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2006年4月30日 (日)

千駄木庵日乗四月二十九日

午前は、お世話になっている方のお見舞い。

午後から終日在宅して、原稿の校正。

「わが国は立憲君主制であるから、『皇室典範改正』は立法府で行うのは止むを得ない」という考え方がある。

しかし、「皇位継承」「皇室典範」は、祭祀国家日本の国柄・國體の根本に関わる事柄である。立法府という権力機構が決定してはならない。権力が権威を、俗が聖を規制するようなことがあってはならない。「皇位継承」「皇室典範」については、上御一人の大御心に帰一すべきと考える。

しかも、『現行占領憲法』は、戦勝国アメリカが敗戦国日本を精神的属国にしようとして押し付けたものであり、日本の傳統的國體観と絶対に相容れない「國民主権論」「契約国家論」を基礎としている。

このような『現行占領憲法』体制下の権力機構が、御皇室に関わることに介入してはならないと小生は考える。

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2006年4月29日 (土)

千駄木庵日乗四月二十八日

午前は、お世話になっている方のお見舞い。

午後から、在宅して資料整理。

小生が『一水会』という団体の顧問に就任したことに対して、ある人物から「一水会の顧問になったそうですが、おめでとうございます。」などと言われた。真面目に運動をしている団体の顧問になるという事は決しておめでたいことではない。むしろ責任を感じなければならないことである。こんなことを言う事自体、嫌味以外のなにものでもない。

その上その人物は、「一水会は『皇位継承問題』について、代表と前代表の考え方が異なっている。また、四宮さんとも考え方が異なっている。それなのにどうして顧問になったのですか」と言った。大きなお世話であり、余計なことである。

そもそも「皇位継承」「皇室典範」について意見の相違はあっても、國體護持・皇統連綿を祈る姿勢は共通しているのだから、同じ団体に関係しても何ら不思議でない。基本的立場さえしっかりしていれば色々な見解があって良い。

同志間の対立を煽るような発言をする人物に会うのは、精神衛生に良くない。

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2006年4月28日 (金)

千駄木庵日乗四月二十七日

午後二時、先輩の事務所訪問、懇談。

午後四時半、衆院議員會館に同志議員訪問、打ち合わせ。

午後六時半より、文京区民センターにて、酒井信彦前東京大学史料編纂所教授が『男系男子絶対主義の危険性』と題して講演。

「男系絶対論は支那朝鮮を崇めて日本を貶める考え方。Y染色体を持ち出すと皇室の歴史が神話の世界につながらなくなる。サルにつながらざるを得なくなる。日本国及び日本皇室の悠久の歴史とは神話の世界・高天原とつながっているという事。」と語ったのが印象に残りました。

この後、活発な質疑応答が行なわれました。

この問題は本当に難しいと思います。

何回も書きますが、権力機関で決めず、上御一人の大御心に帰一すべきと考えます。

帰宅後は、資料整理。

ホリエモンが釈放されましたが、武部勤氏が彼を「わが弟です。息子です」と言った「罪」は一体どうなったのでしょうか。「偽メール問題」で忘却されてしまった感がありますが、私は武部氏の「罪」は相当重いと思います。

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2006年4月27日 (木)

千駄木庵日乗四月二十六日

午後は原稿執筆。夜は資料整理。

韓國は、「日本の韓國侵略の始まりは竹島の日本編入からである」と主張しているが、その当時からわが國に朝鮮併合の意思があったなら、わが國政府は、領土的には何の価値も無い竹島ではなく、人が住める鬱陵島の主権を奪ったはずである。ところが日本政府は江戸幕府と同様に一貫して鬱陵島は朝鮮領とした。これは、竹島がその時以前からわが國固有の領土であったからである。

明治三十八年の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、日本政府が近代國家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、それ以前に、日本が竹島を領有していなかったとか他國が竹島を領有していたことを示すものではない。

大東亜戦争後、占領軍命令によって島根県の竹島に対する行政権の行使は停止されたが、サンフランシスコ講和条約の発効でわが國領土に復帰し、島根県の行政区域として再確認された。

サンフランシスコ講和条約で、わが國は「朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対する全ての権利権原及び請求権を放棄」(二条a項)することになるが、放棄した中に竹島はなく、竹島は日本の領土として残された

韓國による不当不法な竹島占拠に対してわが國政府は、昭和二十九年に竹島問題の國際司法裁判所への付託を韓國に呼びかけたが、韓國は頑としてこれに応じないまま現在に至っている。これは韓國が自己の主張に自信がない証拠である。

わが國は、一日も早く竹島を奪還しなければならない。盧武鉉が強硬姿勢で対処して来るのなら、わが国も盧武鉉以上の強硬姿勢を示すべきである。

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2006年4月26日 (水)

千駄木庵日乗四月二十五日

午後は原稿執筆。

午後四時半より、衆議員會館にて同志を懇談打ち合わせ。

帰宅後も原稿執筆。

 今日の日本は、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。対外的には、教科書問題・靖國問題・領土領海問題・歴史問題など、支那や南北朝鮮から内政干渉と軍事的恫喝と侮りを受け、領土領海は侵され、國家としての自主独立性は失はれてゐる。

