2008年12月 3日 (水)

千駄木庵日乗十一月三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して資料の整理・書状執筆など。

夕刻、知人と懇談。

        ○

俳優の伊東四朗氏が「日経」十一月十五日号で、「私はよく電車に乗るが、腹の立つことばかりで嫌になる。荷物を膝に乗せずに前に置く。脚を組んだり投げ出したり。ものは食べるし、化粧はするし、…肩でぶつかっても謝りもしない。…戦後六十三年、日本は平和だって言ってるけど国内では日々戦争だ」と述べている。

全く同感である。私も外出するごとに、一回か二回は嫌なこと、腹の立つことがある。年寄りが立っていても寝たふりをして席を譲らない人。一人で二人分の座席を使っている若者。つい先日も、某有名大学のバレーボール部の学生数人がユニホームを着て足を投げ出し、一人で二人分の席を占拠し、大声でしゃべっていた。ていた。どうにも腹にすえかねて、「君たちはスポーツマンだろ。マナーをわきまえなさい」と注意した。もしもその学生たちが開き直って向かってきたら大変危険なのだが、我慢できなかった。こういうことは、電車に乗るたびに体験すると言っても過言ではない。若者だけではない。年配の人にも全くマナーを知らない人が結構いる。子供や若者たちはそういう大人たちを見習うのだ。

伊東四朗氏はさらに言う。「それもこれも戦後入ってきた個人主義が咀嚼されないまま、ここまで来てしまったということでしょ。個人主義って相手の個人も尊重しなきゃいけないのに、自分を大事にするってことしかなくて。平等主義ってのもそう。人間に平等じゃない面もあるのに、平等だーって言って学校を卒業しちゃうから社会に出て挫折する。運動会で一等、二等を作らないって、本当にいいことだと思っているのかな。制約があってこその自由や平等なのに、“勝手”という解釈をしてしまった。」

まことにその通りである。「現行占領憲法」は、「基本的人権の尊重」を基本原理の一つとして謳っている。しかし「基本的人徳の尊重」のない人権尊重は、自分さえ良ければ良い、他人や共同体はどうなっても良いという利己主義に陥る。それが現代社会の荒廃である。

平等なんてあり得ない。人それぞれ顔が違うように、個性もあるし能力の違いもある。個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。運動会だけ一等賞、二等賞、三等賞をなくして、平等な社会になるなどと考えるのは、愚の骨頂だ。

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2008年12月 2日 (火)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『マスコミ総合研究所定例研究会』開催。産経新聞編集委員の田村秀男氏が講演し、「   米国発グローバル金融危機は、日本のバブル崩壊とは全く異質。アメリカの金融商品が有毒商品となり、みんな紙くずになるという恐怖感に駆られるようになった。今回のアメリカの金融危機の損失がどれくらいかはっきり見えない。展望が見えない。焦げ付き率が最大の問題。損失処理をどうするかが問題。金の貸し借りが行われなくなり、金が凍りついてしまった。米欧サムプライズローン危機に始まる金融危機の損失額は一千兆円になると見るべき。

金融商品を早く処理するにはどうするか。売れるものは売り、清算するものはしなければならない。回復するまで十数年かかる。時間との勝負。金融商品をFRB(連邦準備制度・米国の中央銀行)がみんな買いあげなければならないところまで来ている。お札を刷って毒入り金融商品と交換する。そこまで米国は追い詰められている。結局つけは米国の財政そのものに来る。

米国への貸し手は海外しかない。最大の貸し手は中国。二番目が日本。日銀がマーケットに流すお札の量は増えていない。それを束ねる人は、永田町・霞が関にいない。危機だからどうするという政策がない。日銀と政府の無策ゆえに、日本の産業界と金融界は困っている。

