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2006年11月25日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十四日

午前中より、原稿執筆。夕刻、父のお見舞い。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼三十六年祭・野分祭』執行。祭文奏上・「英霊の声」拝聴・「檄文」朗読・遺詠奉唱・玉串奉奠などが行われた。

この後、田村司氏(元楯の會會員)が講演し、「母方の祖父は東條英機氏の付き将校だった。また士官学校の教官だった。そして父はその生徒だった。戦後父は自衛隊に勤務した。祖父からは東條さんは温情の人だったと聞いている。祖父は、B級戦犯になった。田中静一陸軍大将から生長の家の信仰を勧められた。私は幼い頃から生長の家の信仰で育てられ、高校時代・大学時代生長の家の活動を行った。神奈川大学で活動し、共産革命から祖国を守るための軍事訓練をしなければならないと思い、自衛隊に一ヶ月間体験入隊し、楯の會に入った。森田必勝氏の班に組み込まれ、森田さんの下宿によく行った。森田さんは、前に所属していた組織から『共産党に魂を売った男』と批判された。森田氏はそのことを『許せない』と本当に悔しがっていた。三十六年を経過した今日、楯の会に属していた人たちの中に、先鋭的に運動をしている人も多く出て来ている。」と語った。

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私も、田村氏と同じように、生長の家で学生運動を行った。また、私の父も戦時中は軍人となり、戦後は自衛官であった。私は運動神経が全く無かったので、自衛隊の体験入隊は無理であったので、楯の會に入る事はかなわなかった。生長の家の友人同志の多くが楯の會に入った。楯の會事件の当日は、当時私が勤務していた二松學舎大学のある九段から市ヶ谷の東部方面総監部は比較的近かったので、飛んで行った。生長の家の同志が多く来ていた。よく晴れた日であった。つい昨日のことのように思い出される。あの日の衝撃は未だに強く心に残っている。三島氏が『檄文』などで憂えられたことは、今日事実となっている。状況は昭和四十五年当時よりも深刻になっていると思う。だからこそ、三島・森田両烈士の精神を継承する多くの人々が、日本再生のために活動しているのである。

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