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2007年1月31日 (水)

千駄木庵日乗一月三十日

午後は、上野公園にある東京国立博物館にて開催中の「悠久の美―中国国立博物館名品展」・「ニュージーランド国立博物館名品展―マーオリ楽園の神々」そして本館の常設展を参観。

前漢時代(紀元前二世紀頃)の「祭祀場面貯貝器」(支那古代の祭祀の模様が彫られている貝殻を貯めておく器)には、人間を木に縛りつけて殺し神に捧げる様子が描かれてました。また数千年前の色々な瓶や器が展示されていましたが、それはみな肉を貯蔵しておくためのものでした。日本と支那とは同文同種だという意見がありますが、文化の基本は大きく異なると思います。わが国で肉食が日常化したのは明治以後です。弟橘姫のように海の神への鎮魂の為に自らの意志で海に飛び込むという事はあっても、人間を木に縛りつけて神への生贄にするという事は古代日本では行なわれませんでした。支那人を蔑視することがあってはなりません。佛教・儒教・漢字など多くの文化・文明を支那から輸入しました。しかし、日本と支那とは違う民族であり、全く異なる文化を持つということを正しく認識すべきであります。

夕刻、父のお見舞い。帰宅後は書状執筆。

               〇

日本は外来文化を吸収し高度なものとして独自の文化文明を創造して来た国であります。これからは、そうした日本文化の素晴らしさを世界に向けて発信していかねばならないと思います。詳しいことはここでは書けませんが、「萬葉集」を勉強していますと、つくづくそう思います。

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2007年1月30日 (火)

千駄木庵日乗一月二十九日

午後は、父の治療などの相談のため医療機関二ヶ所に赴く。

夕刻、入院中の病院に父のお見舞い。

夜は自宅で原稿執筆。

                 〇

小選挙区制・二大政党というのは、どうも日本にはあまり良い制度ではないように思う。政権奪取のみが政党の目的となってしまっている。国会が始まったが、この国家の危急時に、与野党が相手のあら捜しに躍起になり、肝心要の政策をめぐる正々堂々とした論議論争は行われそうもない。

憲法問題は国家の将来を決める重大事である。小沢氏は生活維新などと聞きなれない事を言い出した。この人は一新とか維新という言葉が好きなようだが、真に日本国民と日本国家の維新・一新を目指すには、現行憲法の破棄そして自主憲法の制定が為されねばならないのである。

改革とか維新とか変革という言葉を軽々しく使うべきではない。明治維新は、多くの人々が命懸けで断行したのである。

日本にとっての悪夢は、小沢民主・社民・共産の政権奪取・台湾国民党の政権奪取・アメリカヒラリー民主党の政権奪取の三つである。

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2007年1月29日 (月)

千駄木庵日乗一月二十八日

入院中だった父が一時帰宅しておりましたが、午前四時ごろ、異常を訴えましたので、救急車を呼び、病院に送ってもらいました。病院で応急措置をしてもらいましたら、落ち着きました。詳しいことは書くことを遠慮しますが、なかなか大変です。病院の人々が良くやってくれるので感謝しています。

午前、父を病院に残しまして帰宅致し、少し休みました。

夕刻再び、病院に赴き、父を見舞いました。

夜は、書状作成など。

               〇

柳沢厚生労働大臣が、「女性は子供を生む機械」と言ったことが問題となっています。柳沢氏かなかなか良い政治家だと思っていましたが、今回の発言はやはり問題だと思います。日本には、昔から女性蔑視の思想があることは間違いないと思います。それは、佛教・儒教という外来思想の影響であります。

日本傳統信仰にはそういう思想は全くありません。人は全て神の分霊であり神の子であります。男を日子(ひこ)と言い、女を日女(ひめ)と言います。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるという意味です。神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを、むすこ(息子)・むすめ(娘)というのであります。そこには全く差別はありません。いわんや女性蔑視などという事は一切ありません。

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬える人がいます。また、染色体論を用いる人がいます。これらの考え方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるという根本信仰を無視した考え方であります。

ご歴代の天皇お一方お一方が、御神勅に示されている通り「天照大御神の生みの御子」であらせられるのであります。これを「歴聖一如」と申し上げます。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられます。絶対にこの根本信仰を無視してならないと信じます。

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2007年1月28日 (日)

千駄木庵日乗一月二十七日

午前十時より、埼玉県で行われた知人のご子息の結婚式に参列。

帰宅後は、父の世話。雑務。

             〇

キリスト教式の結婚式に初めて参列しました。これまで参列した結婚式は全て神式でした。神道は日本の国民信仰であり、傳統信仰でありますから、全く違和感はありません。また、神式の結婚式では、神主さんが説教をするわけではありません。祝詞奏上は行われますが、神道の教典を読むわけではありません。神道には聖書や法華経や論語やコーランのような教典はありません。記紀は、神話時代から古代に至る迄のわが國の歴史が書かれているのであります。そこには、日本人の踏み行うべき道が示されてはいますが、絶対に服従しなければならない教条は書かれていませんし、特定の人物の教えが書かれているわけでもありません。

ところが、キリスト教式の結婚式は、聖書の一節を読み、讃美歌を歌い、牧師さんが説教をするのです。しかし、参列者には新郎新婦を含めてキリスト教の信者は一人もいません。おそらく聖書を読んだことがある人も殆どいなかったのではないでしょうか。キリスト教式の結婚式はひとつの風俗というか今の言葉で言えばファッションになっているのでしょう。

