2020年7月 7日 (火)

「有心」「無心」について

大伴書持(ふみもち)の歌

わが屋(や)戸(ど)に 月おし照れり ほととぎす 心あらば今夜(こよひ) 來(き)鳴(な)き響(とよ)もせ              (一四八〇)
 

【大伴書持】大伴家持の弟。天平十八年(七四六)没。金持はゐなかった。
【おし照れり】空高くから煌々と一面に照らしてゐる。【心あらば】思ひやりの心があれば。【鳴き響もせ】鳴き響かせておくれ。

通釈は、「私の家の庭に月が照ってゐる。ほととぎすよ、心があったならば、今夜来て、鳴き立てておくれ」といふ意。

ほととぎすに人の風流・情趣が分かる心を求めてゐる。大伴書持は大歌人家持の弟であるが、『萬葉集』には十二首の歌が収められてゐるだけである。風流を愛し、草花を愛した人。

中世の大歌人・西行に

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮れ」(出家した心なき身にも、あはれの心はよく分かる。鴫【水鳥の一種】が飛び立つ秋の夕暮れには)

といふ歌がある。

出家した人は、悟りの境地を求め、戀とか愛とか美といふ世界から超脱してゐなければならないとされてゐる。「心なき身」とはさういふことである。出家し僧侶である西行は本来、喜怒哀楽の心・愛憎の心・五感の喜び即ち煩悩から超脱してゐなければならないが、澤から鴫が飛び立つ秋の夕暮れには、哀感・寂寥感を感ぜずにはゐられない。「心なき身」即ち現世的な感情を断絶しなければならない出家の身である西行にも、「もののあはれ」といふことは知ることができるなあ、といふ歌である。これが日本人としての自然な心であらう。

 「もののあはれ」とは物事に対してしみじみと感動する心のことである。単なる哀歓でも悲しみでもない。なかなか定義づけるのは難しい言葉である。

この大伴書持の歌は西行の歌ほど深い内容ではないが、日本人が古来「心」といふものを大切にしてきたことが分かる歌である。書持の歌の「心」は風流を愛する心である。

歌の学問上は、「有心」とは「深い心があること」「思慮分別があること」であり、大切なものとされる。書持の歌はこの心を歌った。

歌学上の「無心」とは「情趣を理解しない心、情趣をわきまへない心」といふ意味である。一方、仏教上の「無心」とは「一切の妄念を離れた心」として大切にされた。西行の「心なき身」の「心」とはこのことである。

醍醐天皇の御代の延喜十六年には『有心無心歌合』が行はれた。七夕の日に「有心」無心」の歌を互ひに歌はせて競はせた歌会である。天上の戀は「無心の戀」であり、地上の人間の戀は「有心の戀」と言はれたといふ。

平安時代には、「無心」とは思慮分別がない、世の常識を超えた心とされ、「有心」とは思慮分別があり常識をわきまへた心とされるようになったといふ。従ってこの歌は、「ほととぎすさん、思慮分別があれば月が煌々と照ってゐるわが家の庭に来て鳴いておくれ」と歌ったのである。

現代の言葉で言へば、「有心」とは、合理的、理知的な心といふことであらう。この言葉の意味は、歌学と仏教では大きく異なると言っていいだらう。

歌学における「有心」とは「真実のある歌を指すとともに、美的様式としてはつややかなもの言ふ」とされる。それが中世になると妖艶な美となる。この大伴書持の歌は、さういふ歌の淵源といふことになろう。一方、「無心」とは一言で言ふと枯淡の境地の事である。

この書持の歌の「心あらば」は、月が照って美しい夜であるのだから、さらに興を添へてほととぎすがわが庭に来て鳴いてくれることを求めたのである。ほととぎすを擬人化して、「心あらば」と求める新しい着想の歌。かういふ歌を、情趣をわきまへた歌、風流、艶の世界の歌と言ふ。やや大袈裟に言へば、新しい機軸・美感覚を打ち立てた歌と言っていい。