対内的には、売國政治家の跳梁跋扈・教育荒廃・経済の停滞等々、文字通り内憂外患交々来たるといった状況である。政治家は与野党を問はず政権争ひ権力争ひに狂奔し、正しき國家の進路を指し示す事ができない。特に許し難いのは、外國からの内政干渉と追随し結託して祖國を内部から脅かす売國政治家・偏向マスコミの存在である。

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。

古代日本の大変革たる大化改新、そして近代日本の出発=明治維新も外国からの危機の下に行はれた。今日の危機的状況を維新変革の好機ととらえねばならない。

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2006年4月25日 (火)

千駄木庵日乗四月二十四日

終日在宅して書類整理、書状作成。

千葉七区の衆院補欠選挙で自民党が負けたのは、武部勤幹事長の人徳の無さと戦術の誤りが原因の一つだと思う。武部氏は、小泉総理総裁の下、謙虚さを失っているように見える。また小泉チルドレンを選挙区に投入してビラ配りをやらせたことも、明らかに失敗であった。「柳の下にドジョウはいない」という諺が分かっていない。

昔、吉田ワンマン体制下で自由党幹事長をした広川弘禅という人も吉田ワンマンのトラの威を借りた党運営をしたために批判を浴びた。大野伴睦氏は広川氏を「小人玉を抱いて罪有り」(大した人物でもないのに高い地位につくことは罪つくりだという意味)と評した。武部幹事長もまさに「小人玉を抱いて罪有り」という感じがする。

一方、小沢一郎氏も、一体何時まで民主党党首として無事にやっていけるか疑問である。菅・鳩山・渡部などという人々が何時まで小沢を支えていくか、若手議員が何時まで小沢に従っていくか、甚だ疑問である。

武部・小沢両氏に欠けているのは「人徳」である。

以上どうでもいいことですが、今日の感想を書いてみました。

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2006年4月24日 (月)

千駄木庵日乗四月二十三日

午前十一時より、上野公園の西郷南洲翁銅像前にて、『西郷南洲翁銅像清洗式』挙行。神事・国民儀礼の後、清水巖会長の挨拶。小生らが祝辞を述べました。

午後一時半より、赤坂の乃木神社尚武館にて、『主権回復記念国民大会』開催。

式典のみに参列し、帰宅。『政治文化情報』五月号の発送を行いました。

小生は、南洲翁像清洗式での挨拶の末尾で次のような事を申し述べました。

わが國はなぜ韓國の竹島占拠に断固たる対応ができないのか。一体韓國の何を恐れ、何に脅えているのか。問題の根本は、わが國政府の卑屈さである。このままだと、竹島は未来永劫韓國に“占領”されたままとなってしまう。領土を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権國家の政府としての基本的な外交姿勢である。それは西郷南洲翁が『遺訓』で、「正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」「國の凌辱せらるゝに當りては、縦令國を以て斃るゝとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所申すものにて、更に政府には非ざる也。」と説かれている通りである。

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2006年4月23日 (日)

千駄木庵日乗四月二十二日

午後は、『政治文化情報』の発送準備。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。駒澤大學大学院の高乗智之氏が「国権の主体」をテーマに発表。討論。

日韓両政府は二十二日、わが国固有の領土竹島周辺海域でのわが国の海洋調査問題で「韓国は、六月の国際会議でこの海域の海底地形について、韓国名を登録する提案をせず、日本も海洋調査を当面実施しない」という打開策で合意した。中途半端な合意であるが、わが国が海洋調査船を派遣する姿勢を見せなければ韓国は国際会議で海底地形について韓国名を登録していたであろう。

竹島はわが國固有の領土である。わが國は、遅くとも一七世紀はじめには、竹島を実効支配しその領有権を確立し、竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは歴史的事実に照らし、且つ、多くの文献、地図などにより明白である。竹島に李氏朝鮮の支配が及んだことはない。

韓國は竹島(韓國名・獨島)が西暦五一二年以降、韓國領に組み込まれたと主張している。しかし、韓國側が自國領とする当該島は、今日の欝陵島であり、わが國の竹島ではない。韓國側の主張は、古文献・古地図の読み変え・誤読による歴史歪曲に過ぎない。

韓國は、サンフランシスコ講和条約が発効する直前の昭和二七年一月一八日、竹島を自國領と主張し始め、公海上にいわゆる「李承晩ライン」を一方的に宣言、日本漁船を締め出すと共に竹島を強奪した。韓國はサンフランシスコ講和条約が発効する前に竹島を武力で占領し、自分たちで自國領土として宣言したのである。韓国こそわが国領土に侵入し不当占拠しているのだ。

韓國は、「日本人は愛國心が希薄であり軍事力や自衛隊を嫌悪しているから日本に何をしても反撃しない」と甘く見ているのではあるまいか。

このままだと、竹島は未来永劫韓國に“占領”されたままとなってしまう。わが國政府の弱腰外交・土下座外交は、わが國民全体の主権に対する希薄な意識に由来する。我々は「父祖伝来の地」という言葉の重みをもっと認識しなければならない。

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2006年4月22日 (土)

千駄木庵日乗四月二十一日

午後は今夜行なわれる『國體政治研究會』における小生の講演の準備。

午後六時半より、文京シビックセンターにて、『國體政治研究會』開催。高池勝彦氏が司会。小生が、「現御神信仰と皇位継承」と題して講演。活発な質疑と討論が行なわれました。出席していただいた方々に感謝します。

