2019年6月21日 (金)

吉田松陰先生曰く「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羇縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや」

幕府打倒・天皇中心の統一國家建設=明治維新の開始であった。

 

吉田松陰は「征夷は天下の賊なり。今を措きて討たざれば、天下万世其れ吾れを何とか謂はん」と主張した。

 

吉田松陰は、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂えて、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、萬國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も實に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候」と記し、大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じた。

 

井伊幕閣幕が勅許を得ずして「日米修好通商条約」を締結したことを知った吉田松陰は激怒した。同年七月十三日、松陰が長州藩主に提出した意見書『大義を議す』において「墨夷(注・アメリカ)の謀は、神州の患たること必せり。…ここを以て天子震怒し、勅を下して墨使を断ちたまふ。是れ幕府宜しく蹜蹙(注・恐れ縮こまる)遵奉之れ暇あらざるべし。今は則ち然らず。傲然自得、以て墨夷に諂事(注・へつらふこと)して天下の至計と為し、國患を思はず、國辱を顧みず、而して天勅を奉ぜず、是れ征夷の罪にして、天地も容れず、神人皆憤る。これを大義に準じて、討滅誅戮して可なり。少しも許すべからざるなり」「征夷は天下の賊なり。今を措きて討たざれば、天下万世其れ吾れを何とか謂はん」と主張し討幕の姿勢を明らかにした。

 

まことに上御一人日本天皇の勅命を蔑ろにしてアメリカに諂った徳川幕閣を、天人共に許さざる存在であり、天下の賊なりと断定した激烈な文章である。

 

松陰は、日本國體を護り、國家の独立を守るために、徳川幕閣に天誅を加へねばならないと決意した。京都に上り、朝廷に圧力をかけ、朝議の操作を成さんとし、また、京都所司代・酒井忠義に命じて尊攘の公卿や志士たちを弾圧捕縛した老中・間部詮勝(まなべあきかつ・越前國鯖江藩第七代藩主)誅殺を企てた。かうしたことが、長州藩政府の咎めるところとなり、野山の獄に入れられた。

 

松陰は、囹圄の身になっても、倒幕の志を変えることはなく、ますます燃え盛った。松陰は、同年四月七日、野山の獄から北山安世に宛てた手紙に「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羇縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。…今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望外なし」と書いた。

 

幕府も諸藩も頼むに足らず、全國の在野の同志が決起して外國からの脅威を撃ち祓ふ以外に道はないと主張したのである。

 

吉田松陰は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

 

処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。

 

今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の「生みの御子」であらせられる日本天皇がしろしめすわが日本國は永遠に不滅である。されば、現御神日本天皇の大御心を体し、日本伝統精神に回帰することによって、いかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。

 

松陰先生は次の辞世をのこされてゐる。

 

討たれたる われをあはれと 見む人は 君を崇めて 夷(えみし)攘へよ

 

この歌には、まさに『尊皇攘夷の精神』が表白されてゐるのである。そして松陰の辞世の精神を継承した人々によって、明治維新の大業が成就したのである。

 

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、諸事。


午後からは、在宅して、室内整理、資料整理、原稿執筆など。

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2019年6月19日 (水)

井上毅(法制局長官・枢密院書記官長)曰く「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」

先日も書いたが、六月十五日に、 立憲民主党・国民民主党が、「皇位継承」について「論点整理」とか「皇室典範改正概要」などを出したと報道された。

 

「皇位継承」といふ國體の根幹に関わる神聖なる事柄について、政争と離合集散に明け暮れ、きちんとした国家経綸を確立しているとはとても思えない今日の政党や政治家が、色々と発言したり意見を出したりすることに対して、私は大きな違和感を覚える。

 

皇室に関する事柄を、政府・国会で決めるのは、権力が権威を、俗が聖を、権力国家が信仰共同体国家(祭祀国家)を、政体が國體を規制する事となる。これは國體破壊であると言っても言い過ぎではない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄、即ち「皇位継承」「御譲位」などは、世俗の法律問題・政治問題ではない。「現行占領憲法」が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。故に、政治権力や成文法によって、規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。天皇陛下の御心によって全てが定められるべきである。

『皇室典範改正』『天皇御譲位』は、天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。

皇位繼承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。而して天皇は、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる。故に天皇の御心を第一にすべきである。

『大日本帝國憲法』第七四条には、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ経ルヲ要セス」(皇室典範の改正は、帝國議會の議を経る必要はない)と書かれてゐる。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

伊藤博文著の『皇室典範』の逐条解説書『皇室典範義解』(明治二十二年六月一日公刊)の「前文」には、「皇室典範は皇室自ら其の家法を条定する者なり。故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。而して将来已むを得ざるの必要に由り其の条章を更定することあるも、また帝國議會の協賛を経るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。また臣民の敢て干渉する所に非らざるなり」と書かれてゐる。