奈良朝後期になると、歌が型にはまって来て花鳥風月を型通りに歌ふ歌がやや多くなってゐる。しかし、この大伴書持の歌は、後世の「有心」の世界、艶の世界を詠んだ歌の端緒と言っていいであらう。

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、諸事。


午後らは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。明日行う『萬葉集』講義の準備など。

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この頃詠みし歌

中村メイコ黒柳徹子は何時までも生きてゆくらしと思ふ時あり

よくしゃべる女性は長生きするらしも寡黙ならざる我どうなる

髭の似合ふ人と今日は語らへり爽やかな日本人元一等陸佐

横山大観小堀鞆音が住みてゐし谷中の街を今日も散歩す

堂々男児は死んでもよいと歌ひたる人達を思ふ夕暮の谷中

学生時代の友の消息を知りたしと古き年賀状をめくりゐるなり

如意輪観世音おはす御堂の前に立ち祈りを込めて経誦しまつる

父と母が護りたまへる観音堂われも日日(にちにち)参るかしこさ

父母(ふぼ)の墓所に祈り捧げる孫の顔 菩薩の如く見えにけるかも

墓石の上を飛び歩く猫一匹わが菩提寺は平和なりけり

千駄木の町をへ巡り過ぎし世を 偲べば新緑が眩かりけり

走り回る幼子たちを避けにつつ夕暮時の公園を歩く

中条百合子の屋敷のありし跡所(あとどころ)当時の門柱が残りゐるのみ

財閥とプロレタリア作家と大彫刻家の住みゐし建物が並びゐし所(安田楠夫・中条百合子・高村光雲光太郎父子)

宮本顕治百合子夫妻の住みてゐし屋敷の前に内務警保局官舎ありたり

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2020年7月 6日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 七月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、諸事。

午後は、平河町に鎮座する平河天満宮に参拝。

この後、平河町の先輩事務所訪問。長時間にわたり懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿校正など。


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、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である


宇都宮は共産党と立憲民主が支持した。それだけでもこの弁護士を知事にしてはならないと思ってゐた。

当選するはずはないと思っていたが、宇都宮と山本が落ちて良かった。それでも不安が全くなかったわけではないので、投票に赴き母校の小学校の体育館で小池百合子氏に投票した。

日本共産党は、屁理屈をこねまわして自己を正当化することを得意とする政党である。そして歴史を改竄することを得意とする。

日本共産党は結党以来「君主制打倒」を党是としてきた政党である。志位の言う「天皇制に反対する立場」を取り続けてきた政党である。

共産党の「綱領」に「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」と書かれている。

つまり、「情勢が熟したら」、天皇を君主と仰ぐ建国以来の日本國體を破壊するのである。「解決」などと言う欺瞞的な言葉を使っているが、「廃止する」「打倒する」ということである。

それは共産党が「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張していることによって明らかだ。

共産党は、「立憲君主制」を破壊し打倒し、「共和制」を樹立することを目的としている政党なのである。この事は全く変わりはない。

さらに共産党は、「今の天皇の父=昭和天皇は、明治憲法のもとで軍の統帥権をもつ元首として、侵略戦争と植民地支配を指導した戦争責任があった。このことをきっちり裁けずに戦後日本の政治がスタートしたために、『あの戦争は正しい戦争だった』という時代錯誤の潮流がいまだに幅をきかす。ここに、日本の政治の後進性があります」「(共産党は・注)ま戦後一貫して昭和天皇の戦争責任を追及してきました。昭和天皇の戦争責任は、今なお〝時効〟にできるものではありません」と主張している。

常に平和を望まれ、国民のため、国家のために命懸けで終戦の御聖断を下された昭和天皇様に対し奉り、このような不敬至極な考え方を持っているのが日本共産党である。このような政党に、「即位の大礼」はもちろん、天皇陛下が御親臨される「国会開会式」に出席する資格はない。

『日本共産党』の「綱領」にはさらに次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、プーチンという最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきた。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、他の野党共闘をやりやすくするための方便である。

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言っているだけである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇を君主と仰ぐ日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによって火を見るよりも明らかである。

