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2006年7月31日 (月)

千駄木庵日乗七月三十日

終日在宅して書状執筆、原稿執筆など。

             〇

田中角栄の怨念ということを考えます。「何を非科学的な」と言う方もおられるでしょうが、田中角栄を裏切ったとされる政治家は余り良い末路をたどっていないように思えます。具体的な名前を全て出すのは些か憚られますが、竹下登・金丸信両氏などの晩年を見るとそう思います。

かと言って私は田中真紀子さんをどうしても好きになれません。それは彼女の政治姿勢がおかしいことは言うまでもありませんが、彼女の人格に相当問題があると思うからです。選挙の時、すでに車椅子生活になっていた田中角栄氏を選挙民の前に連れて来て、「目白の骨董品を連れて来ました」などと言っていました。実の父親に対してこういう侮辱を行なう真紀子さんの精神状態は普通ではありません。自民党総裁選の時には、小渕恵三氏が亡くなったことについて、「小渕さんがお陀仏さんになった」と演説しました。死者への冒涜は日本人が最も嫌うことです。小泉氏はすぐ後ろでその演説を聞いていたのにも関わらず、真紀子さんを外相にしました。そして痛い目に遭いました。

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2006年7月29日 (土)

千駄木庵日乗七月二十九日

終日在宅して資料整理など。

            〇

昨日会った友が「今上天皇が昭和前期に起ったテロ事件を否定されたのは当然である。天皇は天照大御神の地上的御顕現であらせられる。天照大御神からご覧になれば民と民が対立し相手を殺したり傷つけるということをお認めになるはずがない。しかし、須佐之男命もおられる。荒ぶる神であり、ヤマタノオロチを退治する神である。」と語っていました。

なるほどと思いました。大化改新・建武の中興・明治維新という国史上の大変革において、必ずしも、維新変革を目指す者と、天皇の御意志がすべて一致していたという事はできません。未完成に終わった昭和維新に於いては特に然りでした。

天皇の御意志と維新変革を目指す者との意志が異なるという事はあり得ることですし、現実にあったことです。これは維新史上というか国史上の永遠の課題であります。

国の為大君の御為になる維新運動は正々堂々と行っていくべきであります。しかし、臣下国民は、最終的には、上御一人の大御心に従い奉るのが、あるべき道であります。「楠公精神」とはそういう精神であると思います。

ただし上御一人の「大御心」は、ある特定の人物の死後に遺族によって勝手に公表されたその人物の「私的メモ」(しかも目下のところその真偽が疑われている)によって示されるものではないことは、何度もこの欄で書いている通りであります。

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千駄木庵日乗七月二十八日

午後は、資料整理。

夜はある同志二人と懇談。

               〇

暫らく会っていなかった友と会うのうれしいことです。その同志とはそれこそ高校時代からの付き合いです。これまでの運動について色々語り合いました。

いわゆる愛国運動も色々努力して来たのですが、日本の国が良くなっているとは言えません。むしろ最近混迷を深めています。特に國體の根幹に関わることで、重大なる事態が発生しています。そして、同じ尊皇愛国の立場でも、基本的な考え方の違いも出て来ているようであります。私は自分が正しいと信じることを訴えて行きたいと思います。

最近詠んだ歌を記します。

「天津日嗣絶えるものかは 天地と共に栄えて とことはなれば」

この信念を持ってこれからも邁進していく覚悟であります。

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2006年7月28日 (金)

政治文化情報七月二十七日

午前中はお世話になっている方のお見舞い。

午後四時より、高田馬場の一水会事務所にて、機関紙「レコンキスタ」掲載のインタビューを受ける。テーマは「富田メモ」。

午後七時より、新宿リサイクル活動センター会議室にて、「一水会フォーラム」。文芸評論家の山﨑行太郎氏が「文芸から見た小泉政治の五年間」と題して講演。

「日本文学の衰退と共に政治も衰退した。小泉は池宮彰一郎・城山三郎といった通俗的な歴史読み物が好き。小泉を支える人の文化的レベルは低い。小泉政治の本質は国策捜査と言論操作。週刊誌も小泉のプライバシーを暴かなくなった。安倍政権への批判も出ない。『富田メモ』は、『日経』自体も何者かにはめられているのではないか。『永田メール』と似ている。ブログとインターネットの世界に権力が深く関わっている。近代文学はキリスト教から生まれた。昭和初期はマルクス主義。われわれに必要なエネルギーはイデオロギーからは生まれない。イデオロギーでは文学作品は出来ない。」などと語ったのが印象に残りました。

確かに政界のみならず、学界・文芸界・映画演劇界などあらゆる分野のレベルが低下していると思います。政界で言えば、今日、漢詩漢文を理解し、漢詩・漢文が書ける政治家は一人もいないと思います。吉田茂氏は、漢詩漢文をよく理解し、漢詩を作りました。私の母校二松學舎舎長となり、疲弊していた二松學舎を助けて下さいました。「書」は岸信介氏はとても達筆でした。前尾繁三郎氏もその著書を読みますと、ほとんど学者の域に達していました。

