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2005年11月30日 (水)

日誌十一月二十九日

午後は、色々な雑務。

午後四時より、永田町の衆院第二議員會館にて、『日本再生の会』幹事会。当面する諸課題について討議。国会は休会中とのことでしたが、欠陥マンションの件やらがあり、何か騒然としてゐました。

萬葉集を読んでゐますと、あの時代は現代日本とよく似てゐることを実感します。萬葉の時代は決して平穏無事な時代ではありませんでした。内憂外患交々来たるといった大変な危機の時代でした。また、その危機を乗り越えやうとする大変革・大建設の時代でした。

まず、國體の危機がありました。壬申の乱といふ天智天皇の皇子・弘文天皇と天智天皇の弟君天武天皇との戦ひの勃発です。これは南北朝の争乱以上の危機でした。その前には、大化改新といふ蘇我氏の専横を打倒し天皇を中心の統一国家を建設する大変革がありました。対外関係においても、白村江の戦ひがあり、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機がありました。

今日の日本もまた、皇室典範改正問題といふ國體の基本に関する問題が起こってゐます。また、共産支那と朝鮮からの外圧が激しくなってゐます。また、内政面では『改革』が叫ばれてゐますが、その改革なるものが如何なるものなのか明確ではなく、果たして日本を良くする改革なのかよく分かりません。

萬葉集の時代即ち白鳳・天平の時代は、日本の國體精神を明確にすることによって国家的危機を乗り越え、やがて平安時代といふ文字通り平安の世を迎へました。明治維新も國體を明らかにすることによって国家的危機を乗り越えた大変革でした。

今日の日本も、天皇を祭祀主と仰ぐ日本国の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならないと思ひます。また、必ず乗り越えることができると確信します。

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2005年11月29日 (火)

日誌十一月二十八日

午前は、お世話になっている方のお見舞ひ。

午後から夜は、在宅して、原稿執筆、書状作成。

また、テレビを見て、西村眞悟氏に関する報道を心配しつつ見ておりました。彼がのこのまま政治生命を失ふのは、まさに「国家的損失」です。政治的立場が異なる人は、小生とは正反対の思ひを持ってゐるでせうが、小生はさう思ひます。また、西村氏は、誤解される発言をする事がありますが、人格者であり、典型的なサムラヒです。

小生は、どんな事があっても議員辞職はして欲しくありません。そもそも西村氏は、経済的には何時もピーピーしてゐたといふのが実情と思ひます。自宅の風呂場を修繕する費用にも事欠いてゐたと聞いております。今度発覚した一連の事で、彼が大金を儲け、それを蓄へこんで、贅沢三昧をしていたなどといふのではありません。

大阪府警が「書類送検」で済ませてゐたのを、検察が事件にしたとの報道があります。それは官邸の意向が検察を動かしたといふことでせうか。変な推測は慎むべきでせうが、もしさうだとすると、「小泉は狙撃されるべきだ」といふ西村氏の発言、そして拉致問題など国家基本問題に関する西村氏の正義の言動が影響したのかもしれません。

以上述べたことはあくまでも私の推測です。

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2005年11月28日 (月)

日誌十一月二十七日

昨日のシンポジウムで講演された石平(せきへい)氏は、支那四川省生まれで、北京大学卒業、昭和六三年に来日し、神戸大学大学院を卒業。「日中問題研究家」として活躍されてゐる。最近、「『日中友好』は日本を滅ぼす』(講談社α新書)といふ御著書を御恵贈頂いた。まだ途中までしか拝読していないが、我が国史のことにも造詣が深く、なかなか勉強になる本である。台湾の黄文雄氏、韓国の呉善花さん、そして支那の石平氏といふやうに、親日といふかまともな日本観を抱いてゐる方が活発に言論活動をされてゐるのは有難い事であります。

小生は、共産支那・中華帝国主義には反対し対抗すべきと思ひますが、四海同胞の精神、八紘爲宇(世界は一家・人類は兄弟)の精神は大切にしなければならないと考へます。

今日は、午後一時より、靖国神社境内の靖国會館にて行はれた二宮報徳会主催『教育勅語の復活を願う意見発表の會』に出席。

小川力氏が「『神道指令』『昭和二十一年年頭の詔書』『教育勅語の廃止』の三つが、戦勝国による日本弱体化・國體破壊工作の三本柱。一人一人の人格を重んじる教育をしなければならない。その根幹となるのが『教育勅語』である」と述べたのが印象に残りました。

小生は、終戦直後の戦勝国による日本弱体化策謀が、六十年を経た今日、実を結び花開いた姿が、今日のわが國の惨状であると思ひます。今日行なはれるべき真の改革とは、この惨状を打開し、日本国を根本的に立て直すことであります。これを戦後体制打倒と言ふのであります。

夜は、原稿執筆。

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2005年11月27日 (日)

日誌十一月二十六日

午後一時半より、東京駒場の東京大学駒場キャンパスにて、『日本學シンポジウム─本音で語る反日・親日』開催。

登壇者の印象に残った発言は次の通りです。

<呉善花さん>「韓国人の一人の人間の中に反日と親日の感情が混在してゐる。反日と言ひながら日本製品をなら何でも買う。消費社会・日本への憧れがある。しかし、韓国政府が『反日カード』を持ち出すと国民全体がまとまる。日本統治時代を経験した人はきはめて親日。戦後の反日教育を受けた世代が反日。私は帰国すれば逮捕される。韓流ブームでヨン様が人気者になってゐるが、韓国女性はあんなナヨナヨした男は嫌ひ。岡倉天心の言った事は私が今感じてゐることと同じ。感動した。」

