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2005年10月30日 (日)

日誌十月二十九日

午後は、ある同志と当面する運動課題(皇室典範改正問題、靖国神社問題、憲法問題など)について討議。

午後五時より、東京神田学士会館にて、『憲法懇話會』開催。國體と憲法問題を中心に討論。

「國家の自衛権は否定できないのに、現行憲法はそれを否定した。ゆへに建國以来の國體は否定できないが、成文憲法でこれを否定してしまふ危険はある。」「現行憲法はその『前文』の第一行から嘘が書かれてゐる。」「主権といふ言葉を使ふべきではない。」「成文憲法の國體に関する条項は『確認規範』であり改変できない。二千年間培って来た國體を今生きてゐる國民の多数意志で否定することはできない。その他の条項は『創設規定』だから時代の要請によって改変できる。」などといふ意見が出された。

今回まとまった『自民党新憲法草案』は、改憲試案としては最低のシロモノである。天皇条項は現行憲法と殆ど同じである。前文には、「象徴天皇制は、これを維持する」と書かれてゐるのみである。なにゆへ天皇が日本國の「象徴」であられるのかといふことが全く書かれてゐない。すなはち、わが國の國體・傳統・文化に関する叙述が全くないのである。この点に関しては中曽根氏の怒りはもっともである。そもそも「天皇制」などといふ共産党用語を用いること自体おかしい。

起草委員会の森喜朗委員長は、総理大臣の頃、神社関係のパーティーで「日本は天皇中心の神の国」と正しいことを言った人物である。何故そのやうに憲法草案に書かなかったのか。あの発言は酔っ払ひの戯言だったのか、それとも神社関係者へのゴマスリ発言だったのか。

戦勝國によって押し付けられた理念であり、わが國の國體と合致せず、戦勝國に対する敗戦国日本の詫び証文である現行占領憲法前文に書かれた「三原則」を「不変の価値として継承する」などといふのでは、憲法改正でも自主憲法制定でもない。この草案通りの憲法が制定されれば、日本を混迷に陥れた「三原則」が押し付けではなく、國民の意志によってこれを憲法理念とすることとなる。まさに亡國のはじまりである。

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