私は、中学時代キリスト教の教会学校に行っていました。そこで歌った讃美歌をコーラスのお嬢さんのと共に実に四十数年ぶりに歌いました。非常に懐かしい思いがしました。参列者で歌えたのは私だけだったようです。「慈しみ深き 友なるイエスは」という有名な讃美歌です。中学時代をそして一緒に教会学校に通った何人目かの(?)初恋の人を思い出しました。

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2007年1月26日 (金)

千駄木庵日乗一月二十六日

正午より、池袋にて、小生が講師をつとめている萬葉集勉強会「萬葉會」の新年会。

その後、神田書店街に赴く。

帰宅後、資料整理。読書。

                     〇

遅ればせながら、加藤紘一氏著「テロルの真犯人」を読みはじめました。読了後、感想文というか反論を書いてみたいと思います。加藤氏は「(自宅焼き討ち事件直後、実行者に)死んでもらいたくない、と思った。『話せば分かる』と言いたい気もある」「彼が元気になったら、なぜ私の家に火をつけて、自殺しようと思ったのか一度会って話を聞いてみたい」と書いている。

加藤氏が本当にそう思っているのなら、堀米氏はすで健康をある程度回復しているのだから、拘置所に面会に行ったらどうか。堀米氏が面会に応じるかどうかは別問題だが…。もしも面会を拒絶されたら、裁判の証言台に進んで立ち、堀米氏の真意を聞いたらどうか。

また、堀米氏は「決行したあとにポケットに五百円しかなかったそうだ」などと書いている。これは警察情報をもとにした発言であろうが、それでは、テロを実行する人は一体どのくらいの額のお金をポケットに持っていなければいけないのか。決死の覚悟の実行者が数万・数十万の金を持って行く必要などさらさらないではないか。

この本には、加藤氏の基本的政治姿勢・外交姿勢・歴史観が表明されている。熟読の上、小生の考えを書くつもりである。

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千駄木庵日乗一月二十五日

午後は、資料整理。

夕刻、父の入院している病院へ。一時帰宅が許可され、父を家に連れて帰りました。父は、二三日家で過ごすこととなります。

夜は父の世話など。

               〇

松原仁衆院議員がある会合で、「拉致問題で諸国民の公正と信義に信頼することができないことが分かった。」と語っていた。全くその通りである。現行占領憲法前文に書かれている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することなど全く不可能であり、妄想である事は、今日の世界情勢を見ればあまりにも明らかである。今日の国際社会は「専制と隷従圧迫と偏狭を永遠に除去しようと努めて」なんかいない。むしろ、「専制と隷従、圧迫と偏狭」はますますひどくなっていることは、北朝鮮や共産支那の所業を見れば明々白々である。

つまり、現行占領憲法前文には絵空事が書かれているのである。こんな憲法は一日も早く破棄しなければ国家の安全と独立は保てない。日本が戦後一応戦争の惨禍を受けることがなかったのは、現行憲法を無視して、再軍備を行い、日米軍事同盟を締結してきたからである。

こんな似非平和主義を根幹とする現行憲法三原理を踏襲するのでは、いくら新しい憲法をつくっても憲法改正にはならないし、自主憲法制定にもならない。

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2007年1月25日 (木)

千駄木庵日乗一月二十四日

午後は、父のお見舞い。介護関係者と打ち合わせ。

夕刻、評論活動をしている友人と懇談。

帰宅後は、資料整理。

             〇

北朝鮮の核武装だけでなく、ロシアによる北方領土の占拠およびわが国漁民射殺・拿捕、韓国の竹島占拠、共産支那の軍事力増強など、わが国をめぐる情勢は緊迫している。にもかかわらず、防衛庁の防衛省昇格に反対し、自主防衛体制確立のための核武装論議を封殺し、日米軍事同盟に反対し弱体化を目指す勢力が存在することは不思議でならない。否、わが國にとって実に危険なことである。

そうした主張を繰り返し、似非平和運動を行っている連中は、北朝鮮・ロシア・共産支那が何をやっても決して抗議や反対運動を行わない。北朝鮮や共産支那の手先なのだ。旧社会党の参院副議長が朝鮮総連から資金提供を受けていたとの報道をみればそれは明らかである。

わが國が今日行うべき真の平和への努力とは、軍事力の増強と日米軍事同盟強化以外にあり得ない。これに反対する者どもは自覚するしないにかかわらず敵性国家の手先と考えて間違いない。

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2007年1月24日 (水)

千駄木庵日乗一月二十三日

知人と昼食を共にして懇談。

午後は父のお見舞い。

夕刻も知人と懇談。

知人という書き方は、運動上の同志というわけではないし、かと言って友人というわけでもないという人です。ただし、単に知っている人というほど無機質な関係ではないのです。親しい人であることは確かであります。

帰宅後、原稿執筆。

               〇

父の入院加療という重大事が去年から続いております。家族が長期にわたり病院に入院したのは初めてのことです。それだけに、色々勉強になります。病者が如何に弱い立場にあるかということを実感しました。特に老人は気の毒です。肉体的に弱りますと、精神的にも弱くなります。色々な薬の投与そしてベットの上に半ば縛り付けられたような生活を長期間強いられるという事は、年老いた人にとって大変なことです。

家族に負担がかかるのは全く止むを得ないことです。医師・看護師をはじめとした医療関係者の多くは、優秀であり良くやってくれています。ただし、医療機関や介護施設に対して全幅の信頼を置くという事はできないというのが率直な気持ちです。疑心暗鬼になることもあります。

