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2006年6月11日 (日)

千駄木庵日乗六月十日

午後十二時より、青山霊園にて『無名烈士墓前法要』執行。読経・焼香が行なわれ、頭山興助氏が挨拶を行った。そのあと、同じく青山霊園にある金玉均氏の墓に参拝。

「無名烈士」とは、大正十三年に制定された米国の「排日移民法」に抗議し、同年五月三十一日米国大使館脇の井上子爵邸の一隅にて割腹自決を遂げた「雄神院義膽日忠大居士」のこと。氏名はわかっていない。内田良平・頭山満氏らが発起人となり国民葬が営まれ三万余の人々が参列した。のちに青山霊園に葬られた。

金玉均氏は韓国李朝末期の開化派の指導的政治家。日本政府の援助を期待し国家改革運動を積極的に推進したが失敗、明治二七年三月二八日、上海で閔妃の刺客により暗殺された。遺体は本国朝鮮に運ばれて凌辱され、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。

遺髪と衣服の一部は金玉均を敬愛していた日本人玄洋社社員・和田延次郎氏が密かに日本に持ち帰り、葬儀を浅草寺で営んだ。さらに、犬養毅・頭山満氏らが中心となり東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。

参拝の後、懇親会が行なわれた。

この後、小生は一人で青山墓地に戻り、大久保利通・斎藤茂吉・頭山満・犬養毅・濱口雄幸・牧野伸顕・井上準之助・吉田茂などの墓を巡拝しました。谷中霊園にはよく行きますが、青山霊園をゆっくり巡ったのは初めてでした。谷中霊園にも歴史上の人物が多く眠っていますが、青山霊園も多くの近代日本の大立者が永久の眠りについているのに驚きました。谷中霊園より比較的年代が新しい人々のように思えました。明治以後の日本をリードした人物にはやはり戊辰戦争の勝者である西南雄藩の人々が多いと実感しました。川路利良・亀井英三郎・坂信彌などの警視総監、そして西南の役で戦死した警察官の墓が多くありました。

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