帰宅後は、『政治文化情報』五月号発送準備。

「皇位継承・皇室典範改正」については、田中卓先生、所功先生、小堀桂一郎先生、宇野精一先生など國體論・日本伝統精神論の碩学といわれる方々の意見が真っ二つに分かれています。

小生も色々勉強させていただいておりますが、本日は、小生の基本的考えである「①神武天皇以来の男系男子による皇位継承の傳統は出来得るかぎり守られるべきである。ただし、万一、女性天皇・女系天皇が御即位あそばされても、「皇統断絶・易姓革命・皇室消滅(かかる論議が今日氾濫している事に大きな危惧を覚えます)」という事にはなり得ない。②信仰共同体・祭祀国家日本の祭祀主たる天皇の御位の継承については権力機関で決めてはならない。天皇陛下の大御心に帰一すべきである。③西洋の生物學・国家論・法律論で日本國體・皇位継承を論ずるべきではない。」ということを中心に話させて頂きました。

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2006年4月21日 (金)

千駄木庵日乗四月二十日

午後一時半より、豊島区千早社会教育會館にて、『萬葉會』開催。額田王の歌を講義。

その後、衆議員會館に同志議員を訪問。懇談打ち合わせ。

夜は、明日の『國體政治研究會』にての講演準備。

政治の世界は昔からですが、国民運動の世界も、対立抗争が多くなっているようです。それも、主義主張の違いからの対立ならままだいいのですが、単なる権力闘争・主導権争いになっているようです。

国政選挙に選ばれた人々、そして、学者文化人といわれる人々は、それなりの見識を持ち経験を積まれた人々であるはずなのです。しかし何とも醜い争いが起こるのは困った事であります。

しかも、今日の日本は度々書いていますように、本当に内憂外患の危機に遭遇しているのです。一昨日と同じような事を書きますが、政治家も真正保守の学者・文化人といわれる人々も、つまらない争いは止めて、一致結束して国難に対処すべきであります。

政治は所詮権力闘争の世界ですが、学者・文化人や宗教家の争いは、普段奇麗事を言っている人々の争いですから、これほど醜いものはありません。

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2006年4月20日 (木)

千駄木庵日乗四月十九日

午後一時半より、ある会合でスピーチ。

午後六時半より、南大塚社会教育会館にて、『萬葉古代史研究會』開催。「萬葉集」巻十二作者未詳歌を講義。

帰宅後、明日の『萬葉集』講義の準備。

民主党本部を訪問した人の話によりますと、エレベーターの中で出会った男性は、渋谷駅前の街頭演説の現場でよく見かけた「極左活動家」だったということです。「今は民主党本部で電話番をしている」と言ったそうです。また、応対に出た本部職員は「元社会党本部員だった」と言ったそうです。民主党の専従職員には、今でも旧社会党系の左翼活動家が多くいるようです。

民主党には、国防・安保問題など国家基本問題で、まともな議論をする議員もいるのですが、左翼が混入しているのです。特に党職員に左翼が多いと言われるのは本当のようです。困ったことです。

東シナ海の油田開発問題そして竹島問題で、風雲急を告げる事態になりつつあります。日本を愛し、祖国の独立と主権を守らんとする勢力は一致団結して事にあたらなければなりません。分裂抗争しては絶対にならないと思います。

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2006年4月19日 (水)

千駄木庵日乗四月十八日

午後は、明日の「萬葉集講義」の準備。

午後六時より、西新橋にて開催された有志勉強会『黎明の會』に参加。谷口雅春先生の国家論を学ぶ。

帰宅後も、「萬葉集」講義の準備。

小沢一郎氏は今週号の『週刊朝日』で、とんでもないことを言っている。曰く「反自民、非自公という人とは、誰とでも協力する。社民党だけでなく、共産党だっていいですよ」「A級戦犯分祀は形の上ではできないんだけれど、僕らが政権をとったらやります。そんなの簡単です。中国なんかに文句は言わせないよ。ぼくは、天皇陛下が参拝できる靖国にしようと言っているんです。…僕がきちんとやりますよ。多数さえ与えてくれればね」。

今、日本は内憂外患交々来たるというまさに国難の時である。特に共産支那・北朝鮮・韓国との外交問題(軍事的脅威・資源・領土・靖国神社・拉致など。竹島と東シナ海は一触即発の危機にあると言っていい)の解決=日本の独立と主権と安全を守るために努力している勢力が一致結束しなければならない。社民・共産という売国政党を含む政権できたらまさに日本は亡国である。政権を取ることを至上命題とする小沢氏は「亡国政権樹立」を望んでいるのである。許し難いことである。

さらに小沢は、「民主・社民・共産が多数を制して政権を取ったらA級戦犯(正しくは昭和殉難者)の靖国神社合祀を止めさせる。そんなの簡単だ」と言っているのだ。一体どういう方法でそんな事を実現させるのか。靖国神社に対して政治権力が強制的干渉を行なうのか。第一、日本には「戦犯」はいなかった。

天皇陛下が靖国神社に参拝されなくなったのは、三木元首相が「私的参拝だ」などと余計なことを言って、総理の靖国神社参拝が物議をかもすようになったからである。昭和殉難者合祀とは全く関係ない。

小沢一郎は、己の政権欲を満足させるためには、国家がどうなってもいいと考えているとしか思えない。かかる人物を総理にしてはならないと考える。

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2006年4月18日 (火)

