2019年5月21日 (火)

萬葉古代史研究会のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 六月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

|

『現行占領憲法』は根底から全面的に否定されなければならない



『現行占領憲法』には次のように書かれている。

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

第一項は現実無視の亡国条文である。国家防衛即ち自衛戦争は、最重要な「国権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「国際紛争」である。これを阻止するために「武力による威嚇又は武力の行使」を行うのは国家として当然の権利だ。これを否定する第一項は亡国条文であることは明白だ。

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という第二項は、国家の存立を根底から否定する条文である。自衛隊は誰が見ても、陸海空軍である。しかし、この条文がある限り「陸海空軍」と見做されないのである。また「交戦権」が否定されているのに事実上「陸海空軍」があるというのは全くの欺瞞である。

安倍総理は、『現行憲法』の第九条をそのままにして、「自衛隊を憲法」に明記すると言う。これは、公明党の「加権」という主張を考慮したのと、一日も早く「自衛隊違憲論」の根拠をなくすための窮余の一策なのだろうが、このような欺瞞的「加憲」を行うべきではない。

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであろうと戦争は行わない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」という意味であることは明白だ。こんな憲法は根底から否定されなければならない。正々堂々「国家防衛」「国軍保持」を憲法に規定するべきである。

交戦権を否定した憲法を持っているわが国は未だに独立主権国家ではないということである。これでは、アメリカ・共産支那・朝鮮半島に対してまともな外交が出来ないのは当然である。アメリカの軍事力の庇護のもとにあり、支那や朝鮮から軍事的恫喝を受け続ける国が、現行憲法体制下の日本なのである。現行憲法無効宣言は国家緊急の課題である。

「九条の会」など自主憲法制定・現行憲法改正に反対する勢力は、日本が共産支那・朝鮮の属国であることを望んでいるとしか思えない。すなわち売国勢力である。私の知っているある政治家はある時、中曽根内閣官房長官時代の後藤田正晴氏に「改憲を早く行うべきだ」と言ったら、後藤田氏は色をなして「五一五、二二六で警察官が軍に殺されたんだ」と言ったという。(私的な会話なのでその政治家の氏名を書くことは控える)こういう手合いが官僚や自民党には多い。ある元官僚が「今の東大出身の官僚はリベラル左派が多い」と語っていたのを思い出す。

|

千駄木庵日乗五月二十日

午前は、諸事。

 

午後は、資料整理。

 

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』次号編集会議。

 

終了後、出席者と懇談。

 

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

 

|

2019年5月20日 (月)

十年前の私の憂慮は現実のものとなった。


平成二十一年十二月四日即ち今から十年前の「千駄木庵日乗」に小生は次のようなことを書いている。

「自民党の谷垣総裁は、先頃、靖国神社に参拝した。今日は、自主憲法制定に意欲を示した。自民党は野党になってややまともになったという感がある。しかし、民主党との違いを出すためだけのためで、政権を取ったら、また元に戻るというのでは困る。

もともと谷垣氏は宮沢喜一・加藤紘一などと同じ宏池会だから、いわゆるリベラル派に属すると思っていたが、そうではなかったのであろうか。そうなら大いに結構である。

自民党結党以来、鳩山一郎初代総裁・岸信介三代総裁は、自主憲法制定を目指していたが、池田勇人・佐藤栄作両氏が、『憲法は定着した』などと言って、自主憲法制定を顧みなくなった。これが今日の混迷の原因の一つである。

それにしても、民主党政権の混迷ぶりにはあいた口がふさがらない。普天間基地問題での鳩山氏のブレ方もひどい。

三党連立はあとどのくらい持つのであろうか。政界の混迷だけならまだいいが、国家民族の行く手が危うくなることを憂える」。

私の憂慮は当った。自民党は、政権を奪還したら、安倍総理はただの一回も靖国神社に参拝していない。建国記念日に政府主催行事を行うと公約していたがそれも実現していない。憲法問題もしなくても良い、否、してはならない「加憲」「一部改正」で事を済まそうとしている。まさに自民党は与党に戻ったら、国家基本問題に対する姿勢も元に戻ってしまったのである。安倍氏は真正保守の政治家として期待されていたのにまことに残念だ。