ところで、「『富田メモ』に松岡洋右氏が登場するのは、縁戚関係にある安倍晋三氏のイメージダウンを狙った」と言う人がいました。その真偽はともかく、松岡氏が戦前・戦中どのような事をしたのか小生は不勉強ですが、松岡氏は獄につながれ獄死したのです。償いは果たしたと思います。

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2006年7月27日 (木)

千駄木庵日乗七月二十六日

終日在宅して原稿執筆。

                   〇

「富田メモ」公開の後、急に「尊皇愛国」の政治家・マスコミ人が増えたのには驚いています。

古賀誠氏は「涙が出る思いがした。あの思いを遺族は大切にしたい。皇室の方々も靖国神社にお参りできるための対応こそ、われわれがやらなければならない。」と言いました。しかし、皇族方は今日も何のわだかまりもなく、靖国神社に参拝されておられます。こんなことを言うのは、昭和殉難者を分祀しなければ皇族は参拝できない状況を作り出そうとしているとしか思えません。

小沢一郎氏は、「ただひたすら国民の幸せを考えていた昭和天皇のことを思い浮かべながら、昔流に言えば大御心を感じる」などと大いに「臣・一郎」ぶりを発揮しました。何回も書きますが、「大御心」とは、他人の私的なメモによって示されるものではありません。もっと神聖にして厳粛なるものであります。「おほみことのり」と申し上げるように、「おほやけにおほらかにあきらけく宣りたまふみ言葉」であります。

田原総一朗氏は、武部幹事長に「天皇のご意志を無視するのか」と執拗に迫っていました。「明治天皇は何処かから拾ってきた」などと不敬千万なことを言った田原氏にこのようなことを言う資格は毛筋の横幅ほどもありません。

ともかく、突然「尊皇愛国」の人になって、『富田メモ』を都合よく政治利用する人々を厳しく監視しなければなりません。

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2006年7月26日 (水)

千駄木庵日乗七月二十五日

午後は、原稿執筆。

午後五時より、青山の大東會館にて、『時局戦略懇話会』開催。

              〇

『富田メモ』についてですが、やはり富田氏のご遺族がおかしいと思います。公務員が職務上知り得たことは退職後も口外しないというのが原則であります。亡くなった富田氏が『棺桶に入れて一緒に焼いてもうらうつもりだ』と言っていたもの、しかも畏れ多くも上御一人に関することが書かれている『メモ』を公表するという事はしてはならないことであると思います。

今回の『メモ』で批判の対象になった靖国神社元宮司の松平永芳先生はすでに亡くなられています。反論できないのです。まことにお気の毒であります。父上の松平慶民氏は宮内大臣でしたが、日記やメモは一切公表しませんでした。

民草が拳拳服膺すべき天皇の大御心は、第三者・他人の「メモ」によって示されるものでありません。『詔勅』『大御歌』『公のご行動』によって示されるのであります。

先帝は、昭和殉難者が合祀された靖国神社に勅使を差遣されておられましたし、毎年終戦記念日に行われた昭和殉難者も含めた「戦没者追悼式」の慰霊祭に欠かさずご臨席されました。

『富田メモ』を政治的に悪用する加藤紘一をはじめとする輩を徹底的に糾弾しなければならないと思います。

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2006年7月25日 (火)

政治文化情報七月二十四日

終日在宅して原稿執筆。

                〇

天皇の大御心は「勅語」「大御歌」「ご行動」によって示される。他人の書いた「メモ」によって示されるものではない。

先帝陛下も今上陛下も、靖国神社の春秋の例大祭には勅使を差遣されている。「天皇は昭和殉難者合祀に反対だった」「昭和殉難者が合祀されたから、天皇の靖国神社への尊敬の御心はなくなった」とすることは出来ない。

先帝陛下は、「戦争責任者を連合国に引渡すは眞に偲び難い。自分が一人引き受けて退位でもして納めるわけにいかないだろうか」(『木戸幸一日記』)と仰せになっている。

今回のことは、国内の非日勢力(これには体制側・権力側も含まれると小生は考える)による謀略である可能性が非常に高い。徹底的に粉砕し、「富田メモ」の政治利用を抑止しなければならない。

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2006年7月24日 (月)

千駄木庵日乗七月二十三日

午後二時より、スクワール麹町にて、怡友會主催の講演会開催。

台湾国立国史館館長・張炎憲氏が「台湾民主化と国家建構」と題して講演し、「六月の台湾野党の攻勢は、社会を根底から動かすことは出来なかった。これは台湾に民主主義が根付いたことを示す。一九四九年の国民党政府の大陸から台湾への撤退は、集団武装移民であり、台湾人の同意を得ず政権を打ち建てたもの。『台湾本土意識』の力は台湾の歴史発展から来る。抑圧のあるところに反抗が生まれる。二・二八事件とその後続いた白色テロで勇気を持って立ち上がった台湾人は抹殺された。台湾は李登輝の静かなる革命で民主化したが、今でも二・二八や白色テロの真相や元凶を見つけ出すことが出来ない。それは台湾人の優しさからなのかもしれないが、国民党の旧勢力はこれに対し感謝の気持ちを持たない。台湾人は歴史上統治された経験しかない。台湾人のナショナルアイデンティティの確立が今もっとも必要。台湾の民主化とは台湾を一つの国家にすること。台湾を変える力は教育と文化。」と語った。

