« 日誌十月一日 | トップページ | 日誌十月三日 »

2005年10月 3日 (月)

日誌十月二日

終日在宅して、書状作成、資料整理などをして過ごしました。日曜でなければできない仕事も多いのです。小生のやうな者には、まるっきりの休日といふのは殆どありません。

三島由紀夫氏は、『東大全共闘との討論を終へて』といふ文章で、「人は敵を愛することはできるが、背いた友を愛することはできぬ」と書いてゐます。まったくその通りと思ひます。小生の運動体験から言っても、同じ思想信条を持ってゐても、否、持ってゐればゐるほど、お互ひに背信行為をしたとか裏切ったと思ふ者同志の対立・闘争は深刻になります。多くの宗教団体が、口では『平和』や『文化』や『愛』や『慈悲』や『許し』を説きながら、分裂や内部抗争を繰り返してゐます。

これを近親憎悪といふのでせう。世界の共産主義革命運動の歴史もまさに近親憎悪の歴史だったと言っても誤りではありません。毛沢東と劉少奇、スターリンとトロツキー、宮本顕治と袴田里見、革マルと中核の争ひを見れば明らかです。創価学会による日蓮正宗・竹入義勝氏・矢野絢也氏攻撃も、「人は敵を愛することはできるが、背いた友を愛することはできぬ」の典型です。

何年か前の『朝生』のパーティーで、共産党の上田耕一郎氏のところに自民党の戸塚進也氏が寄って来て二人で何やら楽しげに話してゐました。そこに新左翼系の弁護士・故遠藤誠氏が来て、上田氏に「あんたは国際派だった」と大声で言ひました。上田氏は嫌な顔をしてゐました。

政治運動・宗教運動は、人々を幸福にすることが目的なのでせうが、むしろ、人を不幸にする闘争の歴史であったといふことができます。そしてそれは今後の世界においてもまだまだ続くどころか激しくなりそうです。

|

« 日誌十月一日 | トップページ | 日誌十月三日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/6226447

この記事へのトラックバック一覧です: 日誌十月二日:

« 日誌十月一日 | トップページ | 日誌十月三日 »