千駄木庵日乗四月十七日

終日在宅して、資料整理、原稿執筆。

この世を去った方々の御靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けている。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきたのである。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。

 先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。         

 ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。

 内閣総理大臣が、靖國神社に公式参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

その意味では、小泉総理及び安倍官房長官の姿勢は評価できる。小沢一郎氏は、戦後政治に対する批判には評価すべきところがある。しかし、靖国神社に関する考え方は全く評価できない。

戦没者への慰霊・歴史問題・対共産支那問題は実に重大であり、将来の日本を決する問題である。

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2006年4月16日 (日)

千駄木庵日乗四月十六日

終日資料整理と原稿執筆。

今月の『日本經濟新聞』の「私の履歴書」は宮沢喜一元総理です。宮沢氏は、「再び自由が失われた時代にしたくない。慰問袋や千人針が歴史の彼方に忘れ去られてしまうことを強く願っている」と書いています。こうした思いが宮沢氏の政治姿勢の根底にあるのです。自由を大切に思い平和を願うのは当然ですが、国の独立と安全を守るための防衛体制は絶対に必要です。また、敵対的な国家に対して毅然たる姿勢で臨まねばなりません。宮沢氏はまた、「戦争中に役人になった時は、この戦いに勝とうという志はあった」と書いています。宮沢氏のようないわゆる「平和主義者」でも祖国の危機に際しては、こういう気持ちを抱いたのです。しかし、宮沢氏や河野洋平氏の「共産中国」に対する姿勢が今日大きな悪影響を及ぼしています。その罪は大きいのです。

他の人の『履歴書』に比べて宮沢氏の『履歴書』にはお酒の話が良く出て来ます。宮沢氏はお酒が余程好きなようです。飲み過ぎると人が変り田中角栄氏や金丸信氏にからんだという噂を聞きます。小生の友人にも酒を飲むと人格がまつたく変換する人がいます。昼間は借りて来た猫のようにおとなしいのですが、飲むと文字通り虎のごとく噛みつきます。宮沢氏は暴漢に襲われた時、長時間にわたり格闘し撃退したことがありました。ひ弱そうに見えますがなかなか剛の人のようです。

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千駄木庵日乗四月十五日

午後は原稿執筆。

午後六時より、渋谷区西原の代々幡斎場にて行なわれた故清瀬信次郎先生の通夜に参列。清瀬先生は、法学者で亜細亜大学名誉教授であられたと共に、靖国會・日本協会・維新政党新風・三潴修学院・日華親善協会など真正保守派の各団体において指導的立場で活躍された。小生もかなり前から色々ご指導を頂きました。

父上は、清瀬一郎氏です。清瀬一郎氏も、法学者・弁護士であられたと共に政治家としても活躍され、文部大臣・衆議院議長を歴任された。また、『極東国際軍事裁判』では、東條英機元総理の主任弁護人を務め、ウエップ裁判長やキーナン検事と『裁判長忌避』『管轄権問題』で一歩も引かずにやり合った。また、第二次安保の時には、衆院議長として社会党議員の暴力に屈せず戦われた。

戦前においては、農民組合側の弁護士として小作争議裁判に臨んだ。また、治安維持法違反・不敬罪に問われた大本教の弁護も行った。

このように清瀬一郎先生は政治家としても法律家としてもまことに大きな足跡を残された方である。明石城頭の大日章旗掲揚塔には清瀬一郎先生の碑文がある。

清瀬信次郎先生は、偉大なる父上・清瀬一郎先生の志を継承され、日本の再生のために活躍されてきたのである。またお一人、大切な方が亡くなられてしまいました。心より御冥福をお祈り申し上げます。

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2006年4月15日 (土)

千駄木庵日乗四月十四日

午後は、原稿執筆。

午後六時半より、文京シビックセンターにて、『大正天皇の御聖徳を仰ぐ集ひ』開催。西川泰彦氏(太刀ケ嶺歌會主催)が講演し、「大正天皇の実録は昭和十二年に完成しているが、公刊されていない。実録とは天皇御降誕から崩御までの毎日の記録である。『明治天皇記』は佐藤内閣の頃刊行された。」と語ったのが印象に残りました。

西川氏はこの度『天地十分春風吹き満つ─大正天皇御製謹解―』を錦正社から刊行されました。私の母校である二松学舎の創立者・三島中洲先生は、東宮侍講を拝命し、大正天皇に漢詩漢文漢学を御進講申し上げました。

帰宅後、『政治文化情報』五月号の原稿執筆。日本文化と支那文化の比較について論じています。

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2006年4月14日 (金)

千駄木庵日乗四月十三日

午後は、原稿執筆。

午後四時、議員會館に同志議員訪問。懇談打ち合わせ。

夜は原稿執筆。

            〇

 戦争遂行時の国家指導者そして昭和殉難者は数多くいるのに、何故東条氏一人が批判され悪く言われ更には嫌われ憎まれるのであるか。仮に万一、東条氏が総理大臣在職中のみならず様々な公職にあった時に、日本国にとって不利益になることをし、日本国民に対して罪悪を行ったのならば、日本国民自身が正当な法的手続きを経て東条氏を裁き、「有罪」の判決を下すべきだったのである。

 しかしこれまで度々書いたが、東条氏を裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通りまさに「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であったのである。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しない。故に「東京裁判」なるものの「判決」により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然なのである。