中華帝國主義と台湾人アイデンティティの戦いである。「台湾人は支那人ではない」という自覚をますます高めることが、共産支那の台湾併呑を撃退する根本要素である。かつての同胞台湾人の勝利=台湾独立達成を祈る。

朝の『サンデープロジェクト』で「富田メモ」のことが論じられていたが、このメモを政治利用する動きを阻止しなければならない。加藤紘一・小沢一郎は鬼の首でも取ったようにはしゃいでいるが、許し難い。特に加藤紘一は櫻井よしこさんが指摘したように「今上陛下のご訪中」という窮極の「政治利用」を行った男である。今度も敵性国家・共産支那の手先ぶりを大いに発揮している。

富田氏自身「墓場まで持って行く」と言っていたメモを、今この時期に発表した意図は何か。果たしてこのメモは本物なのか、先帝陛下は本当にあのようなことを言われたのか、ということを厳正に検証すべきである。

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2006年7月23日 (日)

千駄木庵日乗七月二十二日

「政治文化情報」八月号を発送しました。読者の皆様には月曜日にお届けできると存じます。

午後二時より、渋谷の国学院院友會館にて、『吉田良二氏を偲ぶ會』開催。吉田良二氏は、小生と同い年で、昨年八月昇天され一周忌を迎えました。生長の家及び民族派学生運動のリーダーでした。社会に出てから、企業家として活躍しました。しかし志は失わず、運動を続けている人々を支援してくれました。有難いことでした。今日も多くの友人同志が参集し追悼の言葉を述べました。心よりご冥福を祈念します。

この會でも『富田メモ』のことが話題となりました。「宮内庁長官ではあっても、一個人のメモであり、そこに書かれていることが『昭和天皇の大御心である』として喧伝されるべきではない」という意見が多くありました。私もそう思います。

富田氏は立派な方だったと思います。私も一回だけお目にかかったことがあります。しかし、逝去後ご本人のご意志に関係なく、しかもこの時期に公表せられたことに何か政治的意図あるいは画策があると考えるのは止むを得ないと思います。

ことは國體・歴史問題に関わる重大事であります。断片的な『メモ』を基として「昭和天皇の大御心はA級戦犯合祀に反対だった」など断定するのはいかがかと思います。

昨日私宅に電話をして来て、「昭和天皇がA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝されなかったのだから、私も今後参拝しません」などと語る人がいたのには驚きました。こういう人が多く出ることを危惧します。それほどにこの問題は重大だと思います。

「『富田メモ』公表を画策した者たちを糾弾すべきだ」という声も多くあります。また「『昭和殉難者』は処刑された。これ以上の罪の償いようはない。獄死した人も同じである。この人たちを責めることはできない」と言う若者もいます。

私は、一昨日も書きましたが、靖国神社に勅使を差遣されているという事が、先帝そして今上天皇の大御心であると信じます。

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2006年7月22日 (土)

千駄木庵日乗七月二十一日

午前十一時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。中島嶺雄国際教養大学学長が講演。

「中国は、台湾と国交のある国が有利になることには拒否権を行使してきた。中国に対し低姿勢に出れば北朝鮮をなだめてくれると考えるのは間違い。民進党のガバナビリティーが問題。非合法てで苦悩してきた人々が権力を持ち利権に走った。李登輝政権十二年間の民主化・本土化が台無しになった。李登輝の回りにいた台湾経済人も大陸との関係を深めている。経済が台湾のアイデンティティを崩している。陳水扁の躓きは基本路線の変更が原因。李登輝批判までやった。しかし馬英九の人気にも陰りが出て来ている。台湾民主化と本土化はぎりぎりのところで守られると思う。中共と一緒になりたくない気持ちの人が多い。少子化の中で台湾人と中国人との結婚が増えている。大陸系の人口が増えている。アメリカには陳水扁の基本政策が変ることに不信感がある。」と語った。

台湾人の出席者が「米国と日本が陳水扁の独立路線へ圧力を加えた責任は大きい。それ以来、台湾国民は陳水扁の独立路線に危険を感じるようになった。北朝鮮のミサイル発射にあれほど抗議した日本は、中国が台湾・沖縄近海にミサイルを発射した時は何も抗議しなかった。」と語った。

たしかに日本とアメリカは、台湾に対して余りに冷たすぎる。それが台湾の中国接近を助長している面はあると思う。日本とアメリカが本気で台湾を助けるかどうか分からなければ、台湾は中国に接近せざるを得ないだろう。

なおこの会合には、奥野誠亮・小田村四郎・板垣正の三先生が出席されていた。「富田メモ」などについていろいろお話を伺いました。

この後、「富田メモ」と靖国神社のことに関してある新聞社の取材を受ける。「富田メモ」公表の裏には大きな謀略があるという見方があるが否定できない。

夜は「政治文化情報」発送準備。

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2006年7月21日 (金)