<久保田信之氏>「南北朝鮮は敵をつくらないと内部がまとまらない。劣等感の裏返し。自由民主主義が育ってゐない。情報が未発達。一色に塗りつぶされてゐる。」

<黄文雄氏>「台湾も中国国民党政権の反日教育を受けた。しかし、学校で教はった事は、家庭で修正された。南京事件・三光作戦・七三一部隊は全て中国歴代王朝がやって来たことのコピーであり捏造。アジアは儒教文化よりも日本より発したカラオケ文化圏が発達してゐる。中国文化で世界に影響を与へているのは中華料理のみ。アジア共通の文化はシャーマニズムのみ。海のアジアと陸のアジアとは全く違ふ。日本・台湾と中国・韓国とでは文明のシステムが違ふ。『史記』をはじめ中国の全ての正史は歴史の捏造。それは今も続いてゐる。」

<石平氏>「中国は十数年間の愛国教育で虚像・空想としての日本を作り上げてゐる。自然と調和して生きて行く日本文化がひろまっていくと良い。社会主義市場経済といふのは大きな矛盾。貧富の差は、権力者へのワイロによって出来上がった。共産党政権が嘘を言はない日は一日もない。日本は大陸とは全く異なる文化を持ってゐる。新しい脱亜論に賛成。日本人は大陸への郷愁を捨て日本の道を歩むべし。」

日本はこれから共産支那・中華帝国主義といかに向きあって行くかが最も大きな問題であります。近衛文麿ではないが、「支那共産政府を相手とせず」が良いのかも知れない。前にも書きましたが、日本は大陸や朝鮮半島に深入りするとロクな事がありません。かつての日本のやうにそして最近のヤオハンのやうに、身ぐるみ剥がれます。日本の経済技術援助で経済発展して軍事力を強化し、日本に武力侵略しやうとしてゐるのが共産支那なのです。支那朝鮮に対する誤れる贖罪意識と誤れる憧憬の心を払拭すべきです。日本は日本なのですから。軍事的対立は出来る限り避けるべきですが、相手が軍事力で向って来る危険がある以上それへの備へは絶対に必要です。

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2005年11月26日 (土)

日誌十一月二十五日

終日在宅して原稿執筆、資料整理。

西村眞悟氏が窮地に立たされてゐる事は非常に残念です。何とか議員辞職といふ事態にならないやうに心から願ってをります。多くは申しませんが、西村氏は、国家国民のために今後とも頑張ってもらひたい政治家だからです。

『週刊文春』の今週号は、西村氏に対してひどい事を書いてゐます。「右寄りの過激発言で物議を醸した」として、過去の西村氏の言動を悪意を込めてあげつらった挙句、「最近は過激発言も影を潜め、周囲が驚くほど青白い顔でオロオロしてゐるとか」と記事を締め括ってゐます。

まるで西村氏と敵対関係にある『朝日新聞』か『赤旗』のやうな書きぶりです。私は、西村氏は正論を述べたことはあっても、「右寄りの過激発言」をしてゐたとは全く思ってゐません。

それより何より、『週刊文春』の言ふ西村氏の「右よりの過激発言」とやらをふた月に一回位のペースで掲載してゐるのが同じく『文春』から発行されてゐる月刊誌『諸君』ではありませんか。同じ『文春』から発行されてゐる週刊誌が、よくもまあこのやうなえげつない西村批判ができるものだと「感心」させられました。「右よりの過激発言」を掲載し続けてゐる『諸君』の責任も重大といふことになりませう。

週刊誌にかぎらず、マスコミは、自分は正義の味方面をしつつ、視聴率アップや部数拡大のためなら、えげつない取材活動や報道を行ってゐます。かうしたことがどれだけ社会を悪くしてゐるか計り知れないものがあります。

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2005年11月25日 (金)

日誌十一月二十四日

午後は、原稿執筆。

午後七寺より、高田馬場のシチズンプラザにて、『三島由紀夫・森田必勝両烈士三十五年祭』執行。

祭詞奏上・祭文奏上・檄文朗読・遺詠奉唱・玉串奉奠などが行はれました。

その後、追悼講演が行はれ、森田忠明氏が講演しました。

三島氏は、その檄文で、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。…生命以上の価値なくして、何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の国、日本だ。」と訴へました。

戦後日本は、何よりも「生命尊重」を最高の価値として来ました。しかし、今日の日本ほど生命を軽視してゐる時代はかつてありません。親は子を殺し、子は親を殺すといふ凶悪にして凄惨なる事件が日常茶飯事となってゐます。戦後六十年間、自由だ民主主義だ生命尊重だと言はれて来た結果が、現代日本の惨状なのです。

日本国の歴史と傳統を愛し、それを護るために命を懸けるといふ崇高なる精神・道義の基本を喪失した時代が、戦後日本であり現代日本なのだと思ひます。三島氏の言ったことは正しかったと思ひます。

自由や民主主義は、政治の手段であって、それが最高の価値なのではありません。天皇を尊崇し、傳統や国家を命を懸けて護るといふ精神が道義の基本であります。さうした精神を喪失した事が、かへって生命を軽視する風潮を生んだのだと思ひます。

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2005年11月24日 (木)

日誌十一月二十三日

午前中は、お世話になっている方のお見舞。

午後四時より、文京区春日の文京シビックセンターにて、『第二十二回・新嘗を祝ふ集い』開催。

小生が、『國體と新嘗─萬葉集・記紀に見る祭祀』と題して講演しました。

その後、祭事が執行され、祝詞奏上・古事記天孫降臨の段奉読・三大神勅奉読・御製奉誦・玉串奉奠・大祓詞奏上などが行はれました。そして、直会が行はれました。

約三十数人の出席者の中で私よりも年上の人は二人でした。これからの時代を背負ふ同志が増えてきた事を喜ぶと共に、半面何かさみしい気がします。何しろ還暦が近くなってきたのですから…。

帰宅後は、原稿執筆。

日本国は祭祀国家であります。毎日全国の何処かでお祭りが行なはれてゐます。そして、わが國全体の祭り主が天皇陛下であらせられます。天皇陛下は、宮中において、祭祀を行はせられ、日本国と世界の平和・國民の幸福・五穀の豊饒を祈られてゐます。