お金をかければ良い治療が受けられると断定することはできませんし、医師も看護師も医療機関も介護施設もお金儲けの為にやっていると実感することはありませんが、やはり、今回の体験で言えることは「地獄の沙汰もカネ次第」という諺は嘘ではないということです。

まだまだ父が入院中ですが、いずれ退院しましたら今回の経験に関してまとまった文章を書いてみたいと思っています。今はただただ父の全快を祈るのみです。

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2007年1月23日 (火)

千駄木庵日乗一月二十二日

午後は、資料整理。

夕刻、父のお見舞い。

帰宅後、資料整理。

今日は午後七時より、一水会フォーラムがあったのをすっかり忘れてしまいました。手帳に書き忘れたのが最大の原因です。中村粲先生の講演を聞き損ねました。

                〇

資料整理をしていましたら、創価学会機関紙「聖教新聞」昨年十一月二十九日号の「緑が地球を救う・よみがえれふるさとの森」という全面広告に、「鎮守の森を世界に」というテーマの宮脇昭横浜国立大学名誉教授と山田英生山田養蜂場代表の対談記事が掲載されているのを見ました。

創価学会は、「神天上の法門」とか言って、「創価学会が國教にならないかぎり、日本の神々は天上に去って日本国にはいなくなっている。そして神社には悪鬼邪神がすみついてゐるから、お参りしてはならない」と主張して来ました。たとえ広告とは言え、「日本の神々は鎮守の森に宿っている。鎮守の森を世界へ」という主張を全面広告で掲載したという事は、大きな変化だと思います。

そもそも日蓮上人は、首を斬られそうになった時、鎌倉の鶴が丘八幡宮の前で、八幡神に向って「自分を助けよ」と諫言をしました。神社に神がおられず悪鬼邪神がすみついているのならこのようなことをするはずがありません。

私が創価学会を批判する最大の理由は、「神社不拝」の姿勢にあります。日本佛教の開祖といわれる人の中で、日蓮は敬神の念の篤い人でした。創価学会が「日蓮大聖人直結」と言うのなら、「神社不拝」の姿勢を改め、會員に神社参拝を奨励すべきです。

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2007年1月22日 (月)

千駄木庵日乗一月二十一日

午後、父のお見舞い。

午後六時より、ホテル横浜ガーデンにて、「安岡教学研究會新年交流会」開催。国歌斉唱の後、村山實会長が挨拶。吉田宏成安岡正篤記念館館長などが祝辞を述べた。この會は、安岡正篤氏の思想を継承するとともに日本傳統精神を多くの人々に啓蒙する會である。小生も数回講演させて頂いた。

帰宅後、資料整理。

                〇

社民・共産両党をはじめとする勢力は、「わが国も祖国防衛の為に核武装をしよう」という主張に狂気のごとく反対する。そうした議論すら許さない。のみならず日本の防衛のためのアメリカ軍基地の増強、米原子力空母の寄港等には反対運動を行い妨害する。しかるに、北朝鮮の核武装・共産支那の対衛星兵器実験に対しては全く抗議の声もあげなければ反対運動もしない。

社民・共産をはじめとする似非反核運動屋・似非平和運動屋は、北朝鮮・共産支那の手先なのである。旧社会党・共産党はそもそも戦後ずっと旧ソ連・共産支那の手先として、わが国内において反日活動・謀略活動を展開して来たのである。その残り滓が、いまの社民・共産両党及び民主党左派である。しかも彼らは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮から資金提供まで受けて来た。まさに売国勢力である。

こんな連中が行っている「平和運動」「反核運動」なるものは、共産支那・北朝鮮によるわが国への侵略支配を手助けする国家顛覆運動の別名である。断じて騙されてはならない。

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2007年1月21日 (日)

千駄木庵日乗一月二十日

朝より、「政治文化情報」発送準備。午後発送終了。購読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

夕刻、父のお見舞い。

帰宅後、書状執筆。

               〇

自民党大会で安倍総理が「参院選で憲法を軸にして参院選を戦う」と言ったことに対して、加藤紘一氏は、マスコミのインタビューに答えて、「憲法を軸に参院選を戦うのは、大きな間違いを犯す。生活を軸にすべきだ。」と批判した。所属する政党の最高責任者の基本的戦略及び基本政策に反対するのなら、その政党を出て行くべきである。加藤氏は、即刻自民党を脱党すべきである。

諸悪の根源である現行憲法を一日も早く廃棄し、正しい自主的な憲法を制定することが国家緊急の課題である。加藤氏は現行憲法擁護論者である。そういう人物は社民党か共産党に所属すべきである。とっとと自民から出て行ってもらいたい。否、小生をして言わしむれば加藤紘一のような人物には日本から出て行ってもらいたい。

焼き討ちにあった事務所が再建され、そのお祝いの席で加藤氏は、「国を誤らないようにこれまで通り発言して行く」と言っていた。馬鹿も休み休み言ってもらいたい。加藤氏のような政治家こそ、國を誤る元凶なのだ。

何で加藤紘一のような人物が自民党という保守政党の属し幹事長までやったのか不思議でならない。加藤氏のような似非保守政治家はまだまだ沢山いる。まさに世も末なのである。

今日はあまりにも腹が立ったのできつい文章になってしまいました。

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2007年1月20日 (土)

