2020年9月23日 (水)

荒ぶる神は祭祀によって鎮めることができる

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

本居宣長は、日本の神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)」(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。今日の新型コロナウイルスの感染拡大はこれにあたると思はれる。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文學的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替へようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から學んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精靈たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精靈たちを祓ひ清め鎮めた。

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千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、諸事。

親族来宅。室内清掃。

午後からは、『伝統と革新』編集の仕事。日曜日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。資料整理。

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深谷隆司氏の正論

 深谷隆司の言いたい放題第863回

 「靖国参拝」

 19日午前、安倍前首相が靖国神社を参拝した。「内閣総理大臣を辞任したことを御英霊にご報告した」とツイッターに書いている。安倍氏の参拝は第2次政権の発足から1年後の平成25年であったが、その後中国や韓国の反発を踏まえ参拝を見送り、今回が7年ぶりとなった。

 中国や韓国の言い分はA級戦犯が合祀されているからということだ。しかし、勝者が裁く東京裁判で戦犯とされたが、日本の国会では国内法による犯罪者ではないと決議しているのだ。

 1985年、中曽根総理が参拝された折、朝日新聞が報道し、史上初めて中国共産党政府が公式に非難を表明した。それまでは一切言及はなく、当然のように歴代首相および閣僚が参拝していたのだ。過去11人の首相が参拝している。

 靖国神社は日本国の為に命を捧げられた人々の霊を慰め、その事績を後世に伝える場所である。本来他国からとやかく言われる筋合いはない。

 韓国ではかつての親日派の墓を暴いて死者に鞭打つことさえしようとしているが、そんな国に迎合することなど全くない。 

 私は閣僚時代何度も参拝をしている。息子は孫を連れて終戦記念日に参拝を欠かさない。神仏に手を合わせ崇敬することは日本人の文化であり、誇りである。何の遠慮もいらない。堂々と参拝し、あわせて世界の平和を祈っていきたい。

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2020年9月22日 (火)

明治時代以後における尊皇攘夷運動

幕末に於いて、維新討幕が緊急とされた具体的理由は、『安政条約』で半国家・半植民地と化した日本が、「完全な植民地」となることを食い止め、早急に国家独立の体制を確立することにあった。

天皇を中心とした日本国を欧米列強の侵略支配から祖国を守り、世界の中で完全独立国家として屹立させることが明治維新の理想であった。それが尊皇攘夷の精神である。しかし、明治維新後に於いても、「不平等条約」が存続し、日本は西欧列強と対等の立場に立っているわけではなかった。それとどころか、文明開化に美名のもと、日本は欧化の風に侵された。

明治維新の理想を実現させるべく在野で運動したのが玄洋社をはじめとする愛国運動であった。そしてそれは、欧米列強に屈従する政策を取る政府、欧化の風に侵された文化文明、この二つを粛正することを目指した戦いであった。

民権と国権は相対立するととらえる説があるが、決してそうではない。国権とは民権を圧迫する国家権力のことではなく、祖国の独立のことである。

近代日本というか明治新政府は、「脱亜入欧」「文明開化」「富國強兵・殖産興業」の道を突き進んだ。つまり、欧米の文化・文明を取り入れて日本を近代化し、國を富ませ、軍事力を強固にし、生産を増やし産業を発展させることを目指したのである。

明治初期に岩倉使節団に参加して欧米を視察した政府高官たちの基本的観念には、第一に、欧米の文明に対する高い評価があり、第二に、アジアに対する蔑視とは言わないまでも欧米に比較してアジアは未開であるという認識があり、第三に日本の発展は、アジアから脱して欧米に入ることによって達成されるという考え方である。そして大久保・岩倉などは、その能力がわが日本にはあると確信した。これはまた、『五箇条の御誓文』の「知識を世界に求め大に皇基を振起すべし」という大御心に沿うものであると考えたのであろう。
 
大久保利通は、明治七年に書いた『殖産興業に関する建議書』には、「必ずしも英國の事業に拘泥して、之を模倣す可きにあらずと雖も、君民一致し、其國天然の利に基き、財用を盛大にして國家の根抵を固(かと)ふするの偉績に至りては、我國今日大有為の秋に際して宜しく規範と為すべきなり、況や我邦の地形及天然の利は、英國と相類似するものにあるに於ておや、……」と記している。わが國と國柄および天然自然条件が類似する英國を規範として殖産興業につとめるべきであるという主張である。 

