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2005年10月27日 (木)

日誌十月二十六日

午後、知人のお見舞に行く。

夜は、原稿執筆と書状作成。

近頃は、国民といふ言葉よりも市民といふ言葉が使はれる事が多くなってゐる。国家とは権力機関であり、個人を束縛する敵であるといふ思想がその奥底はあるのではないか。

国家とは何かといふ根本問題がそこにはある。国家と言っても、共同体としての国家と権力機関としての国家がある。我々が愛する国家とは、共同体としての国家である。しかし、その共同体としての国を維持し、そこに住む国民の生活を維持するためには権力機構は必要である。

税務署・警察・軍隊は、これらなくして国家は成り立たないのであるが、この三つは時として国民の敵と思はれることがある。国を愛するため国を良くするための変革運動維新運動に対して、軍隊や警察が敵として対峙して来ることがあったのは歴史を見れば明らかである。明治維新の戦ひは、徳川幕府の軍と警察機構との戦ひであった。

日柳燕石は、「縦ひ候家の敵となるとも 皇国の敵とはならず」(たとへ権力者の敵とはなるとも、天皇国日本の敵とはならないといふ意)とうたってゐる。

「国を愛する」「国に命を捧げる」といふ時の「国」とは、共同体としての国である。そして三千年の歴史を持つ日本といふ共同体国家は、天地自然を神の命の顕現として拝ろがむ信仰を基盤とした祭祀国家・信仰共同体であり、その中心者・祭祀主がすめらみこと日本天皇であらせられるのである。

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