2020年10月25日 (日)

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切である


天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人に対する暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「人民」と相対立する存在であるという考え方に立って制定されたのが「現行憲法」である。

そして、「民主化」「個人の幸福」のためには、天皇の「地位」を低め「權能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想であり、対立闘争の概念である「國民主權論」が採用されているのである。 

天皇中心の信仰共同體國家・祭祀國家たる日本には無関係の「主權が君主にあるのか、國民にあるのか」という対立概念に基づく「國民主權」を、成文憲法に書くことは、わが國の國柄とは相容れない。

西洋概念で日本國體を規定することはあってはならない。西洋法思想・國家論である「國民主權」なる「概念」を、日本國の憲法に規定することは國體破壊につながる。 

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいて成文憲法に規定することは重大な誤りである。「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを論議すること自體、日本の傳統的な考え方・國體觀とは全く異質な論議である。

わが國は、信仰的・祭祀的統一によって形成された國家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。

日本國は、國家の意思を最終的に決定する權力としての主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家ではない。

日本國家の生成は記紀神話に傳えられている。『記紀』によると、國家成立の三要素たる國土・君主・國民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。祭祀主たる天皇は、國民を支配し隷従させたのではなく、信仰的權威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。

日本國の統治大權は建國以来天皇にある。天皇の統治大權とは、權力や武力による支配ではなく、祭祀と一體のものであり、天皇が神聖な信仰的權威によって統率し統一することである。

志位和夫は、「世界に、『國政に関する権能を有しない』--統治権かかわる権限を一切もたない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです」と論じている。

志位和夫は、西洋法思想、國家論・君主論を「人類普遍の原理」と考えているから、日本の伝統的統治論・君主論・國家論を理解できないのである。そして、このような暴論を吐露するのである。「『國政に関する権能を有しない』--統治権かかわる権限を一切もたない君主というものは、存在しません」という議論は日本國體には全く通用しない空想である。武家が國家権力を持っていた鎌倉時代から江戸時代までの長い時代は、天皇は君主ではあられなかったし、「現行憲法」が施行されている時代も天皇は君主ではないということになる。これほど事実を無視した暴論・空論はない。

日本天皇の「統治」と外國の君主の「支配」との違いを正しく理解すべきである。天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を服従せしめ私物化することではない。

支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係にあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。

しかしわが國においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、國民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族國家の中心であると考えている。簡単に言えば、支那においては、天子は権力と武力によって國民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって國民を慈しむのである。

日本天皇は、『朕は國家なり』というような國家國民を私物化し支配する西洋的な絶対専制君主とも全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本國に君臨されているである。故に、天皇は常に無私の心で統治されるのである。

「無私の心」とは神の御心のままということである。さらに歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上した。

天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威は、かかる御精神から発生するのである。

しかし、天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にいまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本國のあらゆる物事・事象の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、『政治文化情報』発送作業。作業完了。

午後からは、資料整理など。

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2020年10月23日 (金)

日本國體とは祭祀主と仰ぐ精神的信仰的共同体


 日本國體とは、天皇を祭祀主と仰ぐ精神的信仰的共同体のことである。単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことであ。つまり、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「国家の体制」と表現するのは誤りである。

 國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。

 小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。           

 「國體」とほぼ同じ意義の「国柄」という言葉は、萬葉の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

 それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。

 これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

 「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

 さらに柿本人麿は、輕皇子(かるのみこ・後の第四二代・文武天皇)がの安騎野(あきのの・奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の山野)へ行幸された時に、
 「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと……」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく……という意)
 と歌った。

 「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事実をいった言葉である。

 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

 このような古事記・萬葉以来の我が国の精神伝統が、「我が国は天皇を祭祀主と仰ぐ神の国である」とする「國體」「国柄」なのである。

戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない。「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「国家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇祭祀主と仰ぐ国である日本には全くそぐわないのである。 

 戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで、「日本は天皇を君主とする国である」ことは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

 『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。また現行憲法にもきわめて不十分・不完全ではあるが國體を護持する規定が書かれている。

 戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。

 その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは記紀・萬葉以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

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第107回日本の心を学ぶ会


テーマ 菅政権と公明党
菅義偉氏が99代総理大臣に就任し菅政権が誕生しました。
公明党は「菅首相とは考え方が近い。共通の基盤がある」と歓迎しています。
安倍政権下で公明党は幼児教育の無償化や消費税の軽減税率の導入など政策で存在感を示した、一方で安全保障法制やカジノ法案の成立では「平和と福祉の党」という理念に反するという批判が支持母体の創価学会からも起こりました。
今後、菅政権内でどのような存在感を示すかが課題になりそうです。
また新型コロナの流行は創価学会の活動にも大きな影響を及ぼしております。地域の学会員が集まる「座談会」や集会が相次いで縮小や中止され、オンラインでの活動が模索されていますが、「顔を突き合わせてこそ深まる会員同士の絆が弱まり。選挙にも支障がでるのではないか」と懸念されています。また会員数の減少と高齢化は選挙の集票能力にも影響を与えており12年前に比べて集票能力は20%以上減少したといわれております。
公明党が解散総選挙に慎重な背景にこのような組織の弱体化と集票能力の減退があると思われます。
そもそも公明党とは農村から都市に流入した階層の人々の欲求をエネルギーとして拡大した政党であり、現在は地方を含めると3000人の議員を擁す大政党です。日本社会の一角にしっかりと根を張ったこの政党の行方は菅政権だけでなく日本社会そのものにも大きな影響を及ぼすように思えます。今回は菅政権と公明党について考えてみたいと思います。
今回の勉強会では「雑誌:宗教問題」編集長の小川寛大先生をお招きして「宗教界にとって安倍政権とは何だったのか」という演題で、四宮正貴先生には「宗教と現代の危機」という演題で講演していただきます。
【日 時】令和2年10月25日 午後6時30分から
【会 場】文京シビックセンター 三階会議室B
文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分
【演 題】宗教界にとって安倍政権とは何だったのか
【講 師】小川寛大先生 雑誌「宗教問題」編集長
【演 題】宗教と現代の危機
【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表
【司会者】林大悟
【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)
【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395
この告知文は主催者が作成しました。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送準備。発送作業。資料整理など。