また、鳩山由紀夫の沖縄政策の誤りが今日の混迷の原因になっている。

|

2019年5月19日 (日)

今日思ったこと

謝罪すべきは、侵略し、日本人を殺戮し、領土を占拠し続けるロシアである。ノコノコと謝罪に行った維新とは名ばかりの亡国政党を討つべし。こうなったら丸山穂高氏を支持すべきである。

|

昨年十一月十七日に開催された『アジア問題懇話会』における阿部純一霞山会常任理事・研究主幹の「中国『一帯一路』の軍事的側面を考える」と題する講演内容

昨年十一月十七日に開催された『アジア問題懇話会』における阿部純一霞山会常任理事・研究主幹の「中国『一帯一路』の軍事的側面を考える」と題する講演内容は次の通り。

「一体一路というのは曲者。時間と共に変化している。今は南米まで加わっている。氷山のシルクロードと言って北極航路の利用まで打ち出している。一帯一路は党規約に書き込まれた習近平の国家戦略。中国の野心はどんどん広がっている。その根本を決めるのは中国のエネルギー戦略。

やがて中国共産党結党から百年、中華人民共和国建国から百年を迎える。二〇一九年以降、中国経済の成長は鈍化している。鉄鋼やセメントの過剰がリーマンショックの影響で起こってしまった。過剰生産、外貨の過剰準備。二つの過剰を金儲けの手段に切り替えた。スリランカの港湾建設に大きな金を高利で貸し付けた。インドネシアの高速道路、ラオスの鉄道建設でも貸し付ける。中国側に有利な仕組みで中国の国有企業が儲かる。中国の影響力強化を図る。

一九九二年より、エネルギー・石油輸入国になった。国内経済の活発化で国内石油では足りなくなった。中国国内で消費されているエネルギーは石炭。大気汚染が深刻化。天然ガスに切り替えると習近平が命令したが、うまく進まなかった。民生用の石油利用はどんどん増えていく。中国の入ってくる石油供給源は中東アフリカ。日本の石油ルートとあまり変わらない。中国にとって脅威はマラッカ海峡封鎖。シンガポールの港にアメリカ海軍が定期的に寄港。マラッカ海峡封鎖の脅威を回避するためにパイプラインを作る。石油の中心とするエネルギー安全保障が中国の最大関心事。連結性強化を図る。

習近平は終身国家主席になった。二〇三五年、習近平は八二歳から八三歳。アメリカに追いつける意欲を見せている。そのために一帯一路は重要。海軍力を拡大しアメリカ海軍を西太平洋から駆逐する。二〇一三年の習近平の初訪米で、太平洋は広いから東西二分論を主張。ハワイから西を中国の影響下に置きたい。中央アジアで中国とロシアの覇権争いが起こる。リムランド(地政学の用語のひとつ。ニコラス・スパイクマンによる造語であり、北西ヨーロッパから中東、インドシナ半島までの東南アジア、中国大陸、ユーラシア大陸東部に至るユーラシアの沿岸地帯を指す)は中国にとって手ごわい地帯。インド日本という中国の言うことを聞かない国がある。ソマリア海賊退治は中国にとって天の助け。インド洋では中国の軍事拠点はジブジだけ。

南シナ海は中国のベースでどんどん軍事化が進んでいる。戦闘機は長持ちする。中国製の戦闘機は輸出できない。耐久性に劣る。アメリカに対抗できる力を中国は持っていない。実績を積む前に虎の尾を踏んだ。私はアジアにおける発火点としては北朝鮮より台湾の方がより大きくなりつつあると懸念している。中国は、『アメリカ艦船が高雄に寄港したらその時、台湾海峡で戦火が上がる』と脅している。台湾海峡での軍事バランスは極めて危うい。しかし中国の台湾上陸は難しい。アメリカは対応を取る。一九四九年以来のアメリカとオーストラリアとの同盟関係は強固。オーストラリアはアメリカのやる戰爭には必ず協力。中国は米豪関係を分断できない。パプアニューギニアはオーストラリアの影響下。中国軍は組織的作戦で戰爭に勝てる軍ではない。中国軍は腐敗している。経験の無い連中が軍の上にいる」。

