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2006年3月31日 (金)

千駄木庵日乗三月三十日

午後二時より、キャピトル東急ホテルにて、『マスコミ総合研究所定例研究会』開催。河崎眞澄産経新聞社前台北支局長が、「台湾政治の現状とこれから」と題して講演。

「昨年十一月の選挙で、国民党の得票率が急速に伸びた。民進党政権は台湾人アイデンティティを強調して来たが、二〇〇三年九月に台湾人意識がピークとなった。憲法問題で陳水扁への失望が広がった。昨年二月以来、李登輝と陳水扁は一度も会っていない。アメリカが『住民投票』に反対するのは、台湾人の意識が変化して中国との統一を選択する危険があると思っているから。台湾にイージス艦を与えたら中国に情報が流れると思っている。つまりアメリカは台湾を信用していない。国民党は、中国共産党を手段として逆襲を始めた。つまり第三次国共合作。蒋介石・蒋経国時代の反共だった国民党からは変質した。反共ではなくなった国民党と日本はどう付き合っていくのか。」と語ったのが印象に残りました。

小生の「国民党独裁時代は、国民に自由は無く台湾独立運動は禁圧されたいた。しかし、大陸からの侵攻を防ぐという緊張感があった。民主化後は、自由は保障されるようになったが、国民に緊張感がなくなり、中共への警戒感がなくなったように思える。武力侵攻されるのなら、一国二制度を受け入れた方が良いと考える人が増えるのだはないか」という質問に対して、河崎氏は、「徴兵制が機能している。アルバイトに来ていた学生も軍隊から帰って来ると、逞しくなっている。また、今も防空演習が行われている。ただし、日本に昭和二十年以前の日本は全て悪かったと思っている人が多いのと同じく、台湾にも民主化以前の台湾は全て悪かったと思っている青年が多い。」と答えました。

「自由民主主義と民族主義・国防意識の両立」がたいへん重要であり難しいことであることは、日本も台湾も同じです。アメリカはうまく両立させているように思えます。また反日となると思われる馬英九政権がもし出来たら日本はその対応をどうするのかが問題です。

終了後、夕暮の日暮里諏訪台から谷中墓地を歩きました。桜は満開でしたが、寒風吹き荒び、とてもお花見という雰囲気ではありませんでした。それでも場所取りや花見の宴を開いている人はいました。

帰宅後、原稿執筆。

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2006年3月30日 (木)

千駄木庵日乗三月二十九日

午後は原稿執筆。

夕刻より、同志と懇談打ち合わせ。

私がはじめて台湾を訪問したのは、昭和四十年代後半、まだ蒋介石が存命中で、国民党一党独裁体制下であり、戒厳令が布かれていた時のことです。私にとってはじめての海外旅行でしたから、色々な体験をしました。

ホテルで『中央日報』(国民党機関紙)に目を通しました。歴史を扱った記事に「王逆精衛」「毛匪沢東」「葉匪剣英」と書かれていました。王精衛(和平救国路線をとった南京国民政府主席)は蒋介石政権に逆らった逆賊だとして姓と名の間に「逆」という字を入れ、毛沢東と葉剣英は共産匪賊だとして「匪」という字を入れたのです。

「何とも凄まじい憎悪であることよ」と思いました。日本の戦前の新聞も、足利高氏の事を「足利逆高氏」とは書きませんでした。

日本と支那の国民性の違いはとても大きいと思いました。五十年間にわたって日本の教育を受けてきた本来明るい海洋民族・台湾人がそういう支那人となかなか融和出来なかったのは当然と思います。

その台湾訪問の時、色々お世話をして下さった台湾の人及びその友達は、戦後大陸から来た支那人を「チ〇〇〇ロ」とか「奴等」と言いました。これにも驚きました。台湾人は余程支那人を嫌っているのだと実感しました。

ある酒場で呑んでいましたら隣の席にいた中年の紳士が私たちに話し掛けてきて、「あなた方は日本の人ですか。私は、元日本陸軍上等兵ですよ。戦争ではお国の爲に戦いました。戦争が終わったら日本語はお国に返しました。でも大和魂はまだ持ってますよ。台湾に女を買いに来る今の日本人よりずっと私の方が大和魂がありますよ」と言いました。これには心の底から感激しました。

以来、私は台湾及び台湾人が大好きになり、台湾独立が正義であると信じるようになりました。

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2006年3月29日 (水)

千駄木庵日乗三月二十八日

午後は原稿執筆。

午後六時半より、文京区民センターにて、『外国人参政権の美名に潜む危険性』と題する講演会開催。村田春樹氏が司会。

登壇者の発言は次の通り。

西村幸祐氏(ジャーナリスト)「小泉訪朝で拉致事件が知れわたったので、朝鮮総連への風当たりが強くなり、総連は民団に接近した。朝鮮籍を韓国籍にして民団に所属する人が増えた。民団青年部が韓国の国会議員会館で、竹島問題や教科書問題で反日演説を行った。国内でも反日活動をしている。在日韓国人に地方参政権を付与するのは危険。日本人による日本人のための日本人の日本を守ろう。創価学会には韓国籍の人が多いという。読売新聞は支那の手に落ちた。」

酒井信彦東大教授「民族独立自決・民主化が世界の歴史の流れ。『書の至宝展』という支那と日本の書の展覧会があった。前近代の歴史を利用した日本への文化侵略が行われ、成功している。支那による精神的侵略はほぼ完成。人口的侵略がこれから活発になる。軍事的侵略はもう始まっている。万里の長城から南の支那十八省が本来の支那の領土。揚子江以南は支那の領土にあらず。人口的侵略は日米安保でも防げない。支那人が国内で暴動を起し、居留民保護の名目で軍が日本にやって来る。その時、日本は支那軍と戦えるか。日本民族が支那の吸収される危険あり。」