東洋の伝統を否定あるいは軽視して西洋型の帝國としての日本帝國を建設せんするこの大久保路線は、反対者によって『西洋覇道路線』とも名付けられる。そしてこの路線は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋らによって継承される。

さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。マルクス主義などの西洋革命思想による日本の変革運動がそれである。

こういった近代日本の体制側・反体制側に共通する「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。明治第二維新運動では、西郷隆盛、江藤新平、島田一郎などが命を捧げたが、未完に終わった。

その精神と行動を継承する在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動である玄洋社は、明治十四年二月、福岡に創設された。「皇室を敬体戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」の三箇条を憲則に掲げた。

明治二十一年に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、そしてそれに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。    

そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的原因にも関わる今日的課題なのである。

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千駄木庵日乗九月二十二日

午前は、諸事。

午後は室内清掃。『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻は、幼馴染の息子さんと懇談。息子さんといってね四十代の前半の人。

帰宅後は、資料整理。

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第106回日本の心を学ぶ会

第106回日本の心を学ぶ会

神道を考える

神道とは日本列島の気候風土のなかで生まれた伝統信仰です。日本人は自然の中に人知を超えた存在を感じ、祭りを行うことでそういった存在と交流を持とうとしてきました。このような祭りは現在も全国約八万社の神社で一年を通じて行われております。神道と祭祀が日本人の生活と心に大きな影響をもたらしていることは言うまでもありません。

しかしNHKの調査によると自らの信仰を神道と回答した人は全体の2.7%に過ぎず、文化庁が刊行する「宗教年鑑」では信者数は平成の約30年の間に約1600万人も減少しております。現代の日本は地域共同体そのものが過疎化の進行で衰退しつつあり地域共同体を基盤とする神道も同時に衰退しているのかもしれません。20年後には40%の神社が消滅するという指摘もされております。
 さらに新型コロナの流行は神道だけでなく、あらゆる宗教の活動を困難にさせています。近代以前の人々がペストや天然痘などが流行すると宗教に救いを求めていたことを考えると、もはや宗教そのものが現代の人々に必要されていないようにも見えます。

このような社会の変動の中で神道は大きな危機を迎えているのではないでしょうか、最近の神社神道をめぐる様々な事件の続発はそのことの証左に思えます。

日本の精神文化の基本である神道が大きな危機を迎えていることは、同時に日本人と社会の精神もまた大きな危機の中にあるといえます。今回の勉強会では神道について考えてみたいと思います。

(今回の勉強会は文京シビックセンターになります。お間違えないようお願いします。)

【日 時】令和2年9月27日 午後6時から

【場 所】文京シビックセンター 三階会議室B

文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

【演 題】神道と維新運動・民族運動

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は主催者が作成しました。

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2020年9月21日 (月)

共産・立憲民主という革命勢力、國體破壊・自由圧殺政治勢力による政権奪取を絶対に許してはならない。

また、偏向メディアや亡国野党は反権力を装っているが、彼らこそ横暴なる権力者であり営利至上主義者である。

何時も思っていることだが、要するに新聞雑誌テレビは、商業であり、営利事業なのである。雑誌新聞の売り上げ増加、テレビ視聴率の向上が目的なのである。だから、ある事ない事センセーショナルに報道するのである。しかも私が許せないのは、営利目的なのに、正義の味方面していることである。朝日新聞・テレビ朝日の反自民、反日姿勢も営業政策である。

偏向マスコミは、自民党政権を何としても打倒するべくキャンペーンを張っている。立憲民主党・社民党・共産党は、反日政党である。歴史と伝統の國日本を破壊することが彼等の最終目的である。

日本が滅びた方かいいと思っている連中が、今や最大の権力となっているメディアを牛耳っている。サヨク政党は、そういうメディアと連携して、権力を握ろうとしているのである。今の自民党と野党連立政権とどちらがマシか、誰が考えても明らかである。偏向メディアや亡国野党は反権力を装っているが、彼らこそ横暴なる権力者である。