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2020年10月22日 (木)

「元号」が勅定ではなく権力機構たる内閣によって決められたことにより國體が隠蔽された。

これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、國家の新生、維新が行はれてきた。

天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではなく祭祀であることは、「元号の勅定」が天皇の「統治権の総攬者」としての「國務・政務」について規定されてゐる『大日本帝國憲法』ではなく、「卽位ノ禮及大嘗祭」などの即位に関はる宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる『登極令(とうきょくれい) 』に規定されてゐることによって明白である。

明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝國憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。そして、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

しかるに、令和の御代の改元が新帝によって改元が行はれなかったのは、「ついに日本は、天皇が『時間空間』を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時間』を支配する國となった」と極言することも可能である。といふことはわが國の「元号」は、神聖なる権威を喪失したと考へることも可能である。

しかし、「令和」といふ新しい元号が、現実にはわが國の長年の伝統は崩壊することなく、天皇・皇室の神聖権威と共に、國民の大多数が伝統的権威を継承するものとして歓喜したことは有難いことである。

報道によると、安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた『現行占領憲法』第四条に抵触しないやう配慮しつつ、「新元号」決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたやうである。天皇陛下、皇太子殿下のご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思はれる。安倍総理は、『現行占領憲法』の制約下にあってできるだけの努力はしたと思はれるのである。

「憲法は権力の制限規範」であると言ふ。そして『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったし、しなかった重大なる伝統破壊である。

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこへる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

前述した通り、元号は、臣下の政治家・學者・官僚たちが色々議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。

ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたのである。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、諸事。 午後一時半、永田町の衆議院第一議員会館にて、長島昭久衆議院議員にインビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。 帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2020年10月21日 (水)

日本国民は一日も早く東京裁判の呪縛を払拭し民族の誇りを取り戻すべきである。

戦勝国による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。戦勝国は、わが国を解体し弱体化するために『戦争犯罪人』といわれる人々を捕らえ「裁判」という名の復讐を行ったのである。

 戦勝国は、「戦争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが国の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、牛馬にも劣る非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。

 戦勝国は、法律なき「軍事裁判」の「法廷」即ち残虐無比な復讐の場で、わが国に侵略国家の汚名を着せそれを全世界に宣伝したのである。「日本侵略国家論」こそ、欧米列強の「侵略の歴史」を覆い隠すための便法であった。

 米国は航海の安全を保障されていた日本の「阿波丸」(一万一千二百四十九㌧)を、台湾海峡で魚雷攻撃した。阿波丸は緑十字マークをつけて無防備で航行していたが、二千八名の乗員と乗客が死亡した。

 さらに、米国は広島と長崎の原爆を落とし、わが国主要都市に爆撃を敢行し、無辜のわが国国民を大量虐殺した。ソビエト連邦は、戦争末期に日ソ中立条約を一方的に破棄してわが国に侵攻し、南樺太全千島そして北方四島を占拠し、多くの日本人婦女子を殺戮し、日本人軍民をシベリアに移送して強制労働に従事させ多くの人々を餓死凍死など死に至らしめた。
 
米・ソなどの戦勝国こそ、多くの侵略国である。しかもその責任を回避し、補償さえしなかった。それは数百年にわたる白人によるアジア・アフリカ・中南米侵略支配の常套手段であった。
 
大東亜戦争は、支那大陸におけるわが国の合法的権益を奪い、支那大陸を手中に収めようとする米英ソの謀略と対日経済封鎖力が引き金となって始まった戦いであり、わが国の侵略戦争ではない。
 
わが国近代史を汚辱にまみれた歴史であるとして非難し続けている戦後日本は、国家民族の尊厳性を喪失し、国家民族の存立の基盤を危うくしている。
 
戦勝国は、わが国を戦争に追い込みながら、『東京国際軍事裁判』では、わが国に戦争責任を押しつけた。これは戦勝国の政治宣伝でもあった。
 
戦後日本は今日に至るまで、いわゆる『東京裁判史観』に呪縛され続けている。我々日本国民は一日も早くこの呪縛から解放されねばならない。そして民族の誇りを取り戻すべきである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸事。

午後二時半にて、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、「伝統と革新」掲載原稿執筆など。

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2020年10月20日 (火)

「元号」が勅定ではなく権力機構によって決められたことにより國體が隠蔽された

「憲法は権力の制限規範」であると言ふ。そして『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったし、しなかった重大なる伝統破壊である。

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこへる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

前述した通り、元号は、臣下の政治家・學者・官僚たちが色々議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。

ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたのである。

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