『書の至宝展』は私も見学しましたが、支那の作品よりも日本の作品の方がずっと洗練され美しいものでした。また支那には仮名がありませんので、仮名文字の美はまったくありません。文学・彫刻・建築・絵画など他の藝術も、支那よりも日本の方が洗練され高度にものになっていることは、実際にその作品を見れば、火を見るよりも明らかであります。つまり、日本は支那から色々な文化・文明を輸入しましたが、支那をはるかに凌駕する高度な文化・文明をつくりあげたのであります。そのことをわれわれ日本人は誇りとすべきであります。

ともかく、日本人は自信を持って支那の中華帝国主義に対峙すべきであります。

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2006年3月28日 (火)

千駄木庵日乗三月二十七日

終日在宅して、資料整理と原稿執筆。

昨日の『サンデープロジェクト』で「公安警察」について論議していました。途中からしか見ることが出来なくて残念でした。警察権力のみならず国家権力は、民衆の味方である場合と、敵となる場合があります。

とりわけ軍・警察・税務署の三つは、国家にとってなくてはならない組織であります。しかし、この三つの組織・役所ほど、時として民衆の敵となったり嫌われる場合があることは、時の今昔・洋の東西を問わずよくあることです。

今日の日本の警察が民衆の敵になっているとは小生は思いません。しかし、警備公安警察が、日本国の治安のため・国民大衆の安全な生活のために活動しているのなら良いのですが、特定の政治権力者の手先になる場合があるとしたら問題であります。

靖国神社に「昭和殉難者」をお祀りしていることに反対し東條元総理を猛烈に非難している某大新聞社トップや、靖国神社の存在そのものをも否定している某巨大宗教が、警察権力に強い影響力を持っているという話しを聞いています。(奥歯に物が挟まったような言い方ですみません)

警察権力は組織防衛のためなら違法行為もします。私が都議会の警察消防委員会を傍聴しようとしたら、警視庁の刑事に威圧を加えられました。これは明らかに公務員職権濫用です。一生忘れられない事実です。

いわゆる保守勢力や政権与党の中に国を危くする者共がいる今日、国家権力機構である警備公安警察がそうした者共の手先となってしまう危険があります。

各戸別にビラをまいたら捕まるという国になってしまったことに驚いています。共産党だから捕まっても構わないとは小生は思いません。今後、真正保守勢力や民族派のビラ配りも規制を受けることになりかねません。

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2006年3月27日 (月)

千駄木庵日乗三月二十六日

終日在宅して資料の整理。

戦争には行き過ぎや残虐行為は付きものなのに、わが国のみがそれを行ったとして、半世紀以上もたってからギャアギャア非難攻撃する者共いる。読売新聞のトップ渡部恒雄氏までがそういう考えを持ち、戦争直後の左翼学生時代に戻ったかのように、昭和殉難者の靖国神社合祀を口汚く罵っている。

歴史の検証は正しく行なわれなければならない。しかし、祖国を一方的に断罪し、戦争行為の継続である軍事裁判において敵国によって処刑された人即ち戦死者を、靖国神社におまつりすることに反対するのはやめてもらいたい。

 わが国の軍隊が戦争中に行ったことが「残虐行為」ならば、アメリカによる東京大空襲・広島長崎への原爆投下、ソ連による満洲・樺太・千島・シベリアにおけるわが国国民の大量殺戮は「残虐行為」ではなかったのか。大東亜戦争で最も惨い「残虐行為」を行ったのは、米ソである。

 この六十年間「戦後意識」「加害者意識」にさいなまれ続けてきたわが国民は、精神的に参ってしまった。国家意識を喪失させられている。

こんな異常な世の中でまともな子供が育つはずがない。このような日本になってしまったことを護国の英霊はどれほど悲しんでおられるであろうか。日本だけが悪かったなどという誤った贖罪観念を払拭しなければならない。

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2006年3月26日 (日)

千駄木庵日乗三月二十五日

今日は良いお天気でしたので、午後から駒込の六義園に赴き、庭園を散策しました。この庭園は、元禄十五年(一七〇二)、川越藩主・柳沢吉保が自ら設計指揮をして完成した「回遊式築山泉水庭園」です。園名は、『古今和歌集』の序文に見える「六義」(歌の内容上の分類である風・雅・頌と、表現方法上の分類である賦・比・興の総称)にちなんで命名されました。

柳沢吉保は川越藩主と言うよりも、五代将軍・徳川綱吉に側用人として仕え権勢を揮い、のち甲府十五万石の大名となりました。大体、『水戸黄門』『忠臣蔵』などの芝居や映画で悪役・敵役として登場します。虎の威を借る狐的人物として描かれることが多いようです。果たして実像はどういう人物だったのでしょうか。和歌や儒学の教養はとてもあった人だと思われます。

文京区には、このほか水戸藩の小石川後楽園、前田藩の東京大学、細川藩の新江戸川公園などの旧大名庭園があります。

明治維新後、六義園は、三菱財閥創始者・岩崎弥太郎(土佐出身・明治新政府の御用商人と言っても間違いではないでしょう)の別邸となりました。墨田区の清澄庭園も大名屋敷でしたが、維新後岩崎弥太郎が手に入れました。明治維新は徳川権力から薩摩長州土佐などの西南雄藩への権力の移動だったという説く人がいます。昭和十三年に岩崎家より東京都に寄付され、公園となりました。