しかもこの事は、神話時代・太古からの伝統を継承してゐます。神話時代の『祭祀王』の御子孫(血統と靈統を継承されるお方)が、今日唯今の国家の君主であらせられ、太古以来の傳統信仰を祭祀といふ生きた行事によって継承されてゐる國は、日本国のみであります。これを萬邦無比の國體といふのであります。

この度発表された自民党の「新憲法草案」には、かうした國體の信実が全く書かれてゐません。ただ「天皇制は維持する」と書かれてゐるのみです。これでは真の意味の『自主憲法』とは言へません。自民党も全くおかしな政党に成り果ててしまひました。

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2005年11月23日 (水)

日誌十一月二十二日

午後は、原稿執筆。

夜は、明日行はれる『新嘗を祝ふ集ひ』における講演の準備。

自民党の結党五十周年の式典が行なはれました。小泉氏は自信満々で大変な喜びやうです。しかし、彼のやってゐる事・言ってゐる事には、何か深みがありません。その原因は何処にあるのでせうか。

小泉氏が色々しゃべってゐるのをテレビで見ますが、いまだかつて『良いことを言ふナア』と思ふやうな印象に残る言葉を聞いたことは、一度もありません。ただ同じやうな言葉繰り返すだけ。ただ、靖国神社に年に一度参拝すること、共産支那を訪問して土下座外交をしないことは評価して良いと思ひます。

しかし、今回発表された『新憲法草案』は、「羊頭を掲げて狗肉を売る」の言葉通りの代物です。歴史と傳統の国・日本国の憲法とはとても言へません。占領憲法を踏襲しただけのもので、自民党結党綱領の『自主憲法制定』とはかけ離れたものです。このことでは中曽根氏が怒るのももっともです。

小泉氏は、岸信介・福田赳夫の系統を引く政治家なのですから、もう少しまともな憲法草案にすべきでした。戦後体制擁護論者の宮沢喜一が喜ぶやうな草案では駄目です。もっとも福田赳夫の実子である康夫氏も、おかしくなってゐるのですから小泉氏だけを責められませんが…。

あと一年は、小泉独裁政治・パフォーマンス政治が続くのかと思ふといささかうんざりします。小泉氏には、あと一年、命を懸けて、郵政よりもずっとずっと大事な憲法・靖国神社・対共産支那問題・対北朝鮮問題で、正しい対処をしてもらひたいと思ひます。

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2005年11月22日 (火)

日誌十一月二十一日

午後は原稿執筆。

午後四時より、九段會館にて、『英霊のこたえる実行委員会』開催。無宗教の戦没者追悼施設建設阻止に向けての方策を討議しました。

夜は原稿執筆。読書。

今は、家では『旧約聖書』をよ読んでゐます。外出する際に持ち歩き、電車や喫茶店で読んでゐるのは、『折口信夫全集』の中の「萬葉集講義」です。

『旧約聖書』の「創世記」と「出エジプト記」は読み物としても大変面白いと思ひます。戦ひ・神の怒り・生贄・疫病・裁きなどが出てきて、エホバの神とはとても恐ろしい神のやうに思へます。また、イスラエル人を特別に愛する神です。

イスラエルの民族神がキリスト教の唯一絶対神として信じられるやうになったわけですが、今日、中東における宗教戦争は、ユダヤ教・キリスト教・回教といふ起源を同じくする一神教の戦ひであります。

宗教とは、人間に安心を与へるものであるはずですが、宗教戦争は絶え間なく続いてゐます。宗教戦争における死者の数は有史以来相当の数になるでせう。

今日の日本も、オウム真理教のテロがありました。また、今日政権与党となってゐる創価学会・公明党も日蓮正宗と宗教戦争を繰返しています。仏教も決しておとなしい宗教とはいへないと思ひます。日蓮は特に排他的でした。それは中世といふ混乱と闘争の世に出現したからでありませう。しかし、仏教・キリスト教にも学ぶべきところか多いと思ひます。

私ども日本民族は、麗しい日本の天地自然そして農耕生活の中から生まれてきた「神ながらの道」といふ信仰を継承して来ました。私は神道とは天地自然と祖靈を神として拝ろがみ祭る信仰だと認識してゐます。私には最も自然にうけいれることのできる宗教が神社神道です。戦没者は日本傳統信仰たる神道祭式によって慰霊顕彰するのが当然であります。無宗教では慰霊にはなりません。

ホームページの活動予定欄でもお知らせ致しておりますが、二十三日の「新嘗を祝ふ集い」で小生が講演します。多くの方々のご出席をお待ち申し上げます。

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2005年11月21日 (月)

日誌十一月二十日

午後一時より、神田学士会館にて、「日本學協会講演會・日中問題を考える」開催。

永江太郎氏(軍事史學會常任理事)が「満州建国後、日本と国民党政府の関係は好転した。北京─奉天間の直通鉄道が開通し、満州と北支の国境に税関も置かれ国家関係が成立した。昭和十年七月のコミンテルン大会で、『独日が国際共産主義運動の当面の敵』といふ決議が行はれ、中国共産党が抗日救国を呼びかけた。そして西安事変が起こり、周恩来が蒋介石を説得した。そしてその二ヵ月後に盧溝橋事件が起こり、支那事変となった。以後八年に及ぶ日本と支那との戦ひとなった。支那事変は中共の謀略によって起った。中共は自らの戦争責任を日本に押し付けてゐる。毛沢東は、戦後社会党の『訪中団』に『共産党が政権をとることが出来たのは、日本の皇軍がわが國と戦ったおかげだ』と語った。」と語ったのが印象に残りました。

市村真一(京都大学名誉教授)が「共同体をつくるには、理想の共感がなければならない。そして利害の共有がなければならない。ヨーロッパにはバイブルがある。世界の国家はロシア・アメリカ・インド・中国といふ大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。戦争が起こるのは、半島国家である。半島国家・海洋国家は連帯して大陸国家に対峙しなければならない。日本は大陸に進攻して成功したためしはない。支那も海洋国家を攻めて失敗してゐる。台湾は現状維持以外にない。」と語ったのが印象に残りました。