千駄木庵日乗一月十八日

午後は、入院中の父のお見舞い。

その後、ある医療機関にて、父の事を相談。

夜は、同志数人と懇談会。

帰宅後、「政治文化情報」発送準備。

                 〇

昨年私が詠みました歌をホームページに掲載致しました。ご一読頂けますれば幸甚に存じます。

私が歌をつくりはじめましたのは大学時代のことです。それ以前にも中学時代にもつくったことはあります。中学時代、谷口雅春先生の「ただよへる雲のかなたにまんまるに澄み切る月ぞわが姿なる」「あまてらす御親の神のみすまるの命い照らし國静かなり」などの歌を覚えました。

わたしは、短歌という言葉よりも和歌という言葉の方が好きです。大和の国の伝統的な歌であるかゆえに和歌というのです。

大学時代に新古今和歌集の講義を窪田章一郎先生から受けました。章一郎先生は、窪田空穂先生のご子息です。そして先生主宰の「まひる野」という結社に入会しました。章一郎先生のお人柄も歌風も素晴らしかったのですが、残念なことに政治的には左翼でした。

生長の家の機関誌「白鳩」の歌壇撰者をしておられた方が中河幹子先生でした。夫君が「天の夕顔」「萬葉の精神」の著者であり日本浪漫派の作家中河与一先生でした。私が萬葉集を勉強するようになったのは、中河先生の著書と生長の家の機関誌に連載された山口悌二氏の萬葉集講義を読んだ事がきっかけです。「まひる野」会を退会した後は専ら中河ご夫妻のご指導を受けました。

さらに、大東塾不二歌道会にも御縁を頂き、歌道會に入会致し、影山正治先生のご指導を頂きました。

以上が私の歌の道の大体の来歴という事になります。最近は、何処の結社にも所属せず歌会にも出ておりませんので、我流になっていると思います。

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2007年1月19日 (金)

千駄木庵日乗一月十八日

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、「萬葉會」開催。小生が、柿本人麻呂の「吉野讃歌」を講義。

夕刻、父のお見舞い。

夜は、「政治文化情報」発送準備。

                 〇

小沢一郎氏は、自民党が余程憎いのか、自民党政権を倒すことだけを至上命題としています。自民党政権を倒して一体どういう政権を作り、どういう改革を行ない、どういう日本にするのかという明確なるビジョンが示されていません。

私は、小沢一郎という政治家をどうしても好きになれません。別にあの仏頂面が憎らしいと思っているわけではありません。かつて小沢氏自身、自民党の幹事長として、コンチクショーと言われ、金権政治、政官財の癒着構造の真っ只中にいて権勢をふるっていました。しかるに、旧田中派内部の権力抗争に敗れると、竹下・金丸を裏切り、自民党をおん出て、創価学会公明党・旧社会党という全く体質の異なる政党と野合して細川政権を作りました。その時は、『改革』を叫び、小沢氏に対する反対勢力に守旧派というレッテルはりを行って、権力を奪取しました。それ以後、日本の政治は混迷を一層深めました。社会党・創価学会に政権に参加させた張本人が小沢一郎なのです。このことがその後の日本の政治をどれだけ悪くしているか計り知れないものがあります。

率直に言って、小沢民主党が政権を取るよりは、安倍自民党の方がましであると思っています。しかし、自民党内の非日勢力、似非保守勢力に対しては厳しくこれを批判しなければなりませんし、民主党内の真正保守の人々をこれを応援しなければなりません。

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2007年1月18日 (木)

千駄木庵日乗一月十七日

午後一時半より、永田町の衆議院第一議員會館にて、「新しい憲法をつくる研究会」(自主憲法制定期成議員同盟主催)開催。登壇者の発言は次のと通り。

愛知和男衆院議員「今年の憲法記念日までには国民投票法を成立させたい。民主党の枝野氏もそういう意見。その後、憲法の中身の議論になって行く。」

中曽根康弘元総理「安倍内閣の成立で時代が変りつつある。改憲と教育基本法の改正を政権の中枢項目に挙げた。岸・鳩山内閣以来のこと。内外情勢を見ても、一番大事なのは、日本が主体性を持つ事。その基本は日本が背骨を正すこと。日本国民の手で日本語でつくられた憲法を持つこと。全国民が一体になって容量の大きい幅の広い戦略を立てる事が大事。」

中山太郎衆院議員「衆院憲法調査特別委員会で、過半数が憲法を改正する意見になった。国民投票法について自民・公明・民主三党で意見をまとめることができないかという事になっている。」

岩国哲人衆院議員「独立国は自分の国の憲法は自分でつくるのが常識。日本はサンフランシスコ講和以後もそれをして来なかった。戦争を知らない人が戦争を知っている人の思いを無視して憲法改正するのはいけない。」

関谷勝嗣参院議員「通常国会で国民投票法は何が何でも通さねばならないというのが自民党の考え。」

竹花光範憲法学会理事長「現行憲法の実態は占領管理法。自主憲法をつくると言うよりも新しい憲法をつくると言う方が良いのかと思う。総議員の三分の二以上の賛成が必要と言うが、現在議員数か法定議員数かが分からない。誰が憲法改正を発議できるのか、その権限が何処にあるのかが分からない。新憲法制定運動は新しい国づくり運動。」