共産支那はアジアのおける軍事的覇権とアジア支配体制確立のために対外膨張を激しくさせている。そして、立憲民主の中には、共産社民と同じ思想を持つ輩が多数いる。

ともかく離合集散をり返し、外交・安全・経済・財政・福祉・教育そして肝心の憲法についての何等の政策も理念も政策も示し得ない現在の野党に政権を委ねることは絶対に出来ない。

社民・共産そして立憲民主は、旧ソ連、共産支那・北朝鮮と同根の共産革命勢力である。彼らは、自由民主体制の日本を破壊して、日本を支那・ロシア・南北朝鮮の属国にしようとしているのである。そのために自民党政権打倒運動をしているのだ。

立憲民主・共産・社民の連立政権が出来たら、日本の国防・安全保障が根底から揺らぐ。そして日本は文字通り亡国の道を歩む。何があろうと、野党勢力に国家権力を握らせてはならない。

小沢一郎が、最近都内で開催した「小沢一郎政治塾」最終日に塾長として講義を行い、「11月には社民党も一緒になる予定。共産党は特別扱いとして、野党は1つになる」と明言したという。その上で「これが効果的に機能すれば、間違いなく政権は取れる。(衆院の)任期はあと、1年。1年以内に政権を取る」と語ったという。そして「野党が大同団結して夏の参院選で過半数、次の総選挙で政権を取りたい」と言っていたという。

自民党政権を何としても打倒したいという小沢の自民党脱党時からの「怨念」からの発言であろう。社民・共産・立憲民主という革命勢力、國體破壊・自由圧殺政治勢力による政権奪取実現したいということだ。こんなことを絶対に許してはならない。

そもそもついこの間三つに分裂した勢力をまた大同団結させるなどということ自体実に無責任であり、国民を愚弄するものだ。数多くの政党が連立を組んだ政治がいかに駄目だったかは、細川連立政権が実証した。

志位和夫・蓮舫・福島瑞穂・辻元清美・小川敏夫・長妻昭などという連中が中枢を担う政権が誕生すれば、まさに日本は亡国です。こんな連中が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとする。そんな政権より自民党政権の方がましであることは火を見るよりも明らかである。

今の野党に政権を渡してはならない。日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを考えるべきである。日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなる。経済も福祉も停滞する。治安も悪くなる。ともかく、亡国野党・偏向朝日の企みを阻止しなければなりません。

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千駄木庵日乗九月二十一日

午前は、諸事。

午後は、書状執筆。『伝統と革新』編集の仕事。資料整理など。

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信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本である

信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本であると思う。

昨日、新型コロナウイルスの猖獗に伴う我々日本人の反省は、静寂を旨とし森厳を大切なものとしてきた我が国神道精神に回帰することによって実現する。その意味でも全国の神社への参詣と祭祀が大切になってくると考える、と書いた。

少し私の意見を追加したいと思う。神仏に祈りを捧げるために神社仏閣に赴き参拝することは大切である。しかし、神仏に対しては静謐なる祈りと祭りを心がけねばならないと思う。

全国の神社仏閣が、現在大きな祭礼や法要を中止または延期してゐるのはそのためなのであろうか。だとしたらそれは正しい。

私は大分以前から思ってゐたことなのであるが、靖国神社に参拝する国会議員の人々が、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」と名乗っていたことに違和感を抱いていた。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という悪いこと法律違反も大勢でやってしまえば構わないという言葉を連想させるからである。

神仏への祈りと祭祀は集団で行うことも大切である。祭祀を基本とする日本伝統信仰=神道は共同体信仰である。しかしそれは共同体に対する神のお守りを祈念することが根柢にあるのであって、みんなでやらないと批判される咎められるという性格の事では絶対ない。

戦後日本は国民の多くが貧困や病苦に苦しめられていたので、神と佛に健康と豊かさを与えたまえと祈ることは致し方のないことであった。そして戦後宗教はそうした庶民の願いを実現すべく努力した。現世利益とはそういう事であろう。

しかしそれは宗教の本来のそして唯一の目的ではない。やはり、静かに心を鎮めて神を祭り佛に祈ること本来の信仰のあり方であろう。新型コロナウイルス猖獗や戦乱など人類の危機的状況を根本的に打開するためにもそのことは大切であると思う。

私は、信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本であると思う。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思う。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊・靖國の英霊への感謝・報恩の心が基本であると思う。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

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2020年9月20日 (日)

千駄木庵日乗九月二十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理。『伝統と革新』編集の仕事。

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