オバマ政権の金融関係の閣僚の顔ぶれを見てぞっとした。民主党の金融人脈は共和党のそれより日本に対してはるかに厳しい対応をする。米国は、『世界経済が崩壊しないために協力してくれ』と日本に言って来る。その時、日本は受け身になってアメリカの国債を買うでは何の意味もない。円建ての米国債を出すなら喜んで受け入れるようにすればいい。為替リスクを背負わなくて済む。円の国際化という効果も生まれて来る。

日本の企業経営が米ドル相場に翻弄されてはならない。通貨の変動によって企業収益が左右されるのはやめるべきだ。円高になるとフリーターを辞めさせて国内の社会問題を起こしている。こうこういう状況を直すには、円建てによる決済をやる。円を主導通貨にするのが大事。ドルの危機において、日本は新しい枠組みを作るチャンス。そういう前向きの思考を持つべし。

アメリカのドルと日本の円は一卵性双生児。運命共同体と割り切った方が良いと思う。金融政策の重要性を日本国として日銀の政策をどうするか、緊張感を持つべし。『日本はこれだけの事をするから、アメリカもこれだけの事をしろ』と主張すべし。ピンチをチャンスに変える気持ちがないとこの危機は乗り切れない。

日本が開き直って『内需一本で行く、米国債は買わない』ということで打って出ることに異論をさしはさむ気持ちはない。」などと語った。

なにしろ私は経済のことは全くわかりませんので、この報告には間違いがあるかもしれません。色々数字も出されましたが、間違った報告となってはいけませんので割愛しました。

経済も政治も軍事も日本の自立が求められていると思います。ただしその自立とは一体どういう状態を言うのかが問題なのであります。

帰途、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

          ○

国家的危機において、政権争いや、権力闘争にうつつを抜かしている時ではない。「

民主党の小沢一郎代表が『次の政権は超大連立だ』と、麻生政権後の政界再編を念頭に、自民、公明両党との連立も視野に入れた政権構想を語った」という報道があるが、権力闘争よりも国家的危機打開を先にするという考えでそう言ったのなら、評価できる。果たしてどうか。

しかし、戦後体制を肯定する今の政党では真の国家的危機の打開即ち維新は断行できないというのが私の考えである。また、その「超大連立」とやらに公明を入れるというのは、創価学会・公明党糾弾はどこかに吹っ飛んでしまったということなのだろうか。小沢という人は何を考えているのか分からない。

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2008年12月 1日 (月)

千駄木庵日乗十一月三十日

午前は父母お世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は原稿執筆・完成・送付。

午後六時より、千駄木にて、「荻原知康氏を囲む忘年會」開催。成澤廣修文京区長、増子博樹東京都議が挨拶。懇談。荻原知康氏は、小生の小中学校の後輩で、地方政治を志している。前回の区議選で落選したが、次回の当選を期している。まだ三十代なので元気が良く、頑張っている。

帰宅後は、書状執筆など。

            ○

大化改新の後の「萬葉集」編纂、平安時代の國風文化再興としての「古今和歌集」編纂、後鳥羽上皇の國體明徴化の戦ひの時の「新古今和歌集」編纂と同じやうに、明治維新においても「勅撰和歌集」が編纂されるべきであった。それが為されなかったのは、いはゆる欧化・文明開化の風潮が時代を覆ったためと思はれる。ここに近代日本の大きな欠陥があった。

ただし、明治天皇さまが十萬首に近い御製をお詠みになったことは、いかなる時代にあっても日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。

近代以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕せず、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が行はれるべきである。

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2008年11月30日 (日)

千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは、在宅して、原稿執筆。

        ○

昨日の続きですが、「綸言汗の如し」という言葉を、天皇陛下以外の人の事について使うのは全くあってはならないことである。「綸言」とは、天子様の言葉のことである。天子とは、天の神の御子の御事である。日本国の天子は、天皇様以外にあり得ない。臣下たる総理大臣の言葉が「綸言」であるはずかない。メディアの誤用が発端だろうが、そんなことも分からない人物が日本を代表する政治家なのだ。まさに末世である。