確かにわが國は大陸に深入りすると、ろくなことはありません。戦前は、軍事的・政治的に大陸に深入りして、ソ連中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北しました。戦後は、経済的に深入りして、金と技術をまきあげられ、共産支那を軍事大国にしてしまひ、かへってわが國の安全と独立が脅かされてゐます。東アジア共同体などいふのは夢物語です。そしてそれは共産支那のアジア支配の別名であります。中華帝国主義の膨張を防ぐ共同体が構築されるべきです。

「国共合作・一致抗日」は、今後、台湾で再現する恐れがあります。国民党が政権に復帰すれば、台湾が共産支那と一緒になって反日路線をとる危険があります。わが國は、何としても台湾を共産支那にくっつけてはなりません。日本と台湾は海洋国家として固く連帯していくべきです。

夜は、資料整理・原稿執筆。

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2005年11月20日 (日)

日誌十一月十九日

午前、『政治文化情報』発送作業。午後に発送。購読者の皆様には、明後日の月曜に届くと思ひます。

夕刻より資料整理。

「女系天皇は、皇統断絶である」と主張する人が多いやうですが、きはめて危険な議論であると思ひます。確かに、神武天皇以来、男系男子によって皇位継承されてきたといふ伝統は出来得る限り守られなければなりません。しかし、女系天皇は皇統断絶といふことはあり得ません。朝日新聞社や左翼学者も、「女系天皇では皇統断絶」と主張してゐます。かれらは、國體護持を願ふ人々の「男系男子でなければ皇統断絶」との主張を逆手にとって、女系天皇がご即位あそばされた時に、「皇統は断絶した」と騒ぎ出すことでせう。

そもそも上御一人・現御神日本天皇は、天照大御神の地上的御顕現であらせられます。生物學上の男女を超越した神聖不可侵のご存在であります。染色体論などといふ西洋生物學で、神聖なる皇統を論じるのは以ての外です。人は動物ではありません。神の分靈であります。まして上御一人および日嗣の皇子は、天照大御神の生みの御子であらせられます。

天照大御神・邇邇藝命・神武天皇の血統・靈統を継承された御方が、祭祀主として、天照大御神の地上におけるご代理すなはち現御神日本天皇として、君臨あそばされるのであります。

また、「女帝容認」などといふ言葉は非常に不敬です。皇位継承は、「国民の容認」によって行はれるのではありません。天皇の大御心・日本皇室の道統に基づいて行なはれるのであります。

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2005年11月18日 (金)

日誌中一月十八日

十七日午後一時より、豊島区千早社会教育会館にて、『萬葉會』開催。舒明天皇の国見の御製について講義。

午後五時半より、神奈川県にて、『日本を糾す會』開催。民族運動家が参集して、現下の情勢と当面の運動について深夜まで討議。

十八日午前も討議。午後帰京。

夜は書状作成。

いよいよ年末そして寒い季節を迎へます。しかし、運動面では色々な問題が山積し、会合なども多くあり、多忙となって来ました。しかも、この日誌で何回か指摘しましたやうに、皇室・憲法・靖国神社といふ国家民族の根幹に関はる事柄で様々な問題が起ってきてゐます。山崎拓・福田康夫・鳩山由紀夫そして公明党創価学会の反靖国の動きを厳しく監視し戦ひを挑まねばなければなりません。

西村眞悟氏の元事務所員についての報道がありますが、小生は西村氏を信じてゐます。西村氏自身が法律違反をするなどといふことはとても考へられません。また、報道を読んでも西村氏自身には何の問題もないやうです。なにか謀略めいたものを感じるのは小生一人ではないと思ひます。現在の権力側にとって正論を吐露する西村氏ほど厄介な存在はないでせう。

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2005年11月17日 (木)

日誌十一月十六日

午後一時半より、ある会合にて卓話。

「現下日本に於いて三つの重大問題がある。①皇室典範改正問題。②憲法問題。③無宗教の国立戦没者追悼施設問題である。どれもわが國の根本的成り立ち・国柄・天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家日本といふ國體に関はる問題である。保守政党・権力を握ってゐる者どもの國體観念、尊皇精神が希薄になってゐる。特に、自民党改憲草案の『前文』で『象徴天皇制を維持する』などと書かれてゐることは大問題である。天皇制といふ言葉は共産党用語である。また象徴といふ言葉も英語の翻訳である。維持するなどといふ言葉も不遜である。保守政党の憲法草案がかうなのだから、困ったことである。ともかく三つの問題が正しく解決されない場合は、それこそ亡国の危機に陥る。」といふことを訴へました。

言葉といへば、「天皇制」だけでなく「中国」といふ言葉も本来使ふべきではありません。わが國も「豐葦原の中國」です。「天皇御一家」といふ言葉も使ふべきではありません。皇室と申し上げるべきです。皇室は「姓」を持たれないのですから一般の「何々家」とは全く異なります。

午後六時半より、南大塚にて開催された『萬葉古代史研究会』にて、講義。

深夜まで、明日の『萬葉會』の講義準備。

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2005年11月16日 (水)

十一月十五日

紀宮清子内親王殿下のご成婚を賀し奉ります。

ご夫妻様のご幸福を心より祈念申し上げます。

               〇

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後六時より、港区内にて、有志勉強会『黎明会』開催。

田中舘貢橘氏が、『大東亜戦争終結の詔書』『昭和二十一年年頭国運振興の詔書』について卓話。質疑応答。

帰宅後、『政治文化情報』発送準備。

ブッシュ大統領が来日しましたが、京都御苑にヘリコプターが着陸するといふのは、いかがなものでせうか。京都御苑は、単なる公園ではありません。京都御所・皇宮がある神聖なる場所であります。東京でいへば皇居東御苑か、皇居前広場に外国のヘリコプターが着陸するのと同じです。特別の緊急事態でもないのに、このやうなことが行れるのは、皇室に対する尊崇の念が希薄になってゐる証拠と思ひます。