千駄木庵日乗七月二十日

午後一時半より、千早社会教育會館にて「萬葉會」開催。小生が、天武天皇御製などを講義。

帰宅後は、『政治文化情報』八月号発送準備。

             〇

昭和天皇が「昭和殉難者の靖国神社合祀に不快感を示された」という報道が行なわれています。

富田元宮内庁長官のメモをよく読みますと、所謂『A級戦犯』すべての合祀に『不快感』を示されたのではなく、松岡洋右元外相・白鳥敏夫元駐伊大使の合祀を問題視されたと拝します。

昭和天皇は、昭和五十年十一月の御参拝を最後に靖国神社に参拝しておられませんが、大祭の時には勅使を差遣されておられます。今上陛下も同じであります。『昭和殉難者が合祀されたから、天皇の靖国神社尊敬の御心がなくなった』とすることはできません。

富田元長官のメモは、本来公表を前提に書かれたものではないと思います。それを公にすることは、ご本人の御意志にそうことでしょうか。また何故この時期に公にされたのか、御遺族の意図も明らかにされる必要があると思います。

また、昭和天皇の大御心とは、こうした一個人の『メモ』によって示されるべきものではないと思います。「聞き書き」はあくまでも「聞き書き」であり、富田氏が「聞いて書いた文」であます。メモであり断片的なものであります。富田氏が作文したというのではありませんが、そこに書かれていることが、昭和天皇の絶対の大御心と拝することはできません。

昭和天皇の大御心は、崩御されるまで靖国神社に勅使を差遣されていた事に正しく示されていると拝します。

今回の報道により、昭和殉難者分祀論・無宗教の戦没者慰霊施設建設論が活発化すると思いますが、昭和天皇が靖国神社を否定されたのでないこと、昭和殉難者の合祀を全面否定されたのではないことを、主張していくつもりです。

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2006年7月20日 (木)

千駄木庵日乗七月十九日

午後一時半より、ある会合にてスピーチ。

「わが国と朝鮮・支那との関係は、萬葉時代の昔からきわめて難しい関係であった。古代日本は遣隋使・遣唐使を送るなど大陸とは友好関係にあった時期もあったが、わが國の百済救援にともない唐新羅連合軍のわが国への侵攻の危機もあった。その後、対宋・対明貿易も行なわれたが、元寇という侵略もあった。元寇では朝鮮がその手先となった。今日も、支那と朝鮮が手を組んでわが国を圧迫してきている。これを撃退しなければならない。わが国は外圧によって大化改新・明治維新という国家革新を行ってきた。今日も国家革新を断行し外圧を跳ね除けるべきである。」ということを述べました。

午後六時半より、南大塚社会教育會館にて「萬葉古代史研究会」開催。小生が萬葉集作者未詳歌について講義。

             〇

先程テレビで、筑紫哲也氏が、「北朝鮮ミサイル発射によって先制攻撃論が起っているが、戦後日本の国策及び憲法に違反する危険な論議だ」というようなことを述べていた。全くおかしな議論である。国策や憲法を守って国家国民が滅びても良いと言うのだろうか。法律も国策も国家・国民を守るためにあるのである。押し付けられた現行憲法や戦後の似非平和主義という国策は一日の早く破棄されるべきである。

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2006年7月19日 (水)

千駄木庵日乗七月十八日

午前十一時、先輩の事務所を訪問。懇談。

その方は、保守政治家といわれる人におかしなことを言う人が増えていることを憂えておられた。まったく同感である。特に、玄洋社発祥の地であり、その伝統が息づいているはずの福岡県選出代議士である山﨑拓・古賀誠両名の言動は嘆かわしい限りである。山﨑拓は、靖国神社を蔑ろにする『無宗教の国立戦没者慰霊施設建設』に熱心であるばかりでなく、北朝鮮への先制攻撃を「違憲だ」などと言って反対した。古賀誠は、「靖国神社に参拝する時、A級戦犯を心の中ではずしている」などと言い、さらに今回でっち上げの「南京大虐殺記念館」に行き花輪を捧げた。困ったことである。

午後は、銀座画廊美術館にで開催中の「書宗院展」参観。比田井天来・川谷尚亭・石橋犀水・手島右卿・金子鴎亭などの書作品を見る。石橋犀水先生は、小生の大学時代の恩師である。

帰宅後、「萬葉集」講義の準備。

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2006年7月17日 (月)

千駄木庵日乗七月十七日

終日在宅して、今週行なう「萬葉集」講義の準備。

十九日には『萬葉古代史研究会』、二十日には『萬葉會』が開催されます。詳しくは、ホームページの活動予定欄をご覧下さい。

「尊敬する政治家は誰ですか」と問われれば、私は躊躇なく「奥野誠亮先生」と答えます。去年の終戦記念日のお昼頃、靖国神社参拝に参拝しました。炎天下、多くの人々が並んでいてなかなか拝殿前まで行きつけなかったのですか、すでに九十歳を超えられている奥野誠亮先生がお一人で参拝に来ておられました。奥野先生の歴史観・政治姿勢は前々から立派だと思っておりましたが、そのお姿を見て本当に感激しました。

