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2007年3月29日 (木)

千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、訪問看護師来宅。父のお世話。

午後一時半より、ある会合に出席。スピーチ。「従軍慰安婦強制連行」という事実無根のデマ宣伝に屈することなく、日本民族の尊厳を護りぬくへぎたという事を訴えました。

この後、高輪の萬松山泉岳寺参拝。慶長十七年創建の曹洞宗のお寺ですが、申し上げるまでもなく、播州赤穂藩主・浅野家ゆかりのお寺です。浅野内匠頭長矩・同夫人瑶泉院の墓所そして赤穂義士四十七士の墓所があります。謹んで拝礼。山門のそばには大きな大石内蔵助良雄像が建立されていました。東京の住んでいながらはじめての参拝でした。お天気が良かったせいか、何か清々しく明るい雰囲気のお寺でした。また境内の桜は七分咲きでした。

お寺の横の細道を通り広い道に出ますと、高松宮様の御殿がありました。高輪の町をゆっくり歩くのははじめての事でした。

帰宅後は、原稿執筆。憲法論を書いています。ワープロの具合が悪く四苦八苦しています。

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浅野内匠頭長矩の刃傷そして赤穂義士の吉良邸討ち入りについては、史家によっていろいろな見方・評価があります。国史においてすらそうなのですから、対外関係においては、先日も書きましたが、我が国と相手国との間で歴史的評価が全く一致するなどという事はなおさらあり得ないと思います。

勅使御接待役の大任を仰せつかっていながら、勅使が来られる当日に江戸城内を血で汚した事に対する将軍綱吉の怒り凄まじく、切腹を命ぜられたのだと私は思います。綱吉は歴代将軍の中でも、尊皇心が篤かった人だといわれています。しかし、赤穂藩側から見れば、「喧嘩両成敗」の御定法に反する片手落ちの処断ということになったわけです。

義士の討ち入りは、いまの言葉でいえば集団テロでしょうが、今日に至るまで高く評価されています。赤穂義士を悪く言う人はいません。墓所に線香の煙が絶えた事はなく、今日も、墓所にはお線香が手向けられていました。赤穂義士の討ち入りは武士の鏡として当時から誉めたたえられ、元禄時代の奢侈と安逸を覚醒反省せしめる大きな事件となりました。大石良雄をはじめとした赤穂義士は、尊皇思想家・山鹿素行の影響を強く受けていました。

法を犯すことが絶対的悪とは言えないという事は、幕末の桜田門外における井伊直弼誅殺についても言えることです。井伊誅殺は明治維新の起爆剤となりました。赤穂義士の討ち入りは、武士道精神を復興させました。決意も実行力もない私が滅多なことを言うべきではありませんが、現代においては果たしてテロは肯定されるべき否か、私はできる限りテロはない方が良いとは思います。しかし、本当に国の爲にならない人物に対しては罰を加えるのは萬止むを得ないと思います。それが時代の覚醒にもなると思います。

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