2019年10月25日 (金)

天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったしなかった重大なる伝統破壊である

元号制度は支那からわが國に伝へられたが、わが國においてその本質・性格は全く変化し、権力者の國家國民専制支配の手段ではなくなり、國家國民の幸福、國家の安穏を祈られる上御一人日本天皇の祭祀となった。

「元号」を立てることは、時の流れに節目をつけ、願望と祈りをこめるきはめて高次にして大切なる営みである。しかも、わが國においては、大化以来千年以上の歴史と伝統を持つ。

稲作國家日本の祭祀主であらせられる天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なるご使命であった。

これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、國家の新生、維新が行はれてきた。

天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではなく祭祀であることは、「元号の勅定」が天皇の「統治権の総攬者」としての「國務・政務」について規定されてゐる『大日本帝國憲法』ではなく、「卽位ノ禮及大嘗祭」などの即位に関はる宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる『登極令(とうきょくれい) 』に規定されてゐることによって明白である。

明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝國憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。そして、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

内閣は、この度の新帝即位に伴ふ改元につき、「國民生活への影響を考慮して」「経済界や國民生活の利便性を考へて」即位に先立つ四月一日に政府から新元号を発表することとした。そして、天皇陛下の勅許も聴許も承らず、新しい御代の元号が定められてしまった。これは、君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる内閣によって決められたといふ事であり、元号は天皇の勅定によるといふ千数百年にわたるわが國の伝統が、無視されたのである。重大なる國體隠蔽である。

内閣がかかることを行ったのは、「天皇の事前許可を求めれば天皇の國政関与を禁じた憲法に反する」といふ考へ方に基づくと言はれてゐるが、繰り返すが、元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではない。「天皇の祭祀」の重要な事柄である。

政府も國會も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いてゐる。「即位の大礼」においてもさうであった。『現行占領憲法』はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡國憲法である。一刻も早く全面否定しなければならない。

明治維新に際して明治天皇が「一世一元」の制を定められ、また昭和五十四年制定の「元号法」においても改元は皇位の継承があった時、とされており、改元は新帝によるものと理解されるべきである。

「ついに日本は、天皇が『時間空間』を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時間』を支配する國となった」と極言することも可能である。

報道によると、安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた『現行占領憲法』第四条に抵触しないやう配慮しつつ、「新元号」決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたやうである。天皇陛下、皇太子殿下のご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思はれる。

『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

しかるに新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったしなかった重大なる伝統破壊である。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、病院に赴き、診察を受ける。

午後からは在宅して、『伝統と革新』の原稿執筆。資料の整理など。

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2019年10月23日 (水)

日本の韓国朝鮮統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた


今日、「日韓併合」に対して、韓国は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃している。しかし、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。

これは感情論ではない。 それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されてゐることによって明らかである。
 
朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。

乱脈だった李朝末期の韓国社会に正しい法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。  
また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。

日本の韓国統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた。日本統治時代に韓国朝鮮に大きな投資を行ったために、韓国朝鮮が惨めだった状況から一足飛びに近代化した。日本が韓国統治において一方的な収奪したといふのは大きく事実に反する。
 
日本の韓国朝鮮統治により、韓国朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。  

日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。
 
韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。

日本の台湾・朝鮮統治は、台湾・朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行ふことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。台湾・朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。
 
日本が大東亜戦争で敗戦に追ひ込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、諸事。室内整頓。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の原稿執筆など。

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奉祝歌

日の大神の御稜威ここに天降り天つ光りは差しそめにけり

新しきすめらみことの登極を寿ぎまつり天つ日は照る

あなかしこ天つ日は差し日の本の新しき帝の登極を祝ふ

天孫降臨繰り返されて今此処に新帝陛下は髙御座に立つ

天津日嗣の髙御座にぞ立ちませるすめらみことの御稜威かしこし

あな尊と天つ日は差し天孫の今日の天降りを寿ぎたまふ

日の本に生れ来たりし喜びにわが魂はうち震へたり

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會澤正志斎曰く。「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず」。