奥野先生は憲法問題や歴史観で正論を吐露され、靖国神社問題でも、正しい立場を堅持しれて來られました。先生は当然衆議院議長に就任されるべき方でしたが、就任されなかったのはそういう事が影響したのかと推察しています。

内務官僚として奥野先生の一年後輩であり同じような道を歩いてきた後藤田正晴は、奥野先生とは全く逆の政治的立場に立っていました。人それぞれとは申せ不思議なことです。

奥野先生の御長寿と御活躍を祈念します。

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千駄木庵日乗七月十六日

終日在宅して資料整理、書状執筆。

夕方、家族で送り火。送り火とは盂蘭盆(うらぼん)の最終日に、迎えまつった祖先の霊を送るために門前などで焚く火のことです。我が家はマンションですので、ベランダで行いました。火を焚き、先祖に感謝の祈りを捧げるのですが、夕暮れ時ですので、何となく神秘な雰囲気となり、先祖の御霊が幽り世に帰って行かれることを実感しました。

仏教行事でありますが、日本伝統信仰の祖靈崇拝と佛教とが融合した行事でます。日本人は昔から死後の世界は現世と隔絶しているとは考えていなかったようです。「御先祖が草葉の陰から見守っている」という言葉があるように、何か御先祖とは意思の疎通ができるような気持ちを抱いているのであります。

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2006年7月16日 (日)

千駄木庵日乗七月十五日

午後三時より、青山の大東會館にて『國體政治研究会』開催。

佐藤優氏が「國體と戦略」と題して講義。

「日本民族の為に何が必要かを考えて学問すべし。少しのことでカッとしたり少しのことで脅える人よりも、少しボーっとしている人が国家民族のためになる。旧ソ連からは旧社会党に一番金が流れていた。ソ連は金をもらう親ソ派を軽蔑していた。日共もある時期まではもらっていた。ソ連は『我々すら信じていないML主義を信じている日共とは付き合いきれない』と思っていた。草の根の支持者を持ちソ連に金を置いていく創価学会・公明党を支持していた。ソ連の崩壊をこの目で見て、国家がなくなると民族もなくなり、人間一人一人が不幸になると肌身にしみて理解した。官僚機構がしっかりとしていても国家は三日間で滅びる。戦前の文部省が出した『國體の本義』を今日読み解きたい。『神皇正統記』『太平記」には世界に誇れる思想がある。アメリカの世界支配は何時までも続かない。内側から瓦解する。皇位継承で男系とか女系とかを議論すること自体おかしい。染色体論はおかしい。神の思想に人間の思想が入ってくる。國體の根本権威が担保できなくなる」と語ったのが印象に残った。もっともっと重要なことを語られたのであるが、全てを書く事は遠慮します。

終了後、出席者の方々と懇談。

佐藤氏の『男系・女系を議論するのはおかしい。染色体論はおかしい』という主張ははまったく同感であり小生も以前から言ってきたことである。そもそも臣下国民が女系を「容認する」だの「しない」だのという議論をすること自体余りにも不遜であり不敬である。

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2006年7月15日 (土)

千駄木庵日乗七月十四日

終日在宅して原稿執筆。

思い出話を二つ。

昔ある宴会で、偉人といわれる方の子孫であるとともにある方面の棟梁的人物とご一緒しました。その人物は宴会が始まっても一言もしゃべらず、泰然自若としておられました。私は「一黙如雷」とはこの事かと思っていました。ところがその方はきれいな芸者さんが宴会場は入って来たら、「こっちへいらっしゃい」と呼びかけました。ああこの方も私と同じように美女のことは好きなんだなあと思いました。

あるロマン主義作家と一緒に旅行した時、列車の中で私の前の席に坐っておられたその作家が、新聞を読みながら微笑んでおられました。何か気に入った小説でも読んでいるのかと背後に回り覗いてみましたら、株価欄でした。

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2006年7月13日 (木)

千駄木庵日乗七月十三日

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時より、『九段下沙龍』開催。多数の同志が参集し、靖国神社・北朝鮮問題・歴史問題を中心に意見交換が行なわれました。この国難の時期に、真剣にどういう運動を展開したらいいか討論しました。

                    〇

小生は次のようなことを述べました。昭和殉難者の靖国神社合祀について、『A級戦犯』を除外して参拝しているなどと言う人が保守派それも右派と言われる人の中にもいるが、「戦争責任」と「戦争犯罪」はまったく違う。それを混同して、所謂A級戦犯を犯罪者扱いしているのはまったくおかしい。戦争犯罪とは、原爆投下や焼夷弾投下によって幾十万の非戦闘員を殺戮するようなことを言う。昭和殉難者がたとえ開戦責任や戦争遂行にあたってその責任を問われるようなことをしたとしても、彼等は、「絞首刑」という「極刑」に処せられた。これ以上の責任の取りようはない。然るに、彼等を「戦犯」として責め立てるのは、「人の道」に反する。東條さんなどの昭和殉難者は軍事裁判という戦争行為によって敵国の手によって殺されたのだ。立派な戦没者である。靖国神社に祀られて当然である。