昭和二十八年に政府は、当時の国会の決議を踏まえて戦勝国即ちかつての敵国の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定しその遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは国家意思と言っても良い。ゆえに靖国神社にお祭りし慰霊顕彰するのは当然である。今になって外国からの干渉に怯えて「戦犯」は戦死者ではないから靖国神社に祭るのは間違っているなどと言うのはまさしく歴史への冒瀆である。

さらにいえば、日本に原爆を落し東京大空襲を行ったアメリカの指導者・マッカーサーやトルーマンも戦争犯罪人として処罰されるべきだったのである。

 東条氏等のいわゆる戦犯は勝者による形だけの「裁判」で敵国により復讐され殺されたのである。東条英機氏等十四人の人々を「絞首刑」に処した戦勝国こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本国民として東条氏を戦死者・殉難者として靖国神社に祭らねばならぬのである。それが日本人の道というものである。

中曽根康弘・小沢一郎・渡部恒雄など「保守人士」の中にも、昭和殉難者の靖国神社からの分祀を主張する人がいるのはまことに残念である。

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2006年4月13日 (木)

千駄木庵日乗四月十二日

終日在宅して原稿執筆。

午後三時、ある新聞の編集委員が来宅。「私の恩師」というテーマで取材を受けました。中河與一・幹子先生ご夫妻のことを話しました。

中河先生をはじめてお見かけしましたのは、昭和四十二年頃だったと思いますが、生長の家本部で行なわれた『生長の家藝術家連盟』の会合で中河與一先生が挨拶された時でした。以後、『萬葉の精神』『偶然論』『天の夕顔』『愛恋無限』などの評論・小説を読み感銘を受けました。

昭和四十五年、三島由紀夫氏が自決された直後、池袋の豊島公会堂で開かれた『追悼の夕べ』の控え室で、中河與一先生にご挨拶申し上げましたのが、謦咳に接するようになった最初でありました。以来、お亡くなりになるまで中河ご夫妻には色々とご指導を頂きました。

中河與一先生は小説家としても大変すぐれた方でありましたが、『萬葉集』など日本の古典についても深い造詣を持っておられました。

今日は懐かしい師の面影を思い浮べながら話をさせて頂きました。

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2006年4月12日 (水)

千駄木庵日乗四月十一日

午後十二時半より、日本財団ビルにて、『虎の門道場』開催。

ロナルド・L・タメン米国ポートランド州立大学大学院院長が「台頭する中・印が形成する新・世界勢力図」と題して講演。「二十世紀は、相互破壊が平和を保障してくれると考えていた。バランス・オブ・パワーを信じていた。生産性を持った國は、戦争で惨禍を蒙っても不死鳥のように甦る。だから戦勝国は戦敗国を同盟国とすべきであって、敵国としてはならない。インドと中国は急激に成長している。

中国の人口はアメリカの四倍。一人当りの生産性はアメリカの四倍でもGDPはアメリカに匹敵する。中国が経済大国になり、軍事力が強化されても、国民一人一人は豊かではない。それが日米に対する中国の不満になる。中国にいかに国際社会の秩序を守らせるかが大事。米・日・印が手を結ぶ以外に平和を維持する道はない。日本はインドとの関係を重視すべし。」と語ったのが印象に残った。

この後、同志の事務所を訪問。懇談打ち合わせ。

夜は、原稿執筆。

一つの国を敵視するのは良い事ではない。しかし、共産支那は日本を敵視し内政干渉を繰り返し軍事的圧迫を加えている。日本は自国の安全と独立を守るために共産支那に対し正しき対処をするのは当然である。「中国は脅威である」と明言した前原氏が野党第一党党首の座を去ったのは甚だ残念である。

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2006年4月11日 (火)

お知らせ

『千駄木庵日乗』の文字の大きさがまちまちになっていますが、小生の意志ではありません。何故かこうなってしまうのです。文意にはまったく関係ありません。ご諒承下さい。

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千駄木庵日乗四月十日

終日在宅して、原稿執筆。

              〇

真正保守派の中に未だに小沢一郎氏に期待する人がいるのはまことに困ったことである。彼は格別、尊皇精神が篤く、日本國體及び日本伝統精神の深い理解がある人とは思えない。森喜朗元総理が「日本は天皇を中心とした神の国」と言った時、「主権在民の憲法の精神に反する」と言って批判した。

第二次安保の時、父親の小沢佐重喜氏が安保特別委員長をしていたので、小沢家がデモ隊に襲われそうになったことがある。そのせいか、岸信介元総理・賀屋興宣元蔵相など戦後、戦勝国から「戦争犯罪人」とされた人々が政治家になった事を自著で批判した。

小沢氏は、九日、NHKの番組に出演し、靖国神社参拝について「天皇陛下にも行っていただきたい」と述べた。そのうえで戦争指導者が祀られていることについては「(極東軍事裁判での)A級戦犯という言葉は認めない。勝った国が勝手に裁判したからだ。しかし、日本国民に対して戦争を指導した大きな責任がある」とした。 小泉首相の靖国神社参拝問題については「小泉氏の(参拝で)は駄目だ」と批判した。その理由として、「俗にA級戦犯と言われる人たちは戦争で死んだわけではない。日本の国民に対し戦争を指導した大きな責任があり、本来靖国神社に祭られるべきではない」と、昭和殉難者の合祀に問題があると主張し、「戦争で亡くなった人たちの御霊を守る本来の靖国神社の姿にかえるべきだ」と述べた。