私宅の近くにあるので何時でも行けると思っていたためか、あまり来ることはありませんでしたが、最近は、年に一回くらい来ています。枝垂桜が見事でした。

帰宅後、たまりにたまった新聞・雑誌を整理しました。

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2006年3月25日 (土)

千駄木庵日乗三月二十四日

午後は衆議員會館にて、同志議員と打ち合わせ。その後、ある出版社を訪問して、打ち合わせ。

夜は原稿執筆。

                   〇

戦後日本においては、まともな「宗教教育」が行われて来なかったことが今日の社会の頽廃の原因である。。

しかし、古代から今日に至るまで宗教戦争によって多くの人命が奪われてきたことも事実である。中東などでは一神教による凄惨なテロや殺しあいが続いている。わが国内においてもオウム真理教事件という宗教教団による大量殺人事件が起った。政権与党になっている創価学会は、今日唯今日蓮正宗と凄まじい宗教戦争を展開している。

こうしたことを考えると、宗教教育・宗教心の涵養とは言っても、宗教なら何でもいいというわけには行かない。教育の場において、正しい宗教観を子供たちに植えつけ、間違った宗教にとりつかれないようにすることが必要である。

正しい宗教精神の涵養によって、人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。そして、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

「宗教教育」は、特定の教団の教義を強制的に子供たちに教えることではない。わが国生成以来の国民信仰であるところの神道、そして長い歴史の中で日本に包摂されてきた儒教や佛教などの宗教精神を、学校教育の場で正しく子供たちに教えることが「宗教教育」である。それによって人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

さらに、正しい宗教精神の涵養によって、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。

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2006年3月24日 (金)

千駄木庵日乗三月二十三日

午後は原稿執筆。

午後六時半より、青山の大東會館にて、『國體政治研究會』開催。

黒田秀高氏(伏見稲荷大社禰宜)が「皇室自立主義の法理─皇位は制度に非ずして靈統の繼承」と題して講演。

きわめて大事な問題ですので、「聞き書き」を書くのは遠慮させて頂きます。

                〇

わが國の文學史とりわけ和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・白村江の戦い・壬申の乱・奈良遷都という激動・変革・建設の時代を背景として生まれた。

 在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗から生まれて来たと言える。後鳥羽院の覇者・北條氏の武家政治に対する戦いの時代には『新古今和歌集』が生まれた。

 幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放っている。さらに東洋の解放を目指した大いなる戦いであった大東亜戦争に殉じた将兵たちの辞世の歌は、万人をして慟哭せしめる不滅の価値を持つ。このように國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

 それらの歌は、なべて日本國の精神を包み込んで表白し、それぞれの時代性と変革の状況において個性を以て表現されている。

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2006年3月23日 (木)

千駄木庵日乗三月二十二日

午後一時半より、ある会合にて、スピーチ。

帰宅後は原稿執筆など。

最近、在日台湾人の方から頂いた『台湾監獄島』といふ本を読みました。国民党政権下における政治弾圧が生々しく書かれてゐます。この本を読みますと、支那人が如何に残虐なる民族であるかが、理解できます。また、台湾において独立運動・民主化運動をした方々が如何に苦労されたかがわかります。大変貴重な本であり、多くの台湾人・日本人に読んでいただきたいと思ひます。

支那人権力者には法律も道義も人権もありません。ただ残虐無比なる暴力による支配があるのみです。

今日、台湾において、國民党が勢力を回復しつつあり、馬英九が総統になる危険が高まっています。これは台湾にとっても、また日本にとっても大変危険なことであります。何とか阻止しなければならないと思います。

台湾は絶対に内部分裂してはなりません。台湾が繁栄し自由化し民主化したことは良いことですが、台湾の若者の国家防衛意識・愛国心が希薄になってゐるのではないかと危惧します。共産支那のいふ「一国二制度」を受け入れた方が軍事的対立よりは良い考へる連中が多くなると、事態は悪化します。台湾は自主防衛の意志を共産支那や国際社会に示さなければなりません。ところが、軍事予算が野党=国民党・親民党の反対で国会を通らないのです。

台湾の特に若者たちに、支那人政権の圧政と暴虐の歴史を知らしめると共に、台湾人は支那人ではないという事を認識させなければなりません。

陳水扁氏がもう少ししっかりしてゐればと思ふことがあります。李登輝氏があまりに立派だったからでせうか。

『NHKのど自慢』は台湾においてこそ真っ先の行はれるべきものです。NHKは共産支那が怖いので開催できないのです。メキシコシティーでやって台北でやらないなどといふ事はまことにおかしいと思います。

「中華帝国主義打倒」こそが、日台両国共通の課題であります。

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2006年3月22日 (水)

千駄木庵日乗三月二十一日

午後、母と共に菩提寺に赴き、晴れわたる青空のもと、先祖の墓をお掃除しお花とお線香を供へ拝礼しました。先祖のお護りにより生かされていることに感謝しました。

そしてお寺の和尚さんにご挨拶申し上げました。

先祖のお墓にお参りをしますと、心が落ち着きます。また何か清められた思ひが致します。今年八十六歳になる母が元気なのも有難いことです。父は八十七歳です。父は今日は留守番でしたが元気です。

敬神崇祖はわが国の伝統であり国民道徳の基本であると思ひます。今日も、菩提寺のほとんどのお墓にお花が供へられてゐました。

帰宅後は、原稿執筆と書状作成。

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2006年3月21日 (火)