さらに、『皇室典範義解』の第六二條の「註」において「皇室の事は皇室自ら之を決定すべくして之を臣民の公議に付すべきに非ざればなり」と書かれてゐる。

伊藤博文はその著『大日本帝國憲法義解』の「憲法第七四條」の「註」で、「皇室典範は皇室自ら皇室の事を制定す。而して君民相關かるの権義に非ざればなり」と論じてゐる。

また、明治二十一年五月二十五日から六月十五日にかけて、枢密院で『皇室典範』について審議が行はれ、出席者から次のやうな発言があった。

井上毅(法制局長官・枢密院書記官長)「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」。

山田顕義(司法卿)「皇室典範は特別重大の法典にして尋常の法律命令と混同すべきに非ず。故に別段の勅令を以て之を発布し、普く人民をして之を恪遵(注・忠實に守る意)せしめざるべからず」。

河野敏鎌(枢密顧問官)「(注・『皇室典範』を)公布するとも、別に議院の干渉を容るゝの虞毫厘もあることなし。如何となれば、向来皇室典範を改更することあるも、皇族幷(ならび)に枢密院に諮詢する等の明条(注・『皇室典範』第六二条)あるを以て、更に議院の容喙を許さゞればなり」。 

 

メディアや國體護持の精神は希薄にして離合集散を繰り返す野党、そして視聴率競争、売上部数競争に明け暮れるメディアなどが、皇位継承に等の國體・皇室の重大問題に関して色々と干渉し論議する今日の状況は、まさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」ではないだらうか。

ともかく、『皇室典範』は本来「勅定」であり、國民やその代表者とされる議會などが干渉することはあってはならない。

 

戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇室典範改正・皇位繼承・天皇陛下の御譲位といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。

 

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸事。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、資料の整理、検索、原稿執筆の準備など。


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日本伝統信仰・祭祀・維新

わが國の伝統精神における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践なのである。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。   天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来ている。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀という現実に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。   その天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。   天皇の祭祀において、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行われているのである。 わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御霊である。わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。   今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。  それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ってると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。   さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。  我が國伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。 「政教分離」の原則を我が國にあてはめるのは大きな誤りである。日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と仏教・キリスト教などの教団宗教との根本的相違である。  今日、靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝や公的機関の玉串料支出が「政教分離」の原則に反するなどという議論が行われている。「政教分離」とはある特定の神や人物を絶対者と仰ぎ他の宗教を排斥する排他独善の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰とは全く異なる次元の原則なのである。  我が國の國家危急の際に命を捧げた人々を、敬神崇祖の我が國の伝統精神に基づいてお祀りする靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝あるいは公的機関の玉串奉奠を、西洋の宗教戦争から生まれた「政教分離」の原則にあてはめて禁止するなどということは、全く誤っている。  我が國伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰である。それは我が國伝統信仰が、前述したように、國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。 だからこそ、神道の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。  今日「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=神社神道を排斥する輩こそ、キリスト教徒や共産主義者というような排他独善の教義を信ずる者共なのである。 祭祀は「天地の初発(はじめ)の時」に回帰する行事である。神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。  人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。  つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。  今日、「世紀末」などと言われて混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の伝統的な信仰である。  維新とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。  國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、キリスト教や浄土思想の説くような遥か彼方にある天國とか極楽浄土ではない。今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。  実際、日本民族は、全國各地で毎日のように禊と祭りを行っている。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。 神への祈り・神を祭る心を回復すべし  國家を愛することができなくなっているのは、國民の多くが國家に対して誤った見方をしているからである。精神的共同體としての國家と権力機構・経済體制としての國家とをはっきり区別して考えなければならない。権力機構・経済體制としての國家がいかに混乱し破滅的状況にあっとしても、精神的共同體としての國家は永遠に不滅である。 わが國の歴史を顧みても、これまで、壬申の乱、南北朝時代、応仁の乱そしてそれに続く戦國時代というような大混乱の時代も経験したが、天皇を中心とする精神共同體としての國家・日本は生き続け、國家的・民族的統一を全く喪失する事なく必ず太平の世を回復してきた。  我が國國民は祭りが好きである。ということは日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきているのである。  今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に國家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。  維新変革は、この國を何とかしなければならないという情熱を持つ者によって行われるのである。そして深い神への祈り、神を祭る心、神の意思通りに生きんとする心を持つ者によって行われなければならない。   明治維新が徳川幕藩體制を打倒して天皇中心の國體を明らかにした如く、現代における禊祓いとは、今日の日本に巣食っている邪悪な者共を殲滅することである。そして現代における祭りとは、禊祓いの後に天皇國日本の真姿を回復することである。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、諸事。