|

昨年十月二十九日に開催された『明治の日を実現するための議員連盟支援集会』における登壇者の発言

昨年十月二十九日に開催された『明治の日を実現するための議員連盟支援集会』における登壇者の発言は次の通り。

塚本三郎明治の日推進協議会会長「明治維新の先人の努力を学ぶことが大切。先人の事績を学び、感謝すべし」。

古屋圭司議員連盟会長「消防団は日本が生んだ世界一のインフラ。十一月三日は叙勲の日。出来るだけ多くの与野党の賛同を得る必要あり。昭和二十二年十一月三日、『明治節』が『文化の日』に替えることを強いられた。『明治の日』を作ると国家神道が復活するとA新聞は批判。風が吹けば桶屋が儲かる論法。法制局と協力を進めている。自民党の中でも政務調査会と連携し、法案成立を期す。将来を担う子供が明治の精神を全く学校で学んでいない。明治の日制定によって学校教育で学ぶことができるようになる」。

稲田朋美議員連盟幹事長「私は『代表質問』で『五箇条の御誓文』の復活を訴えた。道義的に尊敬される國を目指し明治の精神に回帰しなけれはいけない。明治維新百五十年の今年に形にしてゆく」。

山田宏議員連盟事務局長「天下大乱の時に日本人にとって大切なのは民族の記憶。明治時代を作った記憶に回帰する。『文化の日』では駄目。自民党内の部会を通し、公明党の理解を得て、野党の支持を受ける。私は野党生活が長いので野党対策」。

衛藤晟一氏「明治維新前後の激動の時代は、日本人が素晴らしい精神で駆け抜けた時代。その精神を私たちの心の中に蘇えらせる」。

新保祐司氏「国民が歴史を振り返ることは大事。奈良時代も偉大だった。明治時代はもっと偉大だった。明治の精神が偉大だったのは物質文明が偉大だったからではない。非凡なる凡人が明治の人。義の精神が強くあった。今日の日本人は鑑として振り返らねばならない。独立自尊の精神。カレンダーに『明治』という文字が刻まれ、『明治の日』の行事が行われることによって明治の精神が継承される」。

櫻井よし子氏「日本に本当に必要であるのは、日本人は立派な民族であるという精神。自分の力で国土と民族を守ることが求められている。それが出来なければ民族は滅びる。戦後は豊かになったか、日本人は日本人の価値を置いて来てしまった。国家としての日本、精神の気高さ、誇りがあった。それが形になったのが明治国家。『五箇条の御誓文』ほど立派なものは無い。今の時代にも通用する。今日の世界に広めてゆく価値のあるものが『五箇条の御誓文』。その精神を忘れないために『明治の日』制定が大切」。

阿羅健一氏「十一月三日を『明治の日に』という篤い思いで日本青年館に集まったのは十年前。正念場に来て国会議員と一緒になって頑張っていきたい」。

|

千駄木庵日乗五月十九日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して室内整理、原稿執筆など。

|

やまと歌・『萬葉集』の現代における価値


中河与一氏は、「古代人との心の交通といふことが次第に困難になる時、和歌形式こそはその形式が決定してゐるために、自由に古代人と心が通じあふことができるのである。すなはち三十一字を知ってゐさへすれば、われわれは…最も自然に、ほとんど何の困難もなく、古代人の心に想到するのである。和歌形式といふもののもつ最も重要な一つの意味がここにある…。」「(和歌は)は古代人と現代人とをむすぶだけではなく、さらに高貴の人々と低き人々とを連結した。吾等は萬葉集の中に天皇をはじめ皇統に属する方々の歌をよむと同時に、下って遊行笑婦の歌をさへそこに詠むのである。大體ヨーロッパに於ては藝術的趣味といふやうなものは、一部の階級にのみ属したものであるが、それが三十一字形式のためにわが國に於ては全體的に流通し、然もこれが民族全體を一つの発想に結びつけるところの役目をしてゐるのである。即ち三十一字は民族の縦と横とを結ぶものであって、その発想の永遠的な聡明さは世界の比類を見ないと云っていい。」(『中河与一歌論集』)と論じてをられる。