小沢氏の主張は根本的に間違っている。『東京裁判』とは正当なる裁判ではなく、戦争行為の継続であり、報復である。したがってそこで処刑された人々は立派な戦死者であり殉難者である。戦争で亡くなったのである。

昭和殉難者の靖国神社合祀と、いわゆる「戦争責任」とは別問題である。東條英機氏など昭和殉難者の方々は、戦争開始及び遂行にあたって、「責任」を問われる事をしたかもしれない。しかし、彼等は、最後は国の爲に命を捧げたことは事実である。靖国神社に祭られて当然である。

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2006年4月10日 (月)

千駄木庵日乗四月九日

終日在宅して、資料整理・原稿執筆。

西洋諸国の外国の国家観・君主観・権力論を基本にした「現行占領憲法」は、祭祀国家・信仰共同体日本の国柄の精神を正しく表現していない。というよりも、「現行憲法」は、天皇の国家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、国家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び国家は「個人の敵」であるという考え方に立って制定された憲法である。そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「国民主権論」が採用されている。

 こうした「現行憲法」によるわが国の国柄の隠蔽が、国家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いているのである。

 日本の伝統的国家観・君主観とは「天皇は日本国の祭祀主であらせられ、日本国は信仰共同体である」という精神である。これとは絶対的に相容れない西洋の「権力国家思想」を基本原理としている「現行占領憲法」が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の国柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。「現行占領憲法」を一刻も早く破棄し、君民一体の日本国の建国以来の国柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

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2006年4月 9日 (日)

千駄木庵日乗四月八日

午後五時より、同志たちと靖国神社昇殿参拝。

その後、『九段下沙龍』開催。当面する諸問題について討議。

わが国は、外圧がきっかけとなって変革を成し遂げて来た。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行なわれた。蒙古襲来は建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機があった時に行なわれた。今日もまた外圧の危機に晒されている。今こそ、大変革を成し遂げなければならない。

蒙古襲来により日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮社の神職・中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌)

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫・藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

という歌が生まれた。

禅宗の僧侶・宏覚も蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には、

「末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国」

という歌を記した。

こうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。

 このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の和歌に表現された。

今日の政治家も変革・改革という言葉を連発しているが、危機を脱出するためには、単に政治体制の変革だけでなく、国民精神の革新・日本伝統精神の復興が行なわれなければならない。そしてその中核が、祖国への愛・至尊への恋闕の思いをうたいあげる和歌の復興なのである。

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2006年4月 8日 (土)

千駄木庵日乗四月七日

終日在宅して原稿執筆と書状作成など。

民主党の代表に小沢一郎氏が選出された。小沢氏は『政権交代』を強調しているが、政権交代だけが目的では駄目である。政権交代してどういう政治を行うのかを明確に示してもらいたい。民主党が政権を掌握した場合のプラス面は創価学会公明党が政権与党ではなくなることだけであろう。

小沢氏は自民党を飛び出た時から「改革」という言葉を繰り返しているが、彼の言う「改革」とは一体どういう事なのか明確ではない。石原慎太郎都知事は今日の記者会見で「小沢氏を評価していない」と明言した。しかし、民主党には小沢氏以外に党首になれる人物がいなかったのである小沢氏が「私自身も変る」と言ったことに対して、小泉総理は「人間はなかなか変らない」と言った。私もそう思う。

その意味でも、前原執行部の挫折は本当に残念であった。彼は「中国脅威論」をぶつなど期待できる人であった。

「挙党体制」と言うが、いまの民主党は国家基本問題(憲法・国防安保・教育・外交)で意見がバラバラである。すなわち、国政を担う政党としての理念・政策が確立していないのだ。こんな政党に政権を担う資格はない。もっとも自公連立政権も、国家基本問題で大きな違いがあるが…。

自民党左派、民主党左派、公明、社民で一つの政党をつくり、自民・民主の保守派で一つの政党をつくり、この二つの政党が政権を争うというのがあるべき姿である。

小沢氏が自民党内の権力闘争に敗れて、自民党を飛び出し、旧社会党・公明党・旧民社党・細川新党など政策も理念も全く異なる勢力と野合して細川内閣をつくって以来、日本の政治と経済は混乱したのである。小沢氏の罪は大きい。

小沢氏は、「近隣諸国との関係を改善したい」と言ったが、共産支那・南北朝鮮の内政干渉・軍事的脅威に対してどういう姿勢で臨むのかも明確にしていない。

というような次第で、私は小沢民主党に大きな期待は持てない。しかし民主党にも政策・理念がしっかりした真の保守・真の改革を目指す政治家がいる。そういう人々の奮起を望む。ここでは詳しく論じられないが、真の改革とは真の保守であり、真の保守とは真の改革なのである。

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2006年4月 7日 (金)

千駄木庵日乗四月六日

午前十時過ぎ、不忍通りを消防車・救急車・パトカーそして白バイまでもが何台もけたたましいサイレンを鳴らしながら、走って行きました。西日暮里駅で、韓国人武装すりグループが、催眠スプレーを撒き散らし、警察官をはじめ多くの人が被害に遭う事件が起ったのでした。西日暮里は私もよく利用する駅です。外国人犯罪が身近で起ったことに驚きました。日本人が韓国や支那大陸に行って、集団ですり・強盗・殺人という凶悪な犯罪を行うなどという事は聞いた事がありません。日本人の反韓・反中感情がますます高まると思います。