いくら日本の最友好国の元首だからと言って、また、警備上の都合があるからと言って、このやうなことが行はれて良いのでせうか。

女帝即位に反対する人の中に、「天照大御神は女性神ではない。男性神だ」などど日本神話の歴然たる事実を否定する人がゐるのは困ったことです。儒教・佛教の女性蔑視思想は日本の伝統とは相容れません。古来日本では男性は日子(ヒコ)、女性は日女(ヒメ)といはれ、人はすべて天照大御神の分靈であり神の子であります。ただし、日本傳統信仰は、外来の男女同権論やジェンダーフリーとかいふわけの分からない思想とは無縁です。

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2005年11月15日 (火)

日誌十一月十四日

午後は、お世話になっている方のお見舞ひ。

夕刻より、書状作成、『政治文化情報』発想準備などをしました。

最近、歌人の山川京子先生から、『風の音』(短歌新聞社発行)といふ歌集をいただきました。

山川先生のお歌には、最近の歌壇・歌人になくなりつつある『やまとうた』の「しらべ」と「心」が脈々と生きてをります。また、祖國日本の現状に対する切々とした憂ひのお心が表白されてをります。

開巻冒頭の「時を」と題された歌は、

「闇に坐せば見えぬ大地に滔滔と流るる時の音のきこゆる」

「時の流るる音いやましに高まりて荘厳なるかなこれぞこれの世」

など、信仰者としての深い境地が歌はれてゐます。山川先生は、親の代からの「大本」信者です。

「たたかひに斃れしひとの知らざりし栄えの果てのおとろへの世や」

「日本の民のこころのおとろふる世を生きいかに慰むべしや」

「日本に襲ひ来るもの内も外も重油のごとくおどろおどろし」

など、憂國の歌にも感銘しました。

一首一首が深い味はひのあるお歌であります。心洗はれる思ひで鑑賞しました

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2005年11月14日 (月)

日誌十一月十三日

午後は、千駄木の町を散策しました。

高村光太郎旧居跡、旧安田善次郎邸、鴎外記念館(観潮楼跡)、千駄木ふれあいの森(太田道灌の子孫の屋敷跡で森がのこされている公園)、薮下通りを歩きました。宮本顕治・百合子夫妻も旧居跡もあります。中条家(百合子の実家)といふ大きな屋敷でした。

千駄木は、都会のど真ん中ですが、自然もやや残っており、また歴史的文化的に由緒のある建物や公園なども多いのです。

森鴎外のお子さんの森類氏のご息女は、私の小学校時代の同級生でした。高村光太郎の弟さんの高村豊周氏のご息女は、中学校時代に教会学校で一緒でした。子供の頃は別に何とも思はなかったのですが、今になって大変有難い事だったと思ひます。

薮下通りといふのは、「藪蕎麦」発祥の地です。また、永井荷風が森鴎外の家を訪問した時によく通った道です。荷風は『日和下駄』といふ文章で、東京で一番良い道だ書いてゐます。偏屈といはれた荷風も鴎外に対しては大変な尊敬の念を抱いてゐました。

五十数年間住んでゐるのですが、かうして散歩をしますと、何時も心やすらぎます。

しかし、相続税の関係か、和風建築の大きな家や庭が忽然と無くなって、そこにマンションや宗教団体などの建物が出現するのは悲しいことであります。児玉希望といふ日本画家の家もサトウハチロウの家もなくなりました。

夜は、書類整理、書状作成など。

ペルーが日本と断交すると騒いでゐます。詳しい事情は分かりませんが、日本は本当に外交が下手です。情報収集能力も劣ってゐると思はれます。

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2005年11月13日 (日)

日誌十一月十二日

今日は秋晴れのよい天気でした。この一週間、原稿執筆や色々な会合や行事への出席が続きましたので、気分転換のために、日暮里諏方台と谷中を散策しました。何故かここは、『諏訪』とは書かず『諏方』と書きます。

諏方台に鎮座する諏方神社の神域は、江戸時代まだ新堀村といはれてゐた頃の鎮守の神様の面影をのこしてゐます。荒川方面の下町が見渡せます。「道灌殿の物見の丘」といはれ、太田道灌が時々狩りに来て、ここから関東平野を見渡したさうです。

谷中の朝倉彫塑館を見学。彫刻家の朝倉文夫の屋敷とアトリエがそのまま保存されてゐます。和洋折衷の素晴らしい建物です。庭には泉が沸いており池が出来ております。二、三階の和室から谷中千駄木の町や上野の森が見渡せます。

秩父宮殿下御像・大隈重信像・九世団十郎像・墓守像など多くの作品が展示されております。そこで一首、

『秋の日の谷中の町の彫塑館 この世を去りし人並びゐる』

朝倉氏は大変な蔵書家で、多くの貴重な書籍が在世当時のまま書棚に置かれてゐました。小生が高校時代書生をしてゐた野依秀市氏(衆院議員・帝都日々新聞社主)の著書もありました。野依氏は朝倉氏と同じ大分県出身で親交がありました。また同じく大分出身の双葉山から来た墨痕鮮やかな書状が展示されてゐました。今のお相撲さんにこれだけの墨字が書ける人はゐないと思ひます。

寺町を散策して帰宅。

夜は、書状作成など。

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2005年11月12日 (土)