私は新憲法制定と言うよりも自主憲法制定と言った方が良いと思う。何故なら、何事も新しければ良いというものではないからである。また、現行憲法はまさに占領憲法なのであり、制定手続もその内容も戦勝国とりわけアメリカ製なのである。それを日本人の手で全面的に改正し、日本人自身の思想を根幹とした憲法をつくるべきなのである。ゆえに、自主憲法制定という言葉を大事にすべきである。でなければ中曽根氏のいう日本国の背骨にはならない。

夕刻、父のお見舞い。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が萬葉集作者未詳歌を講義。

帰宅後、明日の「萬葉會」講義の準備。

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千駄木庵日乗一月十六日

またまたメンテナンス中とかでブログが使えなくなり、日誌を書くのが遅れました。

午後は、資料整理。

夕刻、父のお見舞い。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

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2007年1月16日 (火)

千駄木庵日乗一月十五日

午後は、資料整理。

夕方、父のお見舞い。

夜は原稿執筆。明後日の萬葉集勉強会の準備。

               〇

お正月気分もすっかり抜け、通常の生活が始まりました。自分の夫や兄弟を殺して死体をバラバラにしてしまうという事件が続いて起りました。夫の首を持ち歩いたというのです。何とも恐ろしい話です。最近の犯罪は以前にはとても考えられなかったような猟奇的な事件、陰惨な事件、残虐極まりない事件が、日常茶飯事になっています。しかもそういう犯罪を犯す人がごく普通の人というところに事の重大性があると思います。

一体何が原因なのでしょうか。政治が悪い、教育が悪い、テレビが悪いという意見が出ます。私も時にそういう主張をすることで片付けてしまうことがあります。しかし、現代日本は、社会の奥深いところで何かが狂ってきていると思うしかないような世の中になっています。

神や仏を信じる人は多いし、宗教団体は大繁盛しています。マスコミに登場するニュースキャスターとやらいう人や評論家や学者そして政治家も立派なことを言っています。しかし、日本の國は一向に良くなりません。

何かを根本的に変えなければ、日本はますますおかしな方向に行ってしまうのではないかと思います。しかし、変えるべき何かがすぐに分からないことが問題なのだと思います。

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2007年1月15日 (月)

千駄木庵日乗一月十四日

午後は諸雑務。

夕刻、父のお見舞い。

夜は資料整理。

             〇

防衛庁が省に昇格しました。国防は国家存立の基本でありますから当然のことです。

ところで、国の治安を守る大事な役目をにない強大な権限を有する警察が、これまでの防衛庁と同じく内閣府の外局の『庁』であり、国家公安委員会というわけの分からない組織の管理下にあるというのもおかしなことだと思います。これは警察が政治権力から独立すべきだという主旨に基づく制度だといわれています。しかし、国家公安委員会や都道府県公安委員会は形骸化し、実際には警察官僚によって骨抜きにされ警察官僚の言いなりだと報道されています。これでは困ります。

『公安委員会』を改革し、政治権力の影響(これは特定政党・政治家が恣意的に警察権力を行使するという意味でしょう)を排除すると共に、『公安委員會』は警察権力からも独立した組織であらねばなりません。第一、公安委員というのは一体誰がどういう方法で何処で選出するのでしょうか。それすら一般に知られてません。また、都道府県議会の警察委員会というのも形骸化しています。これも改善すべきです。

警察庁も、警察省なり公安省という名称にすべきではないしょうか。何処の省庁にもそれぞれ主務大臣がいるのに、強大なる権力を有する警察には直接指揮する大臣は存在しないというのは異常です。「政治家性悪論」に立っているのでしょうか。それも大いに分かります。しかし「警察官僚性善論」というのも成り立ちますまい。また、排他独善の創価学会の議員が公安大臣・警察大臣になってもらっては困ります。

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2007年1月14日 (日)

千駄木庵日乗一月十三日

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。許世楷台湾駐日代表が講演し、「陳水扁総統辞任要求のデモとそれに反対するデモが双方とも数十万人を動員して行われたが、ごくわずかな軽傷者が出たが、重傷者・死者は一人も出なかった。軍の動きもない。タイや韓国より台湾の方が、民主主義が成熟している。国民党は日米中等距離外交を主張。民進党は台日米三国同盟を主張。北京五輪が台湾人のアイデンティティに如何なる影響を与えるのかが問題。歴史共同研究という問題は、中韓の反日活動から始まった。しかし、親日の国台湾と日本との歴史共同研究が始まっても良い。アメリカからの武器購入予算は、国民党が反対するので立法院で議題にもならなかった。最近やっと議題にはなったが、採択されない。中国の台頭・北朝鮮問題の六カ国協議・アメリカの世界戦略で中国をどう扱うかなどということがあるから、台米関係には起伏がある。しかしアメリカには、台湾を独裁国家に併合させるべきではないという基本認識がある。民主党のクリントン政権も、中国が台湾を軍事的威嚇を行った時、空母を台湾海峡に派遣した。台湾国民の八五㌫が現状維持を欲している。その現状維持とは、『台湾と中国とは別の國。台湾は独立主権国家』ということ。中華民国という国名は紛らわしい。台湾は中国ということになってしまう。台湾共和国という国名にするのは大賛成。」と語った。

わが国はアジアにおけるもっとも親日的な国台湾をもっともっと大切にすべきであります。台湾は蒋介石亡命政権に占拠されたことはあっても、これまで一度も共産支那の支配下に入った事はありません。台湾独立が正義です。また台湾人の幸福、アジアの平和と安定、そして日本の安全のためにも、台湾は共産支那の支配下に入ってはなりません。