千駄木庵日乗三月二十日

午後三時より、赤坂の日本財団ビルにて、『インド最前線報告會』開催。森尻純男氏(インド・マンガロール大学客員教授)が「インドを知る、インドを読む」と題して講演。

「IT産業がインドのGDPの三八パーセントを占める。八八年からの教育改革=イギリス式教育システムの大胆な変革が、大きな役割を果たした。金融にからまなければITそのものの経済へのファクターは大して与えられない。ITバブルはインドには来なかった。インドは実業を基盤にしないと成り立たない。インド人は頭が良い。気をつけて付き合いなさい。私は何回もだまされた。二〇〇六年に訪印したブッシュは『IAEA、核拡散防止条約を取っ払ってインドと協力する』と言った。アメリカはインドを認めざるを得なかった。インドには自立し土地を所有する農民がいない。土地解放がうまくいっていない。山間農業・採取農業に携わる非定住者や遊牧民がゲリラを養っている。日本こそ、日本人の世界観・社会観とインド人のそれとを鏡のように向い合わせて協力すべきだ。日本とインドは全体主義の中国とは全然違う。インドは土地が豊かだが、イギリスに搾取され続けた。今は化学肥料も使い収穫量も増えた。」と語った。

また、日下公人氏(東京財団会長)は、「インドでは以前、農民は人間以下とされて人口統計にカウントされなかった。輪廻思想を信じているので、虫は先祖かもしれないということで、殺虫剤で虫を殺さない。日本はイラクに永久駐兵した方が良い。ウイルソン大統領は『地下資源は人類の物』と言った。あの辺の石油共同管理機構をつくり、その議長を日本がやる。」と語った。

日下氏は自ら「国粋主義者ではない」と言われていたが、相当過激な発言であった。しかし、アメリカ・イギリスという白人国家よりも、日本が中東の平和確立に貢献できることは事実だと思います。ただし、それには日本人自身がもっとしっかりしなければなりません。白人の有色人種に対する差別と搾取が長く続きそして徹底したものであった事も事実です。

夕刻は、同志と懇談打ち合わせ。

夜は原稿執筆。

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2006年3月19日 (日)

千駄木庵日乗三月十九日

午後、「政治文化情報」を発送しました。

その後、原稿執筆など。

             〇

北朝鮮が暴発するだの、しないだのという論議があるが、あの国はもともと何をするかわからない国であり、何時でも暴発する危険がある。わが国はそのための万全の対策を講じておくべきである。この万全の対策とは、北に金や食糧を出してご機嫌をとることではない。

「北朝鮮=金正日の暴発を防ぐために、食糧や物資やカネを出すべきだ」という考えはまったく間違っている。そんなことをするのは、「泥棒に追い銭」どころの話ではない。自分に襲いかかって来ようとする異常者に刃物を渡すようなものだ。

「人道支援」という言葉があるが、金正日政権を支援することは最も人道に反する行為である。経済援助や食糧支援によって金正日政権を延命させるべきではない。金正日政権が存続することによって、一年で数十万人の北朝鮮人民が飢死していくのだ。また、わが国の安全を根底から脅かす核爆弾や生物化学兵器が増産されるのだ。

北の独裁体制を打倒することを第一に考えねばならない。北朝鮮に住む人民の人権を蹂躙し続けるばかりでなく、餓死せしめている巨大な監獄国家が北朝鮮である。そのような地で呻吟して暮らしている拉致被害者を一刻も早く救出すべきである。

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千駄木庵日乗三月十八日

終日在宅して、『政治文化情報』発送準備。

韓国の盧武鉉大統領は、十七日、福田康夫氏らとの会見で、靖国神社境内に建てられてゐる『遊就館』を訪れる意向を示したといふ。総理の靖国神社参拝を牽制する発言であることは明らかだ。

しかし私は、どうぞ訪問し参観してもらひたいと思ふ。そして日本の栄光ある近代史を学んで頂きたい。

ただし、靖国神社に限らず、神社内に建てられてゐる施設の参観は、その神社の本殿に参拝することが前提である。盧武鉉氏は一国の大統領である。靖国神社の遊就館を参観する前に、正式昇殿参拝を行ってもらはねばならない。それが礼儀である。訪問した国の戦没者が祀られてゐる神社を訪れたのに参拝もせず、ただ関心のある施設のみを参観するだけといふことは許されない。

盧武鉉大統領が靖国神社を参拝し、アジア解放の戦ひに身を捧げた英霊に敬意を表する事は意義のあることである。その決意が盧武鉉氏にあればどうぞ靖国神社に参拝してもらひたい。参拝しないでただ遊就館を参観するだけといふのなら、御祭神への不敬行為であるから、これを阻止しなければならない。

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2006年3月18日 (土)

千駄木庵日乗三月十七日

またまたパソコンの具合が悪くなりまして、十七日は『日乗』を記す事が出来ませんでした。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後六時半より、東京青山の大東會館にて、『國體政治研究会』例会開催。相澤宏明氏が『里見岸雄先生の皇位継承論』と題して講義。活発な質疑応答が行はれました。

皇室の御安泰を願ふ人々の間で、皇位継承・皇室典範といふ重要なことで意見の対立がみられます。本来、臣下が論議するやうなことではなく、陛下の大御心のままに決定せられるべきと小生は信じます。しかし、現行占領憲法下では、国会といふ権力機構で決められてしまふことになってゐます。ゆへに、憂国の念篤い方々が悩み、勉強し、討論をしてゐるのであります。