日誌十一月十一日

午後は原稿執筆。

午後六時より、九段下にて行なはれた民族運動活動家の勉強会に出席。ある衆議院議員の話を聞きました。

その衆議院議員が、「自民党は、今回の選挙で国民に根を張った強固な基盤を作ったわけではない。政令指定都市のあるところで勝っただけ。北海道では、十二の選挙区のうち八つは民主党が勝った。全国の得票数は、野党の方が百万票多い。ハイエクの経済理論では、強い者が勝ち弱い者は立ち直れなくなる。額に汗して働く人が馬鹿を見る世の中になってはいけない。弱者にやる気を持たせ、力のある者は弱者を助ける世の中にすべし。四島返還が実現してはじめて『日露平和条約』が結ばれる。民族運動と実際の外交交渉とは異なる。四島一括返還では前進が全く無かった。段階的返還が解決への道。ロシアは自由民主国家になった。私は国益を抜きにして考へたことは一度もない。田中真紀子が領土交渉をおかしくした。対北朝鮮経済制裁では生ぬるい。自民党はピョンヤン宣言破棄を主張すべし。私のことを『疑惑の総合商社」と言った議員が秘書の給料をちょろまかした」と語ったのが印象に残りました。

小生は、「わが国が返還を目指す北方領土とは、南樺太全千島である」と主張しました。また、「ロシアは決して自由民主国家にはなっていない。ロシア帝国が復活しただけである」と主張しました。

この衆議院議員は、多数の民族運動家を前にして、自分の主張を臆することなく開陳し、厳しい質問に対しても気後れすることなく返答しました。大変な迫力の持ち主でした。外務省などの役人や同僚議員もこの人の迫力には圧倒されたことでせう。

帰宅後も原稿執筆。

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2005年11月11日 (金)

日誌十一月十日

終日自宅にて『政治文化情報』の原稿執筆。

「皇位継承・皇室典範改正」・「無宗教の戦没者追悼施設」・「憲法改正」は、日本国の根幹に関はる重大なる事柄であります。

政治家の中には、「無宗教の国立戦没者追悼施設」建設は靖国神社とは関係ないといふ論議をする人がゐます。しかし、もしもこのやうな施設が建設された場合、内閣総理大臣は勿論、外国からの貴賓もこの施設に参拝するやうになるでせう。何しろ「国立」なのですから…。

そして最も憂慮すべき事は、畏れ多い事ではございますが、政府の意向により、日本国の祭祀主であらせられる天皇陛下が、その施設へ参拝されるやうになることです。そして、天皇陛下の靖国神社へのご参拝及び勅使差遣が行はれなくなることです。

これは靖国神社の形骸化であるといふよりも、靖国神社廃絶につながる恐れが充分にあります。そしてそれは、この日誌に既に書きましたやうに祭祀国家日本・信仰共同体日本の破壊に直結します。創価学会公明党や左翼勢力はこれを狙ってゐるのです。「施設建設」に賛成してゐる自民党議員は、かかる策謀に荷担する事となるのであります。

「無宗教の戦没者追悼施設」建設は何としても阻止しなければなりません。そして施設建設に賛成し推進する政治家・マスコミなど亡国勢力を駆逐しなければなりません。

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2005年11月10日 (木)

日誌十一月九日

午後十二時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『国立追悼施設建設に反対する緊急集会』の準備会。そして午後一時半より、同会館会議室にて、『緊急集会』開催。

堀江正夫氏は、「中国や韓国の要求に従って追悼施設をつくるといふのは、こんなに悔しいことはない。靖国神社は日本民族精神の結晶であり源泉である。この策謀を根絶すべし。」と語り、小田村四郎氏は、「日本の国の爲に命を捧げた英霊を追悼するのに、なにゆへ外国人にわだかまりなく参拝してもらうやうにしなければならないのか。八月十五日の政府主催の戦没者追悼式の追悼対象者にはいはゆるA級戦犯も含まれてゐる。無宗教といふのはあり得ない。断じて阻止すべし。」と語り、板垣正氏は、「終戦五十年謝罪決議は実質的に形骸化させたが、その後村山謝罪談話を閣議決定してしまった。小泉談話は村山談話を踏襲した。國の手で靖国神社に代るものを作らうとしてゐる。」と語った。

この後、お世話になってゐる方のお見舞。

夜は、原稿執筆。

無宗教の戦没者追悼施設などといふのは全くナンセンス。追悼とか慰霊といふのは宗教行為である。国の爲に命を捧げた英霊の慰霊追悼顕彰は、わが國の傳統信仰たる神道祭式による慰霊でなければならない。他の宗教のやり方で追悼することはできないしやってはならない。

創価学会・公明党は神社否定の教団といふ日本を根底から破壊する教団としての本性を現したといへる。また、自民党の中しかもベテランといはれてゐる議員にこれを推進する人がゐるのはまことに困ったことである。

無宗教の戦没者追悼施設建設は、靖国神社を形骸化することであり、祭祀国家日本の否定につながる。合法的手段で何としても阻止しなければならない。ここでいふ「合法的」とは、成文法に従ふといふことではない。不文法すなはち國體法、言ひ換へれば日本の傳統・國體精神・維新精神に従ふといふことである。

「有志議員による国立追悼施設を考える会」(会長=山崎拓・自民党前副総裁)なるものに参加した議員は、日本伝統精神を否定し祭祀国家日本を破壊せんとする人々である。糾弾を強めねばならない。

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2005年11月 9日 (水)

日誌十一月八日

午後は、原稿執筆。新嘗祭について書いてゐます。

午後六時より、世田谷区北烏山の区民斎場みどり会館にて執行された大日本生産党党首・北上清五郎氏の「通夜」に出席。

次第に先輩方が少なくなっていくのは本当にさみしいことです。北上先生は、大正十二年生まれで小生のふた回り上の亥年です。小生が二十代の頃からご指導いただきました。心より御冥福をお祈り申し上げます。

生産党の党祖は、内田良平氏です。昭和維新運動の偉大なる指導者であられました。大日本生産党は、昭和六年、「大日本主義を以て国家の経綸を行ふ」を基本精神として結党されました。大日本主義とは、日本の伝統精神に基いて日本国のみならずアジアそして世界を救済するといふ壮大なスケールの精神であります。