つまらない「言葉狩り」が行われているが、國體に根幹に関することで言葉の乱用・誤用があるのは由々しきことである。

麻生総理の祖父たる吉田茂氏は、今上陛下の「立太子の礼」での「寿詞」で「臣茂」と言った。吉田茂氏は君臣の分をわきまえた尊皇の政治家だった。その孫たる麻生氏は、小沢一郎の誤用を厳しくたしなめるべきであった。

政治家・メディアなどの國體隠蔽・國體破壊につながる言動は厳しくこれを批判しなければならない。

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2008年11月29日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後は、千代田区三番町の山種美術館にて開催中の「琳派から日本画へ」展参観。

「『琳派』は、17世紀の俵屋宗達(たわらやそうたつ)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)にはじまり、やがて尾形光琳(おがたこうりん)や乾山(けんざん)へ、そして、江戸後期には酒井抱一(さかいほういつ)、鈴木其一(すずききいつ)らが先達の技法を倣う「私淑」という形で受け継がれてきました。」「琳派の作風や画法は、近代の研究熱心な画家たちに多くの影響を与えています。」「近代の画家が琳派をどのように作品に活かしているか、という視点で鑑賞するのも楽しいでしょう。本展では、脈々と続く日本画の伝統の中に見出される美を堪能していただけたら幸いです。」(案内書)との趣旨で開催された。

俵屋宗達()・本阿弥光悦()「新古今集鹿下絵和歌巻断簡」、酒井抱一「飛雪白鷺」、鈴木其一「四季花鳥図」、速水御舟「名樹散椿(めいじゅちりつばき)」(重要文化財)、東山魁夷「満ち来る潮」などを見る。

数は少ないが美しい作品が展示されていた。わび・さびの世界とは異なるが、色彩が見事な日本絵画の美しさが実感出来た。江戸時代から近代にかけて、わが国が平和で繁栄している時期の行ってみれば贅沢な芸術が『琳派』であると思う。山種美術館は、規模は小さいがなかなか見ごたえのある展覧会を開く。来年、恵比寿に引っ越してしまうので大分わが家からは遠くなるのが残念である。

お堀端に沿って半蔵門まで歩く。皇居の景色がとても美しい。

帰宅後は、原稿執筆の準備。皇室と和歌をテーマとした原稿を書かしていただく。

             ○

今日の党首討論で、小沢一郎氏は「私は総理の言葉というのはもっともっと重いものだと思います。昔からの言葉に『綸言(りんげん)汗の如し』という言葉もあります。どうかそういう意味で、本当に総理が今後きちんと筋道の立った、そして自分自身の発言に責任を持ってやっていただきたいということを最後に申し上げて、総理の見解があればお聞きして終わります。」と述べた。

「綸言」とは、「綸言」は、「天子のお言葉」のことで、『礼記(らいき)』緇衣(いし)篇に、「王の言(こと)は糸の如くなれば、其(そ)の出(い)づるや綸(りん)(組み糸)の如し」とある。すなわち、天子の言葉は初めにはひと筋の糸のような軽いものが、次第に組紐のような重みをもつようになると語っている。これが「綸言」の由来である。「綸」は、「天地経綸」の「綸」である。

天皇国日本には、天子はお一人しかおられない。総理大臣は断じて「天子」ではない。臣下である。だから大臣と言うのだ。「綸言汗の如し」とは、古来、天子は神聖であらせられ、天子の御発言も神聖であり、体から出た汗が再び体内に入ることが出来ないように、一旦天子が発せられたお言葉も撤回できないという意味である。上御一人・日本天皇の御事以外に「綸言汗の如し」という言葉を絶対使ってはならないのである。