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2006年3月17日 (金)

千駄木庵日乗三月十六日

午後一時半より、豊島区の千早社会教育会館にて、『萬葉會』開催。

天智天皇御製

「渡津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたくも)に入日さし今夜の月夜清明(あきらけ)くこそ」

について講義させて頂きました。

この御製は、斉明天皇七年(六六一)、朝鮮半島からの侵攻の危機に対処すべく、斉明天皇が軍団を率いて九州へ赴かれる途中に、伊南野(兵庫県加古川市・明石市一帯)あたりにお泊まりになられた時、斉明天皇に供奉した中大兄皇子(のちの天智天皇)が詠まれた。

通釈は、「大海原の上の大空に豐旗雲に入日がさしてゐる。今夜の月はさぞ清く明るいだらう」といふほどの意。

この御製には、神代以来のわが日本民族の雄大なる自然観そして伝統的道義感覚が表白されてゐる。

「渡津海の豐旗雲」といふ言葉に、神代以来の自然の中に神を見る「自然神秘思想」、自然を神として拝む心が表れてゐる。

「清らけく明らけく」(清らかで明るい)といふのが、日本人の倫理・道徳の最高の価値とされてゐる。日本民族は、汚れや陰湿さを嫌ふ。そして清らかで爽やかで潔い人が尊ばれた。「あいつは悪人だ」といはれるよりも「あいつは汚い奴だ」といはれることを恥とした。それは「清明心」を無上の価値とするからである。            

この天武天皇の御製を拝して思ひ起こすのは、昭和天皇様が昭和十一年に、『海上雲遠し』と題して詠ませたまひし次の御製である。

「紀伊の國の潮のみさきにたちよりて沖にたなびく雲を見るかな」

 

 この雄大なるしらべも上御一人ならではの言葉に尽くし難いすばらしさである。天武天皇・昭和天皇の御製には、人と自然との一体感・生命の交流がある。客観的に歌はれてゐるやうで、そこに大いなる自然に驚異し、自然と一体となった御心が歌はれてゐる。両天皇の御製を拝すれば、神代以来のわが日本民族の雄大なる自然観が、上御一人によって古代から今日まで脈々と伝承されてゐることが明らかとなるのである

帰宅後は、『政治文化情報』四月号発送準備。

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2006年3月16日 (木)

千駄木庵日乗三月十五日

午後は、議員會館にて同志議員と懇談・討議。

午後六時半より、南大塚社会教育会館にて、『萬葉古代史研究会』。巻十一の作者未詳歌を講義。

帰宅後、明日の『萬葉會』の講義準備。

昨日今日と大変美しいまんまる月が空に浮かんでゐます。日本人は古来大変月が好きです。わが国は、日の本の國ではありますが、和歌や俳句にも太陽よりも月を詠んだ作品が多いのです。古来、日本人は夜空に浮かぶ月を見て格別の詩情をそそられたのでありませう。

私の好きな作品は、

「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(額田王)

「悲しくて眠らざりけるよすがらの月の移りは忘れざるべし」(中河與一)

「月天心貧しき町を通りけり」(蕪村)

などです。

歌曲は『荒城の月』を初めとして多くの作品があります。歌謡曲となりますと『名月赤城山』『月がとっても青いから』『月よりの使者』『月が鏡であったなら』等々無数にあります。皆私の得意とする歌であります。

そこで一首。

今日もまた夜空に浮ぶ月を見て世の行く末をたゞ思ふかな

正貴

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2006年3月15日 (水)

千駄木庵日乗三月十四日

午後は、原稿執筆。

午後七時半より、高田馬場のシチズンプラザにて、『一水会フォーラム』開催。

高森明勅氏が「皇室典範の改正を如何に考えるか」と題して講演。この問題はきはめて重要であり、小生の聞き書きをここに記すことは、小生が誤って理解したことを高森氏の考えとしてしまふ恐れもありますので、遠慮させて頂きます。

帰宅後も原稿執筆。

共産支那の「全人代」が終りました。共産支那は靖国神社及び歴史問題で「歴史を鏡とせよ」などと偉そうなことを言って、わが国を非難攻撃しますが、共産支那こそ、歴史の捏造の本家本元です。反右派闘争における大量粛清、大躍進運動における大飢饉、文化大革命における大量虐殺、天安門事件などの悲惨な歴史を隠蔽し国民に教えない国が共産支那なのです。このやうな國にわが国を批判する資格は全くありません。

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2006年3月14日 (火)

千駄木庵日乗三月十三日

午後は原稿執筆。

午後六時より、都内で『九段下沙龍』開催。当面する課題、とくに政治家の皇室に対する誤れる姿勢・マスコミの劣悪なる皇室報道について討議。

在日米軍再編の中間報告に盛り込まれた厚木基地から岩国基地への空母艦載機移転の賛否を問う山口県岩国市の住民投票で、反対が賛成を大きく上回った。

TBSの「ニュース23」を見ていたら、筑紫哲也氏などは鬼の首でも取ったようにおおはしゃぎで、「住民の意志を尊重しろ」と言っていた。

米軍基地問題は、岩国市の下水道や道路や市立学校がどうしたこうしたという問題ではない。日本・アジアそして世界の安全保障・平和に関する問題である。岩国市民の意志だけで決定するべき事でない。したがって住民投票などを行うべきではない。

外国軍の基地が日本国内にあるのは本来あるべき姿ではない。しかし、日本が日本の軍事力だけで日本の独立・主権・安全を守ることができる体制になっていない以上、米軍基地が国内に存在するのは止むを得ない。