大日本主義といふと、なにか狭量にして独善的な思想と誤解する人が多いのですが、決してさうではありません。大らかにして明るい日本の伝統精神が世界の荒廃・闘争・腐敗を救ふといふ精神であります。

国内的には、当時の神道系の新宗教「皇道大本」と提携して、国家改造・立て替へ立て直し・昭和維新を目指して「昭和神聖會」といふ国民運動団体を結成して破竹の勢いで活動を開始しました。この動きに恐れをなした権力側は、皇道大本を大弾圧してこの動きを封じ込めたのであります。

今日においても、大日本主義による国家と世界の救済が必要です。換言すれば、日本伝統精神こそが現代の行き詰まりを打開する精神であると思ひます。日本主義・日本精神の本質について、多くの人々にしらしめねばならないと思ひます。

帰宅後も原稿執筆。

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2005年11月 8日 (火)

日誌十一月七日

午後は、知人のお見舞。

夕刻は、二十三日の「新嘗を祝ふ會」に関して同志と懇談打ち合はせ。

夜は、原稿執筆。

戦後日本は、経済外交を主軸にして来ました。特にアジア各国に対しては、経済協力を行なふことによって、その関係を良好にしやうと努力して来ました。それをすべて否定するつもりはありません。日本はアジアの発展のために多大な貢献をし、感謝もされてゐます。

しかし、共産支那と韓国は別です。日本は誤れる贖罪意識をさいなまれ、謝罪外交を繰り返し、金と技術を無分別に提供して来ました。ところが、この二つの國は、日本の謝罪を受け入れないだけでなく、経済援助に対して感謝すらせず、その実態を自国民に正しく知らせてゐません。

そして、この二つの國は、ことあるごとに反日姿勢を示し、わが國の国連常任理事国入りにも反対してゐます。金をやり技術を提供しても何の役にも立たなかったといふことです。わが國は戦前から外交は下手です。

共産支那は日本の援助によって経済発展したおかげで、軍事力を増強し、その軍事力でわが国や台湾を安全を脅かしています。なんとも許し難いことです。

共産支那と韓国に対してはもう謝罪する必要はありません。また経済援助をする必要もありません。むしろ、不当不法な要求や主権侵害行為そして軍事的圧迫に対して毅然たる態度でのぞむべきであります。「外交とは華麗に礼装した軍事である」といふ言葉は正しいと思ひます。

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2005年11月 7日 (月)

日誌十一月六日

終日原稿執筆。

小生がかねてより危惧していたやうに、いよいよ『皇室典範改正問題』が大問題となって来した。この問題は、他の政治問題とは全くその性格を異にしてゐます。否、「性格を異にする」などといふ生易しいしいことではありません。天皇国日本といふかけがへのない信仰共同体・祭祀国家の存亡に関はる重大問題であります。

日本国の皇位継承は、他国の王位継承や元首の選び方とは全くその本質を異にします。皇位は「天津日嗣の高御座」と申し上げます。高天原にゐます天照大御神の御霊統を継承する御方の座される高い「御位」であります。まさに神聖不可侵の「御位」なのであります。

権力国家の行政機関や立法機関で決定しては絶対になりません。あくまでも神の御意志・肇国以来の傳統に基づくべきであります。そして神の御意志・肇国以来の傳統の体現者は、上御一人日本天皇であらせられます。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者で゚あらうとも、臣下・国民が議論して決めるべきではありません。

私はさう思ひます。

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2005年11月 6日 (日)

日誌十一月五日

午後二時より、神楽坂の日本出版クラブ會館にて、「見沢知廉さんをしのぶ會」開催。木村三浩氏が司会。福田和也、安部譲二、島田雅彦、鈴木邦男の各氏らが追悼の言葉を述べました。

見沢氏は一水會の活動家でしたが、最近は小説家としても活躍してゐました。ところが本年九月に自ら命を断ちました。四十五歳でした。小生とは運動上の関係だけではなく地元の後輩でもあり、墓所も私宅近くです。

福田和也氏は追悼の言葉で、「芥川・三島・川端・太宰そして私の師匠である江藤淳など近代作家には自殺した人が多い」と語ったのが印象に残りました。確かにさういふことは言へると思ひます。永井荷風も、自殺ではないけれども、覚悟の孤独死でした。勿論、文豪といはれる人で自殺をしなかった人も多くゐます。鏡花、漱石、鴎外、谷崎などです。

近代作家といふのは精神をすり減らすといふか大変な苦悩との戦ひの人生なのでせうか。島田雅彦氏(小説家)は、「小説家で自分が幸福だと思ってゐる人はゐない」と言ってゐました。

わたくしは、森鴎外のお嬢さんの小堀杏奴さんと會ったことがありましたが、「鴎外は不遇でした。」と何回も言っておられました。そして「不遇の人・森鴎外」といふ本を書きました。陸軍軍医総監・帝室博物館長・宮内省図書頭を歴任し、文豪といはれた鴎外が不遇だったとは小生には思へませんが…。

私には小説は書けないので、小説家に自殺が多い理由はよくわかりません。ただ自殺した大歌人といふのは聞いたことがありません。和歌の世界は、自殺とは無縁だと思ひます。ただし、「辞世の歌」には素晴らしい歌が多いのです。普段歌を詠まなかった人でも、素晴らしい辞世の歌をのこした人は多くゐます。また、自決と自殺との違ひもあります。

見沢知廉氏の御冥福を祈ります。

夜は、原稿執筆。

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2005年11月 5日 (土)

日誌十一月四日

終日、資料整理と読書。

二十三日に行はれる会合で、「新嘗祭」について話させて頂く準備です。また、『政治文化情報』にも書く予定です。

「まつる」の語の意味は、「ものを奉る」「献上する」といふ語です。神に対して自己を無にして全てを神に捧げることです。つまり、祭祀とは神人合一の行事であります。

祭祀は、日本人の精神伝統の原基であります。今日唯今も、全国の何処かで毎日まつりが行はれています。日本国は、祭祀国家であり、祭祀を根幹とする信仰共同体であります。そしてその祭り主が、すめらみこと・現御神日本天皇であらせられるのであります。

