2019年7月16日 (火)

日本を亡國の淵から救い、立て直すために、「戦後民主主義」そして『現行占領憲法』を根底から否定しなければならない


日本國體と欧米の権力國家論との結合は不可能である。古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行われる祭祀を中核として、他の地方的な祭祀が全國的に統一されることによって実現したのである。日本國は権力者の武力によって統一された権力國家ではない。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生まれた國である。

古代日本の統一とは祭祀的・信仰的統一であり、日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の精神的な共同体である。
 
したがって、日本という國家は権力者が國民を支配するための機関すなわち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、天皇國日本は、世界の多くの國々のような征服や革命によって人為的に成立した國家ではない。だからわが國の國體を「萬邦無比」と言うのである。

「天皇制と民主主義は矛盾する。歴史の進歩にしたがって天皇制はなくなるし、なくすべきだ」と考える人がいる。こうした考えは、悠久の歴史を有する日本國を否定し破壊する考え方である。そして、こうした考え方に妥協して、いわゆる「民主主義」といわゆる「天皇制」を何とか矛盾なく結合させようとする考え方がある。「現行占領憲法」の「天皇条項」はそうした考え方によって書かれていると言えるのかもしれない。

この度の御代替わり、皇位継承の意義深い行事・儀式においても『現行占領憲法』によって伝統が破壊され隠蔽されたところが大いにあった。
 
「占領憲法」に象徴される「戦後民主主義」(欧米民主主義思想と言い換えてもよい)なるものが如何に日本國を堕落させ破壊したかは、今日の日本の現状を見れば火を見るよりも明らかである。

我々は日本を亡國の淵から救い、立て直すために、「戦後民主主義」そして『現行占領憲法』を根底から否定しなければならない。そして、「戦後民主主義」の否定は、日本の伝統的國家観・政治思想の復興によって行われる。言い換えると、日本國體精神が「戦後民主主義」否定の原理なのである。

日本國は決して「占領軍や共産主義勢力が目指した民主國家」になってはならない。日本國は天皇國である。「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)は決して善でも正義でも真理でもない。日本にとって百害あって一利無き亡國思想である。

欧米民主主義を建国以来理想として来た国がアメリカであるが、そのアメリカにおいて近年まで制度として黒人差別が行われてゐた。また奴隷制度も建国以来、長い間続けられてゐた。

国家を権力機構とみなし、君主と人民は対立する関係にあるとする「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)と「天皇制」との結合などということは全く必要のないことであるし、また不可能なことなのである。

しかし、わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。国民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが国においては、古代より国民を「おほみたから(大御宝)」ときた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

歴代天皇は、すべて国民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」としての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの国民に限りない仁政を垂れたもうたのである。

近代に於いてのみならず、古代日本においても、国民のために政治が天皇の統治によって実現していた。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。

「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒(こ)ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ」。

天皇が国民の幸福を祈られる祭祀を執行され、国民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、国民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇のまつりごとにこそ、真の民本政治なのである。

天皇は常に国民の幸福を祈られ、天皇統治とは国民を意志をお知りになることが基本である。わが國は天皇が民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされる君民一体の国柄である。これこそ真の民本政治でなくして何であろうか。

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2019年7月15日 (月)

千駄木庵日乗七月十五日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、原稿執筆など。

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橋本左内と南千住回向院について

南千住には、回向院というお寺があります。正称は豊国山(ほうこくさん)回向院と言うそうです。小塚原回向院とも言います。

 

慶安四年(一六五一年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、寛文七年(一六六七年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まるそうです。 私も二回ほど参詣しました。

 

開創から刑場が廃止された明治元年までの二百二十余年間に二十四万の遺体が葬られたといふ。大部分は重罪者で、ここで行はれた刑は獄門・磔・火あぶりといふ極刑であり、処刑者の埋葬は簡単に土をかけるだけといふもので、悪臭が漂ひ、野犬・野鳥が群がったといふ。何とも恐ろしい話である。

 

この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎らが葬られています。「桜田門外の変」で時の大老井伊直弼に天誅を加えたを十八名の「桜田一八烈士」のお墓もあります。「桜田門外の変」の現場指揮官であった関鉄之助も、捕縛後小伝馬町で斬首されここ小塚原回向院に埋葬されました。二・二六事件の磯部浅一氏も此処に眠ってゐます。

 

 

橋本 左内(はしもと さない、天保五年三月十一日(一八三四年四月十九日)―安政六年十月七日(一八五九年十一月一日))は、越前国福井藩士である。景岳と号し、諱は綱紀。父は橋本長綱、母は小林静境の娘。実弟は明治における陸軍軍医総監・男爵 橋本綱常。著書には十五歳の時に志を認めた『啓発録』がある。明治二十四年、贈正四位。

 

