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2006年3月12日 (日)

千駄木庵日乗三月十一日

昨日の深夜まで『政治文化情報』の原稿を執筆してゐました。今日はよく晴れてゐましたので、気分転換のために、午後から近所を散歩しました。

以前、駒込林町いはれてゐた町から千駄木町・弥生町・根津宮永町といはれてゐた町を歩きました。半床庵といふ茶室、高村光雲(上野の西郷像などをつくった彫刻家。高村光太郎の父)・高村豊周(彫金家)父子住居跡、宮本顕治・百合子夫妻旧居跡、駒込大観音(光源寺)、夏目漱石旧居跡(猫の家)、聖テモテ教会、S坂などを回り根津に至りました。

古い建物が大分無くなり、空地になってゐました。特に根津権現のすぐ近くにあった「上海楼」といふ旅館が無くなってゐたのには驚きました。ついこの間まであったのです。この旅館は明治時代には遊郭だったと思はれます。根津権現のそばには江戸時代から遊郭がありました。ところが、丘の上の旧前田藩邸に東京帝国大学が置かれることとなり、遊郭は洲崎に強制立ち退きさせられたのです。

しかし、この「上海楼」は立ち退きしないで、普通の旅館としてこの地で営業を続けたとのだと思はれます。戦後は、修学旅行などで東京に来た生徒たちが泊まってゐました。「上海楼」といふ名称は遊郭時代のままだと思はれます。よくテレビドラマの撮影に使はれてゐました。

昔の情緒をのこす建物がどんどんなくなっていくのはさみしいかぎりです。サトウ・ハチロウが住んでゐた家も無くなりました。

谷中・根津・千駄木は、関東大震災の被害も余り大きくなく、戦争では爆弾は落されましたが焼夷弾が落されなかったので焼失した家も少なかったやうです。明治大正時代どうかすると江戸時代の建物がそのまま残ってゐます。根津権現がその典型です。私の育った家も、大正時代に建てられた棟割長屋の一角でした。江戸時代末期の長屋もまだ残ってゐます。

帰宅後は、ずっと資料整理。

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