祭祀国家の祭祀主であらせられる天皇の「御位の継承」について、権力機構たる行政府の諮問機関でその方向性を決めてしまふのはまったく間違ってゐます。

「皇位継承」といふ神聖なる事柄について、臣下が侃侃諤諤の論争をすべきではありません。天皇は、日本の伝統精神の体現者であらせられます。皇室に関はることは、なべて祭祀主・日本天皇の大御心に従ふべきであります。

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2005年11月 4日 (金)

日誌十一月三日

今日は「文化の日」です。わたくしの幼い頃は、祝祭日には多くの家の門口に国旗日の丸が掲げられました。今はまったくと言っていいほど掲げられません。目に触れるところでは、都バスの正面と交番に掲げられるのみです。全くおかしな世の中になったと思ひます。

また「文化の日」は本来は「明治節」です。戦前の祝祭日の四大節(四方拝、紀元節、天長節、明治節)の一つでした。申し上げるまでもなく、明治天皇様のご生誕日です。混迷する今日こそ、明治天皇の御精神に学び奉るべきです。

敗戦直後の戦勝国による日本弱体化政策として、由緒ある祝祭日が廃絶されるか名称と意義が変更させられたのです。

終戦直後の戦勝国による日本弱体化のための様々な施策が今日実を結び花開いてゐるのです。戦前の日本が理想国家だったといふことは出来ませんが、少なくとも今日の日本のやうに、母親を毒物の効果を試す実験台にするといふやうな恐ろしい女子高校生が出現することはなかったと思ひます。ともかく今日の道義と教育の頽廃はまさに末期的です。

人の命の尊厳性の自覚は、正しい道義教育と宗教教育によって涵養されるものです。学校教育でまともな宗教教育を行ひ得ないといふ今日の教育は一刻も早く正されなければなりません。祖国への誇りを取り戻し、日本の伝統的な道義精神を回復することが大切だと思ひます。

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2005年11月 3日 (木)

日誌十一月二日

午後は、お世話になった方の病気お見舞。

夜は、書状作成・読書など。

毎日、午後からのことしか書きませんが、午前中何もしてゐないわけではありません。神仏への祈り、部屋の清掃、洗濯、各方面への電話連絡など結構忙しいのです。お昼頃起床するわけではありませんので念のため。

小生がかうして言論活動をしていくことができるのも、『政治文化情報』の購読者をはじめ多くの方々のご支援・ご協力のお蔭様です。改めて御礼申し上げます。今後ともよろしくお願ひ申し上げます。

無宗教の戦没者慰霊施設だけはどうしても阻止しなければならないと思ひます。慰霊とか追悼といふ行為そのものが宗教行為なのです。無宗教の追悼とか慰霊といふのはあり得ません。神社神道の祭式で慰霊追悼することが憲法の「政教分離の原則」に反するといふのなら、さういふ憲法がおかしいのであります。一刻も早く改正するか廃棄すべきであります。神道祭式によってこそ、真の慰霊追悼となり、平和実現の祈りとなるのです。詳しくは、コラム欄をご覧下さい。

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2005年11月 2日 (水)

日誌十一月一日

午後は、読書。

夜は、ある同志と懇談。当面の課題、今後の運動について語り合ふ。

小泉改造内閣が話題になってゐますが、どの閣僚に誰がなっても同じでせう。小泉独裁体制なのですから…。ただし、安倍晋三氏の官房長官就任は、他の誰がなるよりもよかったと思ひます。拉致問題、靖国問題で大いに正しい姿勢を貫いてもらひたいものです。特に、「無宗教の戦没者慰霊施設建設」は絶対に阻止してもらひたいと思ひます。また、麻生氏の外相就任は、福田康夫氏がなるよりは良かったと思ひます。『朝日』は早速麻生氏の歴史問題に対する姿勢を批判してゐましたが…。

小泉氏は「改革、改革」と言ひますが、一体、日本をどのやうな国にするのか、その理念が全く明確ではありません。ただ、「民間でやれることは民間に、地方でできることは地方に」といふ言葉を繰返すのみです。

国家理念は憲法に示されます。現行占領憲法の三原理を継承するとした「自民党改憲試案」を見れば、今の自民党は、戦後体制を墨守する悪い意味の「保守政党」であることが明らかです。

閣僚の認証式がテレビで映し出されてゐましたが、あの光景を見れば、天皇陛下が日本国の元首であらせられることは火を見るよりも明らかです。それを憲法に明記しない自民党の改憲試案は噴飯ものです。

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2005年11月 1日 (火)

日誌十月三十一日

午後は、永田町にて、ある問題に関する集会の準備委員会。組閣が行はれてゐたので、総理官邸・議員会館周辺は報道陣でにぎやかでした。

夜は、原稿執筆と書状作成。

萬葉集の講義を原稿にしおりますが、萬葉時代は、今日の日本と同じやうな国家的危機にありました。唐と新羅の連合軍が日本に侵攻して来る危険があり、且つ、国内も蘇我氏の専横、壬申の乱、長屋王の変やらがありました。まさに激動の時代でした。

さういふ時代に、日本民族の傳統信仰を高らかに歌ひあげたのが『萬葉集』であります。歴代天皇御製、柿本人麻呂・額田王・大伴家持の歌、そして防人の歌、東歌などを読むと変革と建設と激動の時代を生き抜く日本人の精神が表白されてゐます。

今日においてこそ、我々日本人は萬葉の精神・やまとうたの心に学び回帰すべきであります。大化改新・明治維新をみても明らかな如く、伝統精神に回帰して、内憂外患を打開し乗りきり新たなる変革を成し遂げ、発展した来たのがわが国の歴史であります。

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