午後は、竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『藤田嗣治展』参観。自画像・裸婦と猫の絵・キリスト教信仰画・戦争画などを見ました。やはり乳白色の裸婦と猫の絵が素晴らしいと思いました。藤田嗣治は、戦時中戦争画を描いたことにより、戦後「戦争協力者」として指弾され、パリへ去りました。藤田嗣治が、私がご指導を受けた作家・中河与一氏と親しかったのも、中河氏も「戦争協力者」として戦後文壇から追放された形になったからでしょう。中河幹子夫人は、「主人も画家だったら、外国へ行ったかも知れない。でも作家はそうはいかなかった」と話されていました。

中河氏も藤田氏も大東亜戦争中、祖国の勝利のために積極的に活動したことは事実です。しかし、文壇・画壇の中にはこのお二人や保田與重郎氏をスケープゴートにして「戦争協力者」に仕立て上げ、自分たちの安泰を図った人がいたのです。「他を批判することによって自己を正当化する」という汚いやり方です。

午後六時半より、講演会『四・九中国の反日大暴動一周年を銘記せよ』開催。

平松茂雄氏が「台湾が中国の手に落ちれば、インドネシア・西太平洋・沖縄・東アジアが中国の支配下に入る。アメリカの影響力は後退する。中国には国家戦略があるが、日本にはない。」と語り、酒井信彦氏が、「中華人民共和国は侵略国家。侵略を正当化するイデオロギーは、中国は多民族国家であるから国内民族統一戦争は外国への侵略ではないという考え。チベット・蒙古・台湾への侵略もこのイデオロギーで正当化する。孫文の五族共和もそうした考え。大量の支那人の血によって元々からいた民族を同化し消滅させる。日本は核兵器を持てばいい」と語ったのが印象に残りました。

私は、あまり支那・朝鮮を敵視したくはありません。しかし、今朝、西日暮里で起きた事件や、支那・北朝鮮の侵略体質を見ると、「止むに止まれぬ大和魂」を押さえることはできません。

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2006年4月 6日 (木)

千駄木庵日乗四月五日

終日在宅して原稿執筆など。

民主党の代表選挙が話題になっていますが、小沢氏がなろうと菅氏がなろうと、あまり関心がないというのが率直な感想です。どちらも、改革という言葉だけが踊っていて、明確なる國體観・歴史観がないように思われるからです。そもそも、旧社会党という存在が民主党のガンです。

今日の国家緊急の課題は、憲法問題・教育問題そして国家の独立と安全をいかに守るかということである。共産中国は、今日、着々と軍事力を増強し、アジアにおける軍事的・政治的覇権を確立しようとしている。そして、わが国に向かって核兵器の狙いを定め、わが國の海洋資源や領土を虎視眈々と狙っている侵略国家である。また、教科書問題・靖国問題などでわが国にイチャモンをつけ内政干渉を行っている国である。このような國に対してわが国は、断固たる姿勢で臨むべきである。

今や政権政党内部そして野党第一党の民主党の中に、わが國の真の独立と歴史と伝統と民族の誇りを否定する勢力が大きな位置を占めている。そういう勢力が共産中国などと提携してわが国を転覆させる危険がある。わが國は文字通り、有史以来未曾有の危機に瀕している。真正保守勢力の結集が望まれるのである。自民・民主両党内の真正保守勢力の奮起を期待する。

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2006年4月 5日 (水)

千駄木庵日乗四月四日

午後十二時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『虎の門道場』開催。近衛忠煇氏(日赤社長・旧肥後熊本藩主第十八代当主。父上は十七代当主・護貞氏。母方の祖父は近衛文麿公。忠煇氏は近衛家の養子となられた当主となる)が「世界と日本・私の視点」と題して講演した。

「日本国民の三分の一はわが家の親戚になる。イスラエルの要求が受けいけられないことを理由にして、国際赤十字の分担金をアメリカは支払わない。戦争の形態の変化に連れて赤十字活動も変化して来た。日清・日露・第一次大戦における日本による捕虜の取り扱いは模範的と言われた。第二次世界大戦では違った評価が出た。『生きて虜囚の辱めを受けず』という『戦陣訓』があったので、捕虜を蔑視するようになった。捕虜の扱いに関する国際条約・ジュネーヴ条約に対する日本軍の無知が日本兵を加害者にも被害者にもした。捕虜になった日本兵も正当な主張が出来なかった。」と語ったのが印象に残った。

近衛忠煇氏のお話は、藤原鎌足をおまつりする奈良の談山神社の「千三百年祭」の時にもうかがったことがある。この時は、「大化改新以来の歴史はわが家と共にある」と言われ、歴史問題とくに戦後の自虐史観を厳しく批判され、その頃問題になつていた実兄(細川護煕元総理)の「大東亜戦争侵略戦争発言」を批判されたことを憶えている。

今回も、國體問題や戦時中の東條英機総理排撃運動や近衛文麿公と「開戦責任」など歴史問題についてのお話がうかがえるかと思ったが、赤十字活動について話された。

この後、衆議院議員會館にて同志議員と懇談・打ち合わせ。

夜は原稿執筆。

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2006年4月 4日 (火)

