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2007年3月22日 (木)

千駄木庵日乗三月ニ十一日

午前は、訪問看護師来宅。父のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓所を清掃・参拝。御先祖に祈りを捧げた。本堂にて行われた彼岸會法要に参列・焼香。

このあと、埼京線板橋駅前にある近藤勇の墓所に参拝。工事中とのことで墓碑は白い布で覆われていた。高さ3.88mの墓碑には、正面に「近藤勇宜昌、土方歳三義豊之墓」と彫られているという。また、「新撰組永倉新八墓」と刻まれた墓も建てられていた。「史蹟 頭山満書 近藤勇 土方歳三両雄墓地記念碑」と刻まれた石碑があった。頭山先生が碑文の題字を書かれていることに感動した。

流山で官軍に捕えられた近藤勇はこの近くの刑場で処刑され、首は京都に送られたが、胴体はこの地に葬られたと伝えられる。(異説あり)元新撰組隊士・永倉新八がこの墓所建立に貢献したという。永倉新八の墓碑の背面の碑文には、池田屋事件について討たれた長州藩士を賊徒としている。明治維新史については、薩摩長州の側に立つ見方と、幕府側に立つ見方ではその評価が百八十度異なる。私自身、京都の霊山観音にある維新の志士たちの墓に参ると、幕府に対する反感がつのり、会津に行くと、薩摩長州のやり方に怒りを覚える。国史についてすら色々な見方が成り立つのである。対外関係史は尚更の事である。日本と支那が歴史の共同研究をするなどと言うが、一致した見方や評価ができるとは到底思えない。

当時の幕府は、長州や薩摩の武力行使を封じ込めるために、旗本などの正規の武士たちを使わず、浪士などを集めた武装組織を用いたのは、薩長との武力直接対決を避けたためであろう。どうもやり方が汚いし、それがかえって幕府の立場を悪くしたと思う。新選組は幕府に利用され汚れ役を担わされたと言って良い。

午後六時より、新宿にて、「林忠一さんを囲む會」開催。林忠一氏は、『台湾哀史』という本の著者で、台湾独立運動を戦ってきた老台湾人であられる。石戸谷慎吉氏の肝いりで今回の会合を開かれた。マスコミ関係者や在日台湾人数人の方々と李登輝前総統の発言問題・胡錦濤のチベット人虐殺など台湾情勢・共産支那の動向などについて懇談した。

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