最近メディアが、麻生氏批判の記事で、「綸言汗の如し」という言葉を使っているので、小沢氏も使ったのであろう。小沢氏もどうかしているが、それを訂正しない麻生総理もおかしい。ともかく、今の政治家はこの程度なのだ。國體の本義を全く知らないのである。困ったことである。

これは天皇を君主と仰ぐわが國體破壊に結びつく重大な言葉の誤用である。国会という立法府における内閣総理大臣と野党第一党党首の討論において、このような國體に関わる言葉の誤用が行われても、何ら問題にされないということはあってはならないことである。あってはならないことが平気で起きてしまうのが今の日本なのだ。何とかしなければならない。

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2008年11月28日 (金)

千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理、書状執筆など。

           ○

小学校時代の初恋の人が脳腫瘍で逝去した。卒業以来、一回しか会っていなかった。しかし、兄上とは、近年になって時々、近所の飲食店でお会いしていた。企業主にしてPTA会長のお嬢さんであった。私にとっては文字通り高嶺の花の人であった。昨日の夢に、その初恋の人が登場した。私と兄上とその人の三人が話し合っている夢である。場所は飛行機の中なのである。窓から雲海が広がっているのが見えた。何とも不思議な夢であった。きっと天上の世界に行かれる彼女をお見送りしたのであろうと思っている。夢の中のその人の顔を今は全く思い出せない。きっと昔のままだったのであろう。何しろ最近の顔は知らないのだから…。まだ六十二歳でこの世を去られたわけで本当にお気の毒である。しかし思い出は消えることはない。ご冥福をお祈りするのみである。

私はどうも、分不相応というか、高望みの恋をするので困っている。

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2008年11月27日 (木)

千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

父母の介護について、ケアマネージャの方と相談・打ち合わせ。

午後は諸雑務。

夕刻、友らと六義園(りくぎえん)に赴く。元禄八年、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、七年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた庭園。

柳沢吉保は、綱吉に取り立てられ、小姓・側用人・川越藩主・老中・甲斐国甲府藩初代藩主・郡山藩柳沢家初代を歴任。綱吉の文治政治を推進した人。綱吉の寵愛を受け、知行一六〇石から十五万石の大名にまで出世した。それだけにあまり評判はよろしくない。「忠臣蔵」や「水戸黄門」などの時代劇では将軍の威光を背景にして策謀を巡らす悪役として描かれている。

六義園の名称は、支那古代の詩集である『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が『古今和歌集』序文に転用した和歌の「六体」に由来する。

都内随一の紅葉の名所とされ、十一月下旬から十二月中旬から十二月中旬まで「ライトアップ」が行われている。昼間はよく来ているが、夕刻に六義園に来たのは初めてで、なかなか幻想的な雰囲気を醸し出していた。ただし紅葉はあまり見事ではなかった。多くの人々が見物に来ていた。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究會」開催。小生が「萬葉集」巻十六の歌を講義。

          ○

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、そのの序文を書いた紀貫之といわれている。紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。

貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献と言ってよい。「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり」(やまとうたは、人の心を種にたとへると、それから生じて出た無数の葉のやうなものである。この世に生きてゐる人は、様様な事に遭遇するので、心に思った事を、見た事聞いた事に託して言い表はすものである。)

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)

と説かれている。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられていたのである。

つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思い・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

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2008年11月26日 (水)

千駄木庵日乗十一一月二十五日

午前は父に付き添って病院に赴く。定期的な診察と治療のためなり。

午後は、谷中墓地散策。原稿書きが続いている時、気分転換にために、時々谷中墓地と谷中寺町を散策する。緑も多いし、由緒のある寺院もあり、勉強にもなる。桜の葉は殆ど散りつくしていたが、銀杏の黄葉が真っ盛りであった。

「羽峯南摩先生碑銘」を仰ぐ。三島毅(号・中洲。大審院判事・東京大学教授・大正天皇侍講・文学博士・二松学舎の創始者)撰。日下部東作(号・鳴鶴。近代書道の確立者の一人。二松學舎大学で書道の師であった石橋犀水先生は鳴鶴先生の孫弟子)書。