千駄木庵日乗四月三日

終日在宅して、資料整理と原稿執筆。

 我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常に野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な報復の場=復讐劇において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。

「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」という罪名を勝手に作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。

戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、戦争行為の継続である。ゆえにそこで処刑された人々は戦死者である。

また「極東国際軍事裁判」は見せしめのためのリンチであった。そして、わが國に「侵略國家」の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 「A級戰犯は靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った無法な「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 「昭和殉難者」は、まさに英靈であり戦没者である。靖國神社に祭られている英靈は今日唯今もわが國をお護り下さっている。 

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2006年4月 3日 (月)

千駄木庵日乗四月二日

終日在宅して資料整理。

             〇

わが国は祭政一致の国柄である。天皇は祭祀国家日本の祭祀主であらせられると共に統治者であられられる。皇祖神・天照大御神は、豊穣の神・慈愛の神であらせられると共に、断固として怒りたまふ武の神にでもあらせられる。鏡・玉・剣の『三種の神器』は、この事を表象している。

天皇は、地上における神の代理という魂的靈的なご性格と、現身としての血統的ご性格を併せ持たれる。この二つのご性格は不二一体である。

天照大神は、母神として祖母神としての慈愛と、父神としての力を併せてお持ちになる。従って、天皇は天照大神の地上的御顕現として男性原理と女性原理を併せ持たれる。宗教国家・信仰共同体日本の祭り主が女性であったとしても何ら不思議ではなかった。女性の祭り主=天皇・皇族が武力を用いなかったという事はないし、軍の統率者たり得なかったという事もない。神功皇后・斉明天皇・持統天皇のご事績を拝すればそれは明らかである。女帝も『三種の神器』を継承されるのである。

シナ人およびシナ文化との接触は、祭祀共同体日本に変化をもたらした。太古からの民族信仰の新鮮な活力を衰えしめた。シナの「男尊女卑思想」の流入が、平安時代以後の「皇位繼承」に大きな影響を与えたことは確かであると考える。

神武天皇以来の男系男子による皇位継承は出来得るかぎり守られねばならないが、「女性天皇・女系天皇のご即位は皇統断絶だ」という事はありえ得ない。繰り返し言う。現御神日本天皇は天照大神の地上的御顕現として男性原理と女性原理を併せ持たれる神聖なるご存在である。

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2006年4月 2日 (日)

千駄木庵日乗四月一日

午前は、お世話になっている方のお見舞い。

午後は、谷中にて、地元の方々と歴史問題について懇談打ち合わせ。

終了後、上野寛永寺に赴き、徳川綱吉の墓(常憲院殿靈廟)徳川家綱などの墓(厳有院殿靈廟)をめぐる。そして上野寛永寺根本中堂に参拝。屋根には金色の三つ葉葵の御紋が光り輝いている。そばに建つ『上野戦争傳記碑』を仰ぐ。

上野寛永寺に来る度に、徳川将軍家の栄華がしのばれると共に、覇者の奢りとその滅亡のあはれさを実感する。京都泉涌寺に鎮まりまします江戸期の御歴代天皇の御陵と比較すると徳川将軍の墓の豪華さはやはり心地良いものではない。しかも、将軍の墓地には権威づけにきらびやかな『勅額門』(天皇御直筆の額。勅賜の額)が建てられている。徳川幕府は、天皇・皇室を京都に押し込めながらその権威は利用するという姿勢であったと言っても言い過ぎではあるまい。しかし戊辰戦争では、栄華を誇った寛永寺も灰燼に帰してしまった。

『上野戦争傳記碑』には、彰義隊の戦いの経緯が記されている。何と尾張・水戸・津・彦根という御三家や親藩大名の兵が西南雄藩の兵と共に、徳川家の霊場であった上野山を攻撃して来た。何とも悲惨な事実である。

谷中墓地を抜けて、富士見坂を下り、帰宅。

今日は、上野も谷中も日暮里も桜が満開でした。

夜は、書状作成など。

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2006年4月 1日 (土)

千駄木庵日乗三月三十一日

終日在宅して原稿執筆と書状作成。

橋本元総理、高村元外相、野田元自治相、そして平山とかいう画家(東京芸大学長)たちが雁首を揃えて共産中国を訪問し、胡錦濤と会見した。そして小泉総理の靖国神社参拝についての内政干渉発言をかしこまって聞いていた。しかも、反日暴動・上海総領事館員の自殺事件・東シナ海のガス田開発など、共産支那のわが国に対する多くの不当不法な行為に対する抗議を一切行わなかった。

旧橋本派への一億円ヤミ献金事件の裁判で、村岡元官房長官が無罪になり、「橋本元総理をかばうために引退していた村岡氏がスケープゴートにされた」と取り沙汰されているのである。橋本元総理に政治家としてそして人間としての責任観・矜持があれば、とてもいま時、共産中国など訪問してはいられないはずである。橋本氏は一連の疑惑の責任をとって国会議員を引退したのだ。恥を知る人ならばとてもよその国なんか訪問出来ないはずである。しかも、ご機嫌伺い土下座外交をしに行ったのである。まったく許し難いことだ。

共産中国に対しては毅然とした態度で対峙しなければならない。どうも共産支那や北朝鮮に対する姿勢がおかしな政治家は、政治倫理の面でもおかしい人が多い。田中角栄がその元祖である。

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