會澤正志斎曰く。「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず」。(『新論』)

天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、歴代の天皇に一貫してゐる。

第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

もろおみの朕 (われ)をあふぐも 天てらす 皇御神(すめらみかみ)の 光とぞ思ふ

といふ御製を詠ませられてゐる。

 天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。

また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りであると拝する。天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を継承され開顕される。

 大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

 日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。

歴代の天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。

「即位の大礼」そして「大嘗祭」は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である。即位された天皇が、御自ら新穀を捧げて皇祖・天照大御神を祭られ、共に新穀を食され、天照大神の御神霊とご一體になられる祭祀が「大嘗祭」である。お仕へする群臣もまた神代・高天原の神々の子孫である。時間と歴史を超越して天照大神が今此処にゐますごとくに観ずるのである。

會澤正志斎は、『草偃和言』(そうえんわげん)といふ著書で「日嗣の君は、日神の遺體にましまして今も天神に事へ給ふ事在すが如く、氏々の人は皆諸神の子孫にして其遠祖の人々古日神に事へ奉りし時にかはらず、千萬世の後までも天上の儀を傳へて神代の遺風を其まゝに行はれ、今の世も神の世に異なる事なきは、他邦異域に絶てなき事なれば神國と申すなり」と論じてゐる。今即神代、天皇即神といふ篤い信仰精神が語られてゐる。

天照大神と天皇はご一體であり、天皇は天照大御神のご遺體(神が遺してくれた體といふ意)である。天照大御神と天皇とは時間と歴史を超えて一體であるといふ信仰である。天皇に仕へる臣下國民もまた、天の神々の子孫である。まさに、歴史と時間を貫いて今此処が神代であり、高天原なのである。高天原を地上に持ち来すことが國體の明徴化なのである。今即神代、天皇即神であられるからこそ、日本に革命も皇統の断絶も無いのである。

天皇を君主と仰ぐ日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで生きてゐる。ところが、古代オリエントや古代支那などにおいては、祭祀を中心とする共同體は武力征服王朝によって破壊されてしまった。そして古代民族信仰・祭祀宗教は無くなり、太古の王家も古代國家も姿を消した。その後に現れた支配者は武力による征服者であり、國家は権力國家であった。

それに比してわが日本は、神話の世界が今日唯今現實に生きてゐる國である。すなはち、わが日本は、古代祭祀宗教の祭祀主たる神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現實の君主と仰ぎ、國家と民族の中心者として仰いでゐる殆ど世界唯一の國である。わが國は太古以来の祭祀主を君主と仰ぐ共同體國家が破壊されることなく今日まで続いて来てゐる。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふのである。

それは、會澤正志斎が『新論』において、「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。」と説き、北畠親房が『神皇正統記』において、「大日本者神國他。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。」と説いてゐる通りである。まことに有難き事實である。

日本がその長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。天皇國日本を愛し守護する心を養ふことこそが日本國永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。現實政治の浄化も、維新も、神代・天孫降臨への回帰によって實現する。それが神政復古である。

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千駄木庵日乗十月二十二日

朝、諸事。

この後、在宅して、テレビにて『即位の大礼』を拝し奉る。

午後五時、西新宿の京王プラザホテルにて、呉善花さんにインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2019年10月21日 (月)

日本共産党は國體破壊を目指している


日本共産党は、屁理屈をこねまわして自己を正当化することを得意とする政党である。そして歴史を改竄することを得意とする。

日本共産党は結党以来「君主制打倒」を党是としてきた政党である。志位の言う「天皇制に反対する立場」を取り続けてきた政党である。

共産党の「綱領」に「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」と書かれている。

つまり、「情勢が熟したら」、天皇を君主と仰ぐ建国以来の日本國體を破壊するのである。「解決」などと言う欺瞞的な言葉を使っているが、「廃止する」「打倒する」ということである。