『萬葉集』の歌を讀むことによりを、今から千数百年昔の日本人のまごころの表白に今日のわれわれが共感し感動することができる。とくに『萬葉集』は貴族や武士や僧侶の歌だけではなく、上御一人から一般庶民・遊女の歌まで収められてゐる。

『萬葉集』の相聞歌を讀めば、古代日本人の戀心を知ることができ、防人の歌を讀めば戦争に赴く時の古代日本の若者たちの心を知ることができる。東歌を讀めば当時の東國庶民の天真の心を知ることができる。もちろん、天皇御製を拝承すれば、萬葉時代の天皇様の大御心を知ることができる。古代と現代の心の交通が和歌によって為される。このやうに和歌は、時間的に縦に貫く役割を果たす。時間を超越して神代と古代とを直結する文藝が和歌である。

一方、地位や貧富の差・老若男女の違ひ・地域や身分を超えた人と人との心の交通が和歌によって為される。和歌は、空間的に横に貫く役割を果たす。和歌は、地位や身分の上下や違ひも超越して日本人を結んでしまふのである。上御一人から下萬民を直結するものである。

つまり、時間と空間の中心点に和歌といふものが立ってゐるのである。時空を超越して、今と神代と直結する文藝、そして身分や貧富の差を超越して日本人を結びつける文藝、それが和歌である。永遠の時間と無限の空間を充たす文藝が和歌である。言ひ換へると日本民族を時間といふ縦軸と空間といふ横軸で一つに結び付ける文藝が和歌である。

上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。すなはちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。

日本人のまごころの表白であり魂の訴へかけである『やまとうた』は、都や中央に住む権力者や勝利者の声ではなく(勿論さういふ人々の歌も含まれるが)、田舎や辺境に生活する庶民といはれる人々や疎外者・敗北者の声が重要な位置を占める。上御一人におかせられても、崇徳上皇・後鳥羽院・後醍醐天皇など辺境にお遷りになられた天皇の御製に感動を呼ぶ素晴らしい御歌が多い。

一時期、「小説」や「評論」を「第一藝術」とし、「和歌」や「俳句」を「第二藝術」としてこれを軽んずる傾向があった。また和歌を「奴隷の韻律」などとしてこれを否定する人もゐた。そして和歌や俳句はやがて滅びるとまでいはれた時期があった。しかし、和歌も俳句も未だに滅びてはゐない。

「第二藝術論」は、和歌が民衆に愛された定型詩であることを逆に証明してゐる。すなはち和歌や俳句は、一部の専門家のみによって創造される藝術・文藝ではないのである。和歌が、記紀・萬葉集時代から現代にいたるまで滅亡することなく継承され創造されてきたといふこと自體が、日本文藝における和歌の大きさを証明する。

和歌は傳統の継承と創造とは一體である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として學ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち傳統と創造が一體になってゐる。ここに和歌文學の特質がある。日本人は傳統の継承から創造を學んだ。和歌はその典型である。傳統と創造が渾然一體となっているのが和歌である。

これは、皇位継承・伊勢の神宮の御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉體であらせられながら邇邇藝命以来の靈統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神靈は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが國の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を讀むことによって可能となる。

中河与一氏は「和歌が國風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本に於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した。」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を傳統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとして和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ實感すべきである。

そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を學ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

|

千駄木庵日乗五月十八日

午前は、諸事。

午後一時半より、丸の内の日本倶楽部にて、『國語問題協議會総會・講演會』開催。小堀桂一郎東京大学名誉教授が挨拶・講師紹介。小谷恵三元鳥取県立倉吉高校教諭が「源氏物語の真実」と題して講演。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料検索など。

|

«天皇の御即位は「天孫降臨」の繰り返しであり再現である