最近は、北朝鮮、共産支那の軍事的脅威が深刻になっている。浮ついた反米軍基地運動は、日本の独立と安全を根底から揺さぶる利敵行為である。

筑紫哲也氏などは基地反対キャンペーンをする前に、共産支那や北朝鮮の軍事的脅威をどうしたら跳ね除けることができるのかその具体策を国民に示すべきである。

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2006年3月13日 (月)

千駄木庵日乗三月十二日

終日在宅して資料整理と原稿執筆。

 皇位の継承は、天皇が血統だけでなく、道統・靈統を相承されることを意味しています。「萬世一系」とは、単なる御血統の一系だけではなく、御神格・大御心の一系です。

しかし、血統の継承が大前提であることはいふまでもありません。邇邇藝命・神武天皇以来の血統を継承されない人が皇位を継承することはあり得ませんし、絶対にあってはなりません。

皇位とは「天津日嗣の高御座」であります。「天津日嗣」の、「天津」は「高天原の」、「日」は「太陽」もしくは「靈」の意であり、「天津日嗣」とは、太陽神たる天照大神の「靈統」を嗣(つ)ぐというほどの意である。つまり、高天原の天照大神から皇位を永遠に継承しているといふほどの意であります。「高御座」とは高天原の天照大神のおられる所と同じ高さの所という意味であります。

 天皇は「天津日嗣高御座」(アマツヒツギノタカミクラ)にのぼられることによって、天照大神の地上における御代理すなわち「現御神」としての御本質を開顕されるのであります。 

皇位継承・天皇の御即位とは、先帝が高天原に上りたまい、新たなる天皇の御神靈が、血統を継承される日継の御子の玉体に天降るということであります。

西洋法思想や外國の君主制度の模倣などによって、この道統を隠蔽するようなことは絶対あってはならないのであります。

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2006年3月12日 (日)

千駄木庵日乗三月十一日

昨日の深夜まで『政治文化情報』の原稿を執筆してゐました。今日はよく晴れてゐましたので、気分転換のために、午後から近所を散歩しました。

以前、駒込林町いはれてゐた町から千駄木町・弥生町・根津宮永町といはれてゐた町を歩きました。半床庵といふ茶室、高村光雲(上野の西郷像などをつくった彫刻家。高村光太郎の父)・高村豊周(彫金家)父子住居跡、宮本顕治・百合子夫妻旧居跡、駒込大観音(光源寺)、夏目漱石旧居跡(猫の家)、聖テモテ教会、S坂などを回り根津に至りました。

古い建物が大分無くなり、空地になってゐました。特に根津権現のすぐ近くにあった「上海楼」といふ旅館が無くなってゐたのには驚きました。ついこの間まであったのです。この旅館は明治時代には遊郭だったと思はれます。根津権現のそばには江戸時代から遊郭がありました。ところが、丘の上の旧前田藩邸に東京帝国大学が置かれることとなり、遊郭は洲崎に強制立ち退きさせられたのです。

しかし、この「上海楼」は立ち退きしないで、普通の旅館としてこの地で営業を続けたとのだと思はれます。戦後は、修学旅行などで東京に来た生徒たちが泊まってゐました。「上海楼」といふ名称は遊郭時代のままだと思はれます。よくテレビドラマの撮影に使はれてゐました。

昔の情緒をのこす建物がどんどんなくなっていくのはさみしいかぎりです。サトウ・ハチロウが住んでゐた家も無くなりました。

谷中・根津・千駄木は、関東大震災の被害も余り大きくなく、戦争では爆弾は落されましたが焼夷弾が落されなかったので焼失した家も少なかったやうです。明治大正時代どうかすると江戸時代の建物がそのまま残ってゐます。根津権現がその典型です。私の育った家も、大正時代に建てられた棟割長屋の一角でした。江戸時代末期の長屋もまだ残ってゐます。

帰宅後は、ずっと資料整理。

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2006年3月11日 (土)

千駄木庵日乗三月十日

午後十二時半より、赤坂の日本財団ビルにて『虎の門道場』開催。

フィンランドのヘルシンキ大学ロシア東欧研究所所長のマルック・ギヴィネン教授が「ロシアとのつき合ひ方」と題して講演。

「ロシアは基本的には長い間変る事はないであろう。経済は急速に発展してゐるが、制度上の変革は不完全。計画経済と市場経済とを併せ持ってゐる。政治も権威主義と民主主義が混在。市民社会が未発達。司法も独立してゐない。言論の自由も完全ではない。社会的不平等は度合いをましてゐる。ロシアの将来のシナリオは、①経済が破綻する。②権威主義が強化され、強大な軍事国家となる。我々はあらゆる手段を使ってロシアがこの道をたどらないやうにしなければならない。③近代化・民主化が進められる。」と語ったのが印象に残った。

帰宅後、原稿執筆。

西村眞悟議員に対する「辞職勧告決議案」が提出されましたが、ホリエモンを「わが弟です。息子です」と言った武部自民党幹事長の責任は何故追及されないのでせうか。また武部氏自身何故責任をとらないのでせうか。「息子」「弟」が刑事責任を司直の手によって問はれてゐるのですから、政治家たる者その責任を明確にし、しかるべき方法で責任をとるのが当たり前と思ひます。

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千駄木庵日乗三月九日

午後、議員會館にて、同志議員と打ち合せ。

夕刻、友人の令夫人が開店したお店の開店祝ひ。

ブログがつながらなくなり、日乗が掲載できませんでした。

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2006年3月 9日 (木)