羽峯・南摩綱紀は幕末から明治にかけての儒学者。会津藩士。幼くして日新館で学ぶ。弘化四年、昌平黌に学ぶ。文久二年樺太警備や北海道東岸の幕府領代官を務める。慶応三年京都に行き、戊辰戦争時には大坂を拠点に幕府側につき諜報活動をし、維新後越後高田に謹慎となる。赦免後、京都府の学職、太政官、文部省を経て東京大学教授、東京高等師範学校教授。明治四二年、八七歳で逝去。三島中洲・重野安繹と共に明治三大漢学者と呼ばれる。

「大審院長玉野君碑」を仰ぐ。山田顕義(長州藩士、政治家、司法大臣・枢密顧問官などを歴任。日本大学創立者)篆額、大審院検事長・三島毅撰文。

玉乃世履(せいり)は、岩国藩出身。山田方谷・梁川星巖・斎藤拙堂に師事。初代大審院長、元老院議官。明治初期は、漢学者が判事・検事を務めたのである。道義精神に立脚した法律の条文を作るにもその法律の基づいた判断を下すにも、漢学が大事だったのであろう。もっとも江戸時代の学問は漢学が基本であったのだから、それは当然の事であったのかもしれない。

天王寺の谷中大仏(釈迦牟仁仏像)に参拝。

日暮里駅前の本行寺参拝。永井尚志(なおむね。幕末の幕臣。外国奉行・大目付・若年寄を歴任。徳川慶喜を補佐。函館戦争まで戦う。維新後は元老院権大書記官)、市河米庵(江戸後期の書家、漢詩人。幕末三筆の一人)、荻昌弘(映画評論家。二松学舎出身)などの墓を巡る。

日暮里の諏訪神社に参拝して帰宅。

谷中霊園には、幕末から明治・大正・昭和に活躍した人物が数多く眠っている。そのお墓を訪ね墓碑銘を読むと歴史の勉強になる。墓碑銘の文は、小生の母校二松学舎の創立者の三島中洲先生が書いたものが多い。最近は、漢文を書ける人が少なくなって、大きな墓碑銘が建てられることはなくなった。また、墓碑銘の書は日下部鳴鶴先生の書が多い。鳴鶴先生の學統をひく石橋犀水先生は、二松学舎で書道の教授をしておられた。

永井尚志は、三島由紀夫氏の母方の祖先である。永井尚志の養子である永井岩之丞尚忠の娘・夏子は平岡定太郎の妻であり、その孫が平岡公威、すなわち三島由紀夫氏である。

帰宅後は、明日の「萬葉古代史研究會」における講義の準備。

            

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2008年11月25日 (火)

千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、新宿の花園神社にて、『野分祭』執行。祭詞奏上・祭文奏上・「英靈の声」拝聴・檄文朗読・玉串奉奠などが行われた。

この後、富岡幸一郎関東学院大学教授が講演し、「両烈士が命を懸けて訴えた本当の日本をとり戻すということが、その後の世代に突きつけられて来た。今も『檄文』そのものの状況にある。

田母神氏の事で、シビリアンコントロールという言葉が無意味・無制限に使われた。政治家が自衛隊幹部の人事権に公然と介入した。『檄文』には『英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない』と書かれている。

また、『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。』と書かれている。決起の二年後の七二年にアメリカと中国の手打ちがあった。チベット独立闘争へのアメリカの支援が無くなった。今日、米中同盟がカジノ資本主義を支えている。『アーミテージレポート』は『米中は利益共有者になる』と書いている。その真ん中に日本がある。米中同盟が日本を軍事的に封じ込める。『檄文』の指摘は的中した。