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆の準備。

夕刻、母校に赴き体育館にて都知事選挙の投票。

この後、千駄木の町を久しぶりに散策。地元の友人の店で一献。

帰宅後も、原稿執筆の準備。

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2020年7月 4日 (土)

共産支那・北朝鮮と同根の日本共産党を排撃すべし

 この度施行された「国家安全法」による香港市民への弾圧迫害をみても明らかになった通り、共産政権は国民の自由とか民主とか政府批判は一切認めない。日本共産党は、共産支那や北朝鮮という専制国家と同根である。

昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、日共は日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。これを後方攪乱と言う。

共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。

さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

日本共産党は、あろうことか長い間、「朝鮮戦争をアメリカの侵略だった」などという嘘八百を並べ立てていた。

『日本共産党の四十五年』という書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いている。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後、一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だったのである。

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが国政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰国した。

そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのである。

七0年代初頭、北朝鮮の国家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰国者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰国者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたという。

帰国事業では、日本共産党の有力者が、全国の「帰国協会」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰国させ、政治的には「北朝鮮に社会主義国の建設を」と宣伝した。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なっていない。のみならず、悲惨極まる状況に陥っている帰国者の救援・救出にもソッポを向きかえってそれを妨害して来たのである。

昭和四十年代前半、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝していた。共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭い去ることのできない大きな罪を犯したのである。

拉致問題に関しても日本共産党は、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示していない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本国内にあるはずがない。わが国の警察の捜査が及ばない北朝鮮の国家ぐるみの犯罪について、わが国の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。
 
日本政府に「証拠を示せ」と迫ること自体無理な話であり、こんなことを言うのは共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

そもそも日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産中国の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。共産党や旧社會党・社民党ような政党の存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしてきたのだ。

日本共産党が日本の軍事力強化、日米軍事協力の強化に反対するのは、共産支那や北朝鮮の軍事侵略に協力し加担するためである。日本共産党撲滅が急務である。

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、近親者来宅。室内清掃。


午後は、北区にある菩提寺参詣。親族と共なり。住職夫人に挨拶。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料検索など。

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「國民主権論」の憲法への明記はわが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある


 美濃部達吉氏は、「主権の観念は近世の初期以来、主としてフランスにおいて初めには君主主権説の形において君権の擁護のために主唱せられ、後には一転して國民主権説の形において社会契約説と相結合し、広く世界に大なる影響を及ぼし、ことに米國諸州の英本國よりの独立、米合衆國の成立、フランス革命等につきその思想的基礎を与えたのである。」(『日本國憲法原論』)

大石義雄氏は、「主権在民とは國民主権とかいう言葉は、日本の歴史にはなじまない言葉である。西洋の歴史は、君主退國民の政治闘争の歴史であるから、君主の手に握られていた主権が國民の手に移ったことを示す用語として、主権在民又は國民主権という言葉は、その歴史を示す言葉として適当である。しかし、日本では、皇室対國民の政治闘争の歴史がないのである。」(『憲法改正の根本問題』)と論じてゐる。

小森義峯氏は「國民主権の思想は、國家契約思想や天賦人権思想と結びつくものであり、それら一連の思想は、とりわけ近世初頭において、専制君主の横暴と抑圧に苦しめられていたという、君民対立・抗争の西洋の歴史と風土の中から生まれたものである。そして、それらの思想を言葉を換えて、一言で表わせば、キリスト教的自然法思想と称することができる。」(『正統憲法復元改正への道標』)

小室直樹氏は「主権理論を最初に明確な形で打ち出したのが、フランスの思想家ジャン・ボタンである。…ルイ十四世に代表される『絶対王権』が出現する…その絶対王権の出現にいわばお墨付きを与えたのがボダンの理論なのである。ボダンは、國家は何者にも縛られない『主権』を持っていると主張した。…それ以前の世界では、王といえども臣下の特権を無視することはできなかったし、また、信仰面ではキリスト教会の法王の足元にひれ伏さなければならなかった。さらに傳統主義から逃れることも出来なかった。だが、ボダンによれば、自由に法を制定・改廃することができる。まさにルイ十四世が言ったとおり、『朕は國家なり』なのだ。このボダンの理論によって、中世の王國ははじめて『國家』(stato)になることができた。近代國家の始まりである。」(『日本國憲法の問題点』)