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千駄木庵日乗について

いつも小生のホームページ及びブログをご覧頂き有難うございます。

二日間にわたり業者側の故障により掲載できませんでした。本日午後復旧したようですので、今日から再開します。宜しくお願いします。

四宮正貴 頓首合掌

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2006年7月11日 (火)

千駄木庵日乗七月十日

朝は、田原総一朗氏と田原氏の『朝生』における発言について電話問答。小生の質問の手紙に対して田原氏が答えてきたものです。皇室史に関わる微妙な問題でありますので、詳しくは『政治文化情報』八月号で報告します。また田原氏から「性格破綻」といわれるのも嫌ですし、年長の人でもありますので、きわめて冷静にそして紳士的に対応しました。

午後は、自宅で仕事。

午後五時半より、中国国民党主席・台北市長の馬英九歓迎会が開催された西新宿のセンチュリーハイアットホテル前にて行なわれた『反日馬英九の来日不歓迎行動』に参加。古賀俊昭都議会議員、永山英樹・西村修平両氏、そして小生などが演説。多くの台湾関係者や台湾メディアが聞いていた。

小生は「反日国家共産支那との統一を志向し、長年台湾民衆を一党独裁政治で苦しめてきた国民党の政権復帰を目指し、あまつさえわが國に対して反日政策をとろうとする馬英九を歓迎する事は出来ない」と強く訴えた。

警察関係者が多く来ていましたが、一時間ほど経過しましたら、「これ以上続けると無届集会になる』と警告して来ました。私どもは集会を開いているわけではありません。ただ同じ考えを持つ人々が代わる代わるマイクを使ってそれぞれ主張を訴えただけです。権力というものはイザという時には、牙を剥いて来るものであります。

夜は原稿執筆。

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千駄木庵日乗七月十日

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2006年7月 9日 (日)

千駄木庵日乗七月九日

終日在宅して資料整理、原稿執筆など。

             〇

日本は今日、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産支那には領土と資源を狙われ内政干渉に屈している。今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心を発揮して國難に当たるべき時である。

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

これは村田清風の歌である。

村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没。

本居宣長の「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌。

今こそ、われわれ日本民族は、こうした戦闘的「大和心」を興起せしめねばならない。

外患の危機を乗り越えるには、唐新羅侵攻の危機・元寇・明治維新の危機を乗り切った我が國の歴史に学ぶことが大切であると考えます。

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千駄木庵日乗七月九日

終日在宅して資料整理、原稿執筆など。

             〇

日本は今日、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産支那には領土と資源を狙われ内政干渉に屈している。今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心を発揮して國難に当たるべき時である。

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

これは村田清風の歌である。

村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没。

本居宣長の「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌。

今こそ、われわれ日本民族は、こうした戦闘的「大和心」を興起せしめねばならない。

外患の危機を乗り越えるには、唐新羅侵攻の危機・元寇・明治維新の危機を乗り切った我が國の歴史に学ぶことが大切であると考えます。

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千駄木庵日乗七月八日

終日在宅して資料整理などの仕事。    

               〇

北朝鮮のミサイル発射を『瀬戸際外交』などと呼んでいるが、全くおかしな事である。これは外交などというものではなく、明らかに戦争準備行為である。しかも北朝鮮は「経済制裁を発動したら宣戦布告の見なす」「制裁を決めたことは言語道断で破局的効果をまねく」「われわれが制裁を加えることは正常な事だ」と言っている。これはまさに軍事的恫喝であり、わが國に対してミサイル攻撃などの軍事行動を起こすことを示唆したのだ。わが國が本当に国家国民の安全と独立を維持する意志と力があるのなら、北朝鮮に対し即刻先制攻撃をすべきである。「臭いトイレは元から断たなきゃダメという」というコマーシャルの文句があったが、北朝鮮によるミサイル攻撃を完全に食い止めるには、北朝鮮のミサイル基地を徹底的に先制攻撃を加える以外にない。わが国は「非核三原則」「専守防衛」という時代遅れにして現実に合わない政策を破棄すべきである。

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2006年7月 8日 (土)

千駄木庵日乗七月七日

午前は、お世話になっている方のお見舞い。

午後は、上野公園の東京藝術大学美術館にて開催中の『ルーヴル美術館展』参観。フランスのルーヴル美術館収蔵の中から古代ギリシア芸術の諸作品が日本に運ばれ展示されていた

「アルルのヴィーナス」「ボルゲーゼのアレス」「ギリシャ神話の神々の像」「ソクラテス・プラトン・アリストテレスなどの哲学者像」などを見る。

ヨーロッパ文明の源流は古代ギリシアにあるという。ギリシアに限らずヨーロッパ美術は、自然の景色よりも人物像が圧倒的に多い。そして人物の姿を美しく描いている。自然よりも人間を尊ぶというのがヨーロッパの精神なのであろうか。まことに不思議な気がする。わが國では彫刻も絵画も、自然以外を描いたものでも時代を遡るほど人物像は少なく仏像が圧倒的に多い。

