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2006年4月 2日 (日)

千駄木庵日乗四月一日

午前は、お世話になっている方のお見舞い。

午後は、谷中にて、地元の方々と歴史問題について懇談打ち合わせ。

終了後、上野寛永寺に赴き、徳川綱吉の墓(常憲院殿靈廟)徳川家綱などの墓(厳有院殿靈廟)をめぐる。そして上野寛永寺根本中堂に参拝。屋根には金色の三つ葉葵の御紋が光り輝いている。そばに建つ『上野戦争傳記碑』を仰ぐ。

上野寛永寺に来る度に、徳川将軍家の栄華がしのばれると共に、覇者の奢りとその滅亡のあはれさを実感する。京都泉涌寺に鎮まりまします江戸期の御歴代天皇の御陵と比較すると徳川将軍の墓の豪華さはやはり心地良いものではない。しかも、将軍の墓地には権威づけにきらびやかな『勅額門』(天皇御直筆の額。勅賜の額)が建てられている。徳川幕府は、天皇・皇室を京都に押し込めながらその権威は利用するという姿勢であったと言っても言い過ぎではあるまい。しかし戊辰戦争では、栄華を誇った寛永寺も灰燼に帰してしまった。

『上野戦争傳記碑』には、彰義隊の戦いの経緯が記されている。何と尾張・水戸・津・彦根という御三家や親藩大名の兵が西南雄藩の兵と共に、徳川家の霊場であった上野山を攻撃して来た。何とも悲惨な事実である。

谷中墓地を抜けて、富士見坂を下り、帰宅。

今日は、上野も谷中も日暮里も桜が満開でした。

夜は、書状作成など。

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