午後五時より、神田にて、母校である二松学舎大学第三七期同期会開催。懐かしい旧友と歓談。学生時代の友達と久しぶりに会うことができました。皆今年還暦を迎えます。本当に光陰矢のごとしという言葉を実感します。六十歳になって、二松学舎の学問の伝統を現代に生かすべく新たなる動きを起こそうという相談をしました。

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2007年1月13日 (土)

千駄木庵日乗一月十二日

午前より、原稿執筆。

午後六時より、「九段下沙龍」開催。同志多数と当面する問題や運動について討論。

帰宅後も原稿執筆。

             〇

北朝鮮への制裁措置の一つとして、わが國の公務員の北朝鮮への渡航禁止という措置がとられている。現行占領憲法では、衆議院は国権の最高機関とされている。であれば衆議院議員は、公務員の中でも最も枢要なる地位の公務員であるはずである。山﨑拓は、変態ではあってもれっきとした衆院議員である。北朝鮮を政府に無断でと言うよりも政府の意向に反してまで、北朝鮮を訪問したのは、明らかに公務員としての義務に反する行為であり、強く言えば国家に対する反逆的行為である。政府は、山﨑拓に対して『再入国禁止』などの厳重なる処罰を行うべきである。政府がそうした措置をとらず、山﨑がわが國に再入国したら、山﨑と政府に対して厳しくその責任を追及しなければならない。

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2007年1月12日 (金)

千駄木庵日乗一月十一日

午前一時(昨日の深夜一時)、バスで東京湯島を出発。一路山形市へ。

午後一時半より、山形地裁にて、堀米正廣氏の初公判開催。

被告人台に立った堀米氏は開口一番、「お住まいであった加藤紘一氏のご母堂には深くお詫び申し上げる。もしも御母堂がお住まいであることが分かっていたら、私は別の行動をとった。また近隣の方々にもお詫び申し上げる。」と発言しました。堀米氏の真摯な態度に胸迫る思いがした。

堀米氏は続けて「加藤紘一氏には謝罪する気持ちはない。加藤氏は支那のスパイである。支那から資金を出してもらっている。」と語り、加藤紘一氏を厳しく批判しました。

この後、南出喜久治弁護士が、『弁護人意見書』を読みあげ「被告人の公憤としての政治的動機を解明しなければならない。加藤氏は被告人に会って話したいと著書で言っているのだから、証人として出廷し被告人と対決し証言してもらいたい。捜査機関による違法拘留・弁護士の接見妨害・偏向報道操作が行われた。ゆえに公訴棄却の判決がなされるべし。加藤紘一氏のしてきた事は国家への反逆行為であり、外国に通牒する行為である。ゆえにその発言や行為は言論の自由の埒外である。売国奴に対して反撃するのは祖国防衛権の行使である」などと語った。

終了後、同志一同は山形県護国神社に参拝、報告集会が開かれた。藤元正義・大島竜民・平澤暁夫の各氏そして小生が連帯の挨拶した。

新幹線で帰京。雪をかぶった山々の景色が美しかった。

帰宅後原稿執筆。

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2007年1月10日 (水)

千駄木庵日乗一月十日

午前より、原稿執筆。

午後、父のお見舞い。

帰宅後、原稿執筆。

                   〇

建武中興について書いています。日本天皇及び皇室は、武力・権力によって国民を支配していたのではありません。上御一人・現御神と仰がれながらも、多くの天皇は時の権力者即ち藤原氏や武家政権によって、制限を加えられ、時には離島に流されたまうこともありました。

「あめのしたしろしめしたまふすめらみこと」といはれますが、後醍醐天皇は「さしてゆく笠置の山をいで゚しより天が下にはかくれがもなし」といふ御歌をのこされています。

しかし、建国以来三千年、日本天皇は、日本国の中核として君臨されて来ました。天皇への帰一の心が日本国存続の原基であります。国難の時期にこそ日本国民の尊皇精神が勃興し、その国難を乗り切って来ました。本当に日本国は不思議にな國であり、素晴らしい國であると思います。

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千駄木庵日乗一月九日

午前より原稿執筆。

夕方父のお見舞い。

夜も原稿執筆。

                 〇

山﨑拓氏が訪朝したという。一体何をしに行ったのであろうか。安倍総理など政府首脳はまったく歓迎していない。政府の正式代表ではないのだから、山崎氏が北朝鮮に対して何を要求し何を約束しても、まったく効力はないし、効力を持たせてはならない。山崎氏は、日本の防衛族の一人といわれているが、核武装には絶対反対の立場をとっている。歴史問題・靖国問題・対支那問題でも、その姿勢は軟弱である。小泉氏と盟友関係にあるとかで、今回の訪朝は、小泉氏の意向を受けたものだと言う人もいる。しかし、変態と変人とが仲か良いかどうかは知らないが、胡散臭い政治家がテロ国家・無法国家に行って何をしでかそうとしているのか、まったく困ったことである。もう総理総裁の芽はなくなったといわれる山崎氏が、おのれを復権の為に北朝鮮問題を利用しようというのなら絶対に許せない。

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2007年1月 9日 (火)