人間が自然を支配するというのがヨーロッパの思想といわれる。日本の伝統精神は、人と自然は対立せず一体感を持っている。こうした違いが美術にも反映していると思う。

首が切り取られたり、顔の中心の鼻が削り取られている像が多かった。イスラム教やキリスト教という一神教の偶像崇拝否定の思想により、破壊されたのではないかと思う。こうした事もわが国では考えられないことである。

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2006年7月 7日 (金)

千駄木庵日乗七月六日

終日在宅して仕事。

衆院議員の稲田朋美さんが、『正論』誌六月号に発表した論文「保守政党の指導者たり得るのは誰か」において、「日本における伝統と文化とは何か。二千年以上つづいた皇統の存在と文化としての神道を抜きにして日本の伝統と文化を語ることはできない。従って私は皇位の継承と神道を重んじない人を日本の保守とは思わない」と書いておられる。全く同感である。その意味において、今日の日本には真の保守政治家はまことに少なくなっていると憂慮する。

「総理の靖国神社参拝は違憲だ」などと言い出した山﨑拓一派などはまさに神道を蔑ろにする「似非保守」である。

そうした連中は、日本の伝統やご皇室について無知である上、利権に結びついて、共産シナの手先となっているのだ。何とも許し難い存在である。

権力内部・体制の内側から、歴史と伝統の国日本を破壊しようとしているのである。考えようによっては、社民・共産よりも悪質である。

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2006年7月 6日 (木)

千駄木庵日乗七月五日

終日在宅して仕事。

北朝鮮のミサイル発射・韓国船の竹島海域侵入・共産シナ調査船の日本の排他的経済水域(EEZ)内での調査活動は、三つ国によるわが国に対する敵対行為である。わが國はまさに国家的危機にある。『元寇』という歌の「四百余州を挙る 十万余騎の敵 国難こゝに見る 弘安四年夏の頃」「いでや進みて忠義に 鍛へしわが腕 此処ぞ国の爲 日本刀をためしみん」という歌詞を想起する。

ところが日本にはミサイル攻撃からわが国を守る何の手段も持っていない。支那・韓国・北朝鮮の不法不当行為に報復する手段もない。

戦後日本の「平和主義」がいかに危険な思想であるかが証明されたのである。

「現行憲法の平和主義」や「非核三原則」を守って国が滅びしまっていいはずがない。この国難を乗り切るためには、敵性国家に効果的に報復できる国防体制の確立以外にあり得ない。

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2006年7月 5日 (水)

千駄木庵日乗七月四日

午後二時、永田町の自民党本部訪問。一水会の木村三浩代表と共なり。武部勤幹事長の「不敬発言」への抗議に対する回答を求めるためなり。情報調査局の猪俣満氏と会見。

武部幹事長が、ここの書くのも憚られるような不敬な発言を『週刊新潮』誌上などで行なった。われわれは、武部氏の国会事務所などを訪問して、回答を求めたのであるが、一切の対応は自民党本部で行っているとのことであった。

猪俣氏は「党として回答する立場にはない。また武部氏に対しても党として問責したり追及することはできない。武部氏本人は『一切無視する。回答しない』という対応である。釈明してもさらに尾鰭がついて波紋がもっと広がる」と述べた。

武部氏は政治家として言ってはならない発言をしたのにもかかわらず、事の重大性を認識せず、主体性がまったくない無責任な逃避的態度をとり続けている。「偉大なるイエスマン」と自ら称するだけのことはある。

色々報告したいことがありますが、あまりにも長くなりますので、警備状況の異様さを含めて『政治文化情報』で詳しく報告します。

この後、議員會館に、ある議員を訪問。懇談討議。

帰宅後、書状執筆など。

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2006年7月 4日 (火)

千駄木庵日乗七月三日

終日在宅して資料整理、書状執筆など。

民主党の小沢一郎代表が、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長とともに共産支那を訪問した。小沢氏は三日夜、唐家璇前外相と会談し、四日午後に、胡錦濤国家主席と会談するという。

小沢氏は、唐家璇との会談で、二日に発生した日本の排他的経済水域(EEZ)内での共産支那海洋調査船による事前通報のない調査活動に対して厳重に抗議を行なうべきであった。それが日本国の政治家としての役目である。然るにそれをせず、「中国との長い友好の歴史を踏まえ、今後も手を取り合って、協力関係を発展させなければならない」となどとオベンチャラを言ったのみであった。さらに小沢氏はいよいよ小沢民主党は「媚中政党」になり下がったようだ。

なぜ今この時期に、民主党の最高首脳三人がガン首を揃えて支那を訪問しなければならないのか。小泉総理の訪米などの外交活動に水をさすためとしか思えない。

わが國にとって今日敵対的な関係ある共産シナとの外交を権力闘争に利用するのは利敵行為である。それは元寇の時に、北条時宗から権力を奪おうとして、元に赴いて利敵外交を行なうのと同じである。小沢という人は権力奪取のためなら何でもする危険な政治家である。