千駄木庵日乗三月八日

終日在宅して原稿執筆。『政治文化情報』四月号の原稿です。

共産支那の台湾併呑・日米離間・日本属国化の動きがますます顕著になってゐる。

①台湾対岸に配備する短距離弾道ミサイル七百八十四基まで増加。②北京五輪の聖火リレー台湾通過表明。③李肇星外相が小泉総理靖国神社参拝を「ドイツの指導者はヒトラー崇拝を表明してゐない。米国人は一九四一年十二月七日に起きたことを忘れてゐない」と興奮気味に批判。

   と②は、台湾独立の動きを封じ込める硬軟両様の策略である。③

は、靖国問題を持ち出して、「尖閣問題」「東シナ海ガス田共同開発問題」を支那側に有利に運ぼうとする策略であると共に、アメリカの反日意識を煽り日米を離間させやうとしてゐるのだ。

わが国は共産支那のかかる策謀を粉砕しなければならない。支那は外交と策略がうまい。悪知恵が発達してゐる。わが国はその逆である。小泉総理・麻生外相・安倍官房長官には余程しっかりしてもらはねばならない。日本は、台湾と米国とは共同して共産支那を封じ込めねばならない。それがアジアの平和とわが國の安全と独立を守る要諦である。

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2006年3月 8日 (水)

千駄木庵日乗三月七日

午後は原稿執筆。

夕方、湯島天神参拝。御祭神は、天之手力雄命・菅原道真公。御創建は、雄略天皇二年(四五八)。

境内の梅園を散策。『菅家遺戒碑』を仰ぐ。國学者・大國隆正の筆で、菅公の精神を傳へる文章が刻されてゐる。

「凡そ神國一世無窮の玄妙なる者は、敢へて窺ひ知る可らず、漢土三代周孔の聖教を学ぶと雖も、革命の國風深く思慮を加ふ可き也」「凡そ國学の要とする所、論古今に渉り天人を究めんと欲すると雖も、其の和魂漢才に非ざるよりは其の閫奥を闞ふこと能はず」と刻まれてゐる。

難しい漢字が用いられてゐるが、「和魂漢才」を説いた言葉で、支那の学問や思想を学ぶことは大切だが、わが國體と相容れない思想・学問とりわけ革命思想はこれを受け容れるべきではないと説いてゐると思はれる。

大東塾の佐々木壽先生の御子息であられる神職の方に資料を頂いた。

菅原道真公は、今日学問の神様として多くの人々に崇敬されてゐる。ただし、菅公は、単に抜きん出た学者であられただけでなく、國風文化の復興興隆に力を注がれた偉大なる愛國者であり尊皇の人であられた。

湯島天神の境内は泉鏡花の小説『婦系図』の舞台ともなった。新派の舞台そのままの渡り廊下もある。

湯島天神は、根津権現・日暮里の諏方神社と共に、私宅に近い神社であるので、よくお参りさせて頂いてゐる。白梅は七分咲きであった。

帰宅後、原稿執筆。

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2006年3月 7日 (火)

千駄木庵日乗三月六日

午後は、書状作成など。

夜は幡ヶ谷にて同志と懇談打ち合せ。当面する課題について色々討議しました。

現下日本に於いて三つの重大問題があります。①皇室典範改正問題。②憲法問題。③無宗教の國立戦没者追悼施設建設問題である。どれもわが國の根本的成り立ち・國柄・天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家日本といふ國體に関はる問題です。この三つの問題が正しく解決されない場合は、それこそ祖國は危機にさらされます。

今日の日本の混迷と亡國の危機は、終戦直後の戦勝國による日本弱体化のための様々な施策が今日実を結び花開いてゐるのです。

しかし、日本國は如何なる困難も國體精神・日本國の道統に正しく回帰することによって乗り越えて来ました。大化改新・元寇・建武中興・明治維新・大東亜戦争の歴史に学びつつ、これからも進んで参りたいと思ひます。

上に天皇おはしますかぎり、日本國は滅亡することはありません。わが國の國體は天壌無窮であります。

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2006年3月 6日 (月)

千駄木庵日乗三月五日

終日在宅して現行執筆・資料整理など。

           〇

 和歌は維新の志から生まれる。和歌が真に「命・言靈」のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。現状に満足し変化を望まないといふ意味での平穏な暮らしの中からは和歌は生まれない。命が枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。

 幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放ってゐる。國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

今日の日本もまた、外には謝罪外交・領土資源問題、内には政治家官僚の腐敗・邪宗教の横行・教育荒廃等々、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。

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2006年3月 5日 (日)

千駄木庵日乗三月四日

終日在宅して資料整理と原稿執筆。

              〇

日本民族の倫理精神と日本の國の歴史と文學を研究し、結合した學問を築かうとした學問が國學である。そしてその學問は徳川時代中期に発生し、幕末という國難の時期に大成した。

 國学は外圧といふ有史以来未曾有の危機をどう打開するかという情熱・慷慨の志の上に立ってゐる學問であって単なる知識を求める學問ではない。現状変革の実行を目指した學問である。もっとも日本らしい學問であり明治維新の思想的基盤となった。

 日本民族の生活を対象とし、日本人の生活の奥底に流れてゐる倫理観というか道義精神といふものを探求する學問が國學である。つまり日本の文學・歴史・國語の中から理想を見出し、さらに理想を今日において実現しやうとするのである。