このやうに、国民主権論は全くわが国の国柄とは相容れないのである。そもそも日本天皇が日本國の君主であらせられ、統治者であらせられるのは、天皇が絶対的な政治権力者であらせられといふことではない。それは、武家専横時代の歴史を見れば余りにも明らかである。日本國の政治権力者は藤原氏・平氏・源氏・北條氏・足利氏・徳川氏と転変を繰り返したが、大君・君主は神聖なる権威の保持者であらせられる上御一人・日本天皇であった。日本國の君主=天皇は、権力のあるなしには全く関はりなく君主であらせられ天皇であらせられる。ゆへに國民主権論を我が國の憲法の基本原理にするのは絶対に誤りであり、國體を隠蔽し、國柄を破壊することとなる。

わが國の歴史には、天皇が主権=國家の最高権力を独占的に掌握し独裁専制政治を行ってゐたなどといふことは全くない。『大日本帝國憲法』にも、「天皇に主権がある」とは全く書かれてゐない。

 わが國は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體である。西洋國家論で言ふところの契約國家・権力國家ではない。我が國は君民一體の國柄である。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合ったといふ歴史は全くない。天皇の政治的権力によって國民が圧迫されたこともない。

故に、君主と國民が対立関係にある國家ではない。國王と人民が主権争奪戦を繰り広げた歴史を持つのは欧米諸國である。従って「主権」が「君主にあるのか、國民にあるのか」などといふことを成文憲法に規定すること自體わが國の國柄とは相容れない。「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同體國家日本には全くそぐはない。

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは、大きな誤りであり國體を隠蔽し國體破壊につながる。「國民主権論」が憲法に書かれている事が、をわが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。

小生は、小学校時代の國会見学で、参議院議場を見学したとき、担任の教師が、天皇陛下の玉座を指差して、「今にああいふものはなくなります」と言ったのを今でも鮮明に覚えてゐる。「國民主権」などといふ概念が憲法に盛り込まれている限り、かかる教育が行はれる危険があるのである。

日本國の統治の大権は建國以来天皇にある。そして天皇の統治大権は権力支配組織の支配権力ではなく、信仰共同體(人格國家)を「しろしめす」といふ意義である。天皇の日本國統治とは、決して権力によって支配されるといふことではない。

三潴信吾氏は「帝國憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、國家・國民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の傳統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいふ)とは一體いかなる意義なのであらうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」といふ敬意を添へる語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められてゐる文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでゐる。この場合の「知る」とは単に知識を持ってゐるといふ意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するといふほどの意であろう。

天皇が、天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるといふことであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているといふことである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 先に引用させていただいた文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されてゐる。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)といふ、きわめて信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 『大日本帝國憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」といふ言葉を用いたのである。そしてこの「統」といふ言葉は統べる(統一する)といふ意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)とふ意である。明治天皇は、明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになってゐる。このお言葉こそまさしく「治める」の本質であると拝する。無私と慈愛といふまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

『大日本帝國憲法』の起草に当たった井上毅は「御國の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡持て天か下の民草をしろしめすという意義より成立したるものなり。かゝれば御國の國家成立の原理は、君民の約束のあらずして一の君徳なり。國家の始は君徳に基づくといふ一句は日本國家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「わが國の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」(『梧陰存稿』)と論じてゐる。

これは「社会契約論」否定の正統なる論議である。君主と民とは相対立しており國家は君と民、あるいは民同士の契約によって成立するなどといふ西洋法思想・國家観は、日本の國體観念・天皇観とは全く異質なものであると井上毅は説いてゐるのである。

 ただ、井上毅はここで「君徳」と言ってゐるが、日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」、日本傳統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって國家を統治したもうのである。

御稜威とは天皇の有される神霊の威力といふべきものである。折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました。」(『神々と民俗』)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした。」(『鳥の聲』)と論じてゐる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお體に入るとされる。

 歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられやうと、歴聖一如の「御稜威」によって國家を統治したまうのである。今上天皇におかせられては、大嘗祭を執行されて現御神となられ、御稜威を保持されてゐることはいふまでもない。

國體護持を祈る憲法学者は、國體に沿って『現行憲法』を解釈して、「主権が國民に存するであれば、國民の中に天皇も含まれる」とし、また「國民の総意とは今現在生きてゐる國民だけでなく、神武建國以来未来永劫ずっと続くところの日本國民全員の総意、ルソーのいふ普遍意思のやうなものだから、『天皇制』は永遠に持続する。」と主張してゐる。
日本國體にそって解釈すれば、『現行憲法』のいふ「國民の総意」とは、決してある時点における國民各個人の集合による多数決の総計結果ではなく、永遠の過去から永遠の未来にわたる日本國民の普遍的な意志即ち日本國體精神のことである。したがって、わが國が革命によって國體が否定されるか、日本國が地上から何らかの事情によって消滅しないかぎり永遠に変る事はないとすることができる。

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚してゐるところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのでは断じてない。成文憲法は、あくまでも不文憲法=日本國體にのっとって解釈すべきである。

『現行憲法』上の「國民の総意」は選挙人である國民及びその代表者の國会議員の多数意思(=多数決の総計)ではない。言ひ換へると、天皇の御地位は、共和國の大統領のように國民の投票によって選ばれた御存在ではない。申すも恐れ多いことであるが、現行憲法下で、「天皇選出の選挙」が行なはれた事は一度もない。

『現行憲法』の「國民の総意」とは三千年の長い歴史の中で、遠い祖先から継承され培はれてきた「日本國民の傳統的な普遍意思」といふ解釈が、日本國體に合致した解釈である。『日本國憲法』が、形式上は日本國體に基いて制定された『大日本帝國憲法』を改正した憲法であるとされてゐる以上、さういふ解釈以外あり得ない。

大野健雄氏(元宮内庁総務課長)は「総意に基づくというのは、この天皇の御地位は肇國以来子々孫々の末に至るまで、國民の総意を以てお護りしてきたし将来もするのであるぞ、という過去の事實と将来の決意を中外に宣明したものと解すべきである。金森國務相も…議會において『現在の瞬間に生きている日本國民ではなくて…過去及び将来の人をも併せ考えうる考え方である』と言い又『過去、現在、未来という区別なく一つの総意である』と述べているのは、その意味である」(『天皇のまつり』)と論じてゐる。

『現行占領憲法』の「(天皇の御地位は)主権の存する日本國民の総意に基く」といふ条文を、憲法九十六条の「憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成、國民の過半数の賛成を必要とする」といふ条文に基き、「國民の多数意思によって『天皇制』は廃止され得る」と解釈するのは誤りである。

しかし、本来「國民主権論」は、前述した通り日本國體とは合致しない欧米近代の革命思想である。解釈論争が生じてしまふやうな「國民主権論」を憲法の基本原理とすることは國體破壊の道を開く危険がある。

葦津珍彦氏は、「将来の憲法改正においては、君民対決の連想を誘発させる『國民主権』の語を削り、日本國君民一致の精神に基づき『統治権の総攬者(統合し掌握する者)としての天皇の』の地位を復元すべきものと思ふ。」(『天皇・神道・憲法』)と論じてゐる。

日本の傳統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立ってゐる『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい傳統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。現行占領憲法は一刻も早く破棄し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

憲法に、日本の國柄に反し天皇の御本質を正しく表現してゐない「天皇条項」があるから、日本は安定を欠いてゐるのである。正しき自主憲法を制定するに当たっては、天皇中心の日本國體を正しく成文化すべきである。『現行占領憲法』は、君主と人民とは相対立する存在であり國家とは國民同士が契約して成立するものであると考へる西洋法思想・西洋國家観に貫かれており、日本國體の根幹を正しく規定してゐない。むしろ『現行憲法』は國體破壊もしくは隠蔽の元凶になっている。「護憲」の名のもとに数々の國體破壊もしくは隠蔽が行はれている。
 今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでゐる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」がわが國の國家傳統の破壊しやうとしてゐる。それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

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