法上の懲戒処分にはならない「厳重注意」という処分で済まされようとしている。今の県警本部長は記者会見にすら出なかった。無責任である。検察は謝罪しているのに、警察はこのような体たらくである。断じて許し難い。鹿児島県公安委員会そして上級官庁たる警察庁は何をしているのか。このままでは再発防止は覚束ない。

鹿児島県警本部前には、川路利良大警視(初代警視総監)の銅像が建てられている。そして台座には川路の言った「声ナキニ聞キ形ナキ二見ル」という言葉が刻まれている。テレビではこれを「国民の声を良く聞くこと」と説明していたが、誤りである。この言葉の前段には、「探索ノ道微妙ノ地位ニ至リテハ」とあるのである。すなわち、捜査や情報収集を行うときの心構えを説いたのである。これは行きすぎると事実でないことを事実であるとして無実の人を犯罪人としてしまう危険がある。

西南戦争の原因は、川路大警視が西郷隆盛の暗殺を極秘に命令した事にあると言われている。そして警視庁密偵が鹿児島に入り、情報収集と西郷暗殺の機会を狙っていたら、当時の鹿児島県警に逮捕され、凄惨な拷問を受けて、警視庁密偵たちは全員そろって川路の暗殺命令を自白した。これによって、鹿児島は決起したのである。鹿児島の警察の歴史にはこういう事があったのである。

強大なる権力を持つ警察が、無反省で自浄能力がなく、またチェック機能が働かない事くらい恐ろしい事はない。川路利良はまた「警察官ノ心ハ総テ仁愛補助ノ外ニ出デザルベシ」とも言っている。この心をきちんと保持していれば、冤罪事件は起らない。

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