現代日本人の多くは、日本の歴史精神を忘却し否定した。そして道義は頽廃し国家の誇りを忘却しつつある。また、人の造り出した科学技術を信頼しそれを駆使して、自然を破壊し公害を起こしてゐる。現代においてこそ、日本の<歴史精神>に回帰し、「神話」に学び、<日本の道>を踏み行ふ心即ち國學を回復するべきである。

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2006年3月 4日 (土)

千駄木庵日乗三月三日

午後は資料整理。

とにかく色々な資料が毎日増え続けます。それを整理しないと、いざ必要な時に何処にあるのか分からなくなります。

今日も古い資料を整理してゐたら、ゾルゲ事件に関はった西園寺公一のことで貴重な資料が出て来ました。西園寺は、華族でありながら、左翼思想にかぶれ、戦後は堂々と日共に入党し、共産支那の手先だった人物です。

近衛元総理の周辺には、左翼思想の持ち主が多くゐました。かういふ人々が支那事変拡大・米英敵視を煽動したことは事実です。また当時のマスコミも同じ姿勢でした。陸軍だけが戦争に突っ走ったといふことではないのです。

アジア共産化のための大きな謀略があり、それに日本がはめられたといふのは否定できないやうです。

戦時中は戦争を煽り協力しながら戦後になって「平和主義者」に変身した人々が多いのです。もっとも悪質なのは、国際共産主義運動の手先となって日本を戦争に駆り立てた尾崎秀実や西園寺のやうな人物であります。

午後六時半より、全日空ホテルにて、「朝まで生テレビ!二〇年感謝の夕べ」開催。君和田正夫テレビ朝日社長・田原総一朗氏などが挨拶。また、今年早々に亡くなったこの番組のプロデューサーだった日下雄一さんを「偲ぶ会」も催されました。日下氏は田原氏をよく助け、色々と気を使ふ人でした。私が田原氏に対して激昂した時も、すぐなだめに来てくれました。

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2006年3月 3日 (金)

千駄木庵日乗三月二日

午後二時より、築地本願寺にて執行された『白垣彬氏本葬儀』に参列。

帰宅後は、資料整理、書状執筆。

                    〇

同志の方からの御意見とお問ひ合はせに対して次のやうに御返事しました。御参考のために記させて頂きます。

一、天照大神が女性神であると『日本書紀』の何処に記されてゐるか。

「日本書紀」神代上第五段本文に「伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議りて曰はく、「吾にすでに大八洲國及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主たる者を生まざらむ」とのたまふ。是に、共に日の神を生みまつります。大日孁貴と號す」とあります。大日孁貴とは「偉大で尊い日の女神」といふ意味です。

「日本書紀」神代上第六段一書第二には素戔嗚尊が天照大神に「請ふ。吾と姉と、共に誓約立てむ」と呼びかけられてゐます。

二、皇室典範改定問題について。

権力機構が信仰共同体日本の祭祀主の御位について干渉してはならないと信じます。俗が聖を規制してはならないと思ひます。「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げます。これは、「高天原にゐます天照大御神の霊統を継承される御方の座される高い御位」といふほどの意です。まさに神聖不可侵の「御位」なのです。

その神聖なる御位=天津日嗣の高御座の継承のあり方を、権力国家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならないと思ひます。

皇位継承など御皇室に関はる重大事は、天つ神の御意志・神代以来の肇国以来の傳統に基くべきです。そして、天つ神の御意志・肇国以来の傳統の体現者は、上御一人日本天皇であらせられます。

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2006年3月 2日 (木)

千駄木庵日乗三月一日

いよいよ三月になりました。今日は、終日在宅して書状作成、資料整理。非常に多忙で、なかなか手紙を書く時間がなくて困ってゐます。折角頂いたお手紙のご返事も遅れがちになってゐます。申し訳ございません。

「一夫多妻男」といふ面白い言葉がマスコミに登場してゐます。「何々男」といふのは「偏屈男」「嘘つき男」「泣き男」「無責任男」といふやうに、余り良い意味では使はれない言葉です。

「一夫一妻男」が世の中の既婚男性の大半を占めてゐるわけです。しかし例外的に「一夫多妻男」も存在してゐるのです。小泉内閣総理大臣や小生は独身ですので、「一夫ゼロ妻男」あるいは「一夫無妻男」といふことになります。

これからマスコミは、既婚男性を「一夫一妻男」、独身男性を「一夫ゼロ妻男」と呼ぶのでせうか。

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2006年3月 1日 (水)

千駄木庵日乗二月二十八日

今日で二月も終りです。湯島天神の梅の見ごろは未だのやうです。しかし雛祭りが終り卒業式が行はれ、そして桜の花が開き春となります。本当に時の流れは早いと実感します。

今日の午後は、衆議員會館にて、同志である議員と懇談打ち合はせをしました。

第一議員会館の前は報道陣が張り付いてゐました。永田議員の騒動は、民主党の完敗だとか何だとかいはれてゐます。与野党を問はず、議員の質の低下はひどいものがあります。昨日もテレビタックルといふ番組で民主党議員が、自民党議員を『お前』呼ばはりして、北野たけし氏にたしなめられてゐました。しかし民主党だけが悪いのではありません。自民党議員にも道義的に立派だとはとても言へない人がゐると思ひます。

ともかく、人としての基本的道義精神に欠けた人が、国民から議員に選ばれてゐるのです。かかる状況は、どうしたら是正できるのか。まことに以て絶望的な気持ちになります。しかしあきらめてはならないと思ひます。

昨日も書きましたが、日本の伝統精神はまことに素晴らしいのです。やはり、日本国民全体が伝統精神に回帰する以外にないと思ひます。

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