それは共産党が「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張していることによって明らかだ。

共産党は、「立憲君主制」を破壊し打倒し、「共和制」を樹立することを目的としている政党なのである。この事は全く変わりはない。

さらに共産党は、「今の天皇の父=昭和天皇は、明治憲法のもとで軍の統帥権をもつ元首として、侵略戦争と植民地支配を指導した戦争責任があった。このことをきっちり裁けずに戦後日本の政治がスタートしたために、『あの戦争は正しい戦争だった』という時代錯誤の潮流がいまだに幅をきかす。ここに、日本の政治の後進性があります」「(共産党は・注)ま戦後一貫して昭和天皇の戦争責任を追及してきました。昭和天皇の戦争責任は、今なお〝時効〟にできるものではありません」と主張している。

常に平和を望まれ、国民のため、国家のために命懸けで終戦の御聖断を下された昭和天皇様に対し奉り、このような不敬至極な考え方を持っているのが日本共産党である。このような政党に、「即位の大礼」はもちろん、天皇陛下が御親臨される「国会開会式」に出席する資格はない。

『日本共産党』の「綱領」にはさらに次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、プーチンという最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきた。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、他の野党共闘をやりやすくするための方便である。

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言っているだけである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇を君主と仰ぐ日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによって火を見るよりも明らかである。

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸事。

午後は、六本木の国際文化会館にて、崔三然韓国空軍士官学校名誉教授にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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2019年10月20日 (日)

どんなにひどい目に遭はされても、韓国は日本を恨むようにロシアや支那を恨むことはしない

朝鮮韓国の歴史を回顧すれば、ロシアや支那の侵略に遭った歴史が長いし悲惨である。特に、支那が明から清へと王朝が変る時、完全に明の属国であった韓国は、清に反抗し明についた。そこで清は、徹底的に朝鮮韓国を苛めた。朝鮮の『丙子録』といふ文献には、「槍掠焚盡、公私赤立、有甚於壬辰之役」(武力による略奪が行はれ、すべて焼き尽くされ、豊臣秀吉軍の朝鮮侵攻の時より甚だしい)と記されてゐるといふ。

戦前、ソ連の沿海州に三十万人以上の韓国朝鮮人が住んでゐた。ところがスターリンは、これら韓国朝鮮人が「日ソ戦争」が起った時に日本に協力することを恐れて、中央アジアへ強制移住させた。移住する過程で十二万人の朝鮮韓国人が亡くなった。

戦後において金日成軍とソ連軍と共産支那軍が韓国を侵略し、国土は文字通り焦土と化し、南北朝鮮人、支那兵、アメリカ兵あわせて五三二万人が犠牲となったといわれる。

このやうに支那ロシアにどんなにひどい目に遭はされても、今日、韓国はソ連や支那を怨むことはしない。ところが日本の韓国朝鮮統治に対しては怨み続けてゐる。これは何故であらうか。

それは、朝鮮韓国に日本に対する侮蔑意識・差別意識があり、支那やロシアに対する事大思想があるからであると思はれる。「朝鮮韓国にとって大陸にある帝国は、貢物を捧げるべき親の國である。それに比較して日本は、朝鮮韓国よりも野蛮劣等の國である。あくまでも支那は目上の國であり、日本は目下の國である」といふ考へ方が染みついてゐるのである。

これには地勢の違ひが大きいと思はれる。支那と朝鮮韓国は地続きである。鴨緑江といふ河を越えればお互ひの行き来ができる。すぐにでも侵略される。ところが日本と大陸・朝鮮は海を越えなければ行き来ができない。

故に日本は支那朝鮮との関係は政治的にも軍事的にも文化的にも一定の距離を保つことが出来た。日本は支那を「親の國」、朝鮮韓国を「兄貴分の國」などと観念する必要は全くなかった。したがって、日本は支那の朝貢国家にならず完全に独立を維持したのである。

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