越前国に生まれる。嘉永二年(一八四九年)、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵・杉田成卿に師事し蘭方医学を学んだ後、水戸藩の藤田東湖・薩摩藩の西郷隆盛(吉之助)と交遊。他に梅田雲浜や横井小楠らと交流する。越前・福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用され、藩医や藩校・明道館学監心得となる。

 

安政四年(一八五七年)以降、由利公正らと幕政改革に参加。第十四代征夷大将軍を巡る安政の将軍継嗣問題では春嶽を助け、一橋慶喜(徳川慶喜)擁立運動を展開した。

 

幕政改革、幕藩体制は維持した上での西欧の先進技術の導入、日本とロシアの提携の必要性を説くなど開国派の思想を持ち、開国か攘夷で揺れる幕末期に活躍した人物であり、英才である。

 

安政六年(一八五九年)、主君・松平春嶽が隠居謹慎処分に命ぜられた後、左内自身も安政の将軍継嗣問題に介入した事が問はれ、南紀派で大老となった井伊直弼が発令した安政の大獄で斬首された。享年二六。

 

墓所は東京都荒川区の小塚原回向院と、福井県福井市の善慶寺とにある。

 

小塚原回向院には『橋本景岳之碑』が建立されてゐる。回向院に入り行くとすぐ左に橋本左内の墓がある。その隣りには、『橋本景岳之碑』が建てられてゐる。明治十七年の建立で、三条実美篆額・重野安繹撰・巌谷修書。

 

左内の処刑は藩主松平慶永の身代りといふか井伊直弼の慶永公に対する圧迫策であるといはれてゐる。左内は井伊大老誅殺後、罪を許され、遺骸は福井に移された。明治二十六年になって、墓石はこの地に戻された。

 

左内は次のやうな辞世の詩を残してゐる。
「二十六年は夢の如くにして過ぐ 顧みて平昔を思へば感ますます多し 天祥の大節は嘗て心折(くじ)きぬ 土室猶吟ず正気の歌」

 

また、橋本左内は薩摩の有馬新七らと図って、安政五年に勅許を得ずに『日米修好通商条約』を締結した大老・井伊直弼、老中・間部詮勝(あきかつ)を、勅命に背き皇國を汚す無道の逆族と断じてその誅殺を企てた。その時の詩が、

 

「常山の髪 侍中の血 日月も光をつつみ 山河も色を改む 生きては名臣となり 死しては列星となる」(支那古代の忠臣に倣って自分も生きているうちは謀反人と戦ひ、死んでも忠臣の名をとどめたいといふ意)

 

である。吉田松陰・橋本左内のお二人は同じ運命を辿りお互ひに尊敬してゐたのだが、生前一度も會ったことはなかったといふ。

 

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。さらに原稿の準備・執筆。『伝統と革新』『政治文化情報』といふ二つの雑誌の仕事が重なっています。病中多忙とはこのこと。チョコレートを食べながら、無理をしないようにしています。

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2019年7月14日 (日)

。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想・夢物語です

先日も書きましたが、自然災害をテーマにしたシンポジウムで「安全場所に逃げるのではなく、安全な場所をつくる防災が大事。逃げる訓練より戦う訓練が大事」「公助は限界。自力で生き延びる準備が必要」という話を聞きました。その通りです。これは、自然災害だけではなく、国防安保についても言えることです。外国が侵略してきたら安全な場所に逃げるのではなく安全な場所を作り戦うこと、他国の助けを借りる前に自らの軍事力で侵略を防ぐことが大事だということです。

戦後日本は、軍事を否定した「占領憲法」を墨守し、国の安全をアメリカに依存して来ました。こうした状況を改善しないと、わが國が生き延びることが出来なくなる恐れがあります。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想・夢物語です。

トランプ米大統領が、「日本が米国の防衛義務を負わない日米安全保障条約は不公平」と断じたことを良い機会ととらえ、一日も早くこんな夢から目覚めるべきでしょう。

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2019年7月13日 (土)

千駄木庵日乗七月十三日

午前は、諸事。室内整理整頓・書状執筆。


午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。池田維氏(霞山会理事長・元交流協会台北事務所代表)が「台湾のいま―総統選の行方は』と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆など。