千駄木庵日乗一月八日

終日在宅して、原稿執筆。今週後半は忙しくなりそうなので、昨日・今日・明日と集中して原稿を書いております。

入院中の父のお見舞いは病院側の都合で行けない状態が続いております。

               〇

テレビで、浅間山荘事件の映画を見ました。藤田まこと扮する後藤田正晴警察庁長官が、役所孝司扮する佐々淳行氏に「犯人を射殺するな。殉教者にしてしまう」と命令する場面がありました。佐々さんという人はずいぶん評判が悪いようです。あの映画でも、当時の長野県警本部長及び長野県警が無能力のように描かれていました。佐々さんは、石原都知事にお追従して、東條英機元総理の自決未遂を狂言だというようなことを石原氏との対談で言っていました。

民族運動家の直接行動や自決に対しても、当局は実行者を「殉教者」「英雄」にする事を防ぐ爲に、事件を矮小化するような情報を流します。「病気が進行したので自ら命を断ったのだ。自決ではなく自殺だ」とか「借金に困ってああいうことをしたのだ。所属団体でも干されていた」というようなことをマスコミに吹聴します。また、当局しかわからないことそれもマイナスイメージになることがマスコミによって報道されます。事件の影響をできるだけ少なくするための情報操作なのでしょう。また、義援金やカンパを集めると、集めてから一ヶ月も経っていないのに「使途不明金が出ていると言われています」などと言います。こういうことを言うのは、同志間の不信感を煽っているだと思うのは勘繰りすぎでしょうか。

治安維持は大切ですし、事件を未然に防ぐことも大事な職務だという事は私にも分かります。しかし、人が命を懸けた行動を貶めることは許し難いと思います。歯軋りする思いです。

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2007年1月 8日 (月)

千駄木庵日乗一月七日

終日在宅して、「政治文化情報」来月号の原稿執筆。

                  〇

今回、京都に行ってはじめて知って驚いたのは、京都でも米軍の空襲が行われたということでした。小生はアメリカの学者か何かが、「奈良・京都には爆撃を行うべきではないと主張したので、米軍は爆撃をしなかった」という説を信じておりました。そう信じている人が多いと思います。家に帰って調べましたところ、京都の馬町と西陣が空襲に遭ったこと、そして「アメリカは古都を護るために京都を空襲しなかったのではなく、原爆の威力を実験するために京都を温存し、京都が最終段階まで原爆投下の候補地だったため、空襲が行われなかったのだ」というのが真実であるという事が判明致しました。これが正しいと思います。原爆を二発も落とし、日本中の都市を空爆して何十万という無辜の民を殺戮したアメリカが、「古都を護るために爆撃しなかった」などという事はあり得ないと思います。

それにしても日本人というのはお人好しです。支那人は、未だに、戦時下における日本の行為をあることないこと責め立てて来ますが、日本人は、その逆で、原爆が落されたのも「過ちは繰り返しませんから」などと、日本人が悪いような碑文を刻み、京都空爆については前述したような説を信じているのですから…。

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2007年1月 7日 (日)

千駄木庵日乗一月六日

朝、窓を開けると大雨。京都歴史探訪をあきらめ、京都駅へ。新幹線にて帰京。

「旅は生ける学問なり」という言葉がありますが、実際、旅というものは、歴史の勉強になります。何回も行ったところでも、新しいものを学びます。今回の嵯峨探訪もそうでした。天龍寺が後醍醐天皇の菩提を弔うために高氏が創建した寺であることは知っていましたが、嵯峨の地に、後亀山天皇御陵が鎮まりましますなど、所謂「南北朝時代」と深いかかわりがあったことはあまり知りませんでした。長慶天皇の御陵が鎮まりましますことも、帰京した後書物で知りました。参拝できなくてまことに残念でした。

今日の日本の危機も厳しいものがありますが、南北朝時代・壬申の乱はまさに國が真っ二つになりかねない大変な危機でした。これを乗り越えてきたのがわが日本であります。今日の危機も必ず打開していくと確信します。

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2007年1月 6日 (土)

千駄木庵日乗一月五日

朝、宿舎を出発。嵯峨に向かう。渡月橋を渡りて、法輪寺参拝。

臨済宗大本山天龍寺(後醍醐天皇の菩提を弔うために足利高氏が創建)参拝。嵯峨野を散策。野宮神社(伊勢の神宮にお仕えする皇女=斎宮が身を清められたところに建つ神社。御祭神は天照大御神)参拝。落柿舎(向井去来旧居跡)を訪れし後、第九九代後亀山天皇嵯峨小倉陵に参拝。後亀山天皇は後村上天皇の皇子にして後醍醐天皇の皇孫にあたられる。後亀山天皇は足利義満の和睦奏請を嘉納され南北朝の和議が成立した。御陵に近い大覚寺にて崩御された。そして大覚寺(大覚寺統即ち南朝ゆかりのお寺。嵯峨天皇の離宮だったが真言宗の寺院となった)に参拝。ただし、南朝・北朝という言い方は正しくはないという意見がある。所謂吉野朝廷のみが正統であり、「北朝」という朝廷はあり得ないとするのである。一理あると思う。

今回の嵯峨めぐりは色々勉強になりました。詳しくは、「政治文化情報」で報告します。

夜は、国枝克一郎京都市議主催の京都の同志の方々との勉強会。山本博元上海復旦大學教授及び小生が講義。

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千駄木庵日乗一月四日

朝、宿舎を出発。

伊勢皇大神宮内宮参拝。続いて外宮参拝。

伊勢市駅頭にて、地元同志が主催する街頭演説會に参加。

近鉄線八木乗り換えにて京都へ。

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千駄木庵日乗一月三日

午後、東京駅を出発。名古屋乗換えにて、宇治山田へ。会場に到着。宿舎にて、雷鳴塾新年勉強会開催。小生などが講義。

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2007年1月 3日 (水)