森田必勝氏は、その論文で、『核は将来の資源であり、核防条約は大国による核エネルギー・核兵器の独占だ』と論じた。資源ナショナリズムが勃興した時、核の独占は決定的な問題となる。NPT体制は崩壊しつつある。日本の国民感情は核アレルギーから脱しきれない。『核』という問題をしっかりと議論すべし。

平和を守るために暴力は必要。自己を護るには自己放棄の思想が必要。日本文化を護るためには剣が必要。戦後日本は『菊と刀』の連環を断ち切ってしまった。自主的核武装をすべし。ただし、決して先制攻撃に核を使わない。

日本文化は芸術作品だけでなく、行動及び行動様式も包含する。日本人の行動には西洋人の想像し得ない不思議な要素がある。無効を承知で行動する。大仏次郎は『天皇の世紀』で『吉田松陰は外国人には理解できない。最早、日本人も松陰を理解出来るとは言えない』と書いた。

森田氏は『伊勢神宮に参拝し内宮の日の丸を仰ぎ、万歳を叫ばずにはいられなかった』とその『日記』に書いている。自然な心、自ずからなる心、素直な心に日本がある。自ずからなる日本への思いが義擧につながった。」と語った。

帰宅後は、『政界往来』の連載原稿執筆・完成・送付。

          ○

日本は今岐路に立たされている。「日米関係」も「日中関係」も、日本が真に自立しなければ正しく構築できないし機能しない。精神的には、日本人の自覚・「自ずからなる日本を愛する心」を回復しなければならない。軍事的には、自主防衛体制の確立即ち核武装が必要であろう。それが「菊と刀」の精神であろう。

戦後の「平和主義」を絶対のものとしてこれからも維持し続けて行くことは、日本が米中の属国であり続けるということである。それで良いという勢力が今の日本を支配している。これを突き崩さねばならない。そうしてこそ、日本は真の意味の平和国家、文化国家となるのである。戦後の似非平和主義を一掃すべきである。

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2008年11月24日 (月)

千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆など。

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今回の事件はまだその全貌が明らかになっていないから、迂闊なことは言えない。しかし、メディアの責任は相当に大きいと思う。これまで社会保険庁や厚生労働省をはじめとして官庁そして官僚に対して、言いたい放題の非難攻撃を繰り返して来た。なんの解決策も示さず、ここを先途とある事ないことを扇動的に書き立てて攻撃して来た。そうしたことが、こういう事件を生む土壌になったと言えるのではないか。

事件が発生すると、異口同音に、暴力はいけない、テロはいけない、言論で主張せよと言う。テレビ・新聞・雑誌などのメディアが「言論の自由」とやらを謳歌し、民衆を扇動して来た罪は一切語らないし、もちろん反省もしない。

佐々淳行氏が昨日のテレビで、今回の事件の犯人は、二人の被害者の元部下ではないかなどと言っていたが、大外れだった。テレビニュースもわざわざ「被害者二人の部下だった厚生労働省元職員にコイズミという名の人はいなかった」などと報道していた。こういういい加減な情報が堂々と垂れ流されることも問題である。

ともかく今の日本には色々な暗雲が立ち込めている。怨念という暗雲が日本の政治を悪くしている。小沢一郎を見ていると彼には自民党への怨念しかないのではないかと思う時がある。それには日本人離れした凄まじいものがある。怨念晴らしのために、政局をつくりだし、日本を混迷に陥れている。「失われた十五年」とかいわれているが、小沢一郎の責任は大きい。小沢の自民党脱党以来の政治の混迷が日本を劣化させた。

誰だったか覚えていないが、テレビで「今の政治家でオーラがあるのは小沢一郎氏だけだ」と言っていた。「オーラがある」とか「後光がさす」というのは良い意味で使われることが多いのだが、小沢氏の場合は、悪鬼邪神のオーラと言っては言い過ぎだが、怨念のオーラのように思えてならない。清らかなオーラを持つ政治家を探しているが未だ見つからないのが残念である。

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