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この頃詠みし歌

讀みたき本のたくさんあるに忙しなき日日の続けば詮方もなし

マンショのン窓ごとに置かれたるキムチの壷をめずらしみ見る

南山といふ山の上に登りなば安重根の大き銅像が立つ

反日国家韓国の首都に来たりけり老人たちは親しげに我らを迎ふ

パゴダ公園に憩へる老人たちにこやかによく来てくれましたと話しかけてくる

もう三十年も昔の事なりソウルへの旅懐かしく思ひ出しをり

国柄をただ守らんとと歌ひましし昭和聖帝の御歌畏し

賑はへる浅草の街を歩みたり幾十年の縁(えにし)ある人と

支那ロシアアメリカの元首の中に立ちわが安倍総理負けることなし

女性を見ても何の感懐も湧かずなりし心臓を病む我情なし

食欲は未だ衰へぬ喜びに今宵も食べ物屋を探し回りぬ

日の本の歩みは永久に絶えるなしすめらみことのゐます限りは

久遠なる皇統連綿神代より今この御代に続くかしこさ

イスラムとの共生のことを語りゐるフランス政治家の巧なる言葉

次第次第に病にたおれる友達が増え来ることを肯はねばならず

久しぶりに会ひたる小学校の同級生昔のままの笑顔なりけり

若き夫婦が仲良く働く店に座し酒呑む時の明るき灯り

素麺と冷麦の違ひなどといふ命題を今宵しみじみ考へてゐたり

大き命題の文章を書かんと立ち向かふこれからの日々を神よ守らせ

心許す友と酒酌み語らへるこのひと時の楽しくもあるか

あの頃は若き短歌雑誌の編集長ついにこの世を去りたまひたり(橋本喜典先生)

人の命限りあるものと今ぞ知る父人先輩の訃報続きて

遠き日に我に話しかける父の声が今も消えずに残りゐしかな

あまりにも切なかりせばテープデッキより聞こえ来る父の声を最後まで聞けず

老いと死の事を詠む歌多くなりし事を悲しむ致し方なけれども

後期高齢者とは何歳までか末期高齢者といふ言葉を聞かず

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2019年7月12日 (金)

参院選挙について

比例区には票を入れたいと思う人が何人かいますが、東京選挙区には入れたいと思う人はいません。

「朝日新聞テレビ朝日をつぶす党」というのがあってもいいと思います。

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2019年7月11日 (木)

川村純彦岡崎研究所副理事長(元海将補)による「中国の脅威に対処するためのわが国の防衛体制」と題する講演内容

平成三十一年一月十九日午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における川村純彦岡崎研究所副理事長(元海将補)による「中国の脅威に対処するためのわが国の防衛体制」と題する講演内容は次の通り。
「中国にどう対応するかを研究して四十年になる。東アジア情勢は実に不安定。その原因は中国と北朝鮮。北朝鮮の暴発をどう防ぐか。中国に対してこれまで甘かった。我々と同じ価値観の國になってくれるだろうという期待感があったが完全に裏切られた。

中国が狙っているのはアジア太平洋地域を中国のルールで支配すること。覇権を狙っている。大陸国家であったにもかかわらず海洋国家建設に向かっている。劉華清(八〇年代前半の海軍司令官)が戦略を立てた。二〇一〇年までに第一列島線の内側でのアメリカの行動を拒否する。二〇二〇年までに伊豆諸島の内側での接近を拒否する能力を持つ。太平洋でアメリカと肩を並べる海軍力を持つ。二〇四〇年までに世界の海軍になるという計画を着実に進めている。

一九九六年台湾海峡危機があった。台湾総統選を許してはならぬということで、台湾近海にミサイルを発射。アメリカは空母二隻を台湾周辺海域に派遣。中国にとって苦い経験。中国は南シナ海の聖域化を試みている。アメリカに対抗するために軍事力の拡充を図っている。潜水艦の造成でアメリカ空母接近を阻止せんとしている。大規模な武力衝突にならないようにしながら管轄権を拡大している。(サラミ作戦)これから対立は厳しくなる。

アメリカの中国封じ込めは厳しくなる。冷戦時代以前に戻っている。中国は後発国家。すでに出来上がった秩序をこじ開けて入って来る。アジア太平洋不安定要素。超大国としての国際的地位を獲得したい。それが『中国民族の偉大な復興』という命題。アメリカに脅されないために核抑止力を持ちたい。外洋に展開する力が必要。海軍力が大事。航空力のカバーの無い海軍・陸軍は意味が無い。

中国はどうして軍事力を建設したいのか。①台湾武力統一の時の外国の干渉排除。②海洋大国になるために軍事力拡大。海警の兵力増強を続けている。尖閣にとって脅威。漁民の格好をした民兵に気をつけねばならない。民兵は軍の訓練を受けている。海上民兵の背後に中国海軍がある。二〇四〇年までにアジア太平洋でアメリカと肩を並べたい。

日本の電池潜水艦は極めて有効。封鎖作戦に適している。南西の島々に中国が上陸してきても取り締まる法律は入国管理法。これでは駄目。海上保安庁が取り締まる。軍ではない。適正な法律が出来ていない。国家の主権を守るのは軍である。日本はそれを無視している」。

出席していた自衛隊元高官は次のように語った。「戦前の陸戦隊のような能力をもった軍を作って島嶼防衛を行う。水陸機動運用を前提とした軍を作るべし」。

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