 

午後は、在宅して、資料の整理、明日のスピーチの準備など。

 

午後七時より、千駄木にて、同志三氏と懇談。

 

 

帰宅後も、資料の整理。

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2019年6月18日 (火)

井伊直弼は決して開国の功労者ではない

井伊直弼は國學とりわけ江戸中期の本居学を学んだ。井伊家は南朝への忠義に励んだ家柄であったとも言われ、直弼は「尊皇精神」の篤い人物であったとも言われている。直弼がペリー来航の翌年嘉永七年(安政元年)に伊勢皇大神宮に祈願した願文には攘夷の意志が込められている。

 

しかし、外圧によって幕藩体制は揺らぎ、翌安政元年(一八五四年)の「日米和親条約」で幕府の「祖法」としての鎖国体制は崩れ始めた。

 

そし幕閣でも諸大名の間でも、開国派と攘夷派の対立抗争が惹起した。開国政策は特に譜代大名によって推進された。その譜代大名の筆頭が彦根藩主・井伊直弼だった。

 

攘夷を強く主張したのは、德川御三家の一つ徳川斉昭そして松平慶永【春嶽。越前藩主】、島津斉彬【薩摩藩主】らによって代表される家門大名、外様大名であった。かてて加えてこの対立は第十三代将軍徳川家定の継嗣問題と絡んで一層先鋭となり、家門・外様大名派(これを一橋派と言ふ)が、「年長、英明、人望」を将軍継嗣の原則として一橋慶喜【よしのぶ。斉昭第七子】を擁立したのに対し、直弼ら譜代大名の派(これを南紀派と言ふ)は、「皇国の風儀」と「血脈」を強調して紀州藩主徳川慶福【よしとみ。のち家茂(いえもち)】を推した。

 

 安政五年(1858)に井伊直弼が大老に就任して、将軍継嗣には慶福を決定し、さらに勅許を得ないまま「日米修好通商条約」に調印した。そして尊皇攘夷運動に火がついた。これに対して直弼は徹底した弾圧策をとり、翌年にかけていわゆる安政の大獄を引き起こした。

 

直弼のこの弾圧政策は、万延元年(一八六〇)三月三日の「桜田門外の変」といふ彼の横死を招いた。幕府の実質的独裁者であった大老が江戸城の真ん前で殺されたことは、德川幕府の権威失墜を招いた。

 

しかも南紀派だとか一橋派とか言っても所詮は幕府内部の内輪爭ひである。その結果、大老暗殺といふ前代未聞の不祥事を招いたのであるから、これ以上の権威失墜はない。

 

井伊直弼は「皇国の風儀」「國體」といふ言葉をよく使ってゐた。しかし彼の言ふ「皇国の風儀」「國體」とは、天皇朝廷を尊ぶ姿勢は保持してはいたが、幕藩体制の上に天皇朝廷を形だけ奉りながら、「政治的実権」は全く剥奪した体制をであった。

 

そして「禁中ならびに公家諸法度」に規制された朝廷の在り方を否定する者は、國體破壊・皇国の風儀を否定する者と断じてこれを弾圧したのである。井伊直弼主導下の幕閣は、「孝明天皇を遠島にし奉る」と朝廷を脅迫し奉ったとさえ言われているのである。それが「安政の大獄」の本質と言っていい。

 

井伊直弼は決して開国の功労者ではなく逆賊であると断じて何ら間違いではない。井伊の行ったことは、孝明天皇の勅命を無視した欧米列強との不平等条約の締結にすぎないのである。

 

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸事。

午後二時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、稲田朋美衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、資料の整理、「政治文化情報』発送準備など。

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2019年6月17日 (月)

今日の満月を仰ぎ見て実感したこと

今日は満月が浮かんでいた。まことに美しかった。自然は美しい。特に「月」は、日本人が歌に俳句によく詠む自然景物である。そして日本国土の自然も実に美しい。山・川・海の景色は実にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。さらに、凶悪なる事件葉が続発している。

これだけ文明が発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。そして精神的荒廃もますますひどくなっているように思える。

われわれは、自然・科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族はそういう使命を帯びていると思う。

科学技術が発達し、文明は進歩しても、人間の道義感覚がそれに伴って高くなっていない。進歩した文明、科学技術を用いて悪事を働く者が増えている。頻発するテロ、北朝鮮の暴虐などはその典型である。

わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」と言って、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 「清明心」は『記紀』の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。今日の日本人はこれを取りもどすべきであると考える。冴えかえる今日の満月を仰ぎ見てそう実感した。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、諸事。室内整理整頓。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

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«<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復