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2006年7月 3日 (月)

千駄木庵日乗七月二日

終日在宅して資料整理・書状執筆。

先日ある方から、「皇室典範は皇室が定め、内閣は拝承して追認する形をとらないといけません」というご意見を手紙で頂戴した。全くそのとおりである。

小生もこれまで何回も『皇室典範』の改定は、陛下の大御心によらなければならないと論じた。本来、臣下のつくった成文法で「天皇・皇室」の御事を規定してはならないと信じる。『憲法』の「天皇条項」及び『皇室典範』は天皇の大御心によらねばならない。

まして外国の圧力で押し付けられた『憲法』『典範』によって、天皇・皇室を規制し奉る事はあってはならない。今この事を正さずに、改憲や典範改定が行なわれようとしている。すでに、國體は破壊されつつあると言っても過言ではない。

皇室・靖國神社に関する最近の動きを見ると、わが國の國體破壊がすでに進捗しつつあると思われてならない。大東亜戦争敗後、戦勝國は「日本弱体化政策」を行なったといわれているが、今にして思うと、戦勝國が行ったのは弱体化どころではなく、意識していたかどうかに関係なく文字通り國體破壊策謀であったと思う。六十年を経た今日、戦勝國の國體破壊策謀が功を奏しつつあるのである。

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2006年7月 2日 (日)

千駄木庵日乗七月一日

午後一時半より、春日の文京シビックセンターにて、『台湾研究フォーラム』開催。

永山英樹台湾研究フォーラム会長が「台湾人意識に影響を及ぼす『抗日史観』」と題して講演した。

「馬英九が『中国との統一が国民党の最終目標』と言ったので、台湾国民はびっくりした。馬英九は反日ではないと言うが、彼は『尖閣問題と歴史問題では譲らない』と言った。これを反日と言う。台湾人の中国人意識を高める手段が抗日史観。親日=愛台湾であり、反日=親中国。戦後反日教育しか受けていないので、民進党も国民党の抗日史観に反論できない。日本統治時代の歴史を台湾人の戦後世代は知らない。国民党はご都合主義で国民党本部に『抗日英雄』四人の写真を掲げた。しかし、この四人は決して親中国ではなかった。今でも原住民は日本が好き。台湾人に対する復讐心が、国民党の政権奪還の原点。国民党が政権復帰しても、台湾は反日国家にはならない。誇りある台湾の歴史観をつくるべし。国民党も中国とは一緒になりたくない。ただ一国二制度で特権を握っていたい。」と語ったのが印象に残った。

日台関係は極めて難しい状況に立ち至っている。永山氏をはじめとする「台湾研究フォーラム」の方々の一層の健闘を祈ります。

帰宅後は、書状執筆など。

日本が台湾・満州・朝鮮を植民地支配をしたと言うが、日本は、金日成のように数十万の朝鮮民衆を餓死させたわけでもないし、毛沢東のように幾千万のシナ民衆を殺したわけでもないし、国民党のように十数万人の台湾人を虐殺したわけでもない。國民党・中共・北鮮に日本を批判する資格は絶対にない。

日本は台湾・満州・朝鮮の近代化・民生の安定と発展に多大の貢献をしたのである。この正しい歴史を日本人自身が正しく認識すると共に、台湾・朝鮮・支那の民衆にもよく認識してもらわねばならない。

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2006年7月 1日 (土)

千駄木庵日乗六月三十日

終日在宅して、資料整理と書状執筆など。

「悪が栄えたためしはない」「因果応報」「撒いた種は刈り取らねばならない」という言葉があります。悪事を行った人は必ずその報いを受けるという意味の言葉です。

ところが、幾百万幾千万の人々を殺した金日成、毛沢東、スターリンという二十世紀におけるもっとも残虐無比なる独裁者は、この世においては、裁きを受けることなく病死しました。(もっともスターリン・金日成には他殺説もあります)

私にはこれが不思議でなりません。金日成、毛沢東、スターリンの三人は、政敵を殺すのみならず、多くの国民大衆をも虐殺したまさに悪魔のような人物です。この者たちはきっとあの世で厳しい裁きを受けていると信じます。

また、我が國の「革新勢力」と言われてきた勢力、「進歩的文化人」と称する人々は、スターリンのソ連、毛沢東の「中国」、そして金日成の北朝鮮を礼賛してきたのです。そうした人々(政党で言えば社民・共産両党、メディアで言えば『朝日』)にその責任をとってもらわねばなりません。

ところが、スターリン・毛沢東・金日成を礼賛した勢力の系譜を引く者共が今日、「靖国問題」「戦争責任問題」などで祖国の歴史を貶めているのであります。彼らに我が國の歴史問題で他者の責任を追及する資格などありはしないのであります。

ともかく、共産主義を信奉し、日本に革命を起こそうとしてきた勢力は、二十世紀最悪の独裁者スターリン・毛沢東・金日成と同根でありその手先であったのです。

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