千駄木庵日乗一月二日

午前は、根津神社に初詣。

その後、皇居に赴き新年参賀。聖壽万歳を謹唱し奉る。実に多くの方々が列を成して皇居を訪れていた。

親戚の家に年賀。

夕刻、父のお見舞い。

夜は、諸雑務。

             〇

昨日、皇居において「新年祝賀の儀」が行われ、天皇皇后両陛下が宮殿において、皇族方と共に、内閣総理大臣なとの三権の長や各国大使から挨拶を受けられた。この様子をテレビで拝見すれば、「日本は立憲君主国ではない」とか「天皇は元首ではない」などという意見が如何に間違った考え方であるかが、文字通り火を見るよりも明らかとなる。

「内閣総理大臣が元首である」などという意見は全く間違いである。総理以下全国務大臣はその名称の通り、天皇陛下の臣下である。天皇によって認証され任命される人が天皇より上の「元首」であるはずがないではないか。

以前、後藤田正晴は新聞記者の質問に答えて、「大臣という呼称がおかしい。いったい誰の臣下ですか」などとほざいた。内閣副総理までつとめた「保守政治家」であるはずの後藤田は、「天皇は君主でも元首でもあらせられない」という國體否定に直結する不敬不忠の思想を持っていたのである。こんな男が日本の警察や国政を牛耳っていたから、日本がおかしくなったのである。後藤田のような政治家・権力者は、社民・共産よりもタチが悪い。権力の中枢にいて内側から日本國體を破壊しようとしたのである。

                〇

明日より数日間、関西方面に赴きます。伊勢参宮などのためです。その間、「千駄木庵日乗」はお休みします。帰京後、まとめて執筆致します。

 

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2007年1月 2日 (火)

千駄木庵日乗一月一日

午前は家族と新年を祝う。

午後は、頂いた年賀状の整理。

夕刻、父が入院している病院へ。本来は、年末から年始にかけて家に戻る予定でしたが、やはり無理ということでした。大晦日と元旦くらいは家で過ごしてもらいたかったのですが、残念です。年賀状などで父のことを心配して下さった方がおられ感謝致しております。

夜は資料整理及びお出ししなかった方への年賀状の執筆。

               〇

大晦日と元日のテレビはなんともくだらない番組ばかりで見る気が致しません。特に民放は安上がりのバラエティ番組ばかりで、一億総白痴化という言葉はまだまだ生きていると実感しました。大晦日と三が日はテレビを見なくて済む日という事になりそうです。

「白痴」という言葉も、言葉狩りの対象になったようで、私のパソコンを叩いても出て来ませんでした。しかし、黒沢明の「白痴」という作品は今も堂々とビデオやDVDが売られています。

言葉は、意識して他人を差別するために使うのと、そうでない場合とはやはり区別するべきだと思います。「やぶにらみ」は差別語で「斜視」はそうではないというのは納得できません。ブス・デブ・ハゲ・チビ・ノッポという言葉どうなのでしょうか。テレビではよく使われているようですが…。

一番納得できないのは、「支那」という言葉が差別語だということです。そのために、渡辺はま子さんは最大のヒット曲「支那の夜」をテレビで歌えませんでした。NHKのエフエム放送の追悼番組でも、他のすべてのヒット曲は放送したのに、「支那の夜」だけは除外されました。おかしな話です。

言葉自体に罪があるのではなく、言葉を使う人の意識の問題であると思います。

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2007年1月 1日 (月)

千駄木庵日乗十二月三十一日

皆様新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。今年はわたくしの干支であるいのしし年であります。という事は小生は今年還暦を迎えることとなります。還暦などというのははるか先のことと思っておりました。本当に驚いています。「村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん」という童謡がございます。しかしわたしはおじいさん=老人になったという意識は全くありません。お蔭様で、髪の毛はふさふさしておりますし、白髪もありません。鈴木邦男さんなど古い先輩・友人からは、学生時代のまんまだと言われます。有難いことと思っております。今年も大いに勉強し、原稿を書き、運動をしたいと思っております。また恋愛も致したく思います。還暦とは、生まれた年の干支に還るという意味であります。一度生れ変り新生し再生した万年青年の心意気で頑張りますので、宜しく御指導御鞭撻下さいませ。何をたわけたことをと思う方もおられるかも知れませんが、新年を迎えた率直な決意であり感想でありますので、お許し下さいませ。

大晦日の午前中は、神棚・仏壇清掃。「大祓詞」奏上。部屋の清掃。

午後は、鎮守の神様である根津神社(御祭神は須佐之男命)に参拝。古い御札を納める。根津神社には幼少の頃よりよく参拝に来ているので、本当に心がやすまります。今はやりの言葉で言うと小生にとってまさに精神的な「癒し」の場であります。

この後、入院中の父のお見舞い。

夜は、家族と年越し蕎麦を食す。

夜は資料整理。

                  〇

安倍総理は、一日付けの年頭所感で、「新しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書きあげていくべきだ」と語った。新年を迎え、ついに真正保守政治家としての本来の姿勢を取り戻したのであろうか。一層の奮闘を祈りたい。ただし、現行占領憲法の「三原理」を踏襲した「新憲法」では、自主憲法制定にも憲法改正にもならないという事を強く主張しておきたい。「私たちの手で